十五の節 切願の果て。 その一




 北半球に位置するスーヤ大陸の季節は、盛夏を迎えていた。涼を求める催し物や、先人達の知恵が人々の生活を潤している。


 しかし、例外もある。特に、眞導マドウに長ける地域では眞素マソを制御下に置き、快適な気温と湿度、気圧を有する空間を確保していた。


 やや湿度を帯びる、降り出しそうな曇天どんてんが広がる平日の午後。

 春の開花時期もとうに過ぎ受粉も済み、青々と茂る葉を蓄えた、ヘイゼルの低木が整然と植樹されていた。区画の端には、柱と屋根だけの作業所と休憩所がある。


 風通しの良い板場に、新雪色の毛皮が丸くなってくつろいでいた。


「俺のかんも、捨てた物じゃないな。本当にいた」


 白い毛皮に向けて言葉が注がれる。喉で低く発し、鼻腔を通ると高い音が二重奏を響かせる、特徴的な若い男性の声。

 翌日には、スーヤ大陸の支配者を自称する、フィーツ・ワイテ帝国へ向かう、ユタカだった。


「モイ。騎士・パシエの使役獣」


 モイ。シザーレ側の住民や、西部沿岸・ラナ地方で使用される万能の挨拶言葉だった。全く逆の炎州エンシュウ出身でありながら、ユタカは素早く現地に順応した上で好んで用いている。


「あれ、俺とは会話をしてくれないのか? 神獸族シンジュウゾクサマ」


 黒い鼻を鳴らし、たっぷりと間を置いた。その後に、黒蜜の甘さを含む低音は正確な炎州エンシュウ言語で音律を並べる。発生源は、新雪色の毛皮からだった。


「面倒事なら、お断りだ」


 ちなみに、炎州エンシュウ言語はスーヤ大陸と言わず、一ノ海イチノウミを隔てた先にある、東のカヤナ大陸でも通用する言語だ。


「そうおっしゃらずに、お願いします」


 眞導士マドウシ達が、夏の炎天でも着崩さずに済むのは、眞素マソを操り個々で快適な環境を保持しているからだ。


 同じく、黒の群狼クロノグンロウの制服を正しく着こなすユタカは、言葉遣いも改め深々と頭を垂れた。

 礼を差し出す相手に、新雪色の毛皮の双眸そうぼうが応える。濃い金色があらわになった。


「その態度は崩せ。どうせ、長くは続くまい」


「ははっ。分かっちゃいました?」


 見透かされたユタカは、早々に相手の言葉に甘え態度を瓦解させた。

 神獸族シンジュウゾクを知るユタカは、基本的な前置きを整えた。


「俺は、ユタカ。そちらの名前を、聞かせてくれないかな」


雪河セツカ


 新雪色の毛皮は、躊躇ためらわず名乗った。眞素マソを介した無言の伝達手段ではなく、発声器官を通した、黒蜜の甘さと濃さを余韻に預ける男性の声を響かせる。


「良い声だな。もしかして、ヒト型に変身出来たりする?」


神獸族シンジュウゾクっているのなら、解答はおのが内にあるのではないか」


 ユタカが放つ質問に対し、暗に肯定をする物言いで雪河セツカは応える。押し付けられても構わないと言わんばかりに、突き放す様子でもあった。


「じゃあ、勝手に話しを進めさせてもらう」


 ユタカはここでようやく、黒い頭巾フーザを背に送った。スーヤ大陸の彫りの深さとは、また異なる顔立ち。そこには生命力に満ちた、野性味がある青年の素顔が外気に触れる。やや癖のある短い黒髪。雪河セツカを見据える瞳は、青い月アオイツキと同じ色をしていた。


「驚かないんだ。俺の目を見ても」


「我の双眸そうぼうの方が珍しかろう。昨今は、鮮血の獣センケツノケダモノ青い月アオイツキの色を持つニンゲン属は多い」


「確かに」


 眷属けんぞくや野生動物に金色の光彩を持つ種は多々ある。


 だが、ユタカの目の前にいる神獸族シンジュウゾクは異なる。濃い金色の双眸そうぼうは、見る者に違和感を与える特殊な印象を宿していた。


 雪河セツカが語るように、文明は眞素マソに触れた摂理の分だけ人口は増えていた。かつては、ケダモノと同一視され侮蔑ぶべつと好奇の対象となり、凄惨な扱いを受ける者がいた時期があったのも事実だった。


「用件は、綺麗な青い月アオイツキを披露するだけか?」


「頼みがある」


 雪河セツカは、丸めていた四肢を解いた。前脚で体躯を支え、尻を据えて座る。襟毛にも劣らない尾にたくわえられた被毛を、優美に一つ上下させた。


 ここは無言で、続けろ。と言わんばかりの様子だ。


眞導士マドウトシ見習い最下層級の、グランツ・ハーシェガルド様を知っているはずだ」


「そうだな。会った事は記憶している」


「俺は、彼に恩がある。彼の御両親にも、返し切れない大恩がある」


 壁がない作業所の影にあって、ユタカの瞳は決意を込めた燐光を発する。雪河セツカに、望みを叶えてもらうための明確な意思表示に似て。


「だが、俺達は帝国に買われた。もう、坊ちゃんに接する機会もなくなるだろう」


 シザーレ眞導都市マドウトシ、最大の商品の一つに挙げられるのは、良質な眞導士マドウシとの専属契約権だった。

 八人会ハチニンカイが複数の空席を抱える中、ユタカとマサメは主力の双刃ミスクリージ。にもかかわらず、眞導都市マドウトシの権力中枢でもある運営委員会は専属契約権を帝国へ譲渡した事を意味する。余りある対価と引き換えに。


「俺も、立派な商品だって事を忘れていたよ」


 ユタカの青い月アオイツキに、自嘲的な色が差す。それもわずかな間だけで、改めて雪河セツカを見据え言葉を続ける。


「実際問題として、腑に落ちない点がある。ここ数カ月の内に、運営委員会の偉いさんは方々に出払う。主力を張る双刃ミスクリージ達は、帝国を皮切りに地方都市や領地に売り飛ばされている」


「ほう」


「周辺諸侯や小国の資金、資材、傭兵の雇用状況、あらゆる流れに違和感がある。何かに怯え、何かに備えている」


「それで?」


「思い切り、ただのかんだが、何か起きる」


「何が言いたい」


「その、何かが起きた時、坊ちゃんを。グランツ・ハーシェガルド様を守って欲しい」


 雪河セツカの肉厚の右耳が器用に動く。止まろうとしていた黄色い蝶を、自ら耳を動かし阻止を果たす。当てを失った黄色い蝶は、薄い羽を忙しく動かし去って行った。


「一つ、せぬ事がある」


 雪河セツカが低く言い放ち、音もなく立ち上がった。





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