十三の節 再会の白薔薇。 その一





「ここにも居ないのか」


 黄土色の制服を着た少年と青年の中間にある若者が、独り呟く。


「時間が違うのかな。と、言うよりも、東と西では随分と就業時間が異なるんだなぁ。この時間帯は、自由行動みたいなものだし」


 陽の高さは、夏に向かう気配を等しく照らす。午後の授業を終え、馴染めない〝茶菓子の時間ヤウゼ〟を潰した青年の独り言が漂う。

 教室でも孤立して話し相手もなく、独り言が癖になりつつあったのは、ハドだった。


 この独り言の理由は、スーヤ大陸のほぼ中央に位置するフィーツ・ワイテ帝国から区分けされる地域意識。炎州エンシュウを〝東側〟と呼び、シザーレを〝西側〟と呼ぶ。


 東側に代表される、セイシャンナ正教国セイキョウコク。その勤勉さは、夜明けと共に目覚め、定番の朝食を摂りながら、就業への準備。


 定刻通りの食事を含めた休憩を何度か挟み、日没と共に明日に備え就業を終える。


 西側に代表される、シザーレ眞導都市マドウトシ。その合理性は、夜明けと共に目覚めると、一口で済ませる質素な朝食を摂りながら、休憩時間に備えた茶菓子の準備に全精力を傾ける。


 就業時間割りは、午前・三時間。正午休憩の二時間。午後・三時間。八つ刻やつどき茶菓子の時間ヤウゼ。その後、日没を迎えるまでの時間は、仕事や補修を残している者が、各々の判断で片付ける。


 事前に知ってはいたハドだったが、実際過ごしてみなければ分からない感覚に、最初は戸惑っていたようだ。


 会いたい相手が、居そうな場所を夕食時間までの自由時間を費やした数日。ハドはこの日、不可解な場所に辿り着いた。


 市街地へ通じる路地の死角にはなっているが、人々の憩いの場所になりそうな区画。

 だが、妙に手入れをされている割りに、全く人通りも気配もない。


 ハドは、立ち入り禁止の警告がないか確認をした後、恐る恐る庭園に侵入した。


 整形式の庭園は、左右対称の緑の生垣が刈り込まれ、初夏に開く多重弁の薔薇を囲う。咲き方も、高芯咲きから一重ひとえ咲き、カップ咲きと多様。色は赤系統よりも白が目立つ。


「あれ? この白薔薇しろバラって、マリサ・セラレータ?」


 ハドは、自宅の庭園で見慣れた高芯剣弁咲きの白薔薇種を見当てた。


「ここには、眞導マドウに使える薬草はないぞ」


 ハドは無人だと信じ込んでいたようだが、人の出入りはあった。雑草一つなく、手間が掛かる薔薇が咲き誇っているのだから、ない方がおかしいと言える。


「す、済みません。え? この声。もしかして、ユタカ兄さん!?」


 ハドが、何かに気付いた様子で見た方向には、ヒト族らしき黒い制服。相手は、律儀に目深く被っていた頭巾フーザを後ろへ勢い良く払った。


 掛けられた声に向けるのは、青い月アオイツキと同じ色の瞳。


「坊ちゃん! ハド坊ちゃん! 噂を聞いて探してはおりましたが、こんな所で会えるなんて。植えて良かった。趣味の花畑ぇ」


 一度聞けば忘れられない声。喉で低く発し、鼻腔で高く通る響き。青い月アオイツキと同じ色をする、猫の目に似たユタカの瞳が涙でうるむ。


「ユタカ兄さんも、よく無事で。炎州エンシュウにいた頃も、兄さんの活躍は耳にしていたんだよ」


「坊ちゃん。俺の事をまだ〝兄さん〟と呼んで下さるのですね」


「当たり前じゃないか。でも、今は駄目だよね。大先輩の上、歴戦の運命の双刃シクサル・ミスクリージ様だし。敬語も遣わないとまずい、ですよね」


 世間的な常識に応じ始めたハドを見たユタカは、今にも足腰を崩しそうな姿勢になっていた。


「そ、そんな言い方は止めて下さい! 俺にとっては、大恩ある御当主様の御子息様です。こればかりは、今も譲りませんよ!」


 年齢や立場は離れているが、ハドとユタカ達は古くからの縁で繋がれていた。


「セリスも元気そう、だよ。使役職の最高峰、竜騎士の適性が認められて、もう何度か現場に出たって手紙に書いてあった」


 他に誰の姿もなく、先程のユタカの態度に甘え、ハドは言葉を戻した。


「アイツは、生意気ですが出来が良い。も、もちろん、坊ちゃんはもっと優秀です」


 ハドは苦笑を浮かべる。ユタカの気遣いが申し訳ないと全面に出ていた。


「そうか。セリスは諦めていないんですね。蛮族に支配された、祖国を解放するために竜騎士になるんだと。昔から言ってましたからね」


 ユタカは、セリスの願いを知っていた。


「実際問題、あの〝紫の大陸〟に侵入出来るとは思えません」


 鮮血の獣センケツノケダモノ青い月アオイツキは人類の難敵だが、直面する危機はそれだけではなかった。


 紫の大陸。紫の蛮族。


 満ちる青い月アオイツキが夜空に昇る日。スーヤ大陸の北方に位置する、広大な切り立つ大陸からやって来る人災。


 いまだ生態の謎も多く、ほぼ毎月の交戦頻度ひんどにも関わらず装備一つ、死体の一つも回収も出来ていない。

 船団での海路からの上陸作戦。騎士や飛空種の協力による、上空からの侵入も果たされていない場所。


 蛮族は、セリス達シェス人の祖先を追い出した。およそ五〇〇ごひゃく年を経た現在でも、外部の人種が紫の大陸の土を踏んだ事実は、存在していなかった。


「僕は、セリスが行くなら必ず行くって決めてるんだ」


「じゃあ、俺もおともしますよ」


「ユタカ兄さんは、群狼グンロウの仕事があるんでしょう? それに、マサメが怒るよ」


「仲間ハズレにしないで下さい。マサメも無言で付いて来ますって。それに正直、任務だけに縛られたくありません。坊ちゃんと一緒に、無茶する方が楽しそうですし、この生命も有効に使えます」


「駄目だよ。簡単に生命を差し出さないで」


 普段は柔らかい目元のハドが、緊張を込めけわしくなった。


 黄土色の制服と、罪に染まる黒い制服の二人を取り持つ旧知の間隙かんげき。優しさと、現実が火花を散らせる気配が立つ幻想が見えそうだった。


 しかし、その緊張の糸は間もなく切られる。寒々しい灰色の石畳が敷かれる通路から、刈り込まれた緑の生垣の入口に向かい、列を成し整然と侵入した。


 ハドの黒い団栗眼どんぐりまなこが、二度見した対象。握り拳大の半透明な塊から、短い四肢が生えている。それらが等間隔で連なり、うねの間を行進して来た。


「クラーディア教師の、不気味な発明品ですよ。不本意ですが、この不気味な〝自動給水・栄養補給人工生命袋〟のお陰で、この花畑は維持されています」


 周囲をよく見れば、三クラール(約さんセンチメートル)の別形状を持つ半透明な物体が宙を漂う。

 地上を行進していた物体と異なるのは、中心の感覚器官と思われる赤い部分がある。両脇のヒレを動かし薔薇周辺を舞うように移動し、あるいは、枝や葉に接着していた。


 虫や鳥とは違う構造で浮いている所から、眞素マソを消費し運動機能や生命活動の補助、維持している様子だ。


「坊ちゃん、あまり見ない方が良いですよ。そろそろ、始まりますから」


「え? 見るって、何を」


 ユタカの青い月アオイツキと同じ色をした視線に釣られ、ハドの黒い瞳が後を追った。





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