第二章 選択する世界

十二の節 邂逅。




 土地の季節は移る。薫風くんぷうに乗り、とんびの鳴き声が遠くで響く。見上げれば、湿度に合わせ高く広がる雲。澄んだ青い空には、円環の白が斜めに渡る。


「そろそろ機嫌を治せよ。交流会から何日が経過していると想っているんだ」


「悪う御座いましたね。我は執念深いのだ」


 フィーツ・ワイテ帝国での交流会から、ほぼ一カ月が過ぎていた。そこそこ浅い過去を振り返り語り合っているのは、明らかな差異がある二種族。同じ言葉を共有し、会話を成立させている。


 視線を手元の紙の束に落とす位置からそのままになだめているのは、ニンゲン属ヒト族を感じさせる緑色の制服の人影、パシエだった。


 ここ、シザーレ眞導都市マドウトシは、スーヤ大陸の西部に位置する広大な都市。

 訪れる者は、東口・西口・南口に開かれた検問を兼ねる堅牢な石造りの門を通過する。


 特に、南口は正面門の役割もあり、細密な装飾を施された二体の飛竜が石像となり、天と地をめ付ける姿が威圧的に出迎える。この門は〝煉黒レンゴク〟と呼ばれ、世界をかくす。


 だが、障壁が連なる訳でもなく、自然の地形を利用した城塞都市との印象を持つ。来る者を拒まない開放的な雰囲気だが、やはり異なる。


 不自然な開放感が意味するのは、圧倒的な自信の表れだった。間違いなく外敵からの侵攻を阻み、市民を守り、市民となった内側の人類を流出させないと。


 有数の研究機関、日々紐解かれる真実の数々を擁する場所でもあると同時に、多くの機密を抱える要衝ようしょう

 中央に近ければ近い程、人員は厳しく管理される。例え脱走が叶った所で、放たれた黒い狼に追い詰められ、喰い殺されるだけだ。


 だが、街並みは美しい。都市行政や研究機関が集まる都市中央に向かい、屋根の色は橙色から黒へと色調を変える。

 都市の境界線でもある、遠くを望む山の稜線は青々とし、山々からの清流、肥沃な農耕地、得られる恵みは先人達より預かり、未来の市民に伝える意識は共有されていた。


「脂肪の塊を切り刻む所だった」


「今頃そんな告白は止めてくれ。言いたい事は判るが、フィーツ・ワイテ帝国の皇太子殿下だ。国際問題になる」


 大きな白い犬が、、一カ月前の不満をこぼす場所は、学舎に程近い区画。中途半端に開けた土地に、誰かが勝手に整えた花畑のおかげで、感想を述べるには悩ましい庭と化している。


「あれが未来の皇帝とは、世も末だ」


雪河セツカが気にする問題ではない」


 パシエは、大きな白い犬の名を呼びながら話題を畳み掛ける。

 呼ばれた雪河セツカは、石壁の補修で余った石材を椅子代わりに腰を掛けるパシエの背後から、大きな白い影で覗き込む。やがて返事とは裏腹に甘えるように、その左肩に顎を預けた。

 

「うわ!」


 通路と花畑を隔てる、背が高い常緑の茂みの一角に気配が立つ。少年と青年の中間にある黒髪黒眼の若者が一人、勢い良く分け入った。

 頭巾フーザを背に流す、育ちの良さを残す童顔には、殴打を受けて間もない跡がある。


 最下層の生徒の色でもある黄土色の長衣型の制服は、焼け焦げと擦り切れが目立ち、破れた箇所かしょもある。


「す、済みません。お邪魔した上に、騒いでしまって」


 若者が視界に入れた、一階級いちかいきゅう上の色をまとう緑色の制服。加えて、襲われているとしか思えない風景に驚きながらも、若者は目上の者に対する礼節を示した。


「気にする必要はないよ。人が居ない場所を見付けて陣取っているだけ。それにしても、派手にやられたな」


 若者とは対照的に、新しい制服。緑色の頭巾フーザを目深に被るパシエは、唯一肌が露出する整い過ぎる口元に、綺麗な苦笑を描いた。


「制服を脱げ。縫ってやる」


「え、でも」


「この白いのが怖いのか? 大丈夫。今は愛らしい毛皮だから」


 パシエの声に応え、大きな白い犬は額をパシエの細い顎に擦り寄せると、その姿は被毛で見えなくなった。

 先程まで持っていた紙の束を、パシエは脇に置いた。パシエは、珍しい光沢の白い手袋に包まれた右手を若者へと正確に向け、言葉に従えと無言で促す。


「では、その。お願いします。いたっ」


 申し訳なさと痛みに耐え、若者が黄土色の制服を脱ぐ。


「ここの連中は頭だけは狙って来ない。私刑も慣れたら急所外しの練習になる」


 パシエは、言いながらふところから針箱を取り出す。若者が興味深く注目する中、針に黄土色の糸を通し、待ち針を打ち、細かい目の返し縫いを始める。


「うわぁ。お上手ですね」


「慣れの恩恵。君も、裁縫と傷の手当ての腕が上がる」


「先輩が私刑にうんですか? こんなに立派な使役獣がいるのに?」


「隙があれば無意味だ。眞導マドウも構築して放たなければ、物理的に殺される」


「確かに、その通りですよね」


 慣れた動きと速さ、正確さを備えるパシエの針仕事に見惚れる若者が、ある事に気付き姿勢を正す。


「あの、失礼しました。一七一六年度入学生、グランツ・ハーシェガルドです」


「こちらこそ失礼した。パシエ。姓は捨てたから、ただのパシエだよ。握手したいが、このざまだから許してくれ」


 左肩に、大きな白い犬のあご乗せ。手に針とあって、礼節が取れない事を詫びるパシエの前で、若者は急に座り込んだ。


「思い出した。一カ月前、フィーツ・ワイテ帝国の交換会で、シザーレ側の交換候補生のお一人でしたね」


セイシャンナ側から、推薦ではなく自ら望んでシザーレに来た酔狂者の名は、実は把握していたよ」


「あ、ははは。ここに来て初めて、まともに会話をした気がします」


 肩まで落とし、ハドは項垂うなだれた。身体面よりも、精神面の摩耗の色が濃い。

 その様子を視界に入れたパシエは、少々残酷な現実を伝える。


「この場所で、眞導マドウ、古い知識、誰かを護るためのすべを学び取る事を目的とするな。生き残る事だけを考えろ。正教国セイキョウコクや帝国の権謀数術けんぼうすうじゅつなど、役には立たない。今までの考えを改めろ。生き残るために」


 ハドは顔を上げた。その表情は疲弊していたが、確固たる反論をえがく。


「先輩の忠告、感謝します。でも、僕は変わるつもりはありません。親友と再会した時〝変わったな〟なんて、言われたくないですから」


「善い親友が待っているんだな」


「はい。必ず生きて会いに行くと、約束しました」


 少年の右側の耳に、力強い光を宿す灰色のぎょくが揺れていた。


 そんなハドの制服を、縫い終えたパシエは玉留め。器用に風の眞素マソつかい、余った縫い糸を切った。

 実は、気を利かせた大きな白い犬が無構築で放った眞導マドウ。しかし、特に説明もせずに、パシエは黄土色の制服を返した。


「縫い物、本当に上手ですね。刺繍が上手な友達がいるんです。ちょっと、思い出しました」


 受け取った制服に手を通すハドの顔が、やわかく微笑ほほえんだ。


「刺繍と言えば、カヤナ大陸だな。物によれば、相当な対価と釣り合うほど見事な織物も有名だ」


 すると、今度はパシエの端整過ぎる口元が意味あり気にほころぶ。男女の差なく適材適所の土地柄だが、刺繍に携わるのは圧倒的に女性が多い。


「さては、初恋の君だな?」


 答えは、紅潮するハドの頬を見れば一目瞭然だった。


「あ、ははは。そうだったかもしれません。でも、三年くらい前に、お嫁に行っちゃいましたから」


「そうか」


「あ、あの! 先輩は、いつもこの場所にいらっしゃるのですか?」


 話しを反らすためか、ハドの語気がやや勢い付く。


「今日は偶然だよ。落ち着きたいから、人気ひとけのない場所を探して回っている感じかな」


「そ、そうなんですか。あの、また会えたら話ししてもらえますか?」


「うん。また、会えたらな」


 割りとあっさりしたパシエの返答に、ハドはひげも薄い童顔に、隙だらけの幼い笑顔を浮かべて応えた。


 とんびが再び高く鳴いた。二名と一頭は、同時に快晴を見上げる。どこまでも奥行きがない程に、平らかに塗られた絵画のような青を。とんびが上層気流に乗り、優雅な弧を描き独占する様を。


 一七一六年、雷鐘ライショウの月一七日。ハドは、今後を左右される運命の相手と出会った事を、この時は無自覚のままでいた。





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