十一の節 神獸族・絽候。 その二




「知った風な口を叩くな」


 照れ隠しか、本当に不快を表しているのか。璜準コウジュンは全身全霊で抵抗感を示している。


「判るよ。同じだもん。ボクとアンタ」


 璜準コウジュンは、煙草の不味さにしかめる以上の具合を綺麗な顔に乗せ、絽候ロコウの発言を否定する。


「会ったばかりで、これ以上気色きしょくの悪い事を言うとなぐるぞ」


 若干、殺意が込められる青い月の色を受けてさえ、絽候ロコウは笑顔を崩さなかった。


「暴力まで振るうのかよ。この八聖サマは滅茶苦茶めちゃくちゃだな!」


うるさい」


 はたから見れば、痴話喧嘩に見えなくもない様子の状況に、臆さず水を差す者が現れた。


璜準太師コウジュンタイシ、帝国への定期報告書の内容について問題箇所がありますので、確認をお願いします」


 低く、説得力のある渋い声が璜準コウジュンに向けられた。釣られた絽候ロコウが向けた視界に、二つの小柄な影が映る。


 現れたのは、璜準コウジュンの数少ない理解者であり、操作が可能な人物。白の法衣に身を包む、ニンゲン属クマ種オルセット族、燻色いぶしいろの被毛を持つ兄・メイケイ。同じく、麦藁色むぎわらいろの被毛を持つ隻眼せきがんの弟・ウンケイだった。


「はぁ? どこに問題があるんだよ」


「先月と同様。だけでは駄目です」


「ウッソだろ、お前。どうせ誰も見てねぇだろうによ」


 指摘するウンケイに言われ、璜準コウジュンはひどく緩慢に立ち上がる。絽候ロコウに一言も置かず、璜準コウジュンは写本を片手に、主屋おもやへ向かった。


 残された絽候ロコウとメイケイとの間には、渓谷から飛来した野鳥の声が挟まれていた。野鳥の餌台バードフィーダーに釣られ、渓谷で大合唱をする事で有名な、オオルリが飛来しては一服する。


 普通なら、気配を察して飛び立ってしまう。この草庵一帯に存在する者の気配が、常人離れしていると言えた。


「主の非礼、平に御容赦戴けると幸いです」


 メイケイは、綺麗な一礼を絽候ロコウへ奉じた。


「ここは粗末な草庵でございます故、御満足戴けるお持てなしが出来ません。重ねて、御容赦下さいますように」


 メイケイの態度は、折り目も正しく丁重だが、帰れ。と暴言に等しい内容だった。

 絽候ロコウの立場は、メイケイの階位なら知り得る高さを持っている。その上でメイケイの方から口を開き、主を奥に隠した。


「ここは、大変危険な場所です。太子タイシ様に、万に一つの事があっては」


「追い払うためのお題目なんて、ボクらの間には必要ないでしょう? メイケイ先輩」


 無邪気な笑顔のまま、絽候ロコウは悪びれもせず、メイケイの態度を許容した。しかも、懐柔しようとする意図を言葉に含ませている。


「では、単刀直入で申し上げる。主に関わらないで戴きたい」


 種族も、立場も、遥か雲の上の相手に、メイケイは毅然と言い切った。証拠に、燻色いぶしいろの被毛は一本も起こさず、直立する四肢に震えも立っていない。


「メイケイ先輩。そんな訳には行かないよ」


 淡い金色の双眸そうぼうを、素人演技丸出しで閉じて見せた。不自然な動きで、メイケイの注目を引いているのは明らかだった。


「ボクは、もう決めちゃった。璜準コウジュンツガイの相手にするって」


 再び、絽候ロコウが淡い金色の双眸そうぼうを解放する。そこには隙だらけの無頓着な笑顔ではなく、獲物を捕らえた支配者の優越性を宿していた。


 メイケイの黒い鼻が、眞素マソを介さず機能を果たそうと感覚を研ぎ澄ませる様子が窺える。


御免ごめんね、メイケイ先輩。ボクに汗腺はないから、発汗に含まれる感情物質を嗅ぎ取るなんて出来ないよ」


 メイケイの種族特性である嗅覚の鋭さ。相手の分泌物に含まれる感情物質によって、ある程度の判別が可能だった。


 例えば、相手の言葉が真実なのか。緊張や不快感から発せられる、種族別の正確な物質と量。酸性濃度の高さすら、メイケイ達は記憶していた。


 絽候ロコウは、それをあえて言い放ち、言葉の首根っこを押さえ込んでいるようだ。


「そんな事に気をつかわなくても、ボクは判りやすいから大丈夫! でも、メイケイ先輩達が心配するのは判るよ。うん」


 少し慌てた動きで絽候ロコウは、メイケイに向かっててのひらで制した。


「ボク達、神獸族シンジュウゾクツガイに指名された相手。たまに謀略で、非道い事になるもんね」


 メイケイは観念したのか、肩を落として息を吐いた。メイケイの懸念は、まさにだと言わんばかりに。


神獸族シンジュウゾクが相手だって言うのに、ニンゲンって愚かだよね~? 後の事、何も考えずに目先の利益を優先するし。メイケイ先輩、心配しないで。その辺りも、よぉ~く考えているから。ボク、割りと地ならしには自信があるんだ」


 絽候ロコウの無邪気な表情が突然変わった。早朝の陽光を浴び、煌めくような淡い金色の双眸そうぼうに、狡猾な策謀に慣れ親しんだ世界のおりを奥底で閃かせた。


「どの道、結果は決まっているんだ。結果に向かって、ボクには幾つかの選択肢がある」


 食器しか持った事がないような指を、絽候ロコウ


に連なる結果になるのか、に連なる結果になるのか。これは、もう受け取る側の都合だけれどね」


 突然の預言者のような発言にも、メイケイに反応もなければ無感動だった。これも、日頃の賜物という名の悪癖と言える。

 さらには、言った絽候ロコウにも自覚がない事が、この場の齟齬そごを生み出していた。


「どれを選んだとしても、ボクは璜準コウジュンを護るし、ボクに望む快適さを提供する。当然、璜準コウジュンの大切な弟子であり従卒の、メイケイ先輩とウンケイ先輩を護るよ」


「それはどうも。おそれ入ります」


 常識とは、かくも重要なのだと知らしめるやり取りが、収まる所に落ち着いた。何より幸運だったのは、互いの利益と不利益が共有出来た事だった。


「ここ、善い所だね。って、地上は色があって素敵な場所だから全部好きだけど」


 周囲を見渡す絽候ロコウが、無自覚に意味深な発言を吐露とろする。


 やがて、絽候ロコウの視線に合わせ、メイケイも北側につぶらな黒い瞳を向ける。距離を置いて連なる初夏の山々の先には、エーメ・アシャント連峰が雄大に横たわり、不動の構えを知らしめていた。





        【 次回・第二章 選択する世界 】

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