十の節 神獸族・絽候。 その一




 スーヤ大陸の北側には、紫の大陸と呼ばれる広大な土地がある。大半は極海を含め永久凍土と過酷な寒冷地だが、南側に残された平地を載せる海岸線は、全てが切り立った崖となっている。


 隔絶かくぜつされた大陸だが状況は物語る。の大陸からは、定期的に襲来する一団が不凍港から出撃した。

 奪うため、生きるために一斉に南下する。彼らは紫の蛮族と称され、鮮血の獣センケツノケダモノ青い月アオイツキと並び、忌み嫌われ排除の対象としてスーヤ大陸の住民と戦火を交えて来た。


 スーヤ大陸が、紫の蛮族を塞き止めるのは天然の要衝ようしょうエーメ・アシャント。標高、四二一〇よんせんにひゃくじゅうガッセ(約八〇〇〇はっせんメートル)級のアシャント山を筆頭とする、スーヤ大陸最大の山岳連峰だった。


 エーメ・アシャントの北側、ヴェクスター・ライヒ地方は必然的に。しかし、反対の南側のカンテ・シュタートは連峰が織り成す景勝地けいしょうちとなっている。過ごしやすい気候区分は、古くから王侯貴族・権力者の避暑地として整備されていた。


 景勝地けいしょうちの一つとして挙げられる、ノルデ。渓谷が土地をへだセイハイネ湖を囲み、山裾やますそを縫うように、瀟洒しょうしゃな観光地営業の店舗が軒を連ねる。


 エーメ・アシャントの恩恵は、セイハイネ湖がたたえる澄んだ湖水をセロー河へと注ぎ、下流へと豊富な水量を送り届ける。


 その風景を季節を問わず堪能たんのう出来るのは、危険と隣り合わせている駐留軍と、彼らの生活を支える各種の職人達、商魂逞しょうこんたくましい商人達。


 加え、重責にありながら世界で一番危険な戦線に立つ、セイシャンナ正教国セイキョウコク八聖ハッセイ璜準太師コウジュンタイシと、その愛弟子まなでし達だった。


暢気のんきに読書なんてね。交流会の日、アンタの説教を聞くために集まってた人達に見せてやりたい」


 春が過ぎ、初夏を迎えつつある中頃の季節。渓谷の木々には新緑が満ちる準備を控えている。

 人々の生活圏・ノルデに目を向けると、手入れが行き届く背が低い糸杉の生垣向こう側に、小さいながらも整えられた草庵がある。少年の声は、そこで発せられた。


「っせ~な。子ザルの甲高かんだかい声が頭に響いて不快だ」


「こ、子ザルって何だよ。失礼だな。ボクには絽候ロコウって名前がある。これでも、アンタより長生きしてるんだぞ」


 休憩庵の主でもある、若干厚着の璜準コウジュンが読書をしている時間に、茶々を入れる異形の少年がいる。


 絽候ロコウと名乗った者の外見は、ニンゲン属ヒト族の少年。色は朱、裾が長い貫胴衣。白く長い袖の下衣は、光沢や装飾からして、世界にはない技術によって施されている事は一目瞭然だった。


 茶髪金眼。ここまでは、ヒト族の少年だった。両耳の代わりに、柊に似た青錆パチナが生じた鈍色の平角。朱色の裾からフラフラと揺れている、同じく鈍色の尻尾を持っている。


 その風体に、少々心配そうな色を置いた異形の少年は、また一歩、璜準コウジュンに近寄る。籐製の一人掛け用の椅子に腰を落とし、本を読んだまま微動だにしないからだ。


「あの、本当に体調が悪いのか? そんなに厚着だし」


 璜準コウジュンは、相手の立場を知りながら盛大に溜め息を吐く。その上、質問とは異なる一方的な会話を持ち掛ける。


「お前さん達は、およそ十年周期で違う〝太子タイシサマ〟が降りて来るよな。何か意味がある訳?」


「嘘でしょ? アンタ、八聖ハッセイのクセに知らないって何なのさ。アンタ達が、一五〇〇年前くらいに起こした〝人外戦争〟みたいな大戦争を起こさせないためだよ。見張り番」


 少年は人類の監視役として、天山玄都テンザンゲントから定期的に一名だけつかわされる太子タイシ神獸族シンジュウゾクと冠する〝逸脱者イツダツシャ〟だった。


「そりゃ、立て前だろ。俺が知りたいのは事実だよ」


 読み込まれた写本を、丁寧にめくる事に璜準コウジュンは注力する。包み隠しのない質問よりも、重要だと言わんばかりの態度だった。


「本当だってば。う~ん、もう一つ頑張って加えるなら、社会勉強? この役、競争率高いんだ。ボクは数百年も待ったんだぞ」


「そう言う事にしておくか」


 璜準コウジュンは目付きが悪い垂れた瞳を、手元の写本から絽候ロコウに向けた。


「さっき交流会って言ったよな」


 璜準コウジュンの青い月と同じ色をした瞳には、個人的な好奇心を満たすための欲求が浮かび上がる。


「お前さんは、相当な偉いさんだ。現場にいた可能性も高いし、その英知でお見通しだったんじゃねぇの?」


「え、何を」


「この間、帝国で開催された交換会で、シザーレ眞導都市マドウトシ側の交換生候補が連れて来た使役獣だよ。見たんだろ?」


 当時、例の使役獣は特例で御前に目通りした上、フィーツ・ワイテ帝国の次期皇帝・サクラ内親王に、大変な粗相をしたと言う。

 だが、事前に交わしていた契約書が履行され、交換候補生と使役獣、眞導都市マドウトシ側は、罪や賠償を問われなかった。


 憶測だけが現地を巡り、当の使役獣の姿形を明確に伝える者も限られていた。


 璜準コウジュンは、態度を急変させた。持ち上げられ、少々気を善くした様子の絽候ロコウは、淡い金色の双眸そうぼうに喜色をにじませる。


「え、え~と。ってるけど、口止め? されてるって言うか」


「言えないなら、帰れ。お前さんが、ここに居座る価値があるとするなら、それは、正確なマフモフ情報を提示出来る事だ」


 絽候ロコウは、どうしても璜準コウジュンの気をき付けたい理由でもあるのか、あっさり口を割った。


「大きな山犬っぽいんだけど、犬じゃないんだ。大きくて真っ白な身体で、物凄く綺麗な金色の双眸そうぼうだよ。騎士のパシエは」


「騎士に興味はない。もっと、マフモフ情報を寄越よこせよ。それにしても、光彩が金色の大型犬か。竜だの猫だの鳥だのあふれる程いる。お前さんの目も、例にたがわず金色だもんな。さすがケダモノ」


「一緒にするな!」


 璜準コウジュンは関心も冷め、青い月の色を写本へと落した。その態度を眼にした絽候ロコウは、に会話を導くために、伏せられていた内容を明かし算段を立てたらしい。


「その白い犬、噂を聞き付けた内親王が呼び寄せたらしいんだ。会った途端とたん、内親王は気に入っちゃって手に入れようとしたんだ」


「騎士ごと?」


 すがめた瞳で写本に注視しながら、璜準コウジュンは器用に返事をする。


「いいや、その、白い犬だけ」


「しかし、内親王殿下の願いは叶わなかったんだろう?」


「うん。白い犬は物凄く抵抗して、奥番と近衛兵を半殺しにしたみたい。惨状を止められたのは、立ち会っていた法士ホウシ眞導士マドウシじゃなくて、騎士のパシエだったし」


「連れて来た騎士や、シザーレ側はその場で死罪や賠償を問われなかったのが、例の契約書って訳か」


「うん。帝国側の偉い人が、契約内容を履行してその場を収めたよ。そもそも、交換候補生ってのは、内親王の我が儘わがままに応じるための口実。その騎士と白い犬は交換対象じゃないし、何が起きても不問にするってのが前提で、今回の交換会に付いて来ただけだって」


「ノークスのオッサンか? 帝国じゃぁ、あのオッサンくらいしかな政治家がいないからな」


 璜準コウジュンは、肩で息を一つ深呼吸した。別世界の話しから知己を思い浮かべ安心したように、璜準コウジュンは息継ぎの場所を見付けた金魚の雰囲気を漂わせた。


「それ以前に、人肉を喰らうケダモノだろうが野の生物だろうが、異種族を越えるえにしは存在する。騎士ってのは、その上で成立する一つの形態だ」


 璜準コウジュンの青い月と同じ色をした瞳は、草庵の糸杉の生垣からから見える、セイハイネ湖畔の街並みに転じた。


「それは時として、同族にある縁よりも強く結ばれる。気紛きまぐれで欲しがる内親王の脂肪に包まれた指で、簡単にてるものではない」


「本当に、その通りだよね」


 同調され、意外な思いでもしたのか。絽候ロコウの声に向き直った璜準コウジュンの視界には、澄んだ湖畔の煌めきににも劣らない絽候ロコウの笑顔があった。





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