九の節 八聖・璜準太師。 その二




「シザーレに行ってしまうのか。とにかく気を付けろ。シザーレは、常識が通じない連中が多い」


 言いながら、璜準コウジュンは新しい乳香に眞導マドウで火を点けた。


「そうそう。長生きするための重要な事を教えてやる。今、シザーレから偉いさんの女が来ているが、姿を見たか?」


「噂でしか伺っていませんが、とても美人で、その、煽情的せんじょうてきな方だとか」


 ハドが、言葉を選びながら答えた。


「それそれ、そいつ。ヨマイヤ・クラーディアって名だが、絶対に年齢を尋ねるなよ」


 璜準コウジュンは、眠そうに口を開き、欠伸あくびの代わりに乳香の白い煙を吐き出した。


「次の日から、行方知ゆくえしれずって話しだ。それに、あのも変わり者だしなぁ」


 璜準コウジュンは、少年達から青い月アオイツキの色を外す。白い煙を中庭へ向けて吹き放つ姿は、相手の輪郭を思い出している様子だった。


「シザーレから脱走してんのに、俺の前に現れたり」


「え、その、ジジイって人は有名な方なんですか?」


 本来、あってはならないが、セリスの言葉がやや砕ける。セイシャンナの重責の上、日頃から公式の場にも姿を現さない璜準コウジュンだが、その人となりに親近感を覚えたらしい。


セイシャンナ正教国セイキョウコク八聖ハッセイがあるように、あちらさんにも、八人会ハチニンカイってのがある」


 何かを思い出そうとしているのか、璜準コウジュン回廊かいろうの天井を見上げた。


「十年くらい前だっけか? 最上位〝傲慢のメル・ウォルフ〟が失踪したって話し。ジジイってのはだ。さっき言った女も、八人会の一人〝妄執のクラーディア〟」


 さらりと重要証言を発する璜準コウジュンをよそに、少年達の表情は恐怖が張り付いた。


「さらに、その三年後は次期総帥が脱走した。当時、周りが騒いでた気がする」


 所属は違うが、お互い有名人。情報は、嫌でも接する事になるようだ。


「アイツ、面白い色してるから、すぐ見付かると踏んでいたんだけどな」


「面白い色だなんて」


 ハドの雰囲気に乗せられ、気がゆるむ。しかし、璜準コウジュン本人も、弟子兼目付役のクリーガー兄弟も、少年二人の態度をたしなめる気配はない。


「髪は紺色。目ん玉は赤だぜ。しかも、鮮血の獣センケツノケダモノと同じ色。面白いだろうがよ」

 

 染料技術の向上で、舞台俳優や商売関係者が人工頭髪で被る事例はあるが、生まれながら青系統の髪色のニンゲン属は存在しない。、ではあるが。

 何よりも、青い月アオイツキよりも希少で珍しい眼球の色彩に、ハドとセリスは互いに視線を合わせ、驚愕を共有し交互に質問を放つ。


「しかし、群狼でも脱走すると、罪多き死の世界・煉黒レンゴクまで追われて、その場で死罪だと聞いています」


「い、いや、その前にシザーレに何が起きてるんだよ。そんな大物が次々に」


「大した事はないだろ。シザーレは正常運転だ。要請通り紫の蛮族も鎮圧してるし、被害報告のケダモノ事案にも参加している」


 言いながら璜準コウジュンは見事な金髪を数度掻いた。肩に掛からない長さの、無造作な髪型が似合っている。


「あいつらはれだ。一見、個々の戦闘能力や機動力だけが目立つが、欠けたら補い合う。仲間意識が強い。シザーレだけが唯一、迎えてくれる巣だと知っているからな。互いに、下らねぇ権力闘争もない。己を必要とする相手のために生きる。正直、羨ましい」


 中庭中央に設えてある水盤が、静かに水面を湛えている。照れ隠しも含め、その風景に視線を逃がした。言葉通りの憧憬に染まるように、璜準コウジュン青い月アオイツキが細くなる。


「何もしてやれなかったが、同門のよしみだ。八聖様の、ありがた~い祝福でも贈ってやろうか?」


「あ、有難ありがとう御座います! 光栄です!」


 歓喜と恐縮に染まるハドの笑顔が、すぐにある事に気付き表情を引き締めた。


「あの、恐れ多いのですが、こちらのセリスにも頂戴出来ませんか。セリスは、竜騎士を志願しています。八聖様のご加護をたまわりとう御座います」


「長い長い。一気にまくし立てるんじゃねぇよ。それにしても、アイツが言う通り別嬪べっぴんさんだな」


「そ、それ、文字通り品物か、女への褒め言葉じゃないですか」


「それ抜きでも、大したモンだ。桃苑トウエン辺りに狙われてるんじゃねんぇの? 気を付けろよ。あのオッサン、屈強な部下や華奢きゃしゃな美少年に興奮する変態だからな」


「ご忠告、胸に留めておきます」


 セリスが感謝の言葉を口にする前の、見逃しそうなわずかな変化。ハドは黒い瞳で拾っていた。


「おっとと。話しが盛大に折れちまったな。待たせたな。餞別せんべつ代わりだから無料だぜ?」


 燻色いぶしいろの被毛を持つ、ニンゲン属クマ種オルセット族。兄のクリーガー・メイケイから、璜準コウジュンは、儀仗を受け取る。


「お前さん達が、もっと早く生まれていてくれたらな」


 ハドとセリスが、その意味を咀嚼そしゃくする前に、璜準コウジュンは誤魔化しを含め、手元の乳香をふところから出した携帯灰皿へ始末した。


 麦藁色むぎわらいろの、同じく弟のクリーガー・ウンケイから、豪奢な絹布と帯が垂れる聖職帽を受け取り、璜準コウジュンは器用に片手で被る。


「何でもねぇよ、ほら行くぞ」


 それでも、若干じゃっかん。セリスの灰髪灰眼に、視線を置く時間が長かった璜準コウジュン


 間もなく、うたいの呼吸と眞素マソを整え、聖法典セイホウテンの奇蹟を構築する。


うたれ」


 文言に添え、儀仗を飾る装飾金属が澄明な音を立てる。右手で作る、差し指と中指を揃えた豊穣を表す山羊やぎの印。璜準コウジュンの額から、ハドの額へ。同様に、セリスの額へ。


 やがて、璜準コウジュンが首に掛ける、金糸に彩られた横筒を中心に二つ円を描く。


 略式ではあったが、天下の八聖太師ハッセイタイシうたい。加え、共に北壁戦線を守護する、運命の双璧シクサル・クレヴリオルーツァーが側陣を固める贅沢な一時には違いなかった。





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