八の節 八聖・璜準太師。 その一




 長身痩躯の金髪碧眼。大層見栄えする青年が、蹴り倒した貴族の子弟を、目尻がれる気怠けだるい目付きで冷ややかに見下みくだす。


「こっ、璜準太師コウジュンタイシ! ご気分が優れず、していらっしゃると」


「ああ、悪いよ。現在進行形で」


 世間的な身分では、王侯貴族の方が上だ。しかし、その王侯貴族の権力を振りかざしていた側が、敬語を遣い慇懃いんぎんびる相手は限られる。


 璜準太師。この尊称が全てを物語る。聖法典セイホウテンを掲げ、全てのセイシャンナ正教国セイキョウコクの頂点には教皇キョウコウ


 その直下の地位が、八聖太師ハッセイタイシと称される八名。紫禅シゼン璜準コウジュン桃苑トウエン妙玄ミョウゲン翠典スイデン峯藍ホウラン百門ビャクモン茶納サナン


 初代・セイシャンナ直筆の聖法典八経を、それぞれ受け継ぐ徳高き聖人として絶大な権力を持つ。


 普段の役職も関係するが、璜準太師には、もう一つ近寄りがたい理由があった。


 やや目尻が下がる、優男の風貌ふうぼうの中で最大の特徴。一目で分かる、碧色人種とは隔絶する色調。


 青い月アオイツキと同じ色を、その両眼に宿していた。


「散れ、目障りだ」


 王侯の門徒もんとは退散した。高級な衣擦きぬずれと、教えには不要な高級宝飾の音を立てながら。

 今にも舌打ちしそうな顔を表情に浮かべているが、本人達は気付いていないようだった。


「渋々、来た早々これかよ。金銭で資格をバラ撒くから、あんなのが増えるんだよ。くっだらねぇ」


 悪態をつく璜準コウジュンの言葉は、滑舌かつぜつに違和感がある。その正体は、薄い唇がくわえる端に紙巻き煙草かみまきたばこ状の筒が挟まっていたからだ。


 東の大陸・カヤナからもたらされた煙草たばこは、スーヤにも根付き喫煙習慣を持つ成人は多い。

 ただ、贅沢な高級品に数えられ、清貧をむねとする聖職者が嗜好品しこうひんに選ぶのは、周囲の目が厳しかった。


「安心しろよ。煙草じゃねぇから」


 言ったそばから璜準コウジュンは、だらしなく大口を開け煙を未成年二人に吹き掛けた。


乳香にゅうこうだよ」


 乳香とは、香料の一種。かおりや煙の立ち方に差はあるが性質は同じだった。聖堂の眞素マソを鎮め、清浄化する役割がある。


 原料は、北壁戦線と称されるエーメ・アシャントにある、坑道から採れる化石鉱物。同じく、竜蛍樹りゅうけいじゅと呼ばれる樹液。一ノ海イチノウミを越えた東の大陸カヤナの北部に自生する、エールと呼ばれる草花が代表的だった。


 また、目的や精製によって、匂いや効能が変化するのも特徴と言える。総じて、柑橘・草木系統の芳香が漂う。


 そんな璜準コウジュンの後方から、小さな靴音と小気味良い金属音が立ち、次第に大きくなる。


璜準太師コウジュンタイシ。何度も申し上げますが、そのようなお姿で歩き回らないで下さい」


「聖職帽と儀仗。せめて、これだけは忘れないで下さい」 


 さんフース(約九〇きゅうじゅうセンチメートル)のオルセット族が駆け寄る。


 丁度、子熊が姿勢良く二本脚で立ち上がり、服や靴を身に着ける容貌ようぼうの種族。知性と教養が、黒くつぶらな瞳に宿り、見た目に反した渋い声で、淡い灰色と明るい茶色のそれぞれが小言を放つ。


「要らねぇって。これ、前が見えねぇから苛々するって言ってるだろうがよ。クソ真面目に顔を隠してるのは、融通が利かねぇ奴か、訳ありの奴だけだ」


 一番の訳あり代表の璜準コウジュンに言われては、身も蓋もない。

 そんな、三名の貴重なやり取りを目前にする少年は、礼節を破綻させた。


「ハ、ハド。八聖太師ハッセイタイシ様だけでも眼福がんぷくだってのに、運命の双璧シクサル・クレヴリオルーツァー・クリーガー兄弟の方々までっ。俺、鼻血出そうだ」


 ついに、礼節の構えと沈黙を破ってしまったセリスが、興奮気味に目の前にいる英雄達に熱視線を送っている。


 ハドは、黒い団栗眼どんぐりまなこを必死の目配めくばせでセリスを制しようとあせっている様子が見受けられる。 


 その気配に、これまで何も言い出さなかった少年二人に対し、璜準コウジュンは思い当たる節に辿り着いたらしい。


「そっか。これ面倒な習慣だな。発言を許す」


 体裁を整えようと、少年二人は改めて一礼する。顔を起こしたハドは、璜準コウジュンの青い月と同じ色をした瞳と正面衝突した。

 不機嫌そうに視線をすがめ、璜準コウジュンはハドの顔を見据えて放さなかった。


「も、申し訳ありません。連れが失礼な物言いをしてしまいました。どうか、お許し下さい」


 礼節と言うよりも、逃避のために今一度、ハドは一礼を重ねた空気を撒き散らした。


「そっちの美少年、お前さんの事を〝ハド〟って呼んだ?」


 色々と反論したい様子を見せる少年二人に構わず、璜準コウジュンひげの気配もない薄い顎に手を当てる。


「あ~ぁ、お前さんが、ユタカが言ってた〝坊ちゃん〟か? って事は、隣の美少年が〝小生意気セリス〟?」


 自身の言われように、物を言いたげに複雑な表情をセリスが浮かべる。それをよそに、ハドが知己の名に食いつき質問してしまう。


璜準太師コウジュンタイシ様は、ユタカ兄さんをご存知なのですか」


「おいこら。質問に質問を重ねるんじゃねぇよ」


 長身の璜準コウジュンが、腰を曲げ凄んで来た。浮世離れした優男に覗き込まれ、ハドが鼻白む。


「面倒だから、俺から答えてやるよ。ユタカとは上級聖職への修道で一緒になった。同期って奴だな」


 璜準コウジュンは、やや骨張った鼻から息を吸い込んだ。乳香を包んだ紙筒を口から離し、白く筋を昇らせる細い煙を散らした。彼なりの気分の整え方らしい。


「いつだったか、周りが悪さしないように手を回してくれって頼まれたけど、すっかり忘れてたわ。済まねぇな。俺、その手の話しに興味ないから放置してた。俺に頼むのが間違いだったな。それに、もう意味ないようだし?」


 どうやら璜準コウジュンは、先程の騒ぎから情報を得ていたようだ。





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