四十五の節 ハドの決意。 その二




 奥の寝台区画から璜準コウジュンが、ザラついた声を投げて来た。


「ちょっと良いかい、お兄さん」


「何だ」


「悪いが、四つの問題について説明してくれないか」


「判った。一つ目は、単純明快。五二四ごひゃくにじゅうよ人分、交易品の積荷が乗せられなくなる」


 アラームの一つ目の指摘に、ハドがすかさず反応した。


「それは、クリラの人達が命懸けで守った家財で間に合わせる話しになっています。カヤナ大陸の工芸品、特に織物や刺繍は高値で取引されている。だから、グランツが大打撃を被る程の損失にはならないはずです」


「二つ目は、そこに繋がる。スーヤ大陸の三大都市が壊滅したのは知っているな?」


「それは、もちろんです」


「大都市に権力と富が集中する。詰まり、買い手が三都市分、消えた訳だ」


 アラームの似紅色にせべにいろは、窓硝子越しから街の灯を眺めた。


「軍隊を養っていた国が消えたとも言える。フィーツ・ワイテ帝国は紛争解決、ケダモノ、紫の蛮族対策で活動する。だが昨今は、聖法騎士団や群狼に活躍を任せ、スーヤ大陸を横断する大街道・生命の大動脈ブルド・フィーツの補修、各地の土木工事、公益事業にと散らばっている」


 アラームの視線が動いた。高台から見える夜の街から、室内の蝋燭やランプの淡い灯りが照らす、ハドの顔に移る。


「およそ、二十万人が帰る場所を失っている勘定だ。諸藩や小都市国家が、保護には乗り出しているが全員を収容可能だと思うか?」


 具体的な人数の多さに、海で生きるブラムは突き付けられた現実に低くうなった。


「中には、出稼ぎで傭兵として参加している者もいる。雇い主を失った者が、盗賊に堕ちる想像は無神経と言えるかな?」


 手帳に現状を書き込むレイスの筆記具の動きが止まる。民俗学の考察に各地を旅するレイスにとっても、軽視出来ない問題だったらしい。


「三つ目も、現実問題だ。遊牧民の財産である家畜を手放してしまった。何もない状態から、どうやって生計を立てる算段をするつもりだ」


 客人と、主人を隔てる位置に控える、メイケイとウンケイは互いの黒い瞳を合わせた。


「男性は潰しが利く。死に物狂いで働くだろう。しかし、女性が機織りや刺繍で生計を立てるとしても、収益が見込めるのは数カ月先になる」


 リルカナは言われて、身に纏う衣装に施された一族の誇りに触れていた。


「仕事上、男女差がないと聞いているが、今回の祝祭に辿り着くまでに四七六よんひゃくななじゅうろく人が、長旅に耐えられず脱落して各地に留まっている事実」


 アラームの左側で、身動きせず腹の上で長い腕を組む雪河セツカは、一つ長く濃い金色の双眸そうぼうを閉じた。


「言い方は悪いが、それだけの人数を残りの四八よんじゅうはち人だけで、数カ月もの間を養えるのか? 新天地。文化も風土も違う。襲撃から立ち直る時間もなく働けると宣言し、それを果たせる者がどれだけいるんだろうな」


「だから、女は娼婦になれと?」


 リルカナの黒い目に、鋭い殺気が宿る。


「娼婦をおとしめる気はない。協会もあるし、尊敬すべき立派な職業だ。誇りをもって従事する女性も多い。四つ目は、だよ」


「間違ってはいないわね」


 クラーディアは、切れ長で一重の瞳に怜悧れいりな光を浮かべる。海千山千の世界で流れを読み、生き抜いて来た経験を土台にしての一言だった。


 隣の璜準コウジュンが、垂れた瞳で様子を覗う。


「いっその事、解放しちゃえば? 家財もなく、新天地に移動出は来ても、その先の生活や保護のもないんですもの」


 一同の視線を集め、クラーディアは心地好ここちよさそうに胡桃色くるみいろの瞳を細めた。


の言う通り、生き物はいずれ死ぬわ。どうせ、一度の人生なんだもの。自由を満喫させてあげたら?」


「アンタ、偉い人だったんでしょう? 多くの人が、アンタの下にいて動いていたんじゃないの? よくも、そんな事が言えるわね!」


「リルカナ、落ち着いてっ」


 今にも、クラーディアに掴み掛かろうとするリルカナの腕を取るハドは、声を張って止めた。


「だから、ご覧なさいな。アタクシは、帰る場所も居場所すらなくしたわ」


 リルカナは思い至ったのか、次の文句を言うために開いたいた口を閉じた。


 このまま閉じられる内容ではない。船団補佐のブラムが話しの舵を取る。


 丁度、近くで固まっていたハド、リルカナ、クリーガー兄弟。野次馬根性ではなく、心底クリラ族に同情したレイスが相談の輪を築いていた。


 その輪から、物理的にも離れていた寝台に陣取っていたのは、クラーディアと璜準コウジュン

 誰に聞かせる訳でもない独り言を、真紅に彩られた唇に乗せる。


「これから、どうしましょう。クリラ族領で事だし、今度は胃袋でも満たしにスーヤ大陸に戻って、美と芸術のフローリオに行こうかしらね」


「その考え、悪くないな」


「あら、八聖太師ハッセイタイシ様も、ご一緒なさる? アタクシは、今からでもご一緒したいですわ」


 クラーディアは右手を寝台に着け、璜準コウジュンへ向かい、魅惑の肢体を寄せる。今は、昼間の祝祭用の衣装ではなく、シザーレ時代からの宝飾と、ルリヒエリタで調達した黒を基調としたドレス姿だった。

 当然ながら、胸は大きく間口を開けている。


「両方共に遠慮する。解放されたからこそ、果たせる目的が俺にもある」


 フローリオの地名から、ある事を思い出した璜準コウジュンは、内容を伝える。


「フローリオって言えば、そちらさんにとっては懐かしい奴と会えるんじゃねぇかな。失望のドールンゲイズ。元同僚だろう」


「ええ、確かに。そう、はフローリオに戻っていたのね」


 クラーディアが、うわごとのようにつぶやいた。切れ長の胡桃色の瞳が、捕獲した璜準コウジュン青い月アオイツキの色と同じ瞳から、一瞬だけ意識を反れる。


 クラーディアの旺盛な性欲は、姿はなくとも噂は対岸のセイシャンナ正教国セイキョウコクでも有名だった。元同僚の名を出したクラーディアを見て、脱出したと安堵したのか、璜準コウジュンは気を抜いた。


 しかし。黒く塗られた爪が、璜準コウジュンの肉付きが薄い頬に迫ると同時。

 顎をこじ開けられ、他人の体温が侵略を果たす。口内は意図を持った血管と、筋肉に覆われた感覚器官の塊によって蹂躙じゅうりんを許してしまう。


 快楽の高ぶりに合わせ分泌された粘り気のある唾液は、外気を含んで音を立てながら共有される。


 男と女が離れる合図は、すすり合った互いの入口を惜しむ甘く苦い吐息。


「アナタも、アタクシとでしたのね」


「らしいな。俺も嫌いじゃないからな」


 璜準コウジュンは、薄い唇に付着したクラーディアの余韻と色を乱暴に袖口でぬぐう。


「だけど。もう、うんざりだ」


 言葉を早口で吐き出した。そのまま、璜準コウジュンは奥歯で食い縛り、うつむく。同じ体験を舐め合いで判別出来た事に対する、消える事のない過去を塗り潰している様子にも見て取れる。


「ご機嫌よう、色男さん。アタクシ、美味しい料理と男を食べて来ます。死ぬまでに一度、赤鬼ロッソー・ディモネの御姿を拝んでおきたいですわね。当然、青鬼ヴラーオ・ディモネさんの事も諦めてなくてよ」


 上弦と下限の三日月が、クラーディアによって美しい顔に描かれた。

 近くに置かれた、曲線が美しい椅子に掛けていた上着と装飾品を手に取る。クラーディアは赤を基調とした高級絨毯を踏みしめながら出入口へと向かった。


「姐御、どちらへ?」


 すっかり手下気分のブラムが、一室を退出する気配のクラーディアを呼び止める。


「スーヤに戻ります」


「それならお待ちを。船を出す算段をしておりますので」


「船なんて鈍足な乗り物では、たかぶるアタクシの身体は待ってくれません」


 出入口付近にいたアラームを目敏く掴み、クラーディアは舐めるような視線で確認した。


。アナタもアタクシの相手になってもらいますわよ。そこの、神獸族シンジュウゾクまとめてね。それでは皆様、ご機嫌よう」


 装飾品の重なり合う音と、かぐわしい濃密な百合の色香を残し、クラーディアは早々に扉を閉め立ち去った。


「ねぇねぇ。あの流れで、どうして生殖行動しなかったの? あれって、止まらないくらい気持ちいんでしょ? もしかして、オスとして致命的な欠陥でもあるとか」


 そばにいた絽候ロコウが、好奇心と心配を混ぜ込み不思議そうに尋ねる。


「誰が、こんな人目がある所で事に及ぶんだ。俺は馬や羊じゃねぇんだぞっ」


 機嫌の悪さも上限に達したのか、璜準コウジュンの目付きや口元の悪さに磨きが掛かる。

 対する絽候ロコウは、全く悪気はない様子だった。種の違いにより、異なる見識が二名を隔てている。


 寝所の方向から、一室のあるじが不満を炸裂させた空気がはしる。

 その気配に、黒檀の一枚板で仕上げられた会談用の席。クリラ族の未来の方向性を議論していた面々は、退出を余儀なくされた。


 手早く、一同は明日の予定を確認し合う。ルリヒエリタの外縁で野営する、クリラ族の代表者の数人を交え、相談の続きを行う事で、一同は本日二度目の解散の運びとなった。





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