四十四の節 ハドの決意。 その一
例年にない事件で賑わった一日は、陽が没しても街の喧騒は平常通りだった。
女子供は早々に就寝や針仕事、明日の家事に入る。男達は明日に備え、英気を養うため街へ繰り出す。
気に入った娼婦を買い、質より量の酒と、三国の交易品と新鮮な海産物の恩恵に預かった料理を頬張る。それらを、仲間や場所を同じくした異国の商人達と囲む。
人との距離が縮まる下街情緒ある場所もあれば、閑静な一角もある。
例えば。小高くなった広い路地に面した、濃い茶色と白が織り成す階段状屋根が特徴的な、
エントランス入口は、清潔感ある従業員が客に合わせ緑色の扉を開閉してくれる。
クリラ族が織った、最高級の
固形燃料で揺れる橙色の
庶民が立ち入れない生活水準と言う名の、結界の向こう側にいる住人達の領域だった。
客室領域の一つ。共有空間と、個人空間を隔てる飴色の樫で出来た扉が、何者かの来訪の合図を告げた。
「もう遅い。明日にしろ」
一室の客、
「非礼は重々承知の上で御座います。至急、アラーム様にご相談したいと、複数名来訪されました」
「具体的に名を言え」
「船長補佐のブラム様。グランツ・ハーシェガルド様。クリラ族・リルカナ様。元シザーレ
「多いな。
◇◆◇
一室に詰め込まれたのは、アラーム、
来客を連れて来た、グランツ商船団船長補佐・ブラム。祝祭に参加した、グランツ・ハーシェガルド。同じく、クリラ族・リルカナ。
何故か合流している、元シザーレ
「済みません、アラームさん。うちの船長が、そこの
ニンゲン属ネウ種モモト・オト族ブラムの言葉に、
「一応、船長さんの名誉のために言うけれど、上の口は堅かったですわよ? だだ、下の口の
察するに、面目が立たず代理で船長補佐のブラムが、諸々の責任を負って一同を案内したのだろう。
だが、申し訳なさのあまり、普段は立派に立つ自慢の耳が
「ノルデオンを責めるな。男なら仕方ない事だ」
この場にはいない船長を擁護するアラームの言葉に、クラーディアは満足そうに
「何なんだよ。泊まり客は俺なんだぞ。これじゃ眠れやしない」
不満を遠慮する事なく放つ
「アラーム様、構う必要はありません。
「それは大変ね。良かったら、これをどうぞ」
リルカナは、言葉と共に
「エール由来の鎮痛剤なの。この薬丸には、眠りを誘う効果もあるのよ。全部あげるわ」
「エール? あぁ、
「
リルカナが、
「ご、ごめんなさい、臭うわよね」
リルカナは少し色が濃い顔を、真っ赤にして恥じ入る様子を見せる。相手の反応に、珍しく
「いいや、気にしないでくれ。お前さんの匂いは、生活の匂いだ。祭典のために、家畜と一緒に遠路を旅して来たんだろうよ。戦場の匂いの方が、もっとえげつない」
「その事なんです。お話しと言うのは」
ハドが切り出すと、一室にいる全員の意識がハドへと集中した。
「リルカナ達の部族は襲撃され、壊走したんです」
レイスが眼鏡の位置を直し、気を取り戻そうとしている仕草を見せる。
「運良く、家畜達は放牧中で機転を利かせた、クリラの人達によって避難が叶いました。でも、族長を含めた中央居住区を攻め込まれて」
ハドは、隣のリルカナに目配せし、何かの了承を得ていた。
「リルカナのお母さんでもある、族長も含めて多くの方々犠牲になりました。男性のほとんどは殺され、女の人達が大勢、連れ去られたそうです」
長く戦線に立っていた
「おい、それってまさか、紫の蛮族なのか」
その言葉に、息を呑む者。目を見合わせる者。視線を外さない者。それぞれが反応を示す。
「街で聞いた噂通りでしたか。こんな所まで、勢力を拡大していたんですね。道理で、スーヤ大陸のへ襲撃が減った訳だ」
様子を観察していたブラムが、冷淡に言葉を置いた。
「クリラ族は、役割分担で分散して暮らしているので騒ぎの後、事情を伝え回り、亡くなった方可能な限り弔い、生存者全員でルリヒエリタへ向かいました」
ハドが顛末を言い終え、間を空けず今後について改めて提案を述べる。
「グランツの船団が、祝祭に合わせて来る情報もありました。祝祭で家畜達を処分して、クリラの人達を帰りの船団に乗せられないか、その相談なんです」
ハドの黒い瞳が視線を定めた。差されたのは、出入口の扉を背に、
「そんな事、船長に直接頼めよ。船長とは、生まれた頃からの付き合いだろうに」
「その船長が、アラームさんに丸投げしたんです。その、とても交渉が出来る状態ではないので」
ブラムは助け船を出した。一言を受けたアラームは、諦めて白い手袋に包まれた
「クリラ族は何人だ」
「街に来たのは、
今度は一族の代表として、この場の責任を負うリルカナが答えた。
「船団は六十二隻で来ているから、乗せられない事はないと思うんです。もちろん、動ける人は操船の手伝いをして
ハドが、さらに言葉を添えた。黒い瞳が食い下がる先には、夜になった今も黒の上着を着崩さず、
「四つ、問題がある」
アラームは、差し指を一つ立て問題点の指摘に掛かる。
「一つ目。グランツの利益に欠損が生じる」
ハドが
「二つ目。スーヤ大陸の治安が、悪化の一途を辿っている」
アラームが、中指を立て二本にした。
ちなみに、この数え方はシザーレ
加えると、
前者を
「三つ目。女性は全員、娼婦になる覚悟があるのか」
周囲の空気を読まず、アラームは立てる指に数を加えた。
「四つ目。生まれたのなら死ぬ。早いか遅いかの違いだ。問題ですらない問題だ」
アラームは、四本の白い指を立て終える。
「以上だ」
役目を果たした掌を、元の位置に下ろす。容赦のない、アラームの感情を欠いた冷ややかな声が、豪奢な一室に響いて消えた。
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