四十四の節 ハドの決意。 その一



 例年にない事件で賑わった一日は、陽が没しても街の喧騒は平常通りだった。


 女子供は早々に就寝や針仕事、明日の家事に入る。男達は明日に備え、英気を養うため街へ繰り出す。


 気に入った娼婦を買い、質より量の酒と、三国の交易品と新鮮な海産物の恩恵に預かった料理を頬張る。それらを、仲間や場所を同じくした異国の商人達と囲む。


 人との距離が縮まる下街情緒ある場所もあれば、閑静な一角もある。

 例えば。小高くなった広い路地に面した、濃い茶色と白が織り成す階段状屋根が特徴的な、瀟洒しょうしゃな宿泊施設。


 エントランス入口は、清潔感ある従業員が客に合わせ緑色の扉を開閉してくれる。

 クリラ族が織った、最高級の絨毯じゅうたんが敷き詰められた床。高い飾り天井から下がるのは、真鍮の照明。

 固形燃料で揺れる橙色の灯火ともしび。品良く照らされるのは、仕立ての良い最先端の紳士服。特別注文の注宝飾と、高価な絹地のドレスに身を包む紳士淑女達。


 庶民が立ち入れない生活水準と言う名の、結界の向こう側にいる住人達の領域だった。


 客室領域の一つ。共有空間と、個人空間を隔てる飴色の樫で出来た扉が、何者かの来訪の合図を告げた。


「もう遅い。明日にしろ」


 さんフース(約九〇きゅうじゅうセンチメートル)の来客が、ある印象を受けた事だろう。長身から見下みおろされる濃い金色の双眸と、小麦色の肌が露わとなる様子は、霧が晴れた風景のようだと。


 一室の客、雪河セツカの長い長い新雪色の髪に変化がある。真珠と香辛料の国式に結い上げられ、編み込まれているからだった。


「非礼は重々承知の上で御座います。至急、アラーム様にご相談したいと、複数名来訪されました」


「具体的に名を言え」


「船長補佐のブラム様。グランツ・ハーシェガルド様。クリラ族・リルカナ様。元シザーレ眞導都市マドウトシ八人会・妄執のヨマイヤ・クラーディア様です」


「多いな。璜準コウジュンの部屋に押しかけよう。あの部屋が一番広い」


 雪河セツカの背後に現れたアラームが提案する。メイケイは了承した様子で、主人が宿泊する部屋へと二名を案内した。




 ◇◆◇




 一室に詰め込まれたのは、アラーム、雪河セツカ。部屋の主・璜準コウジュン、同室の絽候ロコウ。同じく、メイケイ・ウンケイ兄弟。さらに同じく、自称・民俗学者のレイス。


 来客を連れて来た、グランツ商船団船長補佐・ブラム。祝祭に参加した、グランツ・ハーシェガルド。同じく、クリラ族・リルカナ。

 何故か合流している、元シザーレ眞導都市マドウトシの重鎮、ヨマイヤ・クラーディア。


「済みません、アラームさん。うちの船長が、そこの姐御あねご籠絡ろうらくされまして」


 ニンゲン属ネウ種モモト・オト族ブラムの言葉に、璜準コウジュンの左隣に陣取るクラーディアが答えた。


「一応、船長さんの名誉のために言うけれど、は堅かったですわよ? だだ、ゆるさを責めては気の毒ではないかしら」


 察するに、面目が立たず代理で船長補佐のブラムが、諸々の責任を負って一同を案内したのだろう。

 だが、申し訳なさのあまり、普段は立派に立つ自慢の耳がえている。


「ノルデオンを責めるな。男なら仕方ない事だ」


 この場にはいない船長を擁護するアラームの言葉に、クラーディアは満足そうに婉然えんぜん微笑ほほえんだ。


「何なんだよ。泊まり客は俺なんだぞ。これじゃ眠れやしない」


 不満を遠慮する事なく放つ璜準コウジュンは不機嫌の極致にいた。


「アラーム様、構う必要はありません。璜準コウジュンってば、不眠症とかで当分は寝る気配もありませんから」


 璜準コウジュンが腰を沈める寝台。その窓側に立つ絽候ロコウが、笑顔を添えて言い放つ。


「それは大変ね。良かったら、これをどうぞ」


 流暢りゅうちょうなスーヤ大陸の公用語だった。少しだけ低い女性の声が、璜準コウジュンへ向けられた。

 リルカナは、言葉と共にふところから柔らかい革で出来た小袋を差し出した。


「エール由来の鎮痛剤なの。この薬丸には、眠りを誘う効果もあるのよ。全部あげるわ」


「エール? あぁ、乳香にゅうこうの原料の一つだな。済まねぇな、助かる」


セイシャンナの聖職者ですってね。だったら、お得意先だわ」


 セイシャンナの聖堂では、乳香が焚かれる。眞素マソを平静に保ち、清めるため。聖法典セイホウテンうたう言葉が、穏やかに満たされるようにと用いられる。


 璜準コウジュンも、紙巻き煙草風に細工し、愛用していた。しかし、目的が異なるため睡眠効果は得られていなかったようだ。


 リルカナが、璜準コウジュンに薬袋を手渡そうと近寄る。すると、璜準コウジュン青い月アオイツキと同じ色をした瞳をまたたかせた。反射的な動作が不本意だったのか、申し訳なさそうに小さな会釈えしゃくに変えた。


「ご、ごめんなさい、臭うわよね」


 リルカナは少し色が濃い顔を、真っ赤にして恥じ入る様子を見せる。相手の反応に、珍しく璜準コウジュンは自らの心無い態度への詫びを、薄い唇から語り出した。


「いいや、気にしないでくれ。お前さんの匂いは、生活の匂いだ。祭典のために、家畜と一緒に遠路を旅して来たんだろうよ。戦場の匂いの方が、もっと


「その事なんです。お話しと言うのは」


 ハドが切り出すと、一室にいる全員の意識がハドへと集中した。


「リルカナ達の部族は襲撃され、壊走したんです」


 レイスが眼鏡の位置を直し、気を取り戻そうとしている仕草を見せる。


「運良く、家畜達は放牧中で機転を利かせた、クリラの人達によって避難が叶いました。でも、族長を含めた中央居住区を攻め込まれて」


 ハドは、隣のリルカナに目配せし、何かの了承を得ていた。


「リルカナのお母さんでもある、族長も含めて多くの方々犠牲になりました。男性のほとんどは殺され、女の人達が大勢、連れ去られたそうです」


 長く戦線に立っていた璜準コウジュンが、聞き入れた情報を元に察しを付け割り込んだ。


「おい、それってまさか、なのか」


 その言葉に、息を呑む者。目を見合わせる者。視線を外さない者。それぞれが反応を示す。


「街で聞いた噂通りでしたか。こんな所まで、勢力を拡大していたんですね。道理で、スーヤ大陸のへ襲撃が減った訳だ」


 様子を観察していたブラムが、冷淡に言葉を置いた。


「クリラ族は、役割分担で分散して暮らしているので騒ぎの後、事情を伝え回り、亡くなった方可能な限り弔い、生存者全員でルリヒエリタへ向かいました」


 ハドが顛末を言い終え、間を空けず今後について改めて提案を述べる。


「グランツの船団が、祝祭に合わせて来る情報もありました。祝祭で家畜達を処分して、クリラの人達を帰りの船団に乗せられないか、その相談なんです」


 ハドの黒い瞳が視線を定めた。差されたのは、出入口の扉を背に、雪河セツカの右側に立つアラームだった。


「そんな事、船長に直接頼めよ。船長とは、生まれた頃からの付き合いだろうに」


「その船長が、アラームさんに丸投げしたんです。その、とても交渉が出来る状態ではないので」


 ブラムは助け船を出した。一言を受けたアラームは、諦めて白い手袋に包まれたてのひらを立てる。〝委細承知いさいしょうち〟の合図を送り、続きをさえぎった。


「クリラ族は何人だ」


「街に来たのは、四十八よんじゅうはち人よ。体力が持たなくて、途中の村落で野営している者も合わせれば、四七六よんひゃくななじゅうろく人」


 今度は一族の代表として、この場の責任を負うリルカナが答えた。


「船団は六十二隻で来ているから、乗せられない事はないと思うんです。もちろん、動ける人は操船の手伝いをしてもらう事になりますけど」


 ハドが、さらに言葉を添えた。黒い瞳が食い下がる先には、夜になった今も黒の上着を着崩さず、頭巾フーザを目深に被るアラームだった。


「四つ、問題がある」


 アラームは、差し指を一つ立て問題点の指摘に掛かる。


「一つ目。グランツの利益に欠損が生じる」


 ハドがくちを挟もうと姿勢を変えた瞬間、雪河セツカが濃い金色の双眸そうぼうで制した。


「二つ目。スーヤ大陸の治安が、悪化の一途を辿っている」


 アラームが、中指を立て二本にした。


 ちなみに、この数え方はシザーレ眞導都市マドウトシの特徴が現れていた。

 加えると、セイシャンナ正教国セイキョウコクでは、親指から順に折り曲げて数える。

 前者を雄型数おすがたかぞえ。後者を雌型数めすがたかぞえと、下世話な呼び方をする者もいた。


「三つ目。女性は全員、娼婦になる覚悟があるのか」


 周囲の空気を読まず、アラームは立てる指に数を加えた。


「四つ目。生まれたのなら死ぬ。早いか遅いかの違いだ。問題ですらない問題だ」


 アラームは、四本の白い指を立て終える。雪河セツカ以外の全員が、最後の問題点にそれぞれの反応を示した。


「以上だ」


 役目を果たした掌を、元の位置に下ろす。容赦のない、アラームの感情を欠いた冷ややかな声が、豪奢な一室に響いて消えた。





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