四十六の節 ハドの決意。 その三




「アラームの言う通り、やはり来たのか。入れ」


「本当に、済みません」


「判っていた。気にするな」


 璜準コウジュンの部屋で解散してから数分後。リルカナをともなったハドが、目的の扉にう合図を送る。

 日頃、アラームのあるじと自称する雪河セツカが応接した所だ。


 長身の二名がいる部屋は手狭に見える。その代わり、男性陣でありながら華やかで、上質な一室に絵画のごとく風景となっていた。


 迎え入れたアラームには、変化があった。左肩掛けの外套がいとう頭巾フーザ付きの長衣を脱いでいる。


 長身も手伝い、黒装束は金属製の装飾も相俟あいまって威圧感があったが、今は違う。竪襟の白シャツの上から黒いウエストコートベストを着用する姿は、かなり華奢きゃしゃな印象を見る者に与えた。


 黒蝶貝製の貝釦かいぼたんが並ぶ、ウエストコートベストの上から三つ目。左の衣嚢いのうに収められた、白銀製の懐中時計に繋がる鎖の先が留められている。


 そんな事を把握しているのは、製作者と雪河セツカくらいだった。


「こちらに来て、お掛け」


 ハドとリルカナに椅子を譲り、アラームは雪河セツカの右側へ向かい、一つの寝台に並んで座る。二名の長身と比べると、見るまでもなく睡眠を満たす事が出来ない広さだ。


「その前に、確認をしたい」


 アラームが、やや表情を強張こわばらせるハドに問う。


「は、はい、何でしょう」


「簡単に、我々を信用して善いのか? 名前も違う。容姿も、ヒト族とは掛け離れているのに」


「シザーレで助けてくださった、パシエ先輩に間違いありません」


 ハドは自信を糧に先程の緊張を抑え付たらしく、真っ直ぐアラームを見据え堂々と答えた。


「見上げる程の身長でしたし、一度見たら忘れられないくらい整う口元。ヘイゼルみたいなつやと、玲瓏れいろうで森林に渡るような心地良ここちよい低音は間違いありません」


 アラームは、似紅色にせべにいろ怪訝けげんを差し入れた。その双眸そうぼうを左側にいる雪河セツカに向け、確認を求めているように見える。


雪河セツカさんも同じです」


 改めて、ハドは雪河セツカへ捧げた。再会した生命の恩人に差し出す一礼を。


「被毛の色、死地から救い出してくれた幽遠ゆうえんなのに力強くて濃い金色の瞳。忘れるはずがありません」


 ハドの言葉に、リルカナが続く。


「パシエ? アラーム? の、目は綺麗よ。とても素敵。雪河セツカも全てが美しいわ。まるで孤高の様の化身けしんのよう」


 リルカナは、目尻が上がる大粒の黒い瞳を、羨望せんぼうを込めるように細める。


「それに、夫と少し似ているわ」


「駄目だよ、リルカナ。呼び捨ても、話しの内容も失礼だよ」


「大丈夫だよ、呼び捨てで。そうか、雪河セツカと似ているなら夫君は相当な美丈夫だな」


 遠回しに雪河セツカ容貌ようぼうを、アラームが称賛する。


「さて、本題に入ってもらおうか」


「実は、クリラの生き残りを、スーヤ大陸に案内すると言い出したのは僕です。スーヤ大陸で起きている事件の数々は、僕も知っています」


 アラームに促され、言葉を選びなら、ハドは恐る恐る語り出す。


「混乱に乗じて、クリラ族に名を上げてもらい、定住の足掛かりにするのかな? クリラ族の騎乗術や勇猛さは、スーヤ大陸の傭兵枠の中でも需要がある」


 似紅色にせべにいろ双眸そうぼうが、冷ややかに現実を差す。


「クリラ族を、純粋な戦闘民族に仕立てようと言うのか? 第二の、オ・ニギ族にするつもりか?」


 ハドは、黒い瞳を反らした。様子から判断したアラームは、相手を変えた。


「それで、クリラ族のお嬢さんの意向は、どうなんだ」


「リルカナよ。お嬢さんなんて呼ばれる歳でもないわ」


「失礼、リルカナの意向は? クリラ族から出た意見でもかまわない」


「正直、バラバラよ。叔父達は、一番の友好関係にある、スクマ族に土地や家畜を借りて、立て直しを図りたいみたい。愛馬と最低限の家畜は残してあるわ」


 スクマ族は、絽候ロコウが真似をしている三角錐の帽子を特徴とする民族衣装の部族。

 主に、標高二六〇〇にせんろっぴゃくガッセ級(約五〇〇〇ごせんメートル)のヨセマハイヤ山脈の尾根を背景に、その裾野のに広がる草原を拠点にしていた。


 痩せた土地は広大だが農地に適さず、遊牧地を移動しながら家畜を育て、食肉、乳製品、毛皮等々で細々と生計を立てている。


 要は、五二四ごひゃくにじゅうよ人を受け容れる余裕はないと言う事だ。


「現実的ではないよな」


「叔父達は、それを承知で述べているわ。女性達も、他の生き方なんて知らないし、どの道、急に適応出来るとは思えないのが本音よ」


「何て言うのかな」


 璜準コウジュンが泊まる、最上級部屋には比べようもないが、大理石で装飾された暖炉がある。穏やかな炎が、間接照明の代わりと温もりを一室に与えていた。


「状況ってさ、急に変わる事がある。それは時代の流れであったり、世界の変革だったりする」


 アラームは斜め右方向にある、揺れる暖炉の炎に視線を向けた。


「時流に乗る者。過去に固執するあまり、疲弊して擦り潰される者。流されれるまま、それぞれの世界に堕ちる者。それはそれは様々だよ」


 暖炉を眺めるアラームの横顔を、雪河セツカは一枚の絵画を鑑賞しているようだった。


「ハド」


「は、はい」


「人類は文明を築き上げ、同時に理性や教養、概念と言う名の産着うぶぎまとう。秩序やことわりを背景に、錬金術をはじめとして便利な技術を向上させた。それが進化なのか、退化なのか、私が推し量る事ではない」


 ハドの隣に陣取るリルカナは、アラームの言葉を注意深く耳に入れる。


「私が敷いた道理でもない。人類が築き上げた文明や概念を、私が意見を差し入れ、破壊する事は筋違いだと感じている。それは、人類同士でも言えるのではないかな?」


 アラームは長い手脚を支えに前傾姿勢を取りながら、暖炉の様子を見続ける。


「枠組み、敷かれた秩序を壊して善いのは、同じ場所にいて同じ環境に身を置く者。もしくは、自ら作り上げた者だけだ」


 辛辣しんらつで突き放すような俯瞰的ふかんてきな意見が、端整な唇から語られる。


「誰かが築き上げたに部外者が手を出し、破壊してしまっては、二度と元に戻る事はない。それが後悔する程に尊く、唯一無二ゆいいつむにろうとも同じ事だ」


 姿勢を戻したアラームの似紅色にせべにいろは、暖炉の炎を宿したかのように底光る意志をにじませ、ハドのまだ惑う黒い瞳を射貫いぬいいた。


「グランツ・ハーシェガルド。覚えておいて欲しい」


 ハドの背筋が伸び、得も言われぬ感覚をともなっているようだ。


「先程も言った。人類は、つちかった様々な概念を込めた産着を、自らかぶっている。詰まりは、いつでも脱ぎ捨て原初に戻ってしまう。長い話しだったが、それを踏まえ改めてハドに問う」


「何でしょう」


「ハドは、クリラ族の文化を潰す事に耐えられるのか?」


 眉間に若いしわを寄せうつむく。思慮しりょに集中するためと、アラームの視線から逃れたい気分もあるらしい。それでも、逃れられないのは明らかだった。

 意を決したのか、ややあってハドは歳に合わない童顔を上げた。


「僕は、生き延びる事が何より最優先するべき解答だと思います。現に、クリラの人達は生きています」


 アラームは、ハドではなくリルカナを見た。異郷の視線を受けたリルカナの黒い瞳は、力強く生きる意思を宿したまま、アラームを見返した。


「カヤナ大陸には、誰も立ち入ろうとしない土地がある。そこに向かおうか。そこには、二十万人を住まわせるだけの都市が森の中に


「まさか、ザファイレルの事を言っているの?」


 アラームの話しに含まれる特徴に、リルカナが血相を変え、勢いのまま言葉を繋げる。


「駄目よ! あの土地は、誰も立ち入ってはならないわ。クリラ族の、いいえ、カヤナ大陸に存在する氏族クラン全ての聖地。様の居場所なのよ!」


 リルカナは、感情的に声を荒げた。


「聖地? 居場所? 、よくも言えたものだな」


 整い過ぎる鼻梁の先からアラームは、小さな小さな嗤笑ししょういた。





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