四十三の節 カヤナ大陸・ルリヒエリタ。 その二




 爛々らんらんと燃える金色の双眸そうぼうは、青毛の暴れ馬に劇的な作用をもたらした。大人の頭程ある馬蹄を静かに地に降ろし、青毛馬は排熱の鼻息を吹かせた。

 血走っていた目は、既に穏やかな光を取り戻している。


 絽候ロコウは、両掌りょうしょうを音高く貼り合わせた。音は空気を介し見えない波紋となり、その領域を広げる。


「追随する。放て」


 気配に合わせ、雪河セツカは軽く開いた右手を掲げた。虚空こくうに張った弦に、苦労知らずの女性に似た白く細い指を掛けているように見える。


「恐縮の限りです!」


 絽候ロコウの声は、ルリヒエリタに吹く白と紺碧の風に、勝るとも劣らない笑顔と覇気にう。

 港湾都市に満ちる、生命の力強さを媒体とし、眞素マソを収束。眞導マドウへと構築し発現する。


「唄? だよな、これ」


 羊に囲まれる璜準コウジュンは、先程までの暴走が幻とも思える静かな風景の中にいた。


「え、えぇ。確かに音と声が聞こえます」


 璜準コウジュンの言葉に釣られ、レイスが答える。白い小型のフクロウかばいながら、レイスは階段状に積まれた木箱の上に避難していた。


 鎮静の気配は、絽候ロコウを中心に広がりを見せた。切り取られた時間を失った羊達もまた、騒ぎが起きる前の平静さの境地にある。


 絽候ロコウ雪河セツカを見れば、綺麗な唇が、指先が音を奏で、無音の子守唄をうたっていた。

 聴き取れる者には、明確に作用していた。眞素マソが踊る。共鳴し、金属筒が穏やかに打ち鳴らされ、弦が澄明な音を立てるさまに似ていた。


 それらを包み優しく撫でるのは、二名の神獸族シンジュウゾクだと知る者は少ない。


 波長に、変化が起きた事に気付く者がいた。


 神獸族シンジュウゾクの唱和に呼応するのは、ヒト族以外の種族だった。今は散り散りとなった人垣を構成していた、ニンゲン属ビヨ・ネウ種モモト族。ニンゲン属ウサギ種ラヴィン・トット族。ニンゲン属ヤキン種ドルルフ族等々とうとう


 ニンゲン属クマ種オルセット族の、メイケイ・ウンケイのクリーガー兄弟は、二名の神獸族シンジュウゾクに抱えられ、ある意味、最前列で参加していた。


 彼らは、それぞれの笑顔を浮かべ、くちを揃えうたう。それは豊穣を願うもの。それは生命への礼節。潰える生命をかてとする事から逃れられない事実への、感謝といましめ。


 『生命の讃歌』だった。


 そこに、ニンゲン属ヒト種ヒト族。眞素マソの顕現と、認識可能者の代表として、璜準コウジュンが讃歌に加わった。


『普段はザラついてるけれど、説法せっぽううたう時は、なめらかな漆器の表面のように伸びるよね。気泡ももない、硝子細工がらすざいくみたいな澄明ちょうめいな声なの』


 美食と芸術の街・フローリオで、絽候ロコウが評した璜準コウジュンの声が、海を越えたカヤナ大陸の最大港湾都市・ルリヒエリタに響き渡った。


「あのお兄ちゃん達、すごいすごい!」


「楽器もないのに、音が出てるの!」


「知ってる! このうた、!」


「ぼくも、うたう!」


 ヒト族の子供達が、届いた璜準コウジュンうたに合わせ、力に限りうたう。音程も拍子もお構いなし。

 知っている歌詞に、小さな優越感。楽しく声を上げられる開放感。生命への讃礼は大人達を巻き込み、大合唱が人々を繋ぎ上げた。


『我々は、貴方の生命で繋がっていたんだね。我々の生命は、貴方へ戻って行くんだね』


 うたは、そう締めくくられる。


 元より、言葉の壁はなかった。海路が拓かれ、セイシャンナ正教徒セイキョウトにより聖法典セイホウテンの教義が席巻した。

 同時に、スーヤ大陸の公用語・炎州エンシュウ言語も浸透するまでに時間は掛からなかった。


 真珠と香辛料の国の商人達も、抵抗なく商売相手の言語を受け容れる。


 人種も国境を越え仲介したのは、純然たる豊かさだった。武力や文化の強制では果たせない、共有された価値観と相手を尊重する余裕にこそ理由がある。


 それこそが、皮肉にも暗部を覆い隠す陽の役割を果たしていた。




 ◇◆◇




 沿道が大合唱と、本来の群れの秩序を取り戻した家畜達の波が満ちる。その風景を、面白い場所から眺望ちょうぼうする者がいた。


「見せ場、全部すっかり取られてしまいましたわねぇ」


 少々、高い位置から女性の声が起きる。暴れ馬の背から、既に脱出してたクラーディアだった。


 祝祭に合わせ、屋根や支柱に渡された綱がある。ルリヒエリタの街旗や、参加する各村落の紋章、部族旗が掛けられる綱に、風景を見下ろしていたのだ。


「あらぁ? お仲間かしら」


 黒く塗った爪を揃え、ひさしを作り向けた視線の先。冬に差し掛かったとは言え、昼間の快晴で熱せられた屋根瓦。その足場も安定しない場所を、なんなく渡る黒一色の人影を、一重ひとえの切れ長で胡桃色くるみいろの瞳がとらえた。


 盗賊対策で、商家の屋上・見張り台には弓矢や湾刀で武装した自警団が、四交代制で待機している。黒い人影は、その内の一団に、罵声を含めた言葉で警告を受け続ける。


 しかし、黒い人影は止まる事も相手もせず、煉瓦色や柿渋色の屋根の間に消えた。


「ま~ぁ! あれは見覚えがあるい男じゃない。今夜と言わず、今すぐ相手になってもらおうかしら」


 クラーディアは、胡桃色くるみいろ瞳のに獲物を見付けた歓喜が浮かぶ。抑えが効かなくなったのか、薄絹うすぎぬから、解放を望む容量の双球と、れたつぼみの形を突き出すように魅惑の肢体をしならせた。

 ついでに、その旺盛な性欲の一端いったんを披露する。


 クラーディアは、目を付けた相手の身体の線を記憶し、着衣の上からでも判別が可能なのだ。


 そんな、クラーディアの足元で奇妙な再会劇が展開されていた。


「は、八聖太師ハッセイタイシ様?」


「あれ。お前さん、確か渡航免状の所の、ハグ? ハ、ハー何とかって奴だっけ?」


太師タイシ、ハド様です。グランツ・ハーシェガルド様です」


 メイケイは、人の名前を覚えようとしない主人に、慣れた雰囲気で助け船を出した。

 それによって、数カ月振りの再会を果たしたのは、クリラ族の山羊追いとして手伝っていたハドだった。


 そのハドも土地に倣い、クリラの男性用の民族衣装を貸り過ごしていた。


「あら、ハドの知り合いの方? 良かったら、紹介して欲しいわ」


 雪解けを知らせる、春の陽気を宿らせた少女に見える女性がハドの隣に立った。


「この人は、クリラ・リルカナ。父方の従姉妹で、その、あの混乱の後に世話になっていました」


 リルカナは、健康的な笑顔で紹介に応えた。黒髪黒眼。彫りが深く、遊牧と狩りで日に焼けた濃い色の肌。お世辞抜きで美人の部類に入る。


 肌の露出がない、伝統あるクリラの民族衣装を着用。大自然の加護と伝承の逸品は、黒染めを地とした、上質な織物と複雑な刺繍によって、その価値を数倍に高めていた。


「伝統を重んじる、誇り高きクリラ族の方にお目にかかれて光栄です。私は、ヒリー・バンクス・レイスと申します。早速ですが、クリラ族が専属で家畜化している、ピピカラ種の品質管理の秘訣。それと、モデマ織りに使われる染料成分を」


 リルカナの個人領域に、迷いなく踏み込んだのはレイスだった。学者の貪欲な知識欲を、遠慮なく解放するレイスだが、気を利かせた雪河セツカが引き剥がす。


 再会を分かち合うには、互いが持つ要件を片す必要があった。一行は、翌日に待ち合わせの場所と時間を確認し、解散する事になった。


 ルリヒエリタの街は、前例のない騒ぎの余韻を残しながらも、日常に戻りつつある。

 潮風が、変わり行く世界の潮目の気配を運んでいる事に、気付く者もいれば、気付かない者もいる。


 それでも世界は等しく、生命を変わらずに包んでいた。





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