第四章 進み行く世界

四十二の節 カヤナ大陸・ルリヒエリタ。 その一



 カヤナ大陸が誇る最大の港湾都市・ルリヒエリタ。潮風はやや強いが晴れる日が多い天候。年間を通して乾燥し、短い夏と長い秋が特徴的な気候だった。


 比較的、過ごしやすい土地柄には人も集まり商売が発展する。およそ千年前に拓かれた、スーヤ大陸、真珠と香辛料の国を繋ぐ航路によって、ルリヒエリタへと莫大な交易品と富が集積された。


 証明として、いくつもの大型帆船が停泊し、物流と人の波が満ち引きは絶える事がない。

 人と同じくらいに、家猫イエネコの姿も多々見られる。港街特有の風景とも言える。


 加えて本日、晴天の陽光の下。催し物・サリニエリ開幕を控え、街は賑わいに満ちていた。沿道には見物しようと人垣が築かれ、大通りを少しまたいだ広場には飲食物や土産物の屋台が広がる。


 昼の小休憩を迎える時間帯。防風・防波堤の役割を果たす四階層分の高さが並ぶ倉庫群。


 物資や所属船団を示すのは、真珠と香辛料の国がもたらした、水平に走る色鮮やかなタイルの帯。白壁は潮風に強い漆喰や珪藻土、切り出された石灰岩で構築される。


 グランツ船団の乗組員集団が搬入作業を終え、最大人数を知らしめながら沿道へ消えて行く。


 屈強な海の男達に引けを取る事なく、一際目立つ長身のアラームが談笑の輪にいた。


「お? アラームじゃないか。こっちには来ないって言ってたのによ」


 目立つアラームに、声を掛けたのは璜準コウジュンだった。その声に応じたアラームは、断りを入れてからグランツの乗組員達と別れた。


「何故こちらの方へ来た。もうすぐ家畜の群れが大通りへ侵入するのだぞ」


「宿泊場所が判らなくなった。あのまま乗組員に随行しても行き先は娼館だ。私には用などない」


「取り敢えず、大通りから離れろ」


 不可解な事に、雪河セツカはアラームを追い返そうとしている。


 しかも、一行が押さえた宿泊所は、地理的に明確なくらいに分かりやすい立地。

 アラームが苦手としている娼婦付きではない。渋く濃い茶色と白が織り成す、階段状屋根が特徴的な高級宿泊施設だった。


 アラームと雪河セツカのやり取りを聞いていた絽候ロコウは、上目遣うわめづかいで言葉を挟んだ。


「係の人が来てましたし、間もなくです。アラーム様も、一緒に見ましょうよ」


 弾む声で絽候ロコウは促した。その両手は、申し訳なさそうにする、ニンゲン属クマ種オルッセト族の兄・メイケイを抱え雑踏から守っていた。


いいや。宿屋へ向かえ」


 人垣から抜きん出る長身の雪河セツカが冷たくアラームをあしらおうとする。その左肩には、同じく弟・ウンケイが恐縮しながら乗っていた。


「そんな! 各地の家畜が、最終地点のルリヒエリタに集まる、今年最後の牧畜行進・サリニエリなんですよ! これを見ないなんて、祭典に来た意味なんてありません!」


 白い小型のフクロウ・イングリッドを、肩に置くレイスが興奮気味にまくし立て、アラームを招き入れようとする。


 ダンターシュ出航の初日。触れるべき点は数々あるが、閉じられた狭い空間を過ごした面々は、わだかまりを残す程に大人気なくはない。


 お互いが、根に持たない性格も関係していた。


 そんな張本人でもあるレイスが熱弁をふるったもよおしは、各地の村落・放牧民族が春と晩秋に行う、商品家畜を生きたまま売買先のルリヒエリタへ一斉に行進する、伝統的な移送行事だった。


 絽候ロコウは遠慮しながらも食い下がる。目深に被る黒い頭巾フーザの下で、アラームはわずかに逡巡しゅんじゅんした。


 その時だった。絹織物を扱う石造りの大きな商館の角から、沿道を連ねる人々の歓声が上がる。


「これは、クリラ族の商品かね」


「第一陣は、昼過ぎ到着だと聞いてるからね。多分そうだよ」


「クリラ族の家畜や織物は、数は少ないが世話が丁寧な分、品質には信用が持てる」


「ケダモノや、蛮族の襲撃に遭ったと噂で聞いたが、これだけ数があれば、今回は問題なさそうだな」


 家畜の群れを待つ取引先の商人や街の人々が、口々に吟味や噂を重ねていた。


 やがて大通りに姿を現したのは、馬種の中で最大の体躯を持つ、スタチュエカ種の裸馬。そのすぐ後には羊の群れ。

 それらを三頭立てで先導するのは、黒髪と胡桃色くるみいろの瞳を持つ美女。

 上半身を包む黒地の布面積を大胆に縮小し、魅惑の稜線を惜しむ事なく披露する。


 沸きに沸く男性陣。劣等感に焦燥しょうそうする女性陣。危なげもなく三頭を御し、美女は豊満な胸を弾ませながら、愛想よく応えた。


「あれって、元シザーレ八人会ハチニンカイの名物・淫乱変態クラーディアなんじゃねぇの?」


 璜準コウジュンが記憶を頼りに、前後を考えず美女に向け指と名を差した。丁度、璜準コウジュンの前に差し掛かった美女は、反射的に声の主を当てて見下ろした。


「あら? 今は亡き宗教都市・聖シャンナ八聖ハッセイの〝蛮族殺しの青鬼ヴラーオ・ディモネ〟さんかしら?」


 差された立場を否定せずクラーディアは、ねっとりとした視線を璜準コウジュンに這わせた。対する璜準コウジュンは、たまらず顔をひそめる。


「そんな顔をしないで。せっかくの美男子が台無しだわ」


 鹿毛馬が、背後の御者の変化に同調し沿道に向けられた声に馬首を巡らせた。


 沿道に並ぶ人垣を抜く、黒衣をまとう長身の持ち主は、反射的に布越しの視線を大通りに向ける。


 双方の視線が合った瞬間。


 大きな馬蹄ばていを前方へ跳ね上げた。先導する三頭中央を陣取っていた鹿毛馬が、高くいななく。


 この件を引き金に、両脇の裸馬と家畜の群れへと恐慌きょうこうが素早く伝播でんぱする。

 簡単に、牧童や羊飼いの制止を脱してしまった。羊・山羊・馬は、まさしく蜘蛛の子を散らす状態に陥る。


「この場は任せよ。アラームは退くが善い」


「悪いな」


 この状況で、真っ先に動きそうなアラームが姿をくらませ、真っ先に身を隠しそうな雪河セツカが率先して事態収集に動いた。


「な、何だってんだよ! この騒ぎは! ぐはぁ!」


 非難と現状把握の不自由に声を荒げた璜準コウジュンに、暴走した羊の一団が頭突き、蹴り上げる。ついには、突進された事により脚を取られた。


 均衡を崩し掛けた所に、先導していた三頭の一角。青毛の一頭が、平静を失った血走った目付きを見せる。


 璜準コウジュンを馬蹄で踏み抜かんと、石畳を蹴り前脚を跳ね上げ、豊かな距毛が晴天に透く。


「誰に向かい、無作法を働いているつもりだ」


 人々が上げる喧騒と怒号、悲鳴が乱反射する音の空間。絽候ロコウは声を張る訳でもなく、璜準コウジュンへ結果、危害を加えるであろう対象の青毛馬に、言葉の刃を突き立てた。





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