三十九の節 洋々たる、ダンターシュ。 その一




 スーヤ大陸東端には、かつてセイシャンナ正教国セイキョウコクようしていた炎州エンシュウがある。

 その圏内の南東部。デルカ湾には最大の海洋交易の規模を誇る港湾都市・ダンターシュが深い歴史を刻んでいた。


 ダンターシュの中央にある噴水公園は、目の前を海にしながら豊富な真水を誇示する演出も兼ねている。

 もう一つ、象徴がある。白い花崗岩かこうがんで出来た方尖柱ほうせんちゅうが起立する。一面それぞれに、炎州エンシュウとシザーレの文字で、名前と功績が彫られていた。


 これは、西端の港湾都市サン・バステアンの対と成す、食の夜明けを示している。の旅は、ここから始まったのだ。


 また、この噴水公園周辺は、毎月のように催し物が用意され、多種多様の観光客や交易商人達で日々賑わいを見せていた。


 石灰岩質を特徴とする海岸線は多い。ダンターシュの一角もそれにならっていた。雨水が石灰質の台地に浸透し、地下水となり海岸線の近くで湧出ゆうしゅつしている。非日常を演出する鍾乳洞しょうにゅうどうも観光資源として一躍いちやくを買っていた。


 だが、最大の収益源は海洋交易によるものだ。


 陽も高い時間。昼食時間とあって、方々からの飲食の誘惑。河岸かしや生鮮市場からは、害虫除けの硫黄の匂いが風向き次第で漂う。

 生鮮食品に寄る害虫が、硫黄を嫌う性質を知った先人達の知恵でもあった。上下水道の他に、地下通風口が整備され硫黄泉がく地帯から運ばれている。


 そんな中、ダンターシュの宿場街・タイレー区は、奇妙な一行いっこうを内側に招いた。


 人種も交易品の数々であふれる街で、飛び抜けて目立つ二つの人影が、並んでタイレー区に隣接する、海浜公園にやって来た。


 ほぼ同じ背丈の長身は、おおよそななフース(約二一〇にひゃくじゅうセンチメートル)。対照的な姿は、黒装束と白装束。

 前者は、シザーレ眞導都市マドウトシ式の制服。後者は、セイシャンナ正教国セイキョウコク式の法衣に似通う、目端が利く者が見れば、かなり豪奢ごうしゃな形状だった。


 解散し、あるいは崩壊した、スーヤ大陸有数の二大都市を彷彿ほうふつとさせる。


 そんな二名は、海浜公園の一角。段丘状の座席に待たせていた連れに向かう。


 その先には、すずめの程度の大きさの白い羽毛を持つ海雀うみすずめが群れていた。その中心には、セイシャンナ教徒の礼服姿の若者と、数名の随伴者があった。


 快晴の空の下。走る円環。光源も相まった彼は、霊妙れいみょうな雰囲気さえあった。


「何て、お美しいのかしら」


セイシャンナ正教国セイキョウコクが、あんな事になってしまって。今ものこり高貴なる法士ホウシ様は、何と有難ありがたいお姿なのでしょう」


「しっかりした衣装の随伴者がいるわ。きっと、徳の高いお方かもしれませんわね」


 通り掛かる、身なりも良い貴婦人達が、絹の扇子で口元を覆い噂する。


 不思議な青に染まる瞳。下がる目尻を余計に垂らし、彼は幸せ顔で餌を撒いていた。


 頭や肩、膝にも白い塊を宿らせ、御満悦ごまんえつだった彼に悲劇が訪れる。


璜準コウジュン絽候ロコウ、メイケイ、ウンケイ待たせたな。面会の算段が」


 黒装束の長身、アラームが声を掛けた次の瞬間。海雀が璜準コウジュンの元から飛び去り、飛び散る羽毛が璜準コウジュンからゆるんだ笑顔を奪った。


「おい、アラーム。俺の癒やしを返せ。今すぐ返せこの野郎!」


 すり鉢状の一帯は、野外舞台にも利用される。音響効果も相乗し、璜準コウジュンの胆が座る声は良く通った。


璜準コウジュン


「あぁん!?」


「狭量な事を言うな。絽候ロコウでも触って気を紛らわせろ」


「お前さんは分かってねぇよ。コイツ、角も尻尾しっぽかてぇし、髪なんかゴワゴワだし最低だ」


「判っていないのは、そちらの方だ。してやれよ。雪河セツカに至っては、家猫イエネコのコビン種や、大型だが狼に改変する。触り心地も最高だ」


「何だよそれ、うらやましぎるじゃないか。俺にも貸してくれよ」


ことわる」


「ウッソだろ! お前!」


 激昂げきこうする璜準コウジュンに対し、アラームは静かになってしまった。

 時間帯も手伝い青空のもと、昼食をっている人々も多い。奇妙な一行に、そんな周囲の視線が集まり始める。


「良い加減にしろよ! そもそも、猫ちゃんが見えないのは、お前さんのだろう! 港街と猫ちゃんは、あって当然の風物ふうぶつだ。それが、ことごとく見る事が出来ない。お前さんと旅をするようになってからだぞ! 心っ底、迷惑な奴だよ、本当によ!」


 璜準コウジュンの怒りは、重ねる言葉を燃料にしているのか。自身で焚き付けた感情は、風を巻き上げ勢いを増す急火きゅうかとなってあおられているようだった。


 璜準コウジュンが言う、猫と港街の関係は深い一例でもある。要は、鼠の存在だった。

 不衛生で、伝染病も媒介するとされるが、一番の懸念材料は商品をむさぼる事だ。


 伝染病は、身近な。あるいはしらみ等々の小型吸血生物、細菌や寄生虫が媒介する確率の方が遥かに高いと、錬金術師は語る。事実は先触さきぶれや救済院を通じ、市井しせいに浸透している。


「迷惑と言うのなら、今の璜準コウジュンも同じだ。昼時、周囲には食事を摂っている者もいる。その付近で小鳥を集めるなんて、邪魔だろうに。それに、璜準コウジュンで、絽候ロコウ、メイケイ、ウンケイが食事にありつけない。主として、それはどうなんだろうな」


 一気に言い切ったアラームに呑まれたらしく、今度は璜準コウジュンが押し黙ってしまった。


 するとアラームが、背後の小物入れへと手を回した。その様子を見ている彼らは思い知っている。アラームの背後が、一番危険だと言う事を。


 ここ、ダンターシュに着くまで、数々の襲撃にって来た。物盗りから、ケダモノと幅広く。

 一行いっこうの中で、アラームの姿が最もをしている。明確な殺意をもって、その背後を取ろうとした者は、ことごとく絶命した。


『私の背後は、最も安全な場所だ。危険を察したら、いつでもおいで』


 アラームは前半身を相手の血や臓物を浴びていたが、


「ほら。これででも買って来い」


 平静なアラームの声に、近い過去を思い起こしていた面々は現実に引き戻されたらしい。

 その言い回しに込められた意味を、探り当てようとしていた。


 そんなアラームの白手袋に包まれた手には、銀錆パチナが浮く割り符と、重そうな羊の革袋が乗っている。


 先程の薔薇とは、娼館でも一~二人しかいない、最高級の娼婦が持つ称号を差す。

 序列が高い順から低い順へ、薔薇ローゼオルヒェデ百合リーリェキルシュ鈴蘭マイグレック、となる。店先や街中で客引きをしているのは、入りたての下っ端か最下級の鈴蘭マイグレックだ。


「ウッソだろ、お前。何でこんなモン持ってるんだ」


 どうやら璜準コウジュンは、割り符の意味を把握しているようだった。青い月アオイツキと同じ色をした瞳が釘付けになっている。


「マリサにもらった。使う暇はないが、棄てる事も出来ない。意匠いしょうは素晴らしいから、保管している」


「へ~ぇ」


 素直な感嘆を漏らした璜準コウジュンに、アラームは無神経な追い打ちを掛ける。


「少々の事で苛々いらいらするのは、証拠だ。マリサの名前を出せば、予約済みでも薔薇ローゼいてくれる。適当に理由を言っておくから、娼館に行って来い」


 顔半分も見えないが、少なくともアラームの端整な口元には、大真面目な色が添えられている。


「冷やかしてんじゃねぇぞ!」


 璜準コウジュンは、アラームのてのひらにあった物を引ったくる。そのまま、段上を登り街並みと同じ平地に向かう。


「そっちは娼館の方向ではないぞ」


うるさい! 風呂に入って、新しい服に着替えて来るだけだ! このボケが!」


 威勢良く啖呵たんかを切った璜準コウジュンを見送るアラームの白いてのひらから、大金入りの革袋と、割り符が消えていた。


「メイケイ、ウンケイ。悪いが、ジャレック区まで璜準コウジュンを連れて来てくれないかな。すぐそこの商館で構わないと伝えたが、本邸で持てなすと言って譲ってくれなかった」


「承知しました。後程、太師タイシを御案内致します」


 兄・メイケイが、小さな身体に緊張を走らせつつ低頭しながら応えた。弟のウンケイもならい礼節を示す。


絽候ロコウはどうする?」


「ボクは、先輩達に着いて行きます。街の様子を見たいのです」


 元より、璜準コウジュンの行方を気にしてか、絽候ロコウの意識が散漫となっていた。アラームは早々に解放すると、辞した彼らは足早にあるじを追った。


 璜準コウジュン身嗜みだしなみを気に掛け、クリーガー兄弟が緊張した態度の理由。アラームが面会の算段を整えた相手。


 それは、スーヤ大陸の海運と陸運を支える守護者・グランツ企業連合。現在は、ダンターシュ首長しゅちょうに選出される、グランツ・ユグレスだった。





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