三十の節 フローリオの、飛べない歌姫。 その一




 フローリオが歴史に現れたのは、レーフれき三一七さんびゃくじゅうなな年だった。


 同二一五にひゃくじゅうご年に建国された、フィーツ・ワイテ帝国。の帝国が敷く税率の高さと、生命の道ブルド・フィーツを塞き止めるように建造した、立体交差型の関所と環状交差路によって、し取られる通関税と城門税。 


 ヒト族による強烈な選民意識。悪化する治安に耐えられなくなった商人達が、ガーラット河に沿って南下し、二ノ海ニノウミを望む海岸線まで出た。

 かたに無数の杭を打ち、海水に強い石材を乗せ、煉瓦れんがで壁を作り人工の陸地を造成した。


 レーフ暦一七一六せんななひゃくじゅうろく年。人工の陸地は二〇〇にひゃくに迫り、二本の大運河を軸として、一〇〇ひゃくを超える運河。五〇〇ごひゃくを数える橋が架けられている。


 フィーツ・ワイテ帝国による、幾多の干渉を掻い潜って来た。交易権の死守、商業条約、人種を越えた自治の意識が、スーヤ大陸に美食と芸術の都・フローリオを開花させた。


 ここは、白鈴楼ハクレイロウセイフレデリケ中央通りの表側に、宿泊所と飲食店を併設する、フローリオを代表する高級店。


 飲食店側は二階層造り。総大理石で構成され、贅を尽くした扇形天井。客層も豊かで、絶える事のない客足を保つ品々を照らすのは、硝子工芸がらすこうげいで有名な、ラウェンニ地方のシャンデリア。


 日暮れも間近な時間帯。夕陽が鮮やかな色硝子で彩られる、二階席の薔薇窓を通し幻想的な空間を演出する。この場において、誰が不満を漏らすのか。


 しかし、どこの世界にも異分子は存在する。その期待を裏切らない客がいた。


「なぁ~、璜準コウジュン。機嫌を直しなよ」


 璜準コウジュンは、優男の綺麗な顔に普段よりも三倍増しで不機嫌を刻み付けている。お目当ての、ニンゲン属ウサギ種ラヴィン・トット族の給仕係が、一人もいなかったからだ。


の種族は機転も回る分、臆病ですからね。状況も状況ですし、一族郎党まとめて故郷に帰ってしまうのは仕方がありません」


 事情を説明するメイケイにたしなめられた璜準コウジュン若干じゃっかんけわしさがやわらいだ。気拙きまずくなったのか、その視線が向いた先には、ある人影があった。


 後続の客に知己を見付けたアラームと雪河セツカが席を移し、その場で年代物の葡萄酒ヴァインや白ビールを挟み、酒盛りが始まっていた。

 大衆酒場での風景で許される所業であって、高級店にとって不作法この上ない。当然、周辺の客の視線も冷たい。


 当のアラーム達は周辺の空気など構う事もせず、ついには大きな声で談笑が始まった。


 が囲う一席と楽しげな雰囲気に、和やかな表情で見守る客もいる。当然、気を悪くした客もいた。そんな彼らは、食事の途中で帰ってしまう姿も出始める。


「アラーム様達、楽しそう~。ボク達も行かない?」


「止めとけ。アレは、さすがにまずい。大きな声での会話に加えて、笑うのもな。貴族社会での笑いは、嘲笑ちょうしょうを意味する。下層庶民と一緒の感覚じゃあ、生きて行けないんだろ」


 自身を棚上げした璜準コウジュンは、絽候ロコウの無邪気な提案を折った。何よりも念願の品である、鯛のオリーブオイル焼き大地の真珠添えを目の前にしては動くはずもない。


 酒も入り気をくしたのか、知己が持ち込んでいたブラーチェを手にしたアラーム。そのまま、席に着いた状態で有名歌劇の一部を正確に弾いていた。


 アラームに続き雪河セツカも、別の連れの楽士からヴィオリーナを借り、アラームの旋律の裏拍子を差し入れるように音符を連ねる。


 扇形天井や空間構造も手伝い、音響効果は抜群だった。


 雪河セツカはやがて、黒蜜を溶かす低音を唄に乗せ始めた。音の曲芸に周囲は沸き立ち、他の楽士や客達の意識が集中する。


「お~お~、大口開けて唄なんか歌っちゃって。酔っ払いは恥ずかしいねぇ」


「酔ってなんかないってば。ボク達は、うたうの好きなんだ。天山玄都テンザンゲントでは、いつもうたいや音に囲まれているからね」


 雲の上の話に、メイケイとウンケイは目も耳も釘付けだった。


璜準コウジュンうたいもかったな~。サン・バステアンで聖法典セイホウテンうたって結界を張った時があったでしょう? たんえた力強い声が、身体全体から共鳴する感じでさ。なめらかな漆器の表面みたいに伸びるよね。気泡ももない、硝子細工がらすざいくみたいな澄明ちょうめいな声なの」


 包み隠しもせず、絽候ロコウは褒め言葉を羅列する。そこから逃げ出したいのか、璜準コウジュンが居心地を悪そうにしている。


 再び璜準コウジュンが視線を逃がすと、風景が激変していた。黒いドレスに白いエプロンを着用する背筋も正しい白髪の老女を正面に、長身のアラームと雪河セツカが立たされ説教を受けていた。


「母が、大変失礼な事を。どうぞ、御容赦下さいませ」


 慇懃いんぎんに、下の下から声を掛ける上品な壮年紳士の声が立つ。それは間違いなく璜準コウジュンを差し、通例を破り声を掛ける非に満ちていた。


「いいや。どう見ても、アイツらが悪い。気にしないで欲しい。それと、先程は出迎え痛み入る。ドラーセナ支配人」


 璜準コウジュンが会釈した。


「恐悦至極で御座います」


 折り目も正しい給仕姿のヒト族の紳士が、最大級の礼節を示す。セイシャンナ正教国セイキョウコク式だった。


 夕食の開店時。璜準コウジュンとクリーガー兄弟は、公衆浴場で旅の汚れを落とし、ドレスコードに沿った炎州エンシュウ式の礼装で整えた。


 白鈴楼ハクレイロウの正面玄関では、ドラーセナ支配人と先代の支配人が揃って璜準コウジュン一行を出迎えてくれたのだ。その時に、挨拶や紹介は済んでいた。

 常連客の貴族・紳士淑女を差し置き、歓待を受けた璜準コウジュンは、悪い気はしない優越感を味わったと伝える。


「メイケイとウンケイと再会出来たのは、もう懐かしさと感謝しかありません。非礼とは存じながら、こうしてお声を掛けさせていただきました」


「いや、何だ。世話になりっぱなしなのは、俺の方だ」


 璜準コウジュンの言葉に、メイケイとウンケイは恐縮と気恥ずかしさを隠すため、セイシャンナ正教国セイキョウコク式の一礼で応えた。


「下衆な下っ端のせいで、メイケイとウンケイには取り返しが付かない事をしてしまった」


「何を仰います。太師タイシ様は、私共わたくしどもをお救い下さったのです」


 当時を思い出したのか、ドラーセナの茶色の瞳が悲しげに揺れた。絽候ロコウは当時の内容に興味を示した頃、例の老婦人が長身の二名をともなって席に来た。


「母さん、お手柔らかに頼みますよ」 


「駄目よ、ジェロア。恩人だろうと極上の美青年でも、言うべき事は言わないとね」


 老いはしても、黒衣の淑女が穏やかな笑みを浮かべている。青年の黒い背を叩きながら、容赦のない言葉で釘を刺す声は、酒焼けで低いが老練の魅惑が含まれていた。





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