十八の節 絽候と、初めての戦場跡。




 今から、一七〇〇年前。起伏が乏しく、荒野が広がっていた土地に、名をシザーレと冠した眞導マドウの都が拓かれた。


 激動と平安の時代を重ねながら、周辺の都市・小国の庇護に務めた。一度の侵略も、蹂躙じゅうりんさえも許さなかった不敗の都が、たったの一夜にして壊滅かいめつした。


 歴史に培われた石造りの街並みは見る影もなく、壊れた水路から流れ出した上下水が混じり合いながら地表を這い、濁っていた。

 石畳がえぐれ、数世紀ぶりに露出する地面。崩れた壁、剥き出しの堅牢な支柱。人々が生活をしていた証しの家財が散乱する。


 死骸目的の小さな生き物達以外、周囲に人の気配はない。生存者は、設置された避難所に集められている様子だった。


 非日常の風景の中。ノルデで璜準コウジュンと別れてから数分も経たず、絽候ロコウはシザーレ眞導都市マドウトシを訪れていた。


「何、これ」


 澱む屍臭。種の判別も付かない肉片。りし日を想像するしかない、かつて街であった残照。


 横倒しの馬車には、牽引けんいんしていた馬やロバの死骸。瓦礫がれきで足場が悪い通路を、気配を消しながら恐る恐る歩く絽候ロコウの姿があった。


「うわ!」


 予想外の感触に、絽候ロコウが短く驚きを表した。その朱色の裾が、何かの抵抗で引き留められたからだ。

 淡い金色の視線で追う先には、原形を留めない眞導士マドウシの手らしき部位が、掴んで離さない。


「ろして、くれ」


 殺してくれ。


 眞導士マドウシは、はっきりと懇願していた。絽候ロコウは、カンテ・シュタートからの空間転移で時差もなく現場に立っている。

 報告を耳にした日数からかんがみて、瀕死の状態で生命が耐える限界は過ぎていた。だが、絽候はっている。黒い制服を着る眞導士マドウシが、簡単に死ねない事を。


「ご、御免ごめん。ボクは」


 絽候ロコウ躊躇ちゅうちょするわずかな時間。生命の音が消えて行く瞬間を、共有してしまった絽候ロコウは、その場から動けなくなった。


絽候ロコウか?」


「セ、雪河セツカ様。御無事で何よりです」


 大きな白い犬が、低く黒蜜の甘さを含んだ響きを発声器官はっせいきかんに込め、絽候ロコウを呼び止めた。


「アラーム・ラーア様は、御一緒ではないのですか」


 絽候ロコウは、この場にはいない相手の名を迷いなく出した。


「あれなら、死体処理に駆り出され走り回っている」


「左様でしたか。それにしても」


 絽候ロコウは、周囲を見渡した。視界に入る総てが凄惨で、無慈悲で、残酷な風景だった。


「戦場跡は、初めてか?」


「はい。お恥ずかしい限りです」


「始まったのだな。ついに」


「はい」


「次は、セイシャンナ正教国セイキョウコクだろうな」


「え!?」


「何を動揺している」


「察してやれよ。気に留めたあるじが、セイシャンナ正教国セイキョウコクに所属しているんだろう」


 突然、会話に割り込んだ緑色の制服姿。ななフース(約二一〇にひゃくじゅうセンチメートル)を少し下回る長身を持つ、ヒト型の気配がある。


 淡い金色が視界に捉える姿に向かい、絽候ロコウうやうやしく礼節を示した。


「貴方が、アラーム・ラーア様でいらっしゃいますか」


「うん」


「御挨拶が遅れてしまい、大変失礼致しました。天山玄都テンザンゲントより遣士監査役ケンシカンサヤク拝命はいめいした、絽候ロコウと申します」


「丁重な挨拶、傷み入る。アラームで構わないよ」


 あっさり偽名を払いけたは、恐縮する絽候ロコウ気遣きづかいながら情報交換を進める。


「あのには参ったな。まさか、ケダモノと一緒に〝収容回廊シュウヨウカイロウ〟まで解放して攻め込むとはね。お陰で後始末が大変だよ」


は既に壊滅。シザーレで実行したとあっては、残る収容回廊シュウヨウカイロウは二カ所。フィーツ・ワイテ帝国。それと、セイシャンナ正教国セイキョウコクとなる」


 偉大なる先達に挟まれ、絽候ロコウは緊張が解けない様子ながらも質問を飛ばす。


「あの、それは何故でしょう。シザーレで発生した流れなら、地理的にも東に進みフィーツ・ワイテ帝国。後に、セイシャンナ正教国セイキョウコクではないのですか?」


「私がなら、巨大な権威と権力を最後に突き崩す。楽しみは最後に取っておく感じかな。その方が、追い詰めた気分になるし。帝国や周辺諸侯は、金銭や人脈によって多くの手練を世界中から集めている。こんな騒ぎが起きる前にだよ」


「それって、こんな騒ぎになると、帝国は事前に知っていたと?」


「判りやすいよな。金銭に不自由しない権力者は」


 真面目な仕事ぶりを覗わせる、緑色の制服は惨状を写し取っていた。目深に被る頭巾フーザから見える、整い過ぎる唇から軽口を叩き出す。


「ただ、帝国に密告したのはではないな」


 雪河セツカは、絽候ロコウへと導くため、一言を告げる。


「まさか、單雛センスウ様が!?」


「うむ。いつぞやシザーレに向かう途中、我々とは別にケダモノをほふる二人組がいると報告を受けている。我々は、。もう一組はだからな」


 鼻を鳴らし、誇らしく雪河セツカが言葉を閉じた。


「あのにとって、この世界は遊戯盤だ。参加者が増えて御満悦だろう」


 アラームと雪河セツカの、どこか他人事めいた響きに、絽候ロコウは困惑の色を幼い少年の顔に浮かべた。


「判っているのなら役目を果たせ。見付けたばかりの主殿あるじどのを失う事になるぞ。気をしっかり持て」


「はい! あのそれで、お二方は、どのような活動を続けられるのですか」


 絽候ロコウは単刀直入で尋ねた。この手合いには、下手な処世術は通じないと判断したらしい。


「我は、アラームの好きにさせる。これぞ、あるじたる度量だ」


「このままの流れで、後始末するよ。どうせ一月ひとつきも経たない内に、フィーツ・ワイテ帝国。もしくは、セイシャンナ正教国セイキョウコクが大義を掲げて、シザーレ眞導都市マドウトシ殲滅せんめつするために動くから」


 雪河セツカの話しを受け、アラームが見て来たかのように軽く言い放つ。


「え、ええ!? ボクがカンテ・シュタートのノルデから出る時は、そのような動きなど一つもありませんでしたよ!」


 絽候ロコウの焦りに、アラームと雪河セツカは無言で視線を合わせる。


「索敵や情報収集に難儀なんぎしているようだな」


「仕方ないさ。絽候ロコウ天山玄都テンザンゲントで唯一、世界を護ろうとしている神獸族シンジュウゾクだもんな」


 絽候ロコウうつむき下唇を噛むと、ヒト族よりも大きな犬歯が露わになる。ヒト族の少年にしか見えないが、明らかに違う。


 頭上に伸びるのは、両耳代わりの青錆パチナが浮く鈍色の柊状の角。同じ色の硬質な長い尻尾。同調してくれる仲間も同胞はらからもいない。


 それでも絽候ロコウは、世界レーフを護るために、自ら遊戯盤の上に立っていた。


 決意と現実に向き合っている絽候ロコウの姿に、アラームは後輩を諭すように語り掛けた。


絽候ロコウ


「はい」


「次、会える時まで主殿あるじどのが生きていたら合流しようか」


「あ、有難ありがとう御座います!」


 アラームの気遣いに、絽候ロコウは感動の想いを声に表した時。崩れた商店の壁の向こうから、野太い男性の声がアラームを呼んでいた。

 

「おお~い! デカいの! どこ行ったんだ~!」


「ん? は~い! 今、そちらに向かいます!」


 アラームから、パシエの演技に戻し返事をした。


「アラーム様。こちらのかたも、お願いします」


 絽候ロコウは言いながら先程、息を引き取った眞導士マドウシに手を差し伸べた。


「承知した。丁重に見送ると約束するよ。さあ、絽候ロコウ。早く主殿あるじどのの元へ戻れ」


有難ありがとう御座います」


 絽候ロコウは深く深く異形の頭を垂れ、謝意と哀悼の意を示した。種族も違い、世界のどこにも属さない分類階級ぶんるいかいきゅうの〝逸脱者イツダツシャ〟。


 刻を告げる鐘の音はない。ただ、広がる青い空と白い円環の下。一つの文明が、瀕死の状態でさらされている。


 そこにある哀悼の姿は、絽候ロコウが確実に異種への尊厳を理解し始めた証明を表していると言えた。


 小さな決意が、信念へと満ちるように。





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