十九の節 雌伏の都。



 日常とは、繰り返される尊い摂理。


 全半壊する建物。焼け落ち天井を失った講堂。整然と通路を敷き詰めていた石畳には腐汁が渡る。千々に撒かれた、かつての生命。


 一日の始まりを告げる野鳥の声。昇る陽光が照らし出したのは、つい数日前まで三五さんじゅうご万の人口を誇っていたシザーレ眞導都市マドウトシ


 今は、生存者の保護と生存者の探索。物言わぬ市井の人の確認と収容のために動く人影が、か細く機能をつむいでいた。

 消毒代わりの消石灰や焼却では追い着かず、新たな生物の住処すみかとなっていた。


 日常を取り戻せないまま、最低限の機能を果たす学舎の一つがあった。

 始まったばかりの陽光を頼りに、活動を本格化する一帯。広場を確保し、天幕を張った場所で炊き出しが始まっている。


 辛うじて構造を保つ教室は、簡易の診療室、怪我人の休息所、緊急物資の一時預かり倉庫と化している。


 生き残った人々は、日頃から築く関わりの輪を元に、助け合い寄り添い、それぞれに課した役割を果たしていた。


「怪我の具合はどうだ?」


「大丈夫。とは言えませんが、何とか、生きています。今は、それだけで十分です」


 様々な生活音が立つ中。負傷者が集められた一角で、会話が起きる。緑色の見習い眞導士マドウトシの制服を着る、青年風の長身。壁を背に椅子に座る、夜着姿の若者との間で交わされた。


「パシエ先輩は、一仕事の後って感じですね。お疲れ様です」


 ほぼ無傷のパシエは、力仕事を中心に不眠不休で活動していた。そのため、周囲の怪我人とは違う意味で凄まじい姿になっている。


「済まない。やはり臭うよなぁ。手は何とか洗えたが、着替えもない。風呂なんて贅沢で、言葉にも出せないよ」


 黒髪黒眼を持つ、若者の顔の位置に合わせるパシエは、片膝を着く格好になる。頭巾フーザから見えた、整い過ぎる口元。そこに、申し訳なさを乗せたパシエに、若者は痛みに耐えながら小さく笑う。


「でも、何だか懐かしい匂いです」


 見るからに人のさそうな若者が、意外な言葉をらした。


「幼い顔で、物騒な発言をするんだな」


「あ、あぁ、違うんです。硫黄に似た匂いが混じっているので」


 ある意味、感心したように声を立てたパシエに、場所と状況が蘇ったのか、ハドが慌てた様子で弁解した。


「冗談だよ。故郷の市場だろう? 生鮮食品の害虫けに硫黄いおうの匂いを利用する」


「その通りです。ご存知なんですか」


「カヤナ大陸にも伝わっているよな。それに、不謹慎だが間違いではない。毛髪には硫黄成分が微量だが含まれている。他所よそでは、ケラチンと言うんだ」


「へぇ~、パシエ先輩って博学ですね」


 そうでもないよ。下を向き、短い言葉を床に落とす。同時に、やけに綺麗な白い手袋に包まれた右手を、軽く上下にそよがせる。照れているのか、謙遜を表しているらしい。


 その白さを視界に入れた若者の黒い瞳が、何かに思い至った形に見開かれた。


「あの、白い使役獣さんは?」


「散歩だろうな。死体の始末や残骸処理まで、付き合う程に甘くはないし」


「あの晩」


 黒髪黒眼の若者は、確信が持てない様子で探るように言葉を繋ぐ。


「お礼を言いたかったんです。白い使役獣さんに助けてもらえなかったら、僕は死んでいましたから」


「へぇ。あいつに?」


「話しが通じないのは知っています。でも、あの白い使役獣さんは分かってくれるような気がして。変ですよね」


 自嘲気味に、若者はうつむきながら呟いた。


雪河セツカ


「え?」


「その白い使役獣さんの名は、雪河セツカ。だよ」


「素敵な響きですね」


「気に入ってくれたかな?」


「はい」


 余韻を噛みしめるように若者が沈黙すると、周囲の喧噪に支配された。


「おい! 緊急手術用の麻酔薬品を第二棟に回してくれ!」


「無理だ! こっちも丁度在庫が切れた!」


「必要物資の確認は!?」


「ちょっと! 蒸留水を勝手に持ち出したの誰!?」


 のろのろと、若者は首を巡らせる。建物が調度品が、人間が壊れて欠けていた。


「こうして見てみると、大変な事になっていますね」


「他人事か。グランツ・ハーシェガルドも大怪我をして、身動きも不自由だろうに」


「ど、どうして、僕の名前を全部、並べるん、ですか」


 しゃべる方が気が紛れるが、身体的な摩耗が追いつけなくなりながらも若者、ハドは言葉を重ねる。


「何と呼べば善いのか判らないから」


「ハド。って呼んで下さい。長いでしょ、ハーシェガルド、なんて」


「特別な対象にしか許さない愛称にも聞き取れるが、大丈夫なのだろうか」


「あ、ははは。そんな事はないです。昔から、周りの人達からは、ハドって呼ばれて、いましたから」


 言い終えると、ハドは苦痛を隠しながら息を吐いた。


「一つ、質問しても構わないかな」


 ハドの気遣いを、見て見ぬ振りをしたパシエが、注意深く様子をうかがいながら小さく問う。


「ハドを襲った化け物。どんな形容だった?」


 見上げたハドの視線の先には屋根が落ち、無慈悲な程に澄んだ青い空が見えた。


「ヒト型体模型に、薄く肉が付いたり、付いていなかったり。右側の腕が、大きな刃物になっていました。刃物なのに桃色、だったかな。その他は、必死だったから思い出せないや。御免なさい」


「〝無垢の産声〟かな」


 パシエの意外な反応に、ハドは興味をそそられたらしく視線をパシエに戻した。それは、聞き慣れない言葉の意味を問うかのようだった。


「そんな顔をしても、応えてやらないぞ」


「えぇ? どうして分かったんですか?」


「ハドは素直だから、顔に出ている」


「そ、そうなのですか?」


 突然の惨状に追い着けなかったハドの感覚が、パシエとの会話によって徐々に整理と確認が叶ったようだった。時折浮かべる精一杯の笑顔のまま、パシエの姿を改めて見た感想を素直に言ってしまう。


「パシエ先輩は、シザーレの掟に対して敬虔けいけんなのですね」


 シザーレ眞導都市マドウトシを拓いた、初代総帥のシザーレは、常に頭巾フーザで表情を覆い隠していたと記録に残る。


 視覚情報を遮断し、眞導マドウ構築の効率と、精神集中の向上のため。とも伝えられているが、真意は今も明かされていない。


 〝法典ホウテンを影より支え、法典ホウテンの前にておのれを棄てよ〟


 煉黒レンゴクを通った者が、最初に教えられる事だった。


 セイシャンナも聖職帽で顔を覆い、同じような記録が遺されている。


 〝法典ホウテンは沈黙と、閉ざすおのが信念に満ちる〟


 セイシャンナ大聖堂で、法士ホウシが誓いを立てる折り、与えられる文言だった。


「そうでもないよ。都合が善いだけ」


 意味深な応えをパシエが言うと、隠しきれない身体的特徴が、第三者の目に止まった。


「お! そこのお前、デカイ身体だな。こっちに来て力を貸してくれ。早く!」


「は、はいっ」


 服や腕に自身の血をこびり付かせた、酒屋の店主の大きな声に呼ばれた。急に肩をすくませ言葉も弱々しく反応するパシエを、ハドは不思議そうな様子で眺めている。


 望む応えが、時の経過と共に呑み込まれて行く。そんな儚さを思うかのように、ハドの黒い瞳は小さく揺れた。


「また、様子を見に来る。死ぬなよ」


「ふ、不吉な事を言わないで、下さいよ。僕は、まだ、死ねません、からっ」


 痛みが腹に負荷を与え、途切れるハドの言葉。それでも、パシエは、ハドの精気に明日から先の時間を見出したらしい。


 その証しを、深く被った頭巾フーザから唯一見せる整い過ぎる唇に小さく笑みを飾り、立ち去る挨拶に代えた。





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