十七の節 シザーレ眞導都市、陥落。




 季節は晩夏、火鎮ヒシズメの月。フィーツ・ワイテ帝国の北に位置する、カンテ・シュタート地方ノルデ。


 ゆるやかな勾配こうばいを折り返しながら進む先にあるのは、人工的にひらけた敷地。セイハイネ湖や、渓谷が織り成す風光明媚ふうこうめいびな絵画を思わせるの世界を眺望ちょうぼう出来る平屋の屋敷がある。


「なあ、って知ってる?」


 平日の夕暮れを控え、まだ明るさを残す午後。主屋の脇にある、小さな庭と草庵で少年の声と気配が立つ。


「冬場、寒さのために全身の羽毛をムクムクにさせたすずめだろ? 可愛いよな」


 その相手が、異形の少年・絽候ロコウとの会話が成立したのは、手にする写本を五枚もめくった後。

 それまでは、絽候ロコウが一方的に質問を浴びせていた。


「今の璜準コウジュン、まさにだよ」


「止せよ、照れるだろうが」


「いい歳して何を照れてるんだよ。気持ち悪い。璜準コウジュンの着膨れした姿を見て言ってんの」


 季節は夏の終わりだが、冷涼な高地とあって時間帯によって、肌寒さを感じる土地柄ではある。しかし、璜準コウジュンの重ね着は、初冬の外出姿のようだった。


うるさい。散れ。俺の視界から外れろ」


 少々、気恥ずかしそうな色に耳のふちを染めながら悪態をつく。それでも視線すら合わさずに、敷地の主でもある璜準コウジュンは言い放つ。


「非道い! こんなに可愛い少年に向かって、何て言い草だ。アンタの師匠は、どんな教育してたのさ」


 璜準コウジュンは思い切り無視を決め込み、先日とは違う写本を注意深くめくる。

 早くも慣れてしまったのか、絽候ロコウは負の反応を見せる事もなく淡い金色の双眸そうぼうで周囲を見渡す。


 すると丁度、璜準コウジュンが姿勢良く座る卓の上に、二種類の小瓶と無造作に置かれた紙片が並べられていた。


「あ! これ眞素マソ濃度が高い、シザーレ眞導都市マドウトシ特産品の、ヘイゼル油と椿油だ。善いな~、眞導マドウ法術ホウジュツ触媒しょくばいだもんな。誰からの贈り物? 貢いでくれる女?」


「あの野郎、こんな物で誤魔化しやがて。欲しけりゃ持って行け。どうせ、娼館の女にでもつもりだったしな」


 まだ、璜準コウジュンは写本に視線を預けていた。青い月アオイツキと同じ色をした垂れた瞳を、忌々しげにゆがめる。

 に対し、相当な不満をつのらせているようだ。


 参考までに。絽候ロコウが差した眞素マソを含有する各種の精油は、祭祀儀礼の浄めや、眞導マドウを構築するための誘い水の役割を果たす触媒の一つでもある。

 眞導マドウに携わる、法士ホウシ眞導士マドウシの負担を軽減させる効果があった。


「え~、そんなの駄目だよ。勿体もったいない。フローリオの白鈴楼ハクレイロウで一番の部屋に、一週間くらい滞在出来る値段だよ?」


 具体的には、およそ二四〇にひゃくよんじゅう万ロダエーツ。下級軍人、半年分の稼ぎとほぼ同等だった。

 それでも、璜準コウジュンが欲していた何かと比べると、投げてしまうくらいの価値だと言う事だ。


「一体、何が欲しかったのさ」


「毛」


「け?」


「珍しい動物の毛」


「ボクの毛で我慢する?」


 璜準コウジュンが、ついに綺麗な優男の顔を上げた。その表情は険しく、絽候ロコウの提案を無言によって真っ向から否定していた。


「あれれ? 怒ってる?」


「誰ぞある」


 璜準コウジュンの声に、控えていたオルセット族の弟子・メイケイが応える。断りを入れてから、引き戸式の入口を開くと座して現れた。


太子タイシサマに、茶菓子を用意してくれるか。朝の残りがあったろ」


 勝手知ったるメイケイは、師であり主でもある璜準コウジュンの意をみ無言で辞した。


「あっ、おかまいなく~」


 訪問を重ね、絽候ロコウはすっかり周囲の反応や状況に順応していた。


「なぁなぁ、璜準太師コウジュンタイシサマ~」


 璜準コウジュンは、本をめくる音で返事をした。


「もうすぐ、後継者探しで旅に出るんでしょ? ボクも連れて行ってよって、痛い!」


 絽候ロコウが、語尾に付けた悲鳴の元凶。それは、璜準コウジュンが読んでいた本を閉じた背表紙で、絽候ロコウの頭を叩いたからだ。


「この暴力太師タイシ! ついに手を出したな!」


八聖太師ハッセイタイシ様の、お仕置きだ。有難ありがたいだろう」


「どこがだよ! ただただ、痛いだけじゃんか!」


 小さな騒ぎの中、特に事情も尋ねずメイケイが戻る。


「お待たせ致しました。ノルデのセイバレッティン救済院での特産・アマレッティとフロリーノで御座います」


 白磁には、アーモンド・薔薇・ピスタチオのクリームが、メレンゲの焼き菓子に挟まれたアマレッティ。

 小さなビスケット状のフロリーノが乗っている。フロリーノは、数種類の果実が練り込まれ、宝石のように散りばめられていた。

 気温も考慮されたのか、ラウェンニ産の茶器からは、香草入りの甘湯が湯気を立てていた。


 丁寧な挨拶を受け、絽候も居住まいを正す。


有難ありがとうさん。それを置いたら、下がって良いぞ」


「はい。失礼致します」


「ボクの時と、態度も表情も違う」


 出された茶菓子を一瞥いちべつし、先程のメイケイとのやり取りに対し、絽候ロコウは不満を漏らす。


「んな事を言うような子ザルなんざ、連れて歩く余裕なんてないんだよ」


「過酷な旅になるのは、知ってるよ。遊びじゃない事も。でも、その方がボクの目的も果たしやすいんだ」


「何言ってるんだ。子ザルの役目は、帝国で泥遊びだろ?」


「ふっふっふ~ん。そんな事を言われても、動じないもんね。実は皇帝サマに、ちょっとお願いしたらこころよく送り出してくれる事になったんだ~」


 璜準コウジュンの綺麗な顔は、厄介事を想定したらしく渋みを帯びる。


「近々、皇帝サマからお手紙が届くよ」


 璜準コウジュンは、どうにかして回避しようと八聖ハッセイまで登り詰めた知恵を絞っている風に見える。

 差し入れの茶で喉を湿らせようと、璜準コウジュンが茶碗に手を伸ばした時。草庵の入口で、複数の訪問者の気配が立った。


璜準太師コウジュンタイシ。お話し中、失礼致します」


 間もなく、今度は弟のウンケイが事の次第を伝えに来た。


「どうしたんだ、急使でも来たのか?」


「シザーレ眞導都市マドウトシ付近の、駐留地からの急報です」


 ウンケイの知らせに、璜準コウジュンは続けるよう青い月アオイツキの視線で促した。


「三日前、シザーレ眞導都市マドウトシが壊滅。同都市機能が、麻痺あるいは停止。フィーツ・ワイテ帝国軍及び、駐留のセイシャンナが防衛戦を構築。同日、バローツ副団長率いる、竜騎士団が偵察に出ました」


「壊滅って、ご自慢の眞導士マドウシや、黒の群狼クロノグンロウは何をしていたんだ?」


「バローツ副団長が集めた報告によると、中央を含めた多くの眞導士マドウシが戦死。その中には、シザーレ総帥の名もあったと」


「それで、シザーレが壊滅した理由ってのは?」


「現在は障壁が展開され、詳細は一切不明だそうです」


「おかしいだろ。どうやって壊滅を確認したんだ。それなら、助けを求めて当然だろうがよ」


「報告は、先程までの内容です。これは私見ですが、シザーレ眞導都市マドウトシは秘密主義です。最低限の情報だけ、外部に伝えたのだと思います」


「助けを求めねぇってか? つまり、全滅はしてないって事だよな」


 緊急事態に、絽候ロコウは気を利かせ立ち上がった。


「じゃ、ボク帰るね。これから忙しくなるんでしょう?」


「子ザルのくせして気がくじゃねぇの」


「コ、璜準太師コウジュンタイシ!」


 余りの無作法に、ウンケイはたまらず片目を見張り、璜準コウジュンたしなめた。


「善いの善いの。お茶菓子、ごちそうさま」


 笑顔の絽候ロコウは、縁側から徒歩で帰って行った。置き去りにした挨拶言葉に反し、絽候は出された茶菓子には一切の手を付けていなかった。





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