第一章 鳴動する世界

五の節 シザーレ眞導都市。




 太陽が一つ。薄い青色が広がる空。気圧によって姿形を変えながら流れる白の雲とは別に、下から斜め上へ、走り抜ける数本の白い帯は円環。


 芽吹いた草木の色が、濃くなり始める季節。


 整地される地面は、人の手が行き届く大規模な施設の様相を呈している。


 広い通路によって整然と区画で間仕切られ、用途に合わせた長方形の建物が等間隔で並ぶ。

 石積みの壁は、年月を重ねた部分と真新しい灰色。数種の色調に散る橙色の瓦屋根。


 教室と呼ばれる、修練棟の外で騒ぎが起きていた。


「お~い、パシエ。ここが、どこか分かるか?」


「シ、シザーレ眞導都市マドウトシ。ここは、眞導マドウ訓練の庭です」


 屋外だが、特殊な触媒の使用や、眞素の暴走を防ぐための装置が施される一帯は、面妖な模様と質感に包まれている。

 その空間の壁際で、長身を際限まで小さく折り畳む、黄土色の外套付き長衣の生徒が震えていた。


 他の生徒は、大きな頭巾フーザを背に送っているが、身をすくませる生徒は今も深く被る。危機を脱したにも関わらず、頭巾が外れないように頭を抱えたまま。


「よし! 空を見ろ。円環えんかんがある。まるで喉元を絞めるように、内側へ増える円環だ。今は何本目だ?」


「は、八本目です」


 生徒は見上げる事も出来ず、震えながら返答する。それに対し、腹からの威圧的な声と突き放すように見下ろす姿は、教師を表す外套付きの黒色長衣。この両者の空間を埋めるのは、意識の確認をするための問答だった。


「ドールンゲイズ伯父様。このお兄ちゃん怪我してるの?」


 不意に、朝の目覚めを告げる小鳥のような声が立つ。声の持ち主は人垣でも目立つ教職の衣装と、七フース(約二一〇にひゃくじゅうセンチメートル)の大柄な体格から、相手を特定し声を掛けた。


「おぉ~! エミーリア。アレは気にするな。それより、お茶のお誘いに来てくれたのかな?」


 時計塔を視界に入れた頃合いの話題に触れながら、ドールンゲイズは足元に駆け寄る少女を抱え上げた。精悍せいかんで険しい表情や口調が一転し、ゆるんだ笑顔と甘い声を添える。


 明るい茶色の髪と瞳を持つ、可憐な少女も笑顔で応える。身を包むドレスは空色。上質で柔らかく、白のレースで縁取られた腰紐が軽やかに踊る。


「これも答えてもらおうか。俺が、誰だか分かるか?」


 可憐な少女に、良い所を見せ付けたいのだろう。ドールンゲイズは、パシエと呼んだ生徒に言わせようとする。


「シザーレ眞導都市、運営機構〝八人会ハチニンカイ〟の一角。わ、我が師であり、失望のスイイ・ドールンゲイズ。で、です」


 気を良くしたドールンゲイズは、精悍な満面に笑みを浮かべさらに続ける。


「運営機構・八人会、それぞれのかんを並べろ」


「シ、シザーレ総帥を筆頭に、レーフ八罪でもある、傲慢・忘却・貪欲・妄執・強奪・暴虐・怨恨・失望。以上を銘に掲げ我々を指導・管理しています」


 師弟の問答が続く中、外垣を構成する生徒や関係者は噂を重ねた。


「誰だよ。師を呼んだの」


「私刑くらいで呼ぶなよ」


「それにしても、ドールンゲイズ教師とエミーリアちゃんの血縁関係を疑ってしまう」


「エミーリアちゃんは、師の妹君の娘さんでしょ?」


「物凄く美人で、全然似てないって聞いたよ」


 学舎だけに人通りは多く、向ける視線も、長衣の色、背丈、稜線も多様。

 

「それにしても、またアイツか。今まで死なずに済んでいるのか不思議だ」


「変に運が良いし、だろ」


 通り掛かった同窓の徒の会話内容に反応した者は〝アレ〟に、それぞれの色を込めた視線を送る。


 そこには、大きな白い犬が離れた場所から様子をうかがっていた。


「我が師ドールンゲイズ。何故、あの落第寸前のゴミに情けを掛けられるのか」


「受け持った弟子の面倒を見ちゃあ悪いってのか?」


 ドールンゲイズはヒト族の壮年男性だが、筋肉の張りと体躯の大きさは規格外だった。それは、着崩す長衣から露わとなり証明する。眞導マドウを扱うより大型の鉄槌を振り回す姿が似合いそうだ。


 その威圧感に、質問した生徒が胆を据える努力を強いられたのは、術者としての器の差でもある。


「そうではありません。あの図体、従属じゅうぞくする立派なけものを所有しながら、このざまです。けものを取り上げ市民に落とすか、検体送りが得策では」


「お前さん、早死にするぜ。解剖狂のクラーディア教師を殺しかけた、例の使役獣が見ているぜ」


「え!?」


「散れ散れ、弟子共! 今日の夕食は、飛び切り上等な黒牛肉を仕入れたってよ。ちゃんと食って精を付けろ! そこの見掛け倒しみたいに、ならんようにな!」


 人垣を払い、ドールンゲイズは愛しい姪を肩に担ぎ豪快に歩み去った。


 エミーリアは小さく振り返る。その茶色の瞳は心痛に曇ているようだった。視線の先には、まだ震え座り込むパシエの姿。救いの手を差し伸ばす者は、誰も居なかった。


「心配するな、エミーリア。強い奴を最後まで助ける趣味は、持ち合わせちゃいない」


 ドールンゲイズは、肩に収まる姪っ子の気配に対し、溜め息交じりで応えた。




 ◇◆◇




「いつまで、間抜けな芝居をするつもりだ」


 人気ひとけがない、雑草が目立つ東屋あずまやの長椅子に腰を下ろす生徒が、黄土色の制服に付いた泥や埃を落としていた。


 その脇で、大きな白い犬が様子を見守っている。


炎州エンシュウの頃のように、不遜に振る舞えば善いものを。すぐ、紫色に銀糸が入った衣を纏える」


「面倒だよ。そんな物」


 色々と違和感がある風景だが、指摘する相手はない。ちなみに、紫色の銀糸入りの衣とは、次期シザーレ総帥の礼装だ。


「判ってしまった」


「何が」


「私は、どう振る舞っても目立つ」


「何を今更。その図体と、美しい我と一緒では仕方あるまいに」


「そうそう。十日後は、フィーツ・ワイテ帝国まで散歩だ。嬉しいだろう」


「失敬な。我は飼い犬ではない」


 大きな白い犬の黄金色の双眸に、機嫌を損ねた様子が明確に浮かぶ。だが、パシエは凄まじく整う口元に、薄く笑みを浮かべ一切いっさい動じない。


「噂で聞いた。我は見世物みせものになるそうだな」


「シザーレとシャンナが、貴重な人材を分け合うための交流会のついでだ。平和な世の中になったよ」


 その言葉を受け、大きな頭をパシエの膝に乗せた。新雪色の被毛。生徒に向く肉厚の耳の根元。首に白い手を差し入れると、大きな白い犬は弛緩しかんする。


 預けられる重さが増える心地を感じながらか、パシエは頭巾フーザの端を上げる。青い空に走る濃い白の円環に、似紅色にせべにいろの視線を向けた。





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