【百十七丁目】「とぼけるのは、やめなさい」

「さ、沙槻さつきさん…!!」


 夜光院やこういんにやって来た謎の侵入者。

 それを迎え撃つために出向いた北杜ほくとさん(野寺坊のでらぼう)達だったが、そんな彼らを圧倒したのは、何と沙槻さん(戦斎女いくさのいつきめ)だった。


 “戦斎女いくさのいつきめ”…いにしえより妖怪や悪神、魔物といった“魔”に脅かされた人間達が、その脅威に対して抱いた恐怖と強迫観念から生み出された「退魔兵器」

 膨大な時間と古くからの続く特別な血筋、そして、人の道を排した修法を重ねた果てに、彼女達は生まれたという。

 その規格スペックは「超人」と言っても差し支えないもので、呼吸をするように無尽蔵の霊気を生成し、古今東西の魑魅魍魎についての知識に精通し、その強大な霊力と強靭な肉体は、神霊クラスの存在をその身に降霊させることもできる。

 さらに、人を超えたその身はあらゆるけがれを寄せ付けず、己を蝕む「死」すら緩慢にする。

 そのため、彼女達は非常に長命なのだ。


 そんな凄絶な伝承に彩られた“戦斎女いくさのいつきめ”である沙槻さんだったが、降神町おりがみちょう役場に出向でやって来てからは、ごく普通の女の子として特別住民支援課やセミナーに通う特別住民ようかいの皆とも仲良くやっていた。

 本来、人に仇なす“魔”を討つ彼女は、妖怪などからは忌み恐れられる存在だ。

 実際、沙槻さんが特別住民支援課に出向してきた際は、摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)なんかはひどくピリピリしていたのを思い出す。

 が、沙槻さん自身の人となりもあり、現在は一緒にお昼ご飯を食べたり、間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)や二弐ふたにさん(二口女ふたくちおんな)を交えて女子トークに花を咲かせる姿も見られた。

 以前“逆神さかがみの浜”の一件で因縁のある飛叢ひむらさん(一反木綿いったんもめん)や釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)、鉤野こうのさん(針女はりおなご)とも気さくに接するようになり、彼らも沙槻さんを仲間として認めているようである。


 だが…今、僕の目の前にいる沙槻さんは、まぎれもなく「退魔兵器」としてそこに在った。

 “逆神の浜”で初めて出会った時のように、黄金の額冠に白衣びゃくえ緋袴ひばかま千早ちはやを身につけ、手には大幣おおぬさ神楽鈴かぐらすずを持ち、たたずんでいる。

 たぶん、これが“戦斎女いくさのいつきめ”としての正装なのだろう。


「…とおのさま…?」


 僕の姿を認めた沙槻さんが、驚愕に大きく目を見開く。


「そんな…なぜ、とおのさまが夜光院ここに…!?」


 普段と変わらない様子でそう尋ねる沙槻さんに、僕も呆然となったまま聞き返した。


「沙槻さんこそ、なんでここにいるんです!?家の事情で、実家に戻ったって聞いてましたけど…」


「それは…その…」


 そこまで言って、言い淀む沙槻さん。

 そこへ、


「【魔媼食膳まおうしょくぜん】!」


 不意に。

 僕が抱き抱えていた南寿なんじゅさん(古庫裏婆こくりばばあ)が跳ね起き、鋭い牙を閃かせて沙槻さんに襲い掛かった!

 まさに制止する間もない早業だ。


「!」


 それに瞬時に反応する沙槻さん。

 慌てた風もなく、手にした大幣で南寿さんを受け止める。

 片手にもかかわらず、牙を剥き出しにした南寿さんの突進に一歩も引かない。


「食い殺してやる…!」


 さめのような牙をガチガチ鳴らしながら、髪を振り乱して沙槻さんに覆い被さろうとする南寿さん。

 その様は、まさに地獄の奪衣婆だつえばをも凌ぐ迫力だ。

 対する沙槻さんは、動じた風もなくそれを冷静に見詰め、告げた。


「そのていどでは、わたしのかみのけいっぽんすら、かみちぎれませんよ?」


「言うじゃないか、小娘!その柔らかそうな腹引き裂いて、テメエの血と臓物の海で溺れさせてやる…!」


 渾身の力で沙槻さんを押し倒そうとする南寿さん。

 それに沙槻さんは、目を閉じて祝詞のりとを奏上した。


「かねのかみかなやまひこのみことかなやまひめのみこと」


 ヒュン…ザンッ!


「ぐええええええええッ…!!」


 どこから飛来したのか。

 沙槻さんの祝詞に反応し、飛来した七支刀しちしとうが南寿さんの左肩に突き立つ。

 堪らず身を引く南寿さん。

 そして、苦鳴を上げつつ、ブスブスと煙を上げる肩口に手を回して七支刀を掴むと、一思いに引き抜いた。

 肉が裂ける嫌な音と、血が焦げるようなにおいの中、夥しい鮮血が霧雨のように周囲に降り注ぐ。

 そんな中、紅の血に染まりながらも、沙槻さんは微動だにしない。

 南寿さんに投げ捨てられた七支刀を祝詞で呼び寄せると、シャン、と神楽鈴を打ち鳴らす。

 凄惨な中でも、彼女の冷たいくらいの清廉さはまったく失われていなかった。


「ちく…しょう…ッ!」


 流れる血もそのままに、満身創痍の南寿さんが、ゆっくりと立ち上がる。

 元々消耗していたところに霊剣の一撃を受けたのだから、相当辛いはずだが、それでもその目からは闘志は失われていなかった。

 殺意をみなぎらせて沙槻さんを睨みつけている。


「へたにていこうすれば、つらいだけですよ?」


 そんな南寿さんを前に、頬に飛び散った血を拭おうともせず、静かにそう告げる沙槻さん。

 相手を気をかけた…というよりは、絶対的な「現実」を冷然と告げたように見える。

 対する南寿さんは、不敵に笑った。


「心配すんな。妖怪にこうなった時から、辛いのには慣れてるからな…それに、?」


 その言葉に、沙槻さんが弾かれたように上空を見上げる。

 それを追って、僕は思わず目を剥いた。

 僕らの直上、群青の空を漂う“川蛍かわぼたる”の浮遊光に照らされて、無数の黒い影が滞空している。

 それは沙槻さんが気付いたのと同時に、轟音と共に落下を始めた…!


「潰れちまえ」


 わらいながら飛び退く南寿さん。

 一緒に僕も襟首を引っ掴まれ、ビックリしているはるなちゃん共々、後退する。

 それと入れ替わるように、いくつもの石塔が沙槻さんへと降り注いだ。

 そのうちの一つに、西心さいしんさん(石塔飛行せきとうひぎょう)が乗っているのが見える。


「“戦斎女いくさのいつきめ”覚悟…!」


 相変わらず閉じたままの目は、しかし、確実に沙槻さんの位置を捉えていた。


妖力【石塔飛行】なむあみだぶつ…!!」


 ガガガガガガガッ…!!!!


 凄まじい地響きと、衝撃音が響き渡る。

 質量兵器として破格の威力を持つであろう石塔群の銃弾爆撃に、沙槻さんは身をかわす間もなく呑み込まれてしまった。


「沙槻さん…!」


 思わず声を上げる僕。

 凄まじい光景に、抱きかかえられたままのはるなちゃんも、身動き一つせずに目を見開いていた。

 石塔の豪雨が止み、周囲にはもうもうと土煙が立ち込める。

 それが晴れると、うず高く積もった山のような石塔の残骸が姿を現した。


「ようやくくたばったか…化け物め」


 半身を血に染めながら、南寿さんが唾を吐く。


「南寿殿、ご無事か?」


 石塔に乗ったまま、西心さんが南寿さんの傍らに飛来する。

 それにウィンクして見せる南寿さん。


「ああ、助かったぜ。さすがは西心だ。あの“戦斎女いくさのいつきめ”を仕留めるたぁな」


「いや。南寿殿が体を張って、彼奴きゃつの気を引いてくれたお陰です。拙僧一人では、返り討ちでしたでしょう」


 微笑を返す西心さん。

 一方の僕は、全く言葉が出なかった。

 目の前の現実に、頭がうまく追いつかない。

 研修から離脱したはずの沙槻さんが、何故ここにいるのか…?

 そして、沙槻さんが南寿さんや西心さんと戦っていたのは…?


「おい、十乃。ケガはねぇか?」


 南寿さんにそう声を掛けられ、僕はようやく我に返った。


「あ、はい…だいじょうぶ、です…」


「ったく、北杜に言われてたのに、結局出て来たのかよ。仕方のねぇ奴だな」


 呆れ顔の南寿さんに、僕は頭を下げた。


「す、すみません…どうしても、外の様子が気になってしまって…」


 それに西心さんが、顎に手を当てた。


「しかし、よくもここまで辿り着けたもの。今の夜光院は、北杜殿の妖力で侵入者を阻むために迷宮になっているはずだが」


 やっぱり。

 さっき僕が体験した夜光院内の不可解な構造変化は、北杜さんの妖力によるものだったんだ。

 僕は、抱きかかえたままのはるなちゃんに目を落とした。


「それが、このが道を教えてくれて…」


「あん?」


 ようやくはるなちゃんに気付いたのか、南寿さんが視線を向ける。

 そして、驚いたように声を上げた。


「は、東水はるな!?お前、こんなトコで何やってんだ…!?」


 おや?

 やっぱり、知り合いなんだろうか?

 でも、何かリアクションが大袈裟だな…

 南寿さんに追従するように、西心さんが眉根を寄せる。


「東水殿、確か其処そこもとは、北杜殿に『奥の院』にて待機を命ぜられていた筈。何故、ここにおられるのか?」


 問い詰めるような二人の視線に、あわあわうろたえた後、俯いてしまう東水ちゃん。

 それを見て、僕は思わず、彼女を庇うように言った。


「ち、違うんです!僕が迷子になっている時、東水ちゃんに偶然出会って、無理矢理道案内を頼んだんです…!」


「…ホントか、東水?」


 ジト目で南寿さんに見詰められ、東水ちゃんは思わず僕を見上げた。

 僕はこっそりとウィンクして見せた。

 まあ、概ね内容は間違っていない。


「…」(コクリ)


「…ふん。まあ、いいか」


「南寿殿?」


「仕方がねぇだろ、西心。何せ『無理矢理だった』んだからよ。ホレ、これでこの話はケリだ」


 そう言いながら、手をヒラヒラ振る南寿さん。

 気真面目そうな西心さんは、納得しかねていたようだが、無言できびすを返した。

 東水ちゃんは、僕の手を取ると、手の平に「ごめんなさい」と書いてきた。

 僕は彼女の頭を撫でてやった。


「いいんだよ。大体、本当のことだしね」


 そう言うと、東水ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。

 一方、南寿さんは石塔の山を見上げると、肩をコキコキと鳴らした。


「さあて…それじゃあ、外のを始末するか」


「…南寿殿!」


「あん?」


 それは一瞬の出来事だった。

 突如、石塔の山を切り裂き、目映い光が立ち上る。

 光の柱は、石塔群を一瞬で粉々に砕くと、その間近にいた南寿さんを呑み込んだ。

 いや。

 正確には、南寿さんを庇い、彼女を突き飛ばした西心さんを呑み込んだ。


「ぬぅ…!」


 石塔を盾にするも、その光の奔流はとどまることを知らず荒れ狂う。

 やがて、石塔そのものにひびが入り、崩壊し始めた。


「む、無念…!」


「西心…!」


 南寿さんの絶叫と共に、西心さんの身体が、まるで光の奔流に溶けるように一瞬で消滅する。

 光の奔流が収まった後には、罅割れた一基の石塔のみが残されていた。


「さ、西心…!!」


 それを見た南寿さんが、牙を剥いて光の奔流の源へ目を向ける。


「てめぇ…!!」


「たかあまはらあまつのりとの ふとのりと もちかかんのんでんはらいたまいきよめたもう…」


 手にした大幣おおぬさから迸る光の束を剣のように構えながら、生き埋めになったと思われていた沙槻さんが進み出る。

 奏上しているのは「最上祓さいじょうのはらい」と呼ばれる、高位の祝詞だ。

 かつて、妖怪神“天毎逆あまのざこ”である乙輪姫いつわひめとの闘いで目にした、強力な法術である。

 見る限り、沙槻さんは怪我一つ負った様子もない。

 実際、彼女の戦いを目にするのは幾度かあったが、ここまで強力な存在であるという認識をしたのは初めてだった。

 初めて出会った「逆神さかがみの浜」の時も、飛叢さん(一反木綿いったんもめん)やなぎ磯撫いそなで)を圧倒したと聞いてはいたが、それでも何か躊躇ためらいのようなものがあったという。

 だが、今の彼女にはそれが無い。

 毅然とした断固たる決意みたいなものすら感じられた。


「この…死にぞこないがァァァァァァァッ!!」


 まるで、猛獣のように跳躍する南寿さん。

 西心さんがやられた事で、完全に逆上したようだ。

 大怪我をしているはずだが、物凄いスピードで沙槻さんに肉薄する。

 それに目を閉じ、沙槻さんは手の神楽鈴を打ち鳴らした。


「とふかみえみため かんごんしんそんりこんたけん はらいたまひきよめいたまう」


「がああああああッ!?」


 沙槻さんの祝詞と共に、鈴が規則正しく鳴り響く中、南寿さんは突然耳を抑えてもがき始めた。

 な、何だ…!?

 僕には普通の鈴の音に聞こえるんだけど…

 と、僕は一緒にいた東水ちゃんも苦しみ出しているのに気付いた。


「東水ちゃん…!?」


「…!?…!!」


 耳を抑え、苦しそうにしている東水ちゃん。

 そうか…!

 この鈴の音は、もしかしたら妖怪に対して、何らかの影響を及ぼすものなのかも…

 涙を浮かべて苦しむ東水ちゃんの姿に、僕は思わず声を上げた。


「沙槻さん、もう十分です!止めてください!」


 しかし。

 沙槻さんは、怜悧な表情のまま、祝詞を奏上し続ける。

 それはまさに「退魔兵器」たる“戦斎女いくさのいつきめ”そのものの表情に思えた。

 目の前で、のたうち回って苦悶する南寿さんと東水ちゃんに、僕は再度声を上げた。


「沙槻さん…っ!」


ゴオオーーーーン…!


 不意に。

 夜光院の鐘楼に吊るされた鐘が、大きな音を立てる。

 それは、沙槻さんの打ち鳴らす神楽鈴の音に干渉し、かき消すほどの音量だった。


「!?」


 その鐘の音に、鋭い視線を送り、神楽鈴を止める沙槻さん。

 同時に、もがいていた南寿さんと東水ちゃんが倒れ伏す。


「東水ちゃん、大丈夫…!?」


 慌てて抱き起すと、東水ちゃんはうっすらと目を開けて、頷いた。

 良かった…とりあえず、無事みたいだ。


「いやはや…噂以上の化け物だねぇ」


 ぐったりとなる南寿さんの前に、ふわりと一つの影が姿を現す。

 よれよれの僧衣に、長髪・無精髭の中年僧侶だ。


「北杜さん…!」


 思わず声を上げる僕を見て、北杜さんは無精髭を撫でながら目を丸くした。


「あんれ、ま。あの部屋から出て来れたのか?」


「す、すみません…でも、僕は…」


「まあ、待ちな。話は後だ。悪いが、今は先約がある」


 そう言うと、北杜さんは沙槻さんと対峙した。


「いよう“戦斎女いくさのいつきめ”…いや、五猟ごりょうの巫女」


 気さくな口調だが、北杜さんの目は笑っていなかった。


「“六堂ろくどう”に続いて“五猟”とはね…『斉貴十仙いっきとおせん』のうちの二家にお目にかかれて光栄だよ」


「よけいなもんどうはふようです。“のでらぼう”」


 輝く大幣を手にしたまま、沙槻さんは鋭い視線を北杜さんへ向ける。

 その横顔は、別人のように厳しいものだった。


「そうかい…そいつは残念だ」


 北杜さんは、その厳しい視線にも飄々と応じた。


「おしゃべりにも付き合えないとは、余程余裕がないようだねぇ」


「ほざきなさい」


 沙槻さんの口調がきつくなった。


「あなたたちが、ここに『』をかくまっているのは、わかっています」


 「』」?

 一体、何の話だ…?


 いや…

 もしかして、それは…夜光院に保管されている「あるもの」のことか?

 だとしたら…沙槻さんは「あるもの」の正体を知っているのだろうか?


「『あれ』ってのは、何のことかな…?」


 しらをきる北杜さん。

 それに、ギリ…と、沙槻さんが歯噛みする。


「とぼけるのは、やめなさい」


 そして。

 沙槻さんの言葉に、僕は耳を疑った。

 

「おとなしく、だしなさい…“ぬえ”のたまごを…!」

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