【百十六丁目】「来やがった…」

「迷った…」


 「幽世かくりょ」に存在する異界寺院「夜光院やこういん

 その僧坊の中に伸びる廊下の一角で、僕…十乃とおの めぐるは一人呟いた。

 夜光院の宗主である北杜ほくとさん(野寺坊のでらぼう)から「部屋ここから出るな」と告げられたものの、外の様子が気になり、雄二ゆうじ達と別れて二十分ほど。

 僕はまだ外に辿り着けずに、夜光院の僧坊の中にいた。

 平たく言えば、迷子になっていたのである。


 …いや、笑わないで欲しい。


 僕は別に「方向音痴」ではない。

 夜光院についた際、南寿なんじゅさん(古庫裏婆こくりばばあ)に案内された山門から北杜さんと出会った僧坊の一室までのルートだって、おおまかにだが記憶はしている。

 が、雄二達と別れ、元いた部屋から一歩出ると、何故か来た方向が分からなくなる程、廊下が入り組んでいたのだ。

 つまり、今の夜光院の内部は、明らかに僕が記憶していた構造と異なっている。

 もしかしたら、これは北杜さんの持つ妖力のなせるわざなのかも。

 先程、北杜さんは「自身の妖力でこの夜光院を顕現させている」と言っていた。

 加えて、外部からの侵入者がやって来たという知らせもあった。

 それらから推測すると、おそらく、北杜さんは侵入者を防ぐために、自らの妖力で夜光院の構造を変化させたに違いない。


「だとしたら、これは困ったな…」


 雄二達の所へ戻ろうにも、既にその道筋や方向も曖昧だ。

 いっそ、庭に出られれば何とかなるのだろうが、そこにすら辿り着けない。

 目の前に続くのは、幾重にも折れ曲がった迷路のような廊下だけなのだ。

 途方に暮れていた僕は、思わず廊下に座り込んでしまった。


(参ったぞ…これじゃあ、手の打ちようがない)


 背中を壁に預ける。

 北杜さん達は、既に侵入者を迎え撃っている最中だろう。

 そして、神無月かんなづきさん(紙舞かみまい)からの情報が本当なら、おそらくその侵入者は「K.a.Iカイ」に違いない。

 行方不明の太市たいち君(鎌鼬かまいたち)を追っている彼らが、何故この夜光院にやって来たのかは分からない。

 だが、先の「絶界島トゥーレ」での一件からして、彼らが特別住民ようかい達に対してよからぬ考えを持っているのは確実だ。

 絶界島トゥーレではその思惑を掴むことは叶わなかったが、この機会に彼らの企みを探ることが出来れば、特別住民ようかい達を守るための手段を講じることが出来るかも知れない。

 それに…もしかしたら、太市君の居所について、手掛かりを得ることが出来るかも知れないのだ。


「でも、この状況じゃあ、それ以前の問題だけどね…」


 情けなく、一人呟く僕。

 その時、不意に視界の片隅で何かが動いた気がした。


「?」


 そちらへ目を向けるが、何もない。


(気のせいか?)


 そう思い、視線を戻すと…

 やっぱり気のせいじゃない…!

 誰かの視線を感じる。

 ちょうど、左手の廊下の角の方だ。


(…よし)


 僕は、一計を講じ、膝を抱えるようにして座ると顔を伏せた。

 一見すると、途方に暮れて膝を抱えてうずくまっているように見える。

 その姿勢のまま、僕は腕の隙間から廊下の角を盗み見た。

 そうしていると、廊下の角からひょこっと顔を覗かせた者がいた。

 女の子だ。

 見た目だけなら、エルフリーデさん(七人ミサキ)率いる「SEPTENTORIONセプテントリオン」の一人、ゲルトラウデさんや釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)ととそう変わらない、五、六歳くらいのである。

 まるで日本人形のような髪型の、青い着物を着た可愛いらしい子だった。

 女の子は、おずおずといった感じで、僕の様子を伺っている。

 ふむ…夜光院ここにいるってことは、この娘も北杜さん達と同じ妖怪の一人なのだろうか?


「…」


 僕はふと顔を上げた。

 それを見た女の子が、慌てて首を引っ込める。

 それを横目に、僕は立ち上がると、女の子が隠れている廊下の角へ近付いていった。


「…」


 女の子が、再びゆっくりと顔を覗かせる。

 そこに、


「こんにちは」


 僕はにっこり笑いながら、そう声を掛けてみた。

 すると、


「!?…!?」


 びっくりした女の子が、目を見開く。

 そして、慌てて逃げ出そうとして「べしゃん!」と派手に転んだ。


「わぁっ!?だ、大丈夫…!?」


 …しまった。

 なるべく驚かせないよう、声を掛けてみたつもりだったけど、逆にびっくりさせてしまったようだ。

 慌てて駆け寄り、助け起こすと、女の子は鼻の頭を赤くして半泣きになっている。

 よほど慌てたのか、着物の裾もめくれ上がっている。

 見れば、そこから覗いた膝小僧に擦り傷があった。

 僕はポケットからハンカチを取り出すと、そこに優しく巻いてあげた。


「…」


 最初は泣き顔だった女の子だが、そうして少し落ち着いたのか、僕の方をじっと見ている。

 僕が笑うと、女の子は少し照れたように慌てて視線を逸らした。

 よく見ると、本当に可愛らしい子だ。

 何となく、妹の美恋みれんが小さかった頃のことを思い出す。


「驚かせちゃって、ごめんね?」


「…」


「君は夜光院ここに住んでいるのかな?」


「…」(コクリ)


 無言で頷く女の子。

 人見知りが激しいのか、口を開こうとしない。

 僕は気にした風もなく、笑った。


「そっか…僕は巡。十乃 巡っていうんだ。今は北杜さんにお客さんとして迎えてもらっているんだよ」


 安心させるために、僕はそう自己紹介してみる。

 北杜さんの名前を出すと、女の子は少しホッとしたようだった。

 僕も少し安心した。


「ええと、君のお名前は?」


「…」


 女の子は口を開きかけ、慌てて閉じた。

 …随分、照れ屋な子なんだな。

 どうしたものか迷っていた女の子は、不意に僕の手を取ると、その手に小さな指を使って字を書き始めた。


「は」「る」「な」


 たどたどしいが、平仮名で「はるな」と書くと、僕を再び見上げてくる女の子。

 僕は笑いながら頷いた。


「はるなちゃん、だね?」


「…!」(コクリ)


 女の子が嬉しそうに笑う。

 そこに至って、僕は誤解に気付いた。

 この子は人見知りなんかじゃない。

 であれば、こんな反応はしないだろう。

 たぶん、この子は…


(そうか…口が…)


 急に黙りこくった僕を、不安そうな顔で見上げてくる女の子。

 僕は慌てて笑顔を浮かべた。


「はるなちゃん、実はお願いがあるんだけど、聞いてくれるかな?」


「…?」


 小首を傾げるはるなちゃんに、僕はかいつまんで事情を説明する。


「…でね、どうにかここから出たいんだけど、はるなちゃんはここから出る道を知らないかなぁ?」


「…」(コクリ)


「えっ、知ってるの!?」


 ダメ元で聞いてみたが、どうやらビンゴだったらしい。

 はるなちゃんは、僕の手を取ると引っ張っていこうとする。


「ありがとう、はるなちゃん!」


 手を引かれながら、僕は精一杯の感謝を述べる。

 それに、はるなちゃんはニッコリ笑って返してくれた。


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 はるなちゃんに手を引かれ、ほどなく進むと、今度はあっさりと僧坊を抜けることが出来た。

 驚く僕に、無邪気な笑みを向けてくるはるなちゃん。


(やっぱり、この娘も妖怪なんだ)


 でなければ、迷宮と化したこの夜光院を、こんなにあっさり脱出できるわけがない。

 一体どういう力が働いたのかは不明だが、彼女に出会えたのは本当に幸運だった。


「ありがとう、はるなちゃん。本当に助かったよ」


 僕はしゃがんで彼女に目線を合わせると、その頭を撫でてあげた。

 最初、びっくりしていたようだったが、はるなちゃんは目を細めてくすぐったそうにしている。

 その様子に思わず、僕も笑みが浮かんだ。


「じゃあ、僕は行くよ。ここまでくれば、もう大丈夫だから」


 そう言うと、はるなちゃんは少し寂しそうな表情になった。

 …もしかして、もっとついて行きたいのだろうか?

 でも、それは無理だ。

 この先では、おそらく北杜さん達が「K.a.I」の連中と戦っているはずだ。

 何の力も持たない僕では、自分の身を守ることすら危ういのに、こんな小さな子まで連れていったら何かあった時に守りきる自信がない。


「ごめんよ、はるなちゃん。でも、ここから先では危ないことが起きているかも知れない。だから、君はもうお帰り。いいね?」


 僕がそう言うと、はるなちゃんは「イヤ」というように僕の服の袖をそっと掴んだ。

 こ、困った。

 でも、いくら妖怪だからといって、こんな小さな娘を巻き込むわけにはいかない。

 だが、はるなちゃんは、ぎゅっと握った僕の服の袖を離す気配はない。

 僕はしばらく逡巡しゅんじゅんした後、一計を思いついた。


「じゃあ、こうしようか」


 僕はそう言うと、少し声を潜めた。


「北杜さんに聞いたんだけど、夜光院ここには『あるもの』が秘密で保管されているんだってね?それが何か教えてくれたら、一緒に連れて行ってあげるよ」


「…!」


 案の定、僕の意地悪な質問に、はるなちゃんは下を向いてしまった。

 うう…少し罪悪感を覚えるなぁ。

 でも、可哀想だが、仕方がない。

 無理矢理引き剥がしてもついてきそうな雰囲気だし、かといって、危険と分かっていながら連れていくわけにはいかないのだ。

 ここは無理難題でも吹っ掛けて、何とか諦めさせるしかない。

 北杜さん達も「あるもの」に関しては、その正体を隠しているようだったし、知っているにしろ、知らないにしろ、はるなちゃんも答えることはできないはずだ。

 そう考えていると、はるなちゃんは周囲をキョロキョロと見回した後、僕の手を取った。


「…え?」


 驚く僕の手に、先程自分の名前を書いたように、指先を走らせるはるなちゃん。

 ま、まさか…!

 同行を諦めさせるために半ば冗談で言ったけど…この娘は夜光院に保管されている「あるもの」の正体を知っているのか!?

 息を呑む僕の手に、彼女はゆっくりと文字を書いていく


「さ」「る」

「た」「ぬ」「き」

「と」「ら」

「へ」「び」


 そこまで書いて、僕を見上げるはるなちゃん。


 「猿」「狸」「虎」「蛇」…?


 何だ…?

 全部、動物の名前じゃないか。

 一瞬、からかわれたのかと思ったが、はるなちゃんを見ると、随分と真剣な表情である。

 決して、ふざけているような感じではない。

 かといって、これらの動物が夜光院の「宝」そのままであるはずがない。

 何かの暗号なのだろうか…?


 と、その時だった。


ドォーーーーーン!


 凄まじい衝撃音に、僕は思わず身を竦めた。

 夜光院自体が揺れ動くほどの衝撃だ。


「危ない…!」


 僕は咄嗟にはるなちゃんを引き寄せると、その身を守るように抱き締めた。

 天井からパラパラと破片のようなものが降り注ぐ。

 やがて、辺りが静かになったのを確認し、僕ははるなちゃんを抱き上げた。

 驚いて目を見開くはるなちゃん。


「…!!」


「教えてくれたからね。約束だし、一緒に行こう…!」


 そうやって笑ってみせると、はるなちゃんは嬉しそうに頷いた。

 ええい、仕方がない!

 何が起こったのか分からない以上、こんな場所に小さな子を放っておく方がよっぽど危ない。

 この娘のことは、何とか、守り切るしかない…!

 はるなちゃんを抱っこしたまま、僕は僧坊を出た。

 その先に山門があるはずだ。


「…っ!?」


 僧坊を出た瞬間、僕は思わず立ち尽くした。

 そこには、凄まじい破壊の痕があったからだ。

 堅牢そうだった塀は無残に崩れ落ち、巨大な山門も跡形もなく消し飛んでいる。

 砕けた石畳が散乱する中、僕は呻き声を上げる影に気付いた。


「南寿さん…!?」


 一体どのような力を受けたのか。

 あの豪放な魔媼まおうが、傷だらけで倒れ伏している。

 ボロボロの大鉈が傍らに突き立っており、まさに満身創痍といった様子だ。


「しっかりしてください!」


 あまりの光景に蒼白になっているはるなちゃんを抱っこしたまま、僕は南寿さんに駆け寄った。


「…う…?」


「南寿さん!僕が分かりますか!?」


 その呼びかけに、南寿さんは閉じていた目をうっすらと開いた。

 その目が僕に向けられ、焦点を結ぶ。


「…お…まえ…なん…で、ここ…に…?」


「すみません…やっぱり、気になってしまいまして…」


 そう言いかけた僕の右肩を、不意に起き上がった南寿さんが掴んだ。


「馬鹿野郎…早…く…ここから…逃げろ…!」


 決死の表情で、そう警告する南寿さん。

 その声に重なるように、


シャラン…


シャラン…


シャラン…


 場違いな鈴の音が鳴り響く。


「来やがった…」


 南寿さんが、そう呻くように呟く。

 この剛毅な人が、こんな絶望的な表情を浮かべるなんて…

 い、一体何が起きているんだ…?


シャラン…


シャラン…


「たかあまはらにかむづまります かむろぎかむろみのみこともちて…」


「…え」


 清涼な鈴の音と共に、それに等しい澄んだ声が響く。

 その声に、僕は思わず耳を疑った。

 い、今の声は…

 そんな、まさか…!


「すめみおやかむいざなぎのおおかみ…」


 祝詞のりとは、砕かれた山門の向こう…石段の下から聞こえて来た。

 そして、その声の主が少しずつ石段を登り、姿を見せる。


「さ、沙槻さつきさん…!!」


 驚く僕の目前に。

 退魔兵器「戦斎女いくさのいつきめ」である沙槻さんが立っていた。

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