【百十八丁目】「…では、ごきげんよう。夜光院の宗主様」

「…へぇ。さすがにご存じかい」


 普段浮かべている笑いを引っ込め、北杜ほくとさん(野寺坊のでらぼう)がそう呟く。


 異界寺院「夜光院やこういん

 さる事情でこの異界へやって来た僕達は、夜光院を守る妖怪達と侵入を目論む謎の勢力との抗争に巻き込まれた。

 その謎の勢力の中には、同じ降神町おりがみちょう役場の同僚である沙槻さつきさん(戦斎女いくさのいつきめ)の姿があった。

 彼女は、僕…十乃とおの めぐる雄二ゆうじ達と一緒に、新人研修に参加していたのだが、実家である五猟ごりょう家の招へいを受け、研修を離脱していたはずだ。

 その沙槻さんが、何故この夜光院に姿を見せたのか。

 そして、どうして夜光院を守護する北杜さん達と敵対しているのか。


 その疑問の一端が、彼女の言葉で解き明かされた気がする。


 いま、沙槻さんは確かに口にした。

 「“ぬえ”の卵を出せ」と。


 “鵺”…その名は日本古来の様々な伝承などで、耳にする機会が多いため、知っている人も多いと思う。

 その記録は古く、平安時代までさかのぼる。

 諸説あるが「平家物語」にある記述によると、平安時代末期、天皇の住む御所「清涼殿せいりょうでん」上空に毎晩のように黒雲が生じ、何者かの奇怪な鳴き声が響き渡り、聞く者を恐怖させていたという。

 連日続いたこの怪異によって、遂に天皇が病に伏してしまい、薬や祈祷を施すも、一向に回復しなかった。

 頭を悩ませた側近は、弓の達人として知られていた「源頼政みなもとのよりまさ」に怪異征伐を命じることとした。

 “土蜘蛛つちぐも”退治など、退魔伝説で名高い先祖「源頼光みなもとのよりみつ」より受け継いだ弓を手にし、早速、家来と共に怪異征伐に出向く頼政。

 やがて夜になり、果たして清涼殿の上に不気味な黒雲が覆い始めたのを見て、頼政は黒雲めがけて山鳥の尾で作った尖り矢を放った。

 すると、恐ろしい悲鳴が響き渡り、何者かが落下したという。

 見れば、それは「頭は、体は、四肢は、尾は」という妖しい獣で「ヒョー、ヒョー」というトラツグミの鳴き声をあげていた。

 頼政は「これこそ怪異の元凶」とし、家来と共にこの獣をすかさず討ち取ったという。

 

 この時討ち取られた獣こそ“鵺”だった。


「ふん!ネタは上がっとるのだ、化け物共め!」


 不意に。

 崩れた山門の方から、どこかで聞いたような声が響く。

 背広姿のその声の主に目をやり、僕は沙槻さんと遭遇した時以上に驚いた。


「く、黒田くろださん!?何で貴方がここに…!?」


 声を上げる僕を見て、名うての政治家…黒田 権蔵ごんそうさんも目を見張る。


「むっ!?貴様は深山亭みやまていの従業員ではないか?何で、貴様がここにいるのだ…!?」


「彼は従業員ではありませんわ。降神町役場の職員です」


 艶やかな声と共に、一人の女性が黒田さんの横に並ぶ。

 見た目は黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)とそう変わらない、妙齢の女性だ。

 美しい黒髪に紅い口紅ルージュが、目を引く、文句なしの美人である。

 彼女のそのまとわりつくような視線を受け、僕は何故か身震いした。


(誰だ…この女性ひとは…?)


 謎の女性は、全てを知っているかのように微笑を浮かべたまま、僕を見つめている。

 何だろう…?

 この人と、どこかで出会ったことがあっただろうか?


 女性の言葉に、黒田さんが怪訝そうに言った。


「降神町役場役場の職員だと?が、何故ここにおるのだ?」


 化け物?

 飼育員…?


 その言葉が「特別住民ようかい」と僕達「降神町役場職員」を差していることに気付く。

 先の早瀬はやせさん(コサメ小女郎こじょろう)の一件も手伝って、僕は思わず険を含んだ声で答えた。


「深山亭には、新人研修で来ていたんです。それより黒田さん、貴方こそ何で夜光院ここにいるんです…!?」


 すると、黒田さんは不機嫌そうに、


「貴様に答える義務はない」


「『特別住民ようかいが、いかに危険な存在か…その証拠を掴み、世に知らしめるため』ですわよね?」


 さらりとそう口にした謎の女性へ、黒田さんが睨むような視線を向ける。

 が、謎の女性は涼しげな表情だ。


「別に隠すような理由ではありませんでしょう?」


「わざわざ教えてやる義理もないがな」


 鼻を鳴らすと、黒田さんは北杜さんに指を突き付けた。


「いま、この巫女の娘が言ったとおり、貴様らは凶悪な化け物の卵をここにかくまっているのだろう!?もう言い逃れは出来んぞ…!」


「ああ。ま、否定はしないさ」


 北杜さんが静かに答える。


「確かに、この夜光院には幻獣“鵺”の卵がある。遠い昔、偶然俺が手にして、以来、ずっと守ってきた」


 衝撃の告白に、僕は驚きを隠せなかった。

 北杜さんのその言葉に、黒田さんがしたり顔になる。


「ようやく認めたな!やはり、貴様ら特別住民ようかいは、人間に仇なす凶悪な化け物をかくまい、人間社会を混乱に陥れようというんだろ…!?」


「やれやれ…あんたは何が何でも俺達を悪者にしたいようだねぇ」


 無精ひげを撫でながら、北杜さんが苦笑する。


「確かに“鵺”の力は強大だ。あんたら人間にとっちゃ物騒この上ない化け物だってのも間違っちゃいない」


 そう言うと、北杜さんは遠い目になった。


「それなのに、昔からその力を手に入れようとここにやって来た連中は多かったよ。まあ『夜光院には得難い宝がある』なんて流言飛語デマに惑わされてた奴らがほとんどだったがね」


 そこで北杜さんは面倒くさそうに頭をボリボリと掻いた。


「まったく、どこでどう聞き違えたんだかなぁ」


「御託はいい。とにかく、そんな物騒な化け物の卵を隠し持っていると分かった以上、貴様らが儂ら人間に害意を持っているのは明確だ」


 黒田さんが低い声で続ける。


「この事実は、世間に余すことなく公表させてもらうぞ。それにその“鵺”の卵は、我々が没収させてもらう」


「さっきも言ったが、そいつは断る」


 静かに、しかしはっきりと北杜さんは告げた。


「大体“鵺”の卵を人間界に持ち出して、不用意に孵化しちまったらどうなると思う?」


「何だと…?」


 北杜さんは、視線を黒田さんから沙槻さんへ移した。


「なあ“戦斎女いくさのいつきめ”さんよ。黒田の旦那は分かっていないようだが、あんたなら分かるだろう?」


 それに沙槻さんは真剣な表情で頷いた。


「おそらく、でんしょうにあるいじょうのとなるでしょう」


 伝承上では、あっさり退治された“鵺”

 そこから、現代の科学力をもってすれば、簡単に対策がとれそうに誰しも考えるだろう。

 しかし、現代において「“鵺”クラスの幻獣の復活」は、そんな生易しい問題ではない。

 色濃い「神秘」が溢れていた平安時代に存在し、翼もないのに飛翔でき、雷や黒雲を操り、鳴き声のみで災厄をまき散らす凶悪な幻獣…それが“鵺”である。

 頼政に弓矢の一射で退治されたものの、それも「怪異バスター」として名高い源頼光の血を引く彼の力があればこその話だ。

 そして「神秘」が枯渇しつつある現代において、頼政クラスの退魔能力を有する者などほぼ皆無である。

 「科学」による近代兵器だって、強大な「神秘」を内包する幻獣相手にどれだけの効果があるか分からない。

 そんな状況下で“鵺”が実際に復活し、世に放たれれば、とんでもない事態になるのは確実だ。

 では、仮に「討伐」ではなく「対話」路線になった場合はどうだろうか。

 以前、僕達が対峙した“天毎逆あまのざこ”である乙輪姫いつわひめの時と同じように、恐らく何らかの形で“鵺”と交渉・説得はできるだろう。

 しかし、古くから存在する強力な妖怪や魔物は、自分達より歴史が浅く、矮小な存在である僕達「人間」の声が届きにくい傾向が強い。

 つまり、人間を対等の存在として見なさないのである。

 そして「人に害をなし、人の手で討たれたという伝承」が残っている以上、ある意味“鵺”は乙輪姫以上に説得しづらい相手だ。

 もしかしたら「人間」そのものを憎悪している可能性だってある。

 さらに言えば、人に仇なす妖怪・魔物を排する「退魔」を生業なりわいにしている五猟一族と“戦斎女いくさのいつきめ”である沙槻さんにとって“鵺”は最優先で殲滅しなければならない相手だろう。

 そう。

 そもそも人間と“鵺”はお互いに対話できる確率が、絶望的に低いのである。


「それゆえ、わたしがいちぞくによばれ、こうしてにまいりました」


「違うよ~『始末』じゃなくて『確保』だよ、さっちん~」


 突然、場にそぐわないのんびりとした声が割り込んでくる。

 こ、この全身脱力したような声は…!


「なっつんさん!?」


「はろはろ~、お元気してた?」


 ヒラヒラと手を振りながら、白衣のような長衣ローブに身を包んだ女性が姿を見せる。

 ま、間違いない。

 昨晩、露天風呂で衝撃的な出会いをした六堂ろくどう 那津奈なづなさん(錬金術師アルケミスト)だ。

 予想もしない人物が連続して登場したせいで、僕はもう混乱の極みだった。


「なっつんさんまで、何やってんです!?」


「ん~?昨晩言わなかったっけ~?『お仕事』だって~」


 仕事!?

 一体、何を生業にしてるんだ、この人は…!?


「このミス六堂は、私達『K.a.Iカイ』と契約中のエージェントの一人です」


 謎の女性がそう説明してくる。

 その何気ない一言に、僕は衝撃を受けた。


 いや…予想はしていた。


 「K.a.I」が怪しい動きを見せているということは、神無月かんなづきさん(紙舞かみまい)からの情報提供で分かっていたことだ。

 だが、実際にこうして目の前に「K.a.I」関係者が出てくると、僕の中で様々な感情が入り乱れる。

 「絶界島トゥーレ」での一件。

 太市たいち君(鎌鼬かまいたち)のこと。

 「プロジェクト・MAHOROマホロ」の真意。

 三ノ塚さんのづかさん(舞首まいくび)による暗殺未遂事件。


「申し遅れましたね」


 女性がゆっくりと一礼する。


「私は烏帽子えぼし 涼香すずか。『mute《ミュート》』日本支部長であり『K.a.I』総責任者です」


 そうして、女性…烏帽子さんは妖しく微笑んだ。


「以後お見知りおきを。


 僕の全身を再び衝撃が走る。

 この女性ひとが『K.a.I』の総責任者…!?

 そして、彼女は僕のことを知っている…!

 ここに至って、僕は確信した。

 先程から感じていた彼女の視線に込められたもの…それは「敵意」だ。

 この烏帽子という女性は、おそらくを知っているのだ。

 それはすなわち「K.a.I」の障害となった僕のことを…


「なづなさま、まえからもうしていますが『さっちん』はやめてください」


 いささかげんなりした口調でそういう沙槻さん。

 それになっつんさんはのほほんとした口調で言った。


「いいじゃん~可愛いし~、おんなじ『斉貴十仙いっきとおせん』なんだし~私のことも『なっつん』でいいからさ~」


 「斉貴十仙」?

 そう言えば、北杜さんもさっきそんなことを言っていたっけ。

 いったい何のことだろう?


「いいじゃん。俺も可愛いと思うよ、♡」


「あなたには、もっとよばれたくありません!」


 へらへら笑いながら茶化す北杜さんを、沙槻さんが睨み付ける。

 さ、沙槻さん、何か怖い…


「冗談はさておき」


 烏帽子さんが、沙槻さんに向かって続ける。


「沙槻さん、分かっていると思いますが、五猟家は現在、正式な国の要請を受けて私達『K.a.I』に協力する盟約を結んでいます。くれぐれも勝手な行動は控えてくださいね」


 それに沙槻さんがやや俯いた。


 そうか。

 ようやく謎が解けたぞ。

 沙槻さんが研修中にもかかわらず呼び戻されたのは、五猟家が国から何らかの形で「“鵺”の卵の確保」を急きょ依頼されたからだろう。

 その上で、沙槻さんは五猟家から「K.a.I」と国に協力するよう、指示されたに違いない。

 烏帽子さんと黒田さん…「K.a.I」と国それぞれの主要メンバーがここにいるのを見れば、それは簡単に予想がつく。

 僕は烏帽子さんに尋ねた。


「待ってください。事情は何となく分かりましたが、何故『K.a.I』は“鵺”の卵を手に入れようとしてるんです?聞く限りじゃ、とても危険なものなんでしょう?」


「“鵺”が貴重なサンプルになるからだよ~」


 烏帽子さんに代わって、なっつんさんがそう答える。


「世界的に見ても、現代に現存する幻獣はほぼゼロだし~、何より“鵺”はとても貴重な自然発生型の“合成獣キメラ”の原種の一つだからね~。その価値は計り知れないんだよ~」


 ワクワクした風にそう説明するなっつんさん。

 何というか…この人は、単純な趣味の範囲で“鵺”の調査がしたいだけのような気がする。

 そんな彼女に苦笑しつつ、烏帽子さんが言った。


「それに加えて“鵺”ほどの危険な存在を調査できれば、今後出現しうる強大な妖怪や魔物に対して有効な手立てを講じることも出来ます。それはひいては人間社会のためでもありますわ」


 その言い分は、もっともだ。

 が、僕は「絶界島トゥーレ」での一件以来「K.a.I」には不信感を持っている。

 烏帽子さんのその言葉を、素直に聞き入れることが出来なかった。

 今この場でそれを糾弾したいくらいだが、残念ながら、その一件については口外できない事情がある。

 僕は一呼吸おいて、気を落ち着けた。


「それはそうでしょうけど…でも、こんな乱暴な手段を使わなくてもいいじゃないですか?それに“鵺”も特別住民ようかいの一人なんですよ?あなたがた『K.a.I』は、一人でも多くの特別住民ようかいを僕たちの社会に適合させるように活動しているのではないんですか…?」


「その通りです。ですから、


 そこで。

 僕には烏帽子さんの笑みが、深く底知れないものに変わった気がした。


「人と妖怪が対等となるために、、妖怪達のもつ力の全てを知る必要がね。貴方も人間なのだから、よくわかるでしょう?十乃さん」


「…」


 僕は息を呑んだ。

 烏帽子さんから叩きつけられた得体の知れない、妄執にも似たもの。

 それは、これまでに感じたことのない異質などす黒い感情だった。

 この女性ひとには、絶対気を許してはいけない。

 この女性ひとには、絶対何かある。

 そんな考えと共に、頭の中で鳴り響いていた警鐘がより強くなるのを感じた。


「ご理解いただけたなら、そろそろ本題を片付けましょう…ねぇ、北杜さん」


 そう言いながら、烏帽子さんは僕から北杜さんに目を向けた。


「これが最後のです…“鵺”の卵をお渡しくださいな」


「お願い、ねぇ…人間も変わったもんだな。一昔前とはよ」


 北杜さんは続けた。


「寂しいもんだねぇ。昔は妖怪達おれたち人間達あんたらを脅かしていたもんだが…今の時代、人が妖怪をようになっちまったか」


 それに、無言で一歩進み出る沙槻さん。

 手にした大幣おおぬさをゆっくりと身構える。

 北杜さんは、首を横に振った。


「やめとけ。あれはここに置いとくのが一番なんだよ。あんたらの手には余る代物だ」


「残念ですわ」


 烏帽子さんが嘆息する。

 そして…


「…では、ごきげんよう。夜光院の宗主様」


 烏帽子さんがそう言った瞬間。

 沙槻さんは、躊躇ためらうことなく大幣を打ち振るった。

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