【七十一丁目】「君『島』って好き?」

「先生、さようなら~」


「ハイ、さようなら」


「また、色々教えてくださいね」


「ええ、勿論。皆、気を付けて帰ってね」


 ここは町民の皆さんがサークル活動や研修で愛用する降神町おりがみちょう公民館。

 その中にある調理室だ。

 帰路につく数人の特別住民ようかい達に挨拶をしながら、割烹着姿の一人の女性が微笑んでいた。


「お疲れさまでした。今日もありがとうございました」


 本日のセミナーである「初心者向けの料理教室」が終了した後、部屋の片隅に控えていた僕…十乃とおの めぐるは、講師であるその女性にねぎらいの言葉を掛けた。


「ハイ、お疲れ様でした」


 女性…今里いまざと 紅葉もみじさんが、そう言いながらにこやかに一礼する。

 彼女は町内にある料亭「古都里ことり」の女将さんだ。

 降神高校に通う娘さんがいるらしいので、僕の母親と歳はそう離れていない筈なのだが、見た目は物凄く若々しい。

 調理師の免許も持っている彼女は、降神町役場主催のセミナーで講師を受けて頂いている町民の一人である。

 人当たりが良く、包容力があるため、妖怪の皆さんにも好かれている人気の講師だ。

 加えて芯も強い。

 何でも最近、娘さんがとある誘拐事件に巻き込まれていたらしい。

 幸い、無事に救出され、犯人も逮捕されたと聞いた。

 そんな事はおくびにも出さず、彼女は特別住民ようかいの皆さんの為に教壇に立ってくれていたのだ。

 このセミナーの担当者として、本当に頭が上がらない。


「今日も何やかんやと騒がしくてすみませんでした」


 僕が苦笑しながらそう言うと、


「あら、いつもよりは静かでしたよ」


 身に着けていた割烹着を外しながら、今里さんは笑って続けた。


「今日はお鍋が飛んだり、包丁が天井に突き立ったりしなかったですしね」


「は、はは…そうでしたね」


 …改めて聞くと、普段の講義風景がどれだけ凄まじいか想像のつく台詞である。


「でも、十乃さんも大変ね」


「えっ?」


「聞いてますよ。最近開講した『K.a.Iカイ』とかいう他所のセミナーに、生徒さんが流れていってるんでしょう?」


 僕は項垂うなだれた。

 今里さんは、以前より椅子の数が減った調理室を見回した。


「今日もいつもより生徒さん達少なかったものね…」


 その口調には寂しさが滲んでいた。

 彼女だけではない。

 口にこそしないが、最近は他の講師の皆さんも、賑やかさの欠けた講義室を時折寂しそうに見ていることがある。

 僕が言うのもなんだが、このセミナーに来る妖怪の皆さんは、手間がかかる生徒ではあるが、その熱意はみんな人一倍だ。

 恐らく講師の皆さんにとっては、教え甲斐がある生徒だったに違いない。


「…すみません。今里さんや他の皆さん、お忙しい中、わざわざ講師を引き受けてもらっているのに」


 頭を下げる僕に、今里さんは苦笑した。


「いやだ。十乃さんのせいではないでしょうに」


「…」


「私達は構わないんですよ。どこで勉強をしようと、あの子達が無事に私達の社会に馴染んでくれれば、ね」


 ふと、荷物をまとめる手を止め、今里さんは続けた。


「それにね、私はあの子達がまたここへ戻って来てくれる気がするんですよ」


「皆が…?」


「ええ。だって、あの子達は『もっと色々な料理を教えて欲しい』って私に言ったんですもの。それに私も『いいですよ』って答えたんです。これは私とあの子達との『約束』です。なら、きっとあの子達は守ってくれると思います」


 そう言うと、今里さんは晴れやかに微笑んだ。


「私だけじゃなくて、他の講師の皆さんもきっとそう信じていると思いますよ」


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わね」


「やはりでござるか…面目ない。実は積みゲーを片付けるのに時間を取られ、ここ三日風呂に入っていないでござ…」


ドゴスッ…!


「る゛ふッ!」


 肝臓レバー付近に三池みいけさん(猫又ねこまた)の放った強烈な猫フックがめり込む。

 ガードもままならなかったあまりさん(精螻蛄しょうけら)は、泡を吹いて沈んだ。

 パンパンと手を払う三池さん。


「そういう意味じゃないし。あと、今からあたしの半径3メートル以内には近付かないで」


 ゴミを見る目で余さんにそう吐き捨てる三池さん。


「だ、大丈夫?余兄ちゃん…」


「息はあるようですね…手ぬるいわ、宮美みやみちゃん。汚物は火炎放射器で消毒ヒャッハー!するくらいしなくちゃ」


 心配そうな釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)を制しながら、沙牧さまきさん(砂かけ婆)が容赦のない意見を述べる。

 ここは沙牧さんの経営するマンションの一室。

 二手に分かれて「muteミュート」や「K.a.I」の調査を行っていた僕達は、互いの情報を交換するためにここに集うことになった。

 もっとも、メンバーの一人だった飛叢ひむらさん(一反木綿いったんもめん)は「用事がある」と言って欠席しているのだが…

 いずれにしろ、今回の調査の結果、分かった事は以下の通りだ。


①「muteミュート」は生体工学バイオニクスを主体とした外資系多角産業で、近年日本に進出し『K.a.I』に代表される特別住民ようかい向けの事業を展開している。

②活動資金は各分野で躍進する大型企業を協賛として抱き込み、かつ国とのパイプを持ち、補助金も得ている。

③過剰なまでの妖怪保護を指針としている。

④世間からは絶大な人気を得ており、マスコミも概ね好意的な反応を見せている。

⑤会社の実態が全くの謎。国内・海外での動きもほぼ不明(或いは多すぎて分析不可能)。


「…何か、羅列しても『muteミュート』が悪者っていう決定的な情報はないみたいだけど」


 釘宮くんの素直すぎる感想に、一同は黙り込んだ。

 確かに。

 会社の実態や資金の動きに正体不明って部分はあるが「muteミュート」に対して世間は好印象を抱いている訳だし。

 「妖怪保護」自体は国も推進している指針だし…

 そんな中、沙牧さんが口を開いた。


「いいえ。そこの汚物はさておき、私もと思います」


「『K.a.I』で何か分かったんですか?」


「ええ。確信がある訳ではありませんが…」


 僕の質問に、沙牧さんは髪を掻き上げて続けた。


「個人的な心象では、彼らは私達妖怪の社会進出の支援を行う一方で『』を目論んでいるように見えます」


「『管理』…ですか?」


 あまりイメージの良くない単語に、僕は思わず聞き返す。


「宮美ちゃんは憶えているかしら?『K.a.I』のセミナーフロアで、千尋ちひろちゃんから受けた説明を」


 沙牧さんにそう振られると、鼻をつまんでいた三池さんがキョトンとなった。


「もしかして、受講ガイダンスのこと?」


「何です、それ?」


 僕の質問に三池さんが答える。


「『K.a.I』では色んな分野のセミナーを受講者が選べるんだって。でも、選択肢が多いから、受講するほとんどの妖怪は、将来の適性を調べて『K.a.I』の専門スタッフにカリキュラムを組む相談をするって言っていたわ」


「そうなんですか。それは参考になるなあ」


 成程、そういうサポートの仕方もあるのか。

 これは役場うちのセミナーでも取り入れてみる価値はあるかも。


「…でも美砂みさねえ、それと妖怪の『管理』と何の関係があるの?」


 三池さんがそう聞くと、沙牧さんは少し声を落とした。


「確かに聞こえのいいサポートだけど…穿うがった見方をすれば『muteミュート』の人間達は、私達妖怪を任意の職種や職場へ、ある程度誘導できるってことでしょう?」


 全員が息を呑んだ。

 それは…そうだ。

 そして、そうした考え方は飛躍的過ぎるとは言い切れない。

 何故なら、妖怪が世の中に復活した二十年前、国で彼らの特性や性質を把握し、管理するための「妖怪登録管理法」なる法律の制定で、政府内の意見が割れたことがあったらしい。

 最終的には、世論が声高に叫んでいた「妖怪保護」の機運もあって、国の議会で否決されたと聞いたけど…


「ねえ、十乃兄ちゃん。確か、五稜ごりょうのおじさんは『muteミュート』が国から補助を受けてるって言ってたよね?もしかして、そのために政府が動いてるのかな…?」


 不安そうな表情で僕を見る釘宮くん。

 僕は腕を組んだ。


「そう決めつけるのは早計だとは思うけど…もしそれが目的なら、国から『muteミュート』みたいな謎の多い会社に資金が流れる可能性はあり得るかも…」


 たまにニュースでも聞くが、政府の中には、少数ながら「妖怪弾圧派」がいるという。

 そうした筋の連中と「muteミュート」との間に繋がりがあって、金が動いているとしたら…


「もう一つ」


 沙牧さんは厳しい表情で続けた。


「『K.a.I』の中にはエクササイズフロアというものがありました。そこには様々な運動施設があって、妖怪達のストレス軽減の為に開放されていました」


「ストレス軽減?」


「要するに、人間社会で溜まった鬱憤うっぷんを晴らすための場所みたいなものです」


 そして、沙牧さんが施設の中で見た光景を説明してくれた。


「…成程。聞けば聞く程ためになるなぁ」


 感心する僕に、沙牧さんは苦笑した。


「それはどうでしょうね。確かに妖怪達にとって、現代の日本で思う存分に妖力を振るうことが出来る場所がない以上、そうした場所があるのは良いことでしょう」


 僕は沙牧さんの目が笑っていないことに気付く。

 そして、彼女は笑みを消して続けた。


「…でも、それは同時に妖怪達の力を計測・分析するには、もってこいの施設でもありますよね?」


 室内に沈黙が下りる。

 三池さんも釘宮くんも、顔を見合せたまま言葉を失っていた。

 僕も思わず口元を片手で覆う。

 ああ、嫌な想像ばかりが頭に浮かんでくる。


 その筋書きはこうだ。


 「妖怪保護」の機運が広がる中、政府の一部の人間は未だに妖怪達の処遇に納得していない。

 彼らは正体不明の民間企業と組み、表向きは妖怪達の人間社会進出の支援を錦の御旗として掲げて、裏で彼らの管理・統制を目論んでいる…


 こうして見ると、一連の事柄は不思議な程につじつまが合う。

 青ざめる僕に、沙牧さんは静かな声で言った。


「十乃さん、今のはあくまで私個人の心象です。ここまで話しておいて何ですけど、彼らの目的がどこにあるのか…それがはっきりした訳ではありませんよ?」


「ええ…でも、仮にそうだとするなら、鉤野こうのさんはそうとは知らずに彼らに利用されていることになります。僕にはそれが許せません…」


 確かに沙牧さんの言うように、今は確証なんてない。

 …でも、それが真実だったら?

 僕は歯噛みした。

 妖怪を同胞たちを管制するためのコマにするなんて…!

 僕は今の仕事を通じて、これまで人間と妖怪との軋轢あつれきを幾度となく見てきた。

 些細な誤解だったこともあれば、双方止むにやまれぬ事情を抱えていたこともある。

 だけど、最後にはお互いに理解し合えるようになった。

 そもそも、人間同士だっていがみ合うことはある。

 妖怪もきっと同じだろう。

 だったら…

 人と妖怪が同じならば、お互いに分かり合う事は難しいことではない筈なのだ。

 そうした考えが、常に僕の中にはあった。

 だから、今日までこの仕事を続けてこられたんだ。


 けど、今回の一件はそういったものとは違う気がする。


 最初から歩みよることもせず、相手を一方的に思い通りにしようという悪意に満ちている。

 僕には人間としてそれが無性に腹立たしく、そして悔しく感じた。


「これからどうしよう?鉤野姉ちゃんに話してみようか?」


「おしずさん、頑固だからねぇ…『K.a.I』にも入れ込んでるみたいだし、聞いてくれるかなぁ…」


 釘宮くんの言葉に、三池さんが腕を組む。


「…しかし、躊躇ためらっている時間はそんなに無いでござる」


 そう言いながら、汚物…もとい、余さんがムックリ起き上がりながら言った。

 …いつもの事ながら、タフな人である。


「何よ?次にくだらないことを言ったら、生ゴミの袋に入れて収集車にブチ込むわよ?」


 半眼でそう言う三池さんをよそに、余さんは自前のバッグの中からノートPCを取り出した。

 そのまま電源を入れ、腰を据える。


「ええと、どこにしまったでござるかな?」


 脈絡も無くPCを漁る余さんに、僕達は顔を見合わせた。

 画面を覗きこむと、ズラリと並んだフォルダが目に映る。


「…ちょっと、アンタ。その『MIZUGI』って名前のフォルダは何?」


「さあて、何でござったかな?」


 画面を覗き込みつつ、低い声で問いただす三池さんを、余さんはしれっとスルーする。


「じゃあ、この『KIGAE』ってのは!?」


それがしには見えないでござる」


「ねぇねぇ、こっちの『★B-W-H★TOP SECRET!』って何が入ってるの?」


「ほお、お目が高いでござるな釘宮殿。それに目をつけるとは…折角だし、ちょっとだけ見てみるでござるか…?」


 ざりっっっっ!!!


「…と思ったけど…さ、先にアレを…み、皆に見せねば…ならないでござるな…」


 顔面についた三池さんの爪痕から血を滴らせながら、ヨレヨレになった余さんがPCを操作する。

 そうこうしている内に、画面上には海上に浮かぶ一つの島が現れた。


「何です、これ?」


「どこかの島ですね…あらあら、素敵な砂浜♪」


 島の一角に見える砂浜を目にした沙牧さんの声が弾む。

 砂に関わる妖怪だけに、こういう地形が好きなんだろうか?


「余さん、この島がどうかしたんですか?」


「これはつい最近『K.a.I』のデータサーバーにお邪魔した際に見つけたデータでござる」


 へー、そうなんだ。

 「K.a.I」のサーバーにお邪魔…


 …お邪魔したって…!?


「余さん!貴方、まさかハッキン…!?」


「『お邪魔した』だけでござるよ、十乃殿」


 思わず声を上げかけた僕を、二カッと笑いながらやんわりと遮る余さん。


 何てことだ…

 僕は思わず目を覆った。


 余さんは“精螻蛄”という妖怪である。

 “精螻蛄”は人に気付かれずに「覗く」ことにかけては、妖怪の中でも随一の力を持つ。

 そして、その力は分野ジャンルを選ばない。

 そう、それがインターネットの世界であっても、だ。

 別段、彼は天才的なハッカーでも何でもない。

 だが、彼が「覗く」という行為に動いた時、そこに神懸かり的な力が付与されるのである。

 それが彼の妖力…その名も【爬這裸痴ぱぱらっち】。

 幾重ものセキュリティに守られた国家機密ですら、恐らく彼が本気になれば、誰にも気付かれずに「覗く」ことが出来るかも知れない。

 とはいえ「覗く」だけで、それ以上のことは出来ないのが不幸中の幸いである。


「このデータが何であるかは、某にも分からなかったでござるが、いくつかのキーワードを「覗く」事は出来たでござる」


「キーワード…?」


「その一つが、この“プロジェクト・MAHOROマホロ”でござる」


 MAHORO…まほろ。

 僕は息を飲んだ。


「“マホロ”って何かな…?」


 首を捻る釘宮くんに、僕は口ずさんだ。


「“やまとは国の真秀まほろば たたなづく青垣あをかき 山隠やまこもれる やまとしうるはし”」


 全員が僕を見た。

 僕は画面を見詰めたまま、続けた。


「“まほろ”は、日本の古い言葉で『理想郷ユートピア』を意味するんです。一般的には『まほろば』って言う場合がほとんどですが」


「今の歌は?」


「『古事記こじき』の中で、英雄 倭建命やまとたけるのみことが詠んだ望郷の歌だよ。『大和やまと(古い「日本」の呼び名)は国の中に広がる理想郷だ。重なりあった青い垣根の山、その中にこもっている大和は美しい』…確かそんな意味だったかな」


 釘宮くんにそう答えると、僕は少し目を伏せた。


「神話では、彼は故郷である大和を前に病に倒れ、二度と故郷を目にすることは出来なかったんだって。そして、その魂は白い鳥になって、故郷へと飛んで行ったっていわれてるんだよ」


「十乃君って、そういうの詳しいんだ?」


「大学で『民俗学』と『神秘学』を少しやってましたから。その時に色々な伝説とか神話をちょっとだけ、ね」


 意外そうに目を見張る三池さんに、僕は頭を掻いて言った。

 そこに余さんが珍しく真剣な顔で言った。


「成程…十乃殿の言った通り“MAHORO”が理想郷ユートピアを意味するなら、次に言うキーワードと何か繋がる気がするでござるな」


「繋がる…?」


 余さんは眼鏡をくいっと上げ、静かに告げた。


「そのキーワードは“妖怪移住計画”…方々、これを見るでござる」


 余さんがキーボードを操作すると、そこにはCG処理が施された古き日本の風景が現れた。


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「よーう、久し振り。元気そうじゃねぇか、太市たいち


 「K.a.I」のセミナーフロア。

 その廊下で、他の妖怪達と談笑していたかつての友人に、飛叢は片手を上げながら気さくにそう声を掛けた。

 太市と呼ばれた“鎌鼬かまいたち”の若者が、飛叢を見るなりギクッとした表情になる。

 他の妖怪達も会話を止め、オドオドと居心地悪そうな顔になった。


「や、やあ、飛叢。久し振り」


「おう。本当に久し振りだな。他の皆もよ」


「あ、ああ」


「そうだね…」


「は、はは…飛叢さんも元気そうですね」


 全員が飛叢から目を逸らす。

 飛叢は気付かない風ににこやかに続けた。


「まあな…けどよ、随分と水くせぇじゃねぇか」


 太市の肩に腕を回すと、飛叢は少し声音を落とす。


「俺や釘宮には何も言わずに、役場のセミナーから『K.a.Iこっち』に鞍替えするなんてよ。人が悪いぜ、お前ら」


「…ご、ごめん。飛叢は役場の十乃と仲良さそうだったし…こっちに誘っても、断られんじゃないかって…そう思ってさ…」


 しどろもどろになりながら、太市はそう答えた。


「で、でも、ここに居るってことは、飛叢も『K.a.I』に参加する気になったんだろ?」


「…ああ」


「そ、そうか!そっか、そっか…!」


 ホッとした様に笑う太市。

 他の妖怪達も顔を見合わせて頷き合う。


「いや、俺もずっと気になってたんだよ。飛叢とは同期だし、いつまでもあんなセミナーに…」


「…んだとコラ」


 一転。

 怒気を孕んだその低い声に、全員が硬直する。

 飛叢の目に危険な光が浮かんでいた。

 そんな彼の目を彼らは何度も見た。

 大体は、人妖問わず彼が喧嘩を買った時だ。

 この気の短い男は、戦闘態勢に入るといつもこんな感じになる。

 だが、今回のそれは更に迫力があった。


「ひ、飛叢…?」


 飛叢は怯む太市の胸倉を掴むと、グイッと引き寄せた。


「太市よォ、お前いま何て言った?」


「な、何だよ、急に…俺は別に何も…」


「『セミナー』って言っただろうがよ」


 太市を含め、全員が無言になる。

 一同のただならぬ雰囲気に、周囲の妖怪やスタッフがざわめき始めた。

 が、飛叢は鋭く太市だけを睨んでいた。


「お前、あそこでどれだけ世話になったのか忘れちまったのかよ?」


「…」


「他の皆もだ」


 周囲を睨むと、他の妖怪達が俯く。

 そんな中、太市が呟いた。


「何がいけないんだよ」


「ああ?」


「俺達だって悩んださ」


 飛叢の腕を振り解くと、太市は真正面から飛叢と対峙した。

 穏やかで性根の優しい若者のそんな姿を、飛叢は初めて見た気がした。


「でも、ここで学べることの方が役場のセミナーよりも多いし、色んな設備も整ってる…だったら誰だってこっちを選ぶだろ」


 太市は訴えるように飛叢を見た。


「飛叢、お前は俺達を責めてるようけど、より条件の良い道を選択することの何がいけないんだよ!?」


「そ、そうだよ。僕達には選ぶ権利があるんだ!」


「飛叢さんだって、そう思ってここに来たんでしょ!?」


 他の妖怪達も口々にそう声を上げる。

 飛叢は愕然となった。

 役場のセミナーでは、彼らは皆楽しそうに授業に臨んでいた。

 日々教えられる人間の世界の知識に、目を輝かせていた。

 怒ると怖いが、根気強く教えてくれた講師にも。

 優しく丁寧に、朗らかに接してくれた講師にも。

 彼らは等しく支えられて学び、それを感謝していた筈だ。

 それを目の当たりにしていただけに、飛叢は今の彼らの言葉が信じられなかった。


「黙れ、お前ら!一体、どこまで恩知らずになりゃ気が済むんだよ!」


飛叢オマエこそ黙れよ」


 太市が牙を剥くように、飛叢を睨む。

 そして、飛叢の闘争本能は不意に「それ」を感じ取った。


 古き昔。

 まだ、夜が妖怪達の領域だった時代。

 人を惑わし、恐れさせ、時にその命すら奪っていた「妖怪達の全盛期」

 そこに感じていた、殺伐としたあの空気を。


「太市、お前…」


「いつまでも俺を格下扱いするな“一反木綿”」


 太市の目に、野獣の如き光が宿る。

 その両手から、鋭く大きな鎌が生えた。


(こいつ…本能に飲まれてやがる)


 飛叢の脳裏を以前、ここの武道場で見た太市の笑みがよぎる。

 妖怪の本能に支配された、あの獣の笑みが。

 飛叢は舌打ちしながら右腕を振るった。

 その腕に巻かれていた木綿のバンテージが、妖力を帯びて一振りの刀と化す。


「やる気か?」


「やる気なのはお前だろう?」


 太市の口元が笑みに歪む。

 双方の殺気が膨れ上がる。

 居並ぶ妖怪達は、固唾を飲んでそれを見守っていた。

 緊張が頂点に達し、いよいよ箍たがが外れようという時だった。


「はい、そこまで」


 凛とした声が戦いの前の静寂を破る。

 一同の視線の先に、歩み来る一人の女性の姿が映る。

 年の頃は三十そこそこか。

 黒い滝のような長い髪に、白く通った鼻梁。

 艶やかな口紅ルージュが、居並ぶ全員を引きつける。

 スマートなビジネススーツに身を包んだ、その女性は恐れる風も無く、対峙する二人の間に悠然と立った。


「ここでは喧嘩はご法度よ。双方、矛先は私が預かります。いいわね?」


「そこを退け」


 太市が低い声で告げる。

 女性は太市をチラリと見ると、薄く笑った。


「元気なイタチさんね…でも、いいのかしら?禁を破るなら、私の権限でここから退学処分にもできるけど?」


 その一言に、太市の殺気がみるみる委縮する。

 両手の鎌も、一瞬で消失した。


「…スミマセン」


「分かってくれればいいわ。以後、気を付けてね」


 不承不承頭を下げる太市。

 それに女性は静かに微笑み、そう告げる。

 そして、飛叢に向き直った。


「…貴方は見ない顔ね?」


「目下、体験入学中だからな」


「そう。で、貴方はこのまま辞めさせられたいクチなのかしら?」


「…わあったよ」


 再び腕を一閃すると、バンテージは元の布に戻り、飛叢の腕に巻き付いた。

 それを見ると、女性はまじまじと飛叢を見た。


「な、何だよ」


「へぇ…ほう…これは」


 遂に飛叢の腕や胸板まで、さわさわと触り始める。


「おい、いい加減にしやがれ!鬱陶しいだろ!」


「ああ、御免なさいね」


 艶然と微笑む女性。


「貴方、名前は?」


「飛叢だ。それより、お前こそ一体どこの誰だよ?」


「私?私はね…あ、はい。コレあげるわ」


 女性は一枚の名刺を取り出すと、飛叢に手渡した。

 それに目を落とす飛叢。


「『muteミュート』日本支部長…烏帽子えぼし 涼香すずか…?」


「そうよ。いわば、この『K.a.I』の責任者ってところかしら。宜しくね、飛叢君」


 そう言うと、笑顔のまま手を差し出す烏帽子。


(マジかよ…いきなり大物に当たっちまったぜ)


 飛叢は内心の動揺を出さずに、その手を握った。


「おう、まあ、よろしく頼まぁ」


 飛叢の手を握ったまま、烏帽子はニッコリと笑う。

 そうすると熟れた美貌が、童女のように映った。


「うん。素直で宜しい。そんな素直な飛叢君に質問があるんだけど…」


「あん…?」


「君『島』って好き?」

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