【五十九丁目】「一目会いたい輩がいる…と言ったら、納得するかしら?」
“神霊は「科学」が発達し始めた時点で、既に落日を迎える運命にあった種族なのだ”
そう言っていた専門家がいた。
僕…
妖怪神“
猛々しい気を放ちながら、悠然と歩くその姿を。
美しい天女の様な衣にそぐわない、しかし、美しくも荒ぶる笑みが絶望を突きつける。
大蛇神“
その彼女の威容は、神話の世界を越えてこの現代にも衰えることなく顕現していた。
「せめて、選ばせてあげる」
鼠をいたぶる猫の様に、チロリと唇を舐める乙輪姫。
「一人ずつ個別に死ぬか、まとめて死ぬかをね」
その右手に凄まじい猛気が収束する。
まともに食らえば、恐らく妖怪でも助かりはしないだろう。
身動きできない僕を守る様に、沙槻さんは一歩歩み出ると、静かに
「たかあまはらあまつのりとの ふとのりと もちかかんのんでんはらいたまいきよめたもう」
『
先程は集中力に欠け、乙輪姫に一方的にあしらわれてしまったが、今の沙槻さんは冷静になっている。
が、それでもその表情には絶望が浮かんでいた。
「一人ずつがお好みね…いいわ、まずはお前から逝きなさい」
JKギャルっぽい言葉づかいも、見事になりを潜めてしまった。
最早、一部の隙もない。
それだけ、彼女の怒りが強いということか。
「お待ちください、姫様」
その二人の前に“
乙輪姫が
「そこを
「退く前にお聞かせくださいませ、姫様」
樹御前は、静かに続けた。
「この花…“マシロソウ”をお育てになったのは、姫様でありまするか?」
樹御前の言葉に、乙輪姫の目がすぅっと目を細める。
「…それを知ってどうするの、森の姫よ」
「この花が何であるのか。そして、何故今の世から失われたのか…御身はご存知でありましょう」
白い花園を見渡す樹御前。
「“ミタマガエシ”とも呼ばれるこの花は…かつて人の手により滅ぼされた花でござりまする」
僕は目を見張った。
“ミタマガエシ”が人間の手で滅ぼされた?
確か、さっき御前様は「いつの間にか姿を消した」と言ってはいた。
けれど、本当は人間によって絶滅させられていたというのか!?
「勿論、知っているわ」
乙輪姫は鼻を鳴らした。
「だが、
「人間の…都合?」
聞き捨てならない言葉だ。
すると、乙輪姫は僕に告げた。
「フン、教えてあげるわ、人間。この花が“
侮蔑の視線で僕達を見る乙輪姫。
「全く、人間とは欲深い生き物よね?己が欲の為なら何でもする。奪い
真実を確かめる様に僕は、樹御前を見た。
それに彼女は静かな口調で応えた。
「…事実じゃ。この花は、そなたら人の欲望によってこの国から絶えた」
「そんな…」
だが、樹御前は乙輪姫に向き直り、続けた。
「しかし、それだけがこの花が絶えた理由ではないぞ、人の子よ」
「えっ?」
「先程も言ったように、この花は“反魂香”の材料になる。その流布を危惧した一部の人間達が、この花を封じることとしたのじゃ」
そうか。
現代と同様、昔の人々も“反魂香”が引き起こす悲劇に気付いていたのだ。
そして、それを求める人間達の手に届かないよう、文字通り根絶やしにしたということだろう。
「姫様もそれは知っておいででありましょうや」
「…回りくどいわね、彭侯。さっきから何が言いたいの?」
「では、お伺いしましょう」
樹御前の口調が鋭く変わる。
「姫様は、この花をいかがされるおつもりか…?」
沈黙が落ちる。
乙輪姫と樹御前の視線は真正面からぶつかり合い、互いに逸らされる事はなかった。
やがて、乙輪姫が薄く笑う。
「一目会いたい輩がいる…と言ったら、納得するかしら?」
ふと。
その時、僕には何故か彼女が泣いている様に見えた。
樹御前は無言だった。
「さて…余計な問答はここまでよ、彭侯」
一転し、乙輪姫の目に鋭い光が宿る。
「まず、そこの娘を嬲り殺してあげる。その後は…そこのお前よ」
指差され、僕は戦慄した。
彼女は、本当に脳天気だったあの乙輪姫と同一人物なのか…!?
肉食獣の如き獰猛な殺気を向けられ、僕の心臓が早鐘の様に打ち鳴らされる。
絶体絶命。
今までも、何度か危ない目には遭ってきたが、今回のコレは度合いが違い過ぎる。
全身から冷や汗が滝の様に吹き出すのが分かった。
「お前は昨日の人間ね。どうして女になったかは知らないけど、妾に対し素直なまいきな口をきいた罰よ。手足をもぎ取り、生かしたまま麓の人間共に送り返してあげるわ」
そう言うと、剣呑な笑みを浮かべる乙輪姫。
妖美、というべきか。
その美しさに破滅を孕んだ毒花の様だ。
「させません」
光の刃を形成した大幣を振るい、沙槻さんが身構える。
「あまのざこ、こんどこそあなたをふうじます…!」
「へえ…さっきよりは随分マシになったみたいね」
沙槻さんを見て、眉を跳ね上げる乙輪姫。
「いいわ。また遊んであげる。おいで“
そう言うと、チョイチョイと指で招く。
瞬間、沙槻さんの姿が文字通り僕の眼前から消失した。
「!」
一瞬たじろぐも、収束した猛気を扇状に変化させ、乙輪姫は右手に翳すように持つ。
ギイン…!!
物凄い火花が散り、突然現れた沙槻さんの大幣を、乙輪姫がそのまま扇で受け止めた。
す、凄い!
まるで加速装置でも使ったみたいな動きだ。
沙槻さんは静止状態から一瞬で加速し、今度は乙輪姫の背後に出現した。
そのまま、舞い踊る様に乙輪姫に斬撃を放つ。
「やるじゃない…百点よ!」
「まだです…!」
懐から
「すべからくしづまることをつかさどる こころは すなわち かみと かみとの もとのあるじたり…!」
沙槻さんが
太い枝の洪水に、乙輪姫が一瞬で飲み込まれる。
「こんなもので、妾を捕えたつもり?」
ドスン…!!
牢獄と化した榊の幹の向こうから、物凄い音がし、木々が激しく揺れ動いた。
「ごぜんさま!」
「心得た」
沙槻さんの呼び掛けに、樹御前が頷く。
樹御前が歌うように祝詞を一小節だけ唱える。
すると、榊の幹は更に巨大化した。
同時に、木々を揺らす衝撃も小さくなる。
どうやら、沙槻さんが放った術を樹御前が強化したようだ。
「とおのさま!いまのうちにここからおにげください!」
「えっ!」
驚く僕に、沙槻さんは続けた。
「これもながくはもちません!かのじょがこのはなぞのからうごかないなら、ここからでれば、とおのさまはぶじににげることができます…!」
「そんな!それじゃあ、沙槻さんと御前様はどうなるの…!?」
二人を残して逃げろというのか。
確かに、僕がいても全く役には立たないだろう。
けど、二人を見殺しにして逃げるなんて、出来る訳が無い!
「あの娘の心を汲んでやれ、人の子よ」
樹御前が僕を見て言う。
「そなたも見ておったであろう?あの娘は、恐怖を押さえて、姫様に向かって行った。それも全てはそなたを生き永らえさせるためじゃ」
「ですが、御前様…!」
「また、会える…あの森でな」
すがるような視線で僕を見る沙槻さん。
二人の姿に、僕は胸を掻き
だが…
(いいえ。
突然。
声と共に榊の木が一瞬で枯死する。
もはや朽木となった幹を砕き散らしながら、乙輪姫が姿を現した。
「そんな…」
あっさりと術を突破された沙槻さんの顔色が、死人の様に青ざめる。
樹御前も険しい顔で乙輪姫を見ていた。
それに余裕の笑みを浮かべる乙輪姫。
「さっきまで何を見ていたの?妾の
何という力だろう。
炎を氷に。若木を朽木に。
ありとあらゆるものを反転させる…正に“天逆毎”が持つに相応しい力だ。
こんな力を持っている彼女に対し、僕達に何が出来るというのか…!?
「さて…それじゃあ、先にそなたから始末してあげるわ。予定は変わるけど、いいわよね?」
再びゆっくりと歩を進める乙輪姫。
美しい死の使者が、僕の眼前に迫る。
「人間、まずは右腕がいい?それとも左?」
「とおのさま、おにげください!!」
沙槻さんの悲痛な声がする。
「う…うあ…」
だが、恐怖のあまり僕は足が
乙輪姫がゆっくりと僕へ手を伸ばす。
「決められないの?じゃあ、妾が決めてあげるわ。まずは…」
「その右手をいただく」
ズガン!!
突然、冷徹な声と共に、物凄い衝撃音が響く。
間一髪で腕をを引っ込め、身をひるがえす乙輪姫。
身動きできずに立ち尽くしていた僕のすぐ横を抜けていったのは、一発の弾丸だった。
「…チッ。しつこいわね」
距離をとり、忌々しげに舌打ちをする乙輪姫。
そして、弾丸が放たれた方角に目を向ける。
「確かにとどめを刺した手応えはあったんだけど…全く、どこまで死に損ったら気が済むの?」
見れば。
エルフリーデさんと
いや、彼女だけではない。
かなりズタボロになっているが、バルバラさん達もいる。
「生憎だったな。我が隊には極めて優秀な衛生兵がいるのだよ」
地面に落ちていた軍帽を払い、被りなおしながら、エルフリーデさんが笑う。
その横で、救護箱を手にニッコリ笑いながらピースをするフリーデリーケさん。
見れば、七人とも軍服はところどころ破れているが、全員無事の様だ。
「それに驚いたのは、こちらも一緒だよ」
馬上鞭をピシリと鳴らすエルフリーデさん。
「いつの間に覚醒したかは知らないが、不意打ちまでするとはな…確か『狸寝入り』というんだったか?この国の神とやらは獣と同レベルか、全く」
「死霊風情が、生意気言わないで」
乙輪姫が牙を剥き出し、吠える。
再びその手に猛気が収束する。
「いいわ。二度とこの世に迷い出ないよう、今度は
「それにはおよびません」
大幣を身構えながら、沙槻さんが言う。
「そこのへんたいおんりょうは、わたしがいんどうをわたしますので」
「…フッ、面白い。受けて立とう」
不敵に笑うエルフリーデさん。
「だが、その前に駆除する相手がいるな」
「ええ」
二人はそう言うと、共に乙輪姫を見やった。
「面白い冗談ね」
嘲笑する乙輪姫。
「たかが人間の巫女に
「…では、天狗と鬼、おまけに暴走族もお付けいたしましょう」
そんな声と共に、木々を震わせ、爆音が響き渡った。
樹上を超えて、広場に着地したのは二台のバイク。
その後部座席から降り立ったのは…
「主任!」
僕がそう叫ぶと、
「生きていたか、十乃」
「はい…!」
僕がそう応えると、主任は微笑した。
「巫女…!」
そう言いながら、沙槻さんの傍らに降り立ったのは“
その姿を見た沙槻さんの表情が明るくなる。
「あきはさま!よかった…しょうきにもどられたのですね」
「はい。黒塚殿のお陰です」
そう言うと、秋羽さんは片膝をついて頭を下げた。
「しかし、御身をお守りすると言いながら、この体たらく…挙句、貴女に刃を向けておきながら、この様に身を晒す非礼をお許し頂きたい」
「だいじょうぶ。だいじょうぶです。あなたがもどってきてくれれば、これほどこころづよいことはありません」
平伏する秋羽さんのその肩に、沙槻さんが優しく手を置く。
「よう、巡!元気だったか?」
バイクにまたがったまま、ニカッと笑う
その横には
「間車さん!妃道さん!」
二人の無事な姿にそう笑いかけるも、僕は思わず俯いた。
「…すみません、間車さん…摩矢さんが…摩矢さんが…」
「あん?摩矢っちがどうした?」
「…摩矢さんは…僕達をかばって…」
その様子に間車さんの表情が凍りつく。
妃道さんも、状況を察したのか無言だった。
「…やられたのか」
歯を噛み締める僕に、間車さんは静かに問い掛ける。
僕は彼女の顔を見る事が出来ず、俯いたままだった。
「は…笑えねぇ。こいつは笑えねぇよ」
ギリ…と歯を噛み締める間車さん。
誰もが無言になる。
そんな中、含み笑いが生まれた。
乙輪姫だった。
彼女は、笑いながら言った。
「摩矢とは先に潰したあの小娘でしょ?確かに面白くもない滑稽な最期だったわね」
完全に包囲され、数の上では圧倒的に不利にも関わらず、乙輪姫は哄笑した。
それを見た間車さんの目つきが変わった。
その身を蒼い陽炎が包む。
「…何だと、テメエ。もういっぺん言ってみろ」
「聞こえなかった?滑稽な最後と言ったの…でも、滑稽なのは、そなたらも一緒よ、妖怪共」
全員を見回し、乙輪姫は目を細める。
「この程度の数で、妾に勝てると思ってるの?」
「上等だよ!」
爆音が大気を裂く。
「カビの生えた雑魚神が!
「やれやれ…落ち着けって言っても、無理っぽいよな、これは」
呼応する様に、妃道さんのバイクも唸りを上げる。
「あたしは部外者なんだけど…ま、仲間をやられて『ハイそーですか』って帰るのも性に合わないんでね」
「次は油断せぬ」
腰から抜いた剣の刀身に炎を宿らせ、秋羽さんが鋭い視線を送る。
「我が誓いと任務のため、御身の身柄を確保させてもらうぞ」
そして、主任が最後に進み出た。
「念のために聞いておきます、乙輪姫…話し合いや投降の意思はおありか?」
乙輪姫の笑いが止まった。
「…それ、本気で言ってる?」
「無論です…最初に申し上げた通り、我々は争いに来たのではないのですから」
「
間車さんが非難の声を上げる。
だが、主任は真っ直ぐに乙輪姫を見詰めていた。
沈黙が落ちる。
「…そう。そなたはとても真面目な人ね」
その視線を受けながら、乙輪姫は告げた。
「分かった。なら、妾も真面目に答えるわ」
手そのに収束した更に猛気が膨れ上がった。
「身の程を知りなさい、虫けら共…!」
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