【五十八丁目】「こーんな風に殺っちゃった♪」
古い鳥居をくぐると、そこは鬱蒼と木が生い茂った森になっていた。
“
歩を進める足元には、古い石畳が敷かれていた。
人の行き来が絶えて久しい筈だが、雑草もなく、歩きやすいのが有難かった。
「なにか、なつかしいかんじがします」
背後を歩く“
「まるで、じかんがとまっているかのよう…」
そして、目を閉じ、祈るように呟く。
それは、ここが時代に取り残された場所だからだろう。
国が組織する「特別住民対策室」の
「地元の人間ですら、立ち入る事はない」と。
大学で習った「神秘学」の言葉を借りれば、人の手が長く入らない場所は、その分、旧い時代の痕跡が強く残留し、結果「神秘」が色濃くなるという。
だから、いくら古いといっても、観光地化しているような寺社仏閣・遺跡は「神秘」を暴く「科学」の色に染まった現代人の意識に浸食されてしまっているため「神秘」はほとんど残留しないのである。
それは例え、一つの神話体系における主神級の神霊を祀った神殿であっても変わらない。
逆に、過去が強く残留する場所であれば、低位の神霊を祀った小さな
もっとも、神霊が発揮する力は、人々の「信仰」からも一定の影響を受ける。
人の手が入らない場所に祀られていても、信仰する人々が居なければ、神霊の力は削がれていく。
つまり、現代においては、これは矛盾なのである。
「科学」が発達した現代、人の目が届かず、手が入らない場所など僅かしかない。
例えあったとしても、そんな
仮に 人が集い「信仰」が生まれても、今度は「科学」に染まった人の意識が「神秘」を引き剥がしていく。
故に専門家は言う。
神霊は「科学」が発達し始めた時点で、既に落日を迎える運命にあった種族なのだ、と。
そして、彼らが「神秘」が失せたこの世界から別の次元へと去ったのは、それが原因とする者もいる。
真実は定かではない。
しかし、僕は考えてしまう。
「神秘」の枯渇は、妖怪達にとっても他人事ではない。
「神秘」が薄い現代へ奇跡的な復活を果たした彼らにとっても、取り巻く周囲の状況は、決して良いとは言えまい。
それは、いま一緒に居る沙槻さんにしてもそうである。
“
その「霊力」も妖怪達の持つ「妖力」も「神秘」に依るところは大きいからだ。
「科学」の発展が止まらない今の世界からは、いずれ「神秘」は枯渇する。
これはもはや避けようもない事実である。
ならば…その時を迎えた時、一体彼らはどうなるのだろう。
そんな漠然とした不安だけが、僕の胸に
「とおのさま、ひかりがみえます」
物思いに沈んでいた僕は、沙槻さんのその声に顔を上げた。
木々のトンネルがようやく終わり、前方に陽の光が見える。
「出口だ!」
僕は歩を速めた。
先程、ここに飛び込んだ
邪魔をするものはもはや居ない筈だ。
果たして、僕達は陽の光の元へ歩み出た。
「これは…」
「きれい…」
僕と沙槻さんは言葉を失った。
息を呑む、というのはこういう時を差していうのだろう。
そこは、一面に白い花畑が広がる大きな円形の広場だった。
広場の中心は小高い丘になっており、その奥には小さな社が見える。
幻想的な光景だった。
世界のどこを探しても、これ程美しい場所はあるまい。
「『マシロソウ』じゃな…これ程群生しているのは初めて見た」
不意に背後から、そう声が聞こえる。
振り向くと、そこには樹御前が立っていた。
純白に染まった花園を見渡し、目を細める。
「御前様…」
樹御前は、静かに微笑んだ。
「驚かせてすまぬのう。
しずしずと歩み寄り、僕達に並ぶ。
「姫様は“七人ミサキ”に任せて来た。安心せい。まだよく寝ておる」
「ごぜんさまは、このはなをしっていらっしゃるのですか?」
沙槻さんがそう尋ねると、樹御前は頷いた。
「妾は“彭侯”じゃ。こと植物に関しては、知らぬ樹木花草はない」
そう言うと、樹御前は身をかがめて足元に咲く白い花に触れた。
「これは『マシロソウ』といってな。遥か昔に絶え、今はもうこの国では見る事は叶わぬ花よ」
僕は驚いた。
「すると、絶滅種…ですか?」
頷く樹御前。
「懐かしいのう。昔は山々に咲いておったものだが、いつの間にか姿を消してしもうた。こうしてまた目にする日が来ようとは…長生きはしてみるものじゃな」
「なぜこんなところに…?」
沙槻さんが花園を見渡し、そう呟く。
「さて、な…じゃが、今の世にこの花がこれ程自生する事はあり得ぬ。誰かが世話でもしない限りはな」
意味深な樹御前の言葉に、僕と沙槻さんは顔を見合わせる。
「まさか…乙輪姫が?」
「でも、そうとしかおもえません」
あのJKギャルみたいな乙輪姫が、せっせと花の手入れをしている姿を想像し、僕は首を捻った。
こういってはなんだが…まったく似合わない。
沙槻さんも困惑した様に言った。
「まさか、かのじょがここからうごかなかったのは…このはながげんいんということでしょうか…?」
「うん…でも、希少な花だっていうのは分かるけど、本当にそれだけの理由なのかな…?」
「鋭いのう、人の子よ」
不思議がる僕達に、樹御前は静かに立ち上がりながら言った。
「このマシロウソウにはな、実は別名がある。何じゃと思う?」
樹御前の表情は、何故か悲しげだった。
答えられずに沈黙する僕達に、彼女は告げる。
「この花の別称はな“ミタマガエシ”というのじゃ」
「えっ!?」
沙槻さんが、驚きの声を上げる。
どうやら、そちらの名前には覚えがあるようだ。
沙槻さんは先程とはうって違った、驚愕の表情で花園を見詰めている。
「そ、そんな…いったいなぜそんなものが、こんなに…」
「知っているんですか?」
僕がそう尋ねると、沙槻さんは頷いた。
「…このはなが、ほんものの“みたまがえし”ならば、ある『じゃほう』のしょくばいにつかわれるときいたことがあります」
「『邪法』の…触媒?」
「ええ…」
沙槻さんの表情は、珍しく嫌悪に歪んでいた。
「さすがは“
樹御前は静かな声で、僕に告げた。
「教えてやろう、人の子よ。この花はな“
「ええっ!?」
今度は僕も驚いて声を上げる。
“反魂香”…それは中国の伝説に語られるお香の名だ。
昔、中国のある皇帝が、死別した夫人を想うあまり、この香を玉製の釜で練り、金の炉で焚かせた。
すると、立ち上る煙の中に、夫人が生前の姿のまま現れた。
皇帝は喜んだものの、手を伸ばしても触れる事は叶わず、声を掛けても応えは無く、より深い悲しみに暮れたという。
が、これはあくまで伝説だ。
実際は、そんな穏やかな代物ではない。
近年、稀に裏ルートで出回る反魂香は、正式な手順さえ踏めば、本当に死者の霊魂を呼び戻す事が可能である。
特に
但し…その場合、ほとんどの霊魂は当人ではなく、全く別の悪霊の類になる。
そのため、蘇った人間は当人の様に振舞いつつ、ある日突然、周囲の人々を巻き込んで凶行を引き起こすケースもあるらしい。
加えて、魂と肉体のつながりまでは戻す事は不可能なため、身体はどんどん腐敗し、最終的には二度目の死が待っている。
こうした事から、現在“反魂香”は法律で禁制品とされ、生成はおろか所有しただけでも重罪にかけられる。
「ここんとうざいをとわず“しびとがえし”のじゅほうは、じゅつしゃのあいだでも、きんきのものとされております…それは、どのようなほうほうをとっても、さいごにまっているのはかならず『ひげき』であるからです」
その悲劇を目の当たりにしたことがあるのか。
沙槻さんは、痛ましい表情を浮かべていた。
「とおのさま。このはなは、ここにあってはいけないものです。いまのうちに…」
「どーすんのー?」
突然。
ここに居ない筈の四人目の声が割り込んできた。
振り向いた僕達は、戦慄と共に声の主を見詰めた。
「そ、そんな…」
僕は思わず呻き声を上げる。
そこに居たのは“
「ねー、どーすんのー?」
にこやかに笑いながら、乙輪姫は手にした何かを指に引っ掛け、クルクルと回す。
僕はそれに見覚えがあった。
「そ、それは…!」
「ああ、これー?」
手にしたエルフリーデさんのものらしい軍帽を被り、ポーズを決める乙輪姫。
「どう?似合うー?」
脳天気にそう尋ねてくる乙輪姫。
沙槻さんが、僕と樹御前を
「…“しちにんミサキ”がいたはずです。どうやってここへ?」
そうだ。
彼女達は、乙輪姫を圧倒し、そのまま彼女を見張っていた筈だ。
「…ああ、あの死霊どもー?」
反応が無かったのが面白くなかったのか、乙輪姫は軍帽を脱ぐと宙に放り投げた。
「ウザいし、ムカついたからー」
落下して来た軍帽が地に落ちる。
それを踏みつけると、乙輪姫は無邪気に笑った。
「こーんな風に
僕は息を呑んだ。
あれ程の実力を持ち、乙輪姫すら寄せ付けず、終始圧倒していたエルフリーデさんや『
「それよりさー」
軍帽を踏みにじりながら、乙輪姫が目を細める。
「聞こえちゃったんだよねー」
穏やかな花園に相応しくない殺気が、僕達を包みこんでいた。
その発生源は、乙輪姫だった。
彼女は、やや俯いたまま、ゆっくりとこちらに近付いてくる。
僕はその時気付いた。
沙槻さんの背中が、細かく震えている事に。
先程、果敢に乙輪姫に向かっていった彼女が、今は怯えている。
樹御前も、厳しい表情で乙輪姫を見ていた。
「あんたらさー、ここをどうにかしようって言ってたっしょー?ならさー…」
乙輪姫の顔が上がる。
そこに、先程までのおちゃらけた彼女は居なかった。
「骨まで残さずぶっ
狂暴さに満ちた荒ぶる笑みを浮かべながら。
いにしえの妖怪神は、僕達へそう死の宣告をした。
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