【五十七丁目】「…行きましょう、沙槻さん」

ふん!」


 バルバラさんの鉄拳が唸りを上げる。

 空を裂く物凄い音を残し、鋼鉄の手甲が“天毎逆あまのざこ”こと乙輪姫いつわひめの頬をかすめた。


「ちょっとー、そんなの当たったらきもちいいでしょうー!?」


 続く回転蹴りをも避けつつ、文句を言う乙輪姫。


「安心しな!『痛い』って思った瞬間に意識ごと刈り取ってやるから!」


「何それ、穏和らんぼー」


「無駄口を叩いている暇があって!?」


 両手の曲刀カトラスを閃かせ、目にも止まらない程の斬撃を繰り出すカサンドラさん。

 稲妻の様な彼女の攻撃も、しかし乙輪姫には紙一重で避けられていた。


「ああん、もう!ヒラヒラ逃げないで大人しくやられなさいよ!」


「嫌ー」


「ああ、マズイ!時間が無い!こ、このままでは『ファフニル』の呪縛が、私の意識を…!」


「だからいらないっての!そういう中二病設定は!」


 軍刀サーベルを操りながら、もがき苦しむ(真似をしていると思われる)ディートリントさんへ、カサンドラさんからツッコミが入る。

 不思議な光景だ。

 攻撃方法は三者バラバラで、全く統一感がないのに、お互いの呼吸とタイミングがバッチリ噛み合っている。

 まるで、不揃いの大きさの歯車が、それでも連動して整然と動いている様だった。

 しかし、その鉄の連携をもってしても、乙輪姫を捉える事は出来ない。

 ゲルトラウデさんの機甲師団パンツァーディヴィジョンの砲撃を嫌ったのか、乙輪姫は「こっちの方がマシ」とばかりに『SEPTENTRIONセプテントリオン』前衛三人組との接近戦に徹していた。

 結果、味方を巻き込みかねない支援砲撃は封じられる形となってしまった。


「ふむ、存外に粘るな。流石は神霊級といったところか」


司令官コマンダント、精密射撃に切り替えますか?」


 後方で戦局を見ながら感心するエルフリーデさんに、副官のアルベルタさんが確認する。

 それに、エルフリーデさんは首を横に振った。


「いや、同志討ちは避けるべきだな…よし、方針を足止めに切り替えるぞ、アルベルタ!」


了解ヤヴォール!各員に通達!陣形変更“Sandmännchenザントメンヒェン”!」


 アルベルタさんの号令が下ると、攻撃に参加していた前衛三人組が、乙輪姫から一斉に距離をとった。


「なにー?また、砲撃ー?」


 いぶかしむ乙輪姫に、バルバラさんがニヤリと笑った。


「残念ながら違うぜ」


 そう言うと、バルバラさんの足元の影から一本の錫杖しゃくじょうが現れる。

 それを手にするバルバラさん。

 見れば、他の五人もいつの間にか同じ錫杖を手にしていた。

 そして、乙輪姫を取り囲むと、全員が錫杖を回転させ始めた。


シャラン


シャラン


シャラン


シャラン


シャラン


 規則正しい錫杖の音色が唱和する。

 乙輪姫は、眉根を寄せた。


「それ、一体何の真似…えっ!?」


 突然、ガクン、と乙輪姫が膝を折る。

 『SEPTENTRIONセプテントリオン』の猛攻を凌いでいた彼女が、あっさり崩れるなんて…一体何が起きたんだ!?

 バルバラさんは錫杖を回しながら言った。


「 “Sandmännchenザントメンヒェン”は『砂男』っていう意味さ。あたし達の故郷ヨーロッパでは、夜になると『砂男』が現れ、目に砂を撒いて人を眠らせるっていう伝説がある」


「この陣形は、その伝説にちなんで対象を強制的に催眠状態にする、いわば音響結界よ。この結界に捕らわれたら、例え荒れ狂うドラッヘンだって深い眠りに落ちるわ。まあ、使うのは砂じゃなくて音だけど」


 カサンドラさんがそう引き継ぐ。

 その言葉通り、乙輪姫は膝をつき、懸命に睡魔に耐えている様だった。

 神霊にも効果があるとは…恐ろしい陣形だ。


「さあ、眠れ。抗えば辛いが、身を任せれば至上の心地よさが待っているぞ」


「あは♪何なら子守唄歌っちゃいますよ、私」


 アルベルタさんは冷徹に、フリーデリーケさんは無邪気にそう告げる。


「…何、この眠さ…マジでウッザ……」


 一方の乙輪姫は、遂に両手を地についた。

 心底眠いのか、声も途切れ途切れだ。


「す、すごい…このおとは“あまのざこ”のようりょくのはちょうに、かんぜんにして、ねむりをさそっています」


 “戦斎女いくさのいつきめ”である沙槻さつきさんも、固唾を飲んでそう呟いた。

 これは…まさかの完全勝利!?

 神霊級に対し、ここまで有利に勝負を持ち込むなんて…

 改めて、彼女達が普通の怨霊・死霊とは一線を画す存在だって事を思い知らされる。 


「…」


 そんな中、ただ一人、樹御前いつきごぜんは表情も変えず、乙輪姫を見守っていた。


「ククク…冥府へ誘うこの魔音に魅入られた者を待つのは“死”だ…」


「…それは嘘だから、安心して…」


 邪悪な笑みを浮かべるディートリントさんの横で、ゲルトラウテさんが小さな声でフォローを入れる。

 そんなやり取りの中、遂に乙輪姫は倒れ伏した。


「状況終了。各位、陣を解除せよ」


 完全に意識を失った乙輪姫を確認し、アルベルタさんがそう宣言する。

 全員が錫杖の回転を止めるが、乙輪姫は安らかな寝息をたてて眠っていた。


「ふむ。これで邪魔者は消えたな。後はその鳥居の奥を調べる…だろう?」


 得意気にそう言うエルフリーデさんの言葉に、僕と沙槻さんは顔を見合わせた。


「え、ええ…でも、どうしてそれを?」


「お主の上司…黒塚クロヅカといったか…に頼まれたのじゃ」


 傍らにいた樹御前がそう説明する。

 僕は驚いた。


「黒塚主任に?」


 エルフリーデさんが頷く。


「そうだ。私もこの樹御前も、今回の一件に助っ人として黒塚に呼ばれたのだ。『どうか部下を助けてやって欲しい』とな」


 それに樹御前が頷いた。


「本来ならば、わらわは人間達のいざこざに首を突っ込むつもりはなかったのじゃが…まあ、乙輪姫様は旧知の間柄であるし、そなたには色々と世話になった経緯もある。いわゆる『特別さぁびす』というやつじゃ」


「私の方は聞くまでもなかろう?全ては愛しいおまえのためだ」


 そう言うと、美女二人が優しく微笑む。

 僕は胸が熱くなった。

 二人共、仕事上の成り行きで知り合っただけだというのに、こんな形で駆けつけて、力を貸してくれるなんて…

 同時に、この二人に声を掛けてくれた黒塚主任の配慮にも胸を打たれた。


「御前様、エルフリーデさん、それに『SEPTENTRIONセプテントリオン』の皆さんも…本当にありがとうございます」


 素直に頭を下げる僕。

 すると、アルベルタさんが表情を少し和らげ言った。


「十乃様、お顔を上げてください。そもそも、我々は司令官コマンダントと一心同体の存在。故に指令があれば、動くのは当然のことです」


「そーそ。お陰で久々に暴れる事も出来て、スカッとしたしな!」


 二カッと笑うバルバラさん。

 その隣でカサンドラさんがツンと顔を背ける。


「ふん…礼なんて言われる筋合いはないわ。私は別に貴方がどうなろうと知ったこっちゃないの。でも、お姉様…いえ、司令官コマンダントの指令だから仕方なくやってるだけよ」


「大丈夫ですよ、十乃さん。カサンドラちゃんは、単に司令官コマンダントを十乃さんに取られてねてるだけですから」


「なあっ!?ナニ言ってんのよ、フリーデ!」


「フフフ…戦場に咲く禁断の百合ユリの花…」


「あ・ん・た・も!何が言いたいのよっ!」


 ほくそ笑むディートリントさんのおさげを引っ張るカサンドラさん。


「…」


 ゲルトラウデさんは、何故かじぃ~っと僕を見詰めているだけだった。


「さあ、行くがいい十乃。私達がこの異教の神を見張っておいてやろう。その間にさっさと仕事を済ませて来い」


「ありがとうございます、エルフリーデさん」


 僕は再度礼を言うと、沙槻さんと頷き合う。

 そして、鳥居の奥へと足を向けた。


「…」


 途中、落ちていた摩矢まやさんの銃が目に入る。

 僕はそれを手にした。


「摩矢さん…」


 周囲にはそれ以外に何の痕跡も無い。

 まるで彼女自身がこの場に居た事自体が嘘だったかの様に。

 だが、確かに摩矢さんはここに居た。

 そして、僕と沙槻さんを庇い、僕達の目の前で…


(せめて、一緒に行きましょう)


 目を閉じ、胸の内でそう呼び掛ける。

 そんな僕を、沙槻さんが沈痛な面持ちで見ている。

 しばしの瞑目の後、僕は顔を上げた。


「…行きましょう、沙槻さん」


「はい…」


 胸の中で荒れ狂う感情を、必死に抑える。

 摩矢さんの最期の光景が、頭の中に焼きついて離れない。

 それでも…今は自分のやるべき事をやらなくては。

 でないと、摩矢さんに叱られそうな気がした。


 だから、僕達は歩き出した。


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 それは夢。

 過去を辿る、在りし日の再現リフレイン



 自我を認識した時、世界は彼女に美しい姿を見せた。

 空も海も山も川も、その全てが美しかった。

 獣も鳥も、全てが「ありのままの姿」に満ちた美しい世界。

 それを愛しんだ彼女は、この世界に生まれ落ちてからその中を微笑みと共に巡った。

 時間はある。

 悠久の時の中を、彼女は自由に舞い踊る様に過ごした。

 何一つ疑わず。

 偽りのないこの世界のように生きる。

 その「ありのまま」が彼女の全てだった。


 どれだけの時が過ぎただろう。

 山野で幸福に生きていた彼女は、いつしか獣や鳥以外にこの世界に根付いた存在を知った。

 彼ら…「人間」は彼女にも分かる言葉を話し、集落を作り、栄えた。

 時に協力しつつも、争いを起こす彼らを、彼女は不思議に思っていた。


 何故、あの者達は嘘をつくのだろう。


 相手を欺き、互いに傷付け合うのだろう。

 純粋な彼女は、それがとても不思議でならなかった。


 そんな人間達を横目に、山野で自由を謳歌おうかしていた彼女は、ある時、一人の人間の男と出会った。

 男は最初、彼女に出会って驚いていた様だが、根が優しく素直だった男は、似た者同士だった彼女とすぐに打ち解けた。

 男は山で薬草を採り、それを薬として売ることを生業なりわいとしていた。

 病気になった事の無かった彼女だったが、永く山野に生きていたため、山草の種類には詳しかった。

 そのため、男に乞われ、様々な薬草の知識を与えた。

 彼はひたむきに彼女に師事し、薬師として腕を上げていった。

 それは二人にとって、とても幸せな時間だった。


 だが、その時間にも終わりが来る。


 ある時、彼女の元に疲弊しきった彼がやって来た。

 驚いた彼女が理由を聞くと、彼の母親が難病に倒れ、死の淵にあるという。

 男は彼女から伝授された薬学を用い、何とか母親の延命してきたが、その限界が来たのだった。

 嘆き伏す男に、心優しい彼女も胸を痛めた。


 実のところ、彼女は難病にも効果があるという薬草の事を知っていた。


 しかし、その薬草は鳥も通わぬ険峻な高山に生えており、山野に生きた彼女でも容易に採る事が適わないものだった。

 ましてや、山に慣れていない男にとっては、ほぼ不可能に近い。

 しかし、迷う彼女の様子に気付いた男は、彼女にすがり、問い詰めた。

 幾度の逡巡の末、根が素直だった彼女はついに根負けし、彼にその薬草の生えている場所を伝えてしまう。

 喜んだ男は、制止する彼女を置いて、一人山の中へ入って行った。


 三日が経った。

 心配する彼女の元に、傷だらけになった男が戻って来た。

 その手には、僅か一握りの薬草が握られていた。

 あの薬草だった。

 万に一つの奇跡が起きたのである。

 だが、代償は大きかった。

 彼女は傷付いた男を懸命に介抱したが、その甲斐も空しく、彼は息を引き取ってしまった。


 その時、彼女は初めて自分自身と世界を呪った。


 何故、あの時正直に話してしまったのか。

 自分が本当の事を言わなければ、男は死ぬことはなかったのではないか。

 この世界は「本当の事」で満ち、それが何よりも尊い筈なのに、何故、彼女から彼を奪ったのか。


 「本当の事」を話すことで、人が不幸になるなんて思いもしなかった彼女は、深く傷付き、嘆き続け…


 その日から「本当の事」を口にするのを止めた。

 全て真逆に考え、それを自分の言葉とした。


 これは遥か昔の出来事。

 神と人が近くにあった「神代」と呼ばれた時代。

 その時代が、黄昏を迎える頃に起きた、一つの悲劇である。



 そして、悪夢は終焉へ。

 まぶたに焼き付いた残酷な記憶が、覚醒めざめへと追いたてる…

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