【五十四丁目】「…達者でいいんじゃよな?」

「あー、多忙ひまー」


 晴れ渡った青い空。

 妖怪神“天逆毎あまのざこ”こと、乙輪姫いつわひめは、台詞とは真逆に雉鳴山じめいさん山頂にある古い神社の鳥居に一人寝転がり、そうぼやいた。

 天女の様なきらびやかな装束から、美しい脚線をしどけなく覗かせ、行儀悪く寝転んでいる。

 神代に生じた彼女は、とある理由からこの現世から遠ざかっていた。

 そしていま、再びこの世界へと再臨し、自由を謳歌している。

 してはいるのだが…


「超 多忙ひまー。マジ 多忙ひまー。激 多忙ひまー」


 手慰みに上空に浮かぶ白い雲を、手から放つ猛気の弾丸で消し飛ばしていく乙輪姫。

 さすがに神霊ともなると、ヒマのつぶし方も常軌を逸していた。

 不毛な遊びに興じず、とっとと下山し、現世を見物にでも行きたい彼女だったが、


(あーあ、昨日の人間みたいなの、また来ないかなー)


 昨日、妖怪達を引き連れてやって来た人間の男がいた。

 その男は小癪こしゃくにも「大人しくしていれば仲良くしてやる」みたいなことを言い出し、自分を懐柔しようとした。

 愚かな話だ。

 純然たる神霊ではないが、乙輪姫は神代に由緒を持つ古代神の一柱である。

 神代において人間は、神霊達にしてみれば無力なヒヨコ並みの存在だったのだ。

 そんな人間ごときの懐柔策で、どうこうできると思ったのだろうか。

 とはいえ、格好の暇つぶしにはなった。

 逃げおおせる際、彼女が放った権能けんのう万象反転ばんしょうはんてん】受け、倒れた様だが、恐らく死ぬまでは至っていまい。

 何故なら、その男の身体から彼女と似た存在…神霊のにおいがしたからだ。

 即ち、それはあの人間が、何らかの神霊の加護を受けている事を示していた。


「それにしても…やっぱ、イケすかないしいにおいだったなー、アレ」


 言葉の割に、飄々とした顔のままの乙輪姫。

 素戔男尊すさのおのみことという稀代の神霊から生じた彼女ではあるが、他の神霊との交流はない。

 父と呼べる素戔男尊すら、彼女の誕生後は一切関わりを持たなかった。

 何より「万事を逆する」という性質を持つ彼女に友人はおらず、逆に敵対する神霊ばかりだった。

 彼女自身、自分が孤独である事は生来からの環境なので、何の違和感も感じていなかった。



『約束だよ』



 不意に。

 乙輪姫の脳裏に小さな声が蘇り、彼女は身を起こした。

 そのノイズにも似た感覚に、乙輪姫は頭を振った。


「…はー、ウザ。マジでウザいっての」


 珍しく言葉通りに眉根をしかめる。

 そして、再び鳥居の上に寝転んだ。


「あー、もー!多忙ひまで死ぬ―!!面白つまんなーい!」


 我慢の限界に達し、今度は手近な山に猛気でも撃ち込んでやろうと思った時。

 乙輪姫は、山麓から近付く聞きなれない音に気付いた。

 静かな山中に無遠慮な爆音と「パラリラパラリラ」という耳障りなラッパが響き渡る。

 目を凝らすと、何やら見慣れない二輪の車に乗った人影が二つ、こちらに近付いてくるではないか。

 一瞬呆気にとられてから、目を凝らす。

 近付いてくるものを見て、乙輪姫はニンマリ笑った。


「…新しいおもちゃはっけーん♪」


 やがて、彼女の前に二台の乗り物が停車する。

 見れば見るほど奇妙な乗り物だった。

 騒音と共に異臭を撒き散らすのもそうだが、形状が異様だ。

 後部からは何本かの筒が、まるで鶏の尾羽の様に突き出ている。

 手綱のような金具もあるが、大きく湾曲しており拳を縦に立てた形でしか握れない。

 座席も背もたれが付いているが、安定性はなさそうだった。

 加えて、乗り手の女二人もまた奇妙な出で立ちをしている。

 ショートカットの方は、トッキントッキンに角ばった色眼鏡グラサンに鉢巻き、前を開け放した白いぶかぶかの装束を着ていた。

 長髪の方は、口にマスクをし、サラシに紫色の似た様な衣装を着ている。

 ちなみに衣装やマスクには「夜露死苦よろしく」やら「走死走愛そうしそうあい」やら、意味の分からない当て字が入っていた。


 平たく言えば。

 「昭和の女暴走族レディース」の再現がそこにあった。


 ぶかぶかの衣装は特攻服そのままで、ついでに言えば乙輪姫に向けてくる視線も、そのまま「ガンを飛ばしている」と言っていいくらいだ。

 女暴走族レディース二名…間車まぐるま りん朧車おぼろぐるま)と妃道ひどう わだち片輪車かたわぐるま)はバイクにまたがったまま、乙輪姫を見上げた。


「随分ヒマそうだな、天逆毎さんよ」


「そー見えるー?結構 多忙ひまなんだけど、あたしー」


 ネイルに息を吹きつけながら、着物の裾で磨き始める乙輪姫。

 相変わらずの人を食った態度に、輪はイラッとなりかけたが、フッと笑った。


「そいつは済まねぇな。けど、ちょいとあたしらに付き合ってもらおうか?」


「何でー?」


「決まってんだろ。昨日のお礼参りってやつさ」


「…なぁ、間車」


 不意に妃道が口を挟む。


「聞くのも今更だけど、それとこの格好に何か意味があんのか?」


「あるに決まってんだろ。様式美ってやつだよ、様式美。昔からお礼参りってなりゃあ、それなりのスタイルってもんがあるんだよ」


 出掛けに輪によって、強制的に衣装を整えられた自分を見て、他の連中が「ああ、自分じゃなくて良かった」という顔をしていたのを思い出す。

 妃道は溜め息を吐いた。


「…毎度毎度、お前と絡むとロクな格好にならねぇ」


「うるっせーな、ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ!ビッタシ似合ってる癖に!」


「黙れ。そっくり返してやるよ、この昭和脳め」


「何だと!?」


「何だよ!?」


 険悪な感じで睨み合う輪と妃道。

 そこへ乙輪姫が、退屈そうに頬づえをかいて口を挟む。


「…ねー、オチはまだー?」


「「漫才じゃねぇ!!」」


 二人が牙を剥いてハモった。


「とにかく!あたし達に付き合ってもらうぜ!」


「いいけどー?でもさー…」


 輪の言葉に乙輪姫は、目を細めて笑った。


よわいんじゃないのー?あんたらー」


 嫌味たっぷりにそう言う乙輪姫。

 実際、双方の実力差は歴然としていた。

 荒事に慣れた歴戦の猛者の二人だが、妖怪と神霊とではそもそも次元が違う。

 それは輪と妃道も承知の上だ。

 しかし、二人は顔を見合わせて、ニンマリ笑った。


「聞いたか、妃道」


「聞いたぜ、間車」


 二人はおもむろにバイクのエンジンをふかした。

 物凄い爆音が大気を切り裂く。

 その無遠慮な騒音に、乙輪姫が眉根を寄せる。


「おい、天毎逆!」


 爆音の中、輪の呼び掛けに、乙輪姫がいぶかしげな表情になる。


「あんたにひとつ、言いたい事がある!」


 妃道はそう言いながら、再度輪と顔を見合わせてから、大声で告げた。


「この雑魚ざこが!」


 目が点になる乙輪姫。


「雑魚のくせに生意気言ってんじゃねぇぞ、この雑魚女!」


「天毎逆?あんたなんか、ただの雑魚で十分だよ!この大雑魚が!」


「やーい、雑魚ー!」


「近寄るなー、雑魚臭が移るー」


「雑魚!雑魚!雑魚!」


「雑魚とは違わないのだよ、雑魚とは!」


 罵詈雑言。

 輪と妃道は、揃ってあらん限りの罵倒を乙輪姫にぶつけ始めた。


「宮雑魚ぉ…です!」


「それは似てねぇ」


 バカ笑いする二人。

 呆気にとられていた乙輪姫だったが、不意に目を細めた。


「…へー。で、オチは?」


 乙輪姫の声は、冷たく固かった。

 その手に猛気が集中し始める。

 それを見るや否や、二人はバイクのアクセルを全開にした。

 そして、そのままターンし、爆走し始める。


「逃げろ、雑魚がキレたぞ!」


「雑魚のくせに~!」


 一瞬で逃走し始める輪と妃道。


面白つまんないよ、あんたら…!」


 遠ざかる二人の背中に向けて、冷酷な瞳で猛気を放つ乙輪姫。

 だが、走る事に特化した二人は、神技めいた動きでそれをかわしていく。


「当たるかよ、そんなもん!」


「悔しかったら捕まえてみな!」


 振り返りながら、囃したてる輪と妃道。

 乙輪姫は、溜息を吐いた。


「…こんなあからさまな挑発、絶対何かあるよねー」


 そして、パチンと指を鳴らす。

 その瞬間、乙輪姫の周囲の森がザワ…!と蠢いた。

 直後、無数の飛影ひえいが空に舞う。

 各個の武器を携えた木葉天狗このはてんぐ衆と、天狗神“三尺坊さんじゃくぼう”こと日羅ひら 秋羽あきは

 乙輪姫の術中に落ちた彼女達は、未だそれに捕らわれたままだった。

 乙輪姫が遠ざかる輪と妃道を指差す。


「アレ、捕まえてくんない?死なない程度に痛めつけてもいいからさー」


 命令を受け、物凄いスピードで飛翔する天狗達。

 揃いの黒鎧にまとった黒い外套マントをなびかせ、疾風の様に二人を追う。


「来た来た、来やがった…!」


「上等!スピード勝負なら、こっちの十八番おはこだよ!」


 山道にもかかわらず、二人の速度は落ちるどころか増していく。

 輪の身体からは蒼い陽炎が立ち上り、バイクの車体を覆う。

 妖力【千輪走破せんりんそうは】により、輪の駆るバイクの機能が著しく上昇し、走破性そのものが向上していく。

 一方の妃道も妖力【炎情軌道えんじょうきどう】を発動させる。

 バイクに描かれた炎のマーカーが実体を結んだ。

 車輪が燃え立ち、紅蓮の軌道を大地に刻む。


「よーし、ついでだ!おい、妃道!」


 輪の呼び掛けに、妃道が反応する。

 ニヤリと笑う輪。


「いつかの約束通り、お前との勝負もバイクでつけてやる!」


 その台詞に、妃道も笑みを浮かべて応えた。


「ハッ!そっちも上等だよ!後ろのカトンボ共々、蹴散らしてやるさ!覚悟しな!」


 蒼紅の光が、爆音と共に流星と化した。


-----------------------------------------------------------------------------


 「まずは陽動成功、ですね」


 同刻の雉鳴山山頂。

 茂みの中に身を隠しながら、遠ざかって行く間車さんと妃道さん、秋羽さん達を見送り、僕はそう呟いた。

 一緒に隠れている摩矢まや野鉄砲のでっぽう)さんが頷く。


「でも、やっぱりあいつは残った」


 視線の先には、鳥居の上から動かない乙輪姫の姿が見える。

 間車さん達の挑発にも反応せず、相変わらず不動の構えを見せている。

 本来なら、天狗衆と一緒に彼女も誘い出し、神社に潜り込む作戦だったが、そう都合良くいかなかったようだ。


「やはり、なにかのちからでここにくくられているのでしょうか…でも、とりたててなにもかんじません」


 周囲を探っていた沙槻さつきさん(戦斎女いくさのいつきめ)がそう報告する。

 ここのところ、塞ぎこんでいた彼女だが、今は凛々しい雰囲気だ。

 ただ、良く言えば意気高揚、悪く言えば無理をした様な、どこか気負いみたいなものを感じた。


「問題はここからですね。動かない彼女をどうしたらあそこから引き剥がせるか…」


 見た目はノリの軽いJKギャルでも、そこはさすがに神霊である。

 先程の一幕を見ても、彼女は容易に挑発乗るタイプでは無い様だ。


「…逆に考えることにしよう」


「逆に?」


 摩矢さんの言葉に、僕が聞き返す。


「あいつがあそこから動かないなら、逆に懐に飛び込んで無理矢理誘い出す」


「まさか…まやさま、あのじんじゃのなかへとびこむおつもりでは?」


 ハッとなって、沙槻さんが摩矢さんを見る。

 僕は驚いて声を上げそうになった。


「ちょ、ちょっと待ってください!あの鳥居の先がどうなっているか、何も分からないんですよ!?それなのに特攻するんですか!?」


「どのみち、私達じゃ神霊相手に勝ち目はない」


 摩矢さんは冷静に告げた。


「私がおとりになってあいつの注意を引く。そのまま時間を稼ぐから、二人は神社の中を上手く探って」


「そんな…!」


 摩矢さんは、沙槻さんを見た。


「私一人なら、逃げ回る事はくらい出来る。そして、君ならこの子も守れる」


「で、ですが…わたしは…」


「…“戦斎女いくさのいつきめ”、何を迷ってるの?」


 真正面から向けられた摩矢さんの言葉に、沙槻さんはハッとなってから項垂うなだれた。


「…わたしにはむりです」


 気弱に首を振る沙槻さん。

 まるでしおれた百合ゆりの花の様に痛ましい。


「せんじつも、とおのさまをまもるどころか、まもられてしまって…このようなおすがたに」


 成程。

 気落ちした表情でいた理由はそれだったのか。

 自分のせいで、僕が女の子になってしまった事を悔やんでいたのだろう。


「なら、次こそこの子は死ぬかも知れないね」


 僕を指差し、恐ろしい事をさらっと口にする摩矢さん。

 確かに、もう一度乙輪姫の猛気を受けたら、無事に済むとは限らないが…

 いや、そもそもだ。

 戦闘の役にも立たないのに、黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)はどうして僕を皆に同行させたのだろう?

 その肝心の黒塚主任は、僕達と同行する予定だったが「かけたを迎えに行ってくる」と訳の分からない事を言って、姿を消してしまった。

 落ち込んだ表情の沙槻さんに、摩矢さんは続けた。


「いわば、君の迷いがこの子を殺す事になるよ?」


「…」


「覚悟が無ければ帰った方がいい。誰も止めないし」


 厳しい摩矢さんの言葉に、沙槻さんは無言のままだった。

 僕は意を決して口を開こうとした。


「摩矢さん、やっぱりその方法は…」


「いま一番確実なやり方」


 背負った銃の具合を確認する摩矢さん。

 幼い外見だが、摩矢さんは降神町役場うちのメンバーの中でも、一番の現実主義者リアリストである。

 それ故、荒事に向かう事が多い彼女は、常に必勝の手段を探る。

 深山で一人暮らしていたという彼女は、生と死と隣り合わせの野生にちじょうで生きてきたのだから、それは自然に身についた本能なのだろう。

 一体どんな生活だったかは想像もつかないが、彼女の在り様を見れば、それだけは何となく分かる気がした。


「どうする?輪達はもう走り出した」


 俯いたままの沙槻さんは無言だ。


「言っておくけど、木葉天狗達だけならまだしも、三尺坊相手だと輪達でも稼げる時間は限られている」


 銃の具合を確かめ終えると、摩矢さんはそう告げる。


「…わかりました」


 長い沈黙の後、沙槻さんはそう切り出した。


「いずれにしろ、あまのざこが、ここからげかいにおりたら、よのなかはこんらんします」


 そして、ぐっとこぶしをにぎりしめ、


「それに、とおのさまをもとにもどさなければ、あかちゃんをさずかることができません…!」


 …いや、そこは力説しないで欲しい。


 ともあれ、これで方針と覚悟は固まった。

 後は鬼が出るか蛇が出るか。


「なら、始めようか」


 摩矢さんの言葉に、頷く僕と沙槻さん。

 よ、よーし!

 僕だってやるだけやってやる!


「巡」


「はい?」


 摩矢さんが僕に近付いてくる。

 すれ違いざまに僕の肩をポンと叩く。



 珍しく、うっすら笑みを浮かべる摩矢さん。

 そして、僕が何か言う前に、摩矢さんは風の様に駆け出した。

 茂みを抜け、忍者みたいな体術で、乙輪姫の真横に回り込む。


「…へ?」


 突然現れた摩矢さんに、驚く乙輪姫。


「舞え…!」


 懐から取り出したのは無数の鉄製の輪だった。

 確か、戦輪チャクラムと呼ばれる古代インドの投擲とうてき武器だ。


「【暗夜蝙声あんやへんせい】!」


 摩矢さんの目が赤く輝く。

 そして、指に引っ掛けた戦輪を回し、その遠心力を利用し、戦輪を放った。

 飛び立った無数の戦輪は、物理法則を無視した軌道を描き、四方八方から乙輪姫に迫る。


「やば…!」


 乙輪姫は一瞬で跳び起き、鳥居から跳躍した。

 戦輪は古びた鳥居を切り刻んだ。


「ちょっとー、いきなりなにー?」


 着地してから、抗議する乙輪姫。

 その眼前で、摩矢さんは鳥居に向かって疾走し始めた。

 そのまま、鳥居をくぐり、神社の中へ向かう。

 それを見た乙輪姫は、ムッとなった表情になった。


「人の話を…」


 鳥居に駆け寄った乙輪姫の手に、猛気が集中する。


「聞けっての…!」


 それをそのまま鳥居へと撃ち込む乙輪姫。


 その瞬間だった。


 鳥居をくぐり抜け、奥へと消えた摩矢さんが、鳥居から飛び出てくる。

 なっ…!

 一体どうなっているんだ…!?


「!?」


 いつも冷静な摩矢さんも、何が起こったのか分からなかったのだろう。

 元の場所に戻って来た事に唖然となっていた。


「…あんたさー、昨日来てたよねー?」


 振り向く摩矢さんの前で、乙輪姫が目を細める。


「さっきの二人といい、一体何を企んでんのかなー?」


「…」


「言えない事、考えてたー?ダメだよー」


 笑顔で猛気を手に集中させる乙輪姫。


「あとー、そこ立ち入り禁止だからー」


 瞬間。

 乙輪姫の目が鋭くなる。


「次、同じ事したらー…マジでヤっちゃうよ?」


「く…」


 摩矢さんが、覚悟を決めた様に猟銃を構える。

 まずい!

 いくら摩矢さんでも、神霊とまともに戦えば、無事では済まない!


「いきます…!」


 沙槻さんが立ち上がる。

 摩矢さんの援護に回る気か!?


「沙槻さん、ダメだ!」


 例え“戦斎女いくさのいつきめ”が加わっても、分が悪い事には変わりは無い。

 沙槻さんは悲痛な表情で、引き止める僕を見た。


「ですが、あのままではまやさまが…!」


「あ、もしかしてー、昨日の生意気すなおな人間もいるのー?」


 乙輪姫が周囲に聞こえる様な大きな声で言う。

 昨日の人間って…僕の事!?


「いいねー。また昨日みたいに遊ぼうかー」


 その手に渦巻く猛気を掲げて見せる。


「今度はー、確実にーかせてあげるからー、カクゴしてねー?」


 うあ。抹殺宣言出た。

 それを聞いた摩矢さんの目が鋭くなる。


「やらせない…!」


 迷わず引金を引く摩矢さん。

 放たれた妖気の弾丸が、あり得ない弾道を描き、乙輪姫の真後ろから襲い掛かる。

 だがしかし。

 乙輪姫は手に収束した猛気を振り回し、まるで小虫でも追い払うように弾丸を消失させた。


「あははは、ざんねーん!」


「くっ…」


 続けざまに、何発もの妖気の弾丸が乙輪姫に放たれる。

 その全てが複雑怪奇な弾道で一斉に襲い掛かった。


「よっ、はっ、ほっ…と♪」


 だが、いずれも乙輪姫の手に渦巻く猛気に相殺されてしまう。

 信じ難い反射神経だ。

 弾丸の中には、軌道修正し、挟み打ちで着弾しそうなものまであったというのに…!


「もう終わりー?」


 流石の摩矢さんも、圧倒的な実力差に立ち尽くすばかりだった。

 乙輪姫が、詰まらなそうに鼻を鳴らす。


「んじゃあー、今度はあたしのターンねー」


 右手の猛気に左手を重ねる乙輪姫。

 それだけで猛気の濃度が極大まで膨れ上がった。


万象ぜんぶ…」


 摩矢さんは咄嗟に避けようとして留まった。

 彼女の背後には、僕達が潜む茂みがあった。


 そんな。

 駄目だ。

 アレを受けたらいけない。

 彼女は僕と違って「天霊決裁てんりょうけっさい」を持っていないんだぞ…!


「摩矢さん…!」

「まやさま…!」


 僕と沙槻さんが同時に叫ぶ。


 が…


反転はんたいにー!」


 放たれた猛気が、摩矢さんの小さな身体を呑みこむ。

 その瞬間、彼女は僕達へと振り返った。

 その唇が動く。


 “さよなら”


 そう見えた。

 そして、猛気がたわみ、収束した後、彼女の姿はきれいに消滅していた。

 愛用の猟銃のみが、音を立てて地面に転がる。





 そ、


 そんな…


 うそだろ…




「あー、そこに居たんだー」


 立ち尽くす僕達の姿を見つけ、嬉々と笑う乙輪姫。


「ねー、あんたさー…アレ?あんた、何で女になってんのー?」


 キョトンとする乙輪姫。

 そこに…


「たかあまはらあまつのりとの ふとのりと もちかかんのんでんはらいたまいきよめたもう…!」


 沙槻さんが絶叫に近い声を上げ、祝詞のりとを高速で唱和した。

 今まで見た事の無い鬼気迫る表情で、大幣おおぬさを振るう。

 大幣に凄まじい霊気が収束し、光の束と化した。


「…へー!『最上祓さいじょうのはらい』かー!人間で使えるの、まだいたんだー」


 面白そうに眼を見開く乙輪姫。


「あまのざこ、おかくご!!」


 風の様に乙輪姫に突進する沙槻さん。

 光の束となった大幣を、両手で持ち、剣の様に振り降ろす。

 必殺の勢いで振り降ろされたそれを、乙輪姫は手に束ねた猛気の扇で受け止めた。


「!?」


「んー…60、いや55点ってとこ?」


 乙輪姫が光の束をしげしげと眺め、そう品評する。


「術の練りが甘いよー。だから、この程度なんだよー」


 乙輪姫は、そこで沙槻さんの表情に気付くと、悪戯っぽく笑った。


「…ね、何かうれしい事でもあったー?」


「ああああああああああああああっ!」


 沙槻さんの目に殺気が宿る。

 その霊気が更に膨張していく。

 乙輪姫はうんうんと頷いた。


「やりゃあできるじゃんー。はい、73点ー」


 瞬間。

 猛気の扇を捻り、たいを入れ替えた乙輪姫が、沙槻さんの力を利用し、そのまま華麗に弾き飛ばした。

 地面を転がり、木に激突する沙槻さん。


「あーあ、イタそー」


「…」


「あれー?気絶したー?」


 倒れ伏したままの沙槻さんに近付く乙輪姫。

 その距離が縮まった瞬間、沙槻さんの身体が跳ね上がった。


「かぜのかみしなつひこのみことしなつひめのみこと!」


 風の神の力を宿し、沙槻さんが天を舞う。


「つちのかみはにやまひめのみこと!」


 続けて、土の神の力が顕現し、乙輪姫の足元が軟泥と化す。


「うひー、気持ち悪ー、服汚れる―」


 膝まで地面に咥えこまれながら、乙輪姫は呑気な悲鳴を上げ、服の裾を摘んだ。


「ひのかみほむすびのみこと!」


 宙に浮いた沙槻さんの周囲に、紅蓮の炎が渦巻く。


「はらいたまい!きよめたもう!」


 大幣で乙輪姫を指すと、炎の奔流が乙輪姫に襲い掛かる。

 まさに灼熱の滝だった。

 迫るそれに対し、乙輪姫は扇を煽ぎながら、猛気の盾を形成。

 その盾に触れた瞬間、炎は何と一瞬で氷柱と化した。


わらわはー、天逆毎ー」


 おののく沙槻さんへ、ニッコリ笑う乙輪姫。


つねかみことわりはんするものなりー」


 次元が…違い過ぎる。

 こんな相手に勝てる訳が無い…!


「さてさてー、もうお仕舞いー?」


 無邪気に笑う乙輪姫。

 対する沙槻さんは、口惜しげに歯を噛み締めている。


「やっぱりー、人間はよわいー」


 高らかな乙輪姫の笑い声に、ふと静かな歌声が重なった。

 気のせいか…?


「…ん?」


 いや、気のせいではない。

 乙輪姫も聞き耳を立てる様に、笑うのを止めた。


「この声…」


 次の瞬間、乙輪姫の周囲から幾筋もの蔓草つるくさが生え、その全身を絡め取る。


「あいたー!なにすんのー、もー!」


 歌声が強くなる。


 待て。

 この声聞いた事がある様な…


 そう思った瞬間、周囲の木々がざわめきを起こす。

 枝という枝が、風も無いのにさんざめく。

 その最中を、しずしずと歩み来る者がいた。


 あ、あれは…!


「久方振りじゃな、人の子よ」


 若草色の十二単じゅうにひとえに、金色の額冠が目映い光を放つ。

 玉虫色の光沢を放つ黒髪が、森の緑に美しい色彩を添えていた。


「い、樹御前いつきごぜん様…!」


 驚愕する僕に、樹の精霊“彭侯ほうこう”こと樹御前がニッコリ笑う。

 彼女とは一年前のある出来事で出会って以来だった。


「達者で何よりじゃ…」


 そこで、ふと女性化した僕をしげしげと見て、


「…達者でいいんじゃよな?」


 確認する様に聞いてくる御前様。

 達者ですよ。

 異性になったのが「達者」のカテゴリーに入るか知らないけど。


「御前様、何故ここに?」


「なに、援軍じゃよ。あと、昔馴染みに会いに来ただけじゃ」


「昔馴染み…って、えええええっ!?ま、まさか…」


 樹御前の視線が乙輪姫を捉えているのを見ながら、僕は思わず叫んだ。


「あー、やっぱ、かー、おひさー」


「御無沙汰しておりまする、姫様」


 ロイヤルオーラに満ち溢れ、見る者を平伏させる樹御前が、逆に静かにこうべを垂れる。

 まあ、見た目は御前の方が年上だが、確かに乙輪姫の方が古い存在だ。

 敬語を使っても不思議は無い。


「ところでさー、いっちゃん、いま面白つまんないこと言ったねー?」


「面白い事?」


「そー」


 乙輪姫の目が細まる。


「援軍とかさー。もしかして、妾じゃなくて人間の味方するのー?」


「はい」


 優雅に笑う御前様。


「この者とは、とあるえにしがありますゆえ」


「…ふーん」


 詰まらなそうにそう言うと、ミキミキと蔓草を引き裂く乙輪姫。

 分厚い鎖の様になった蔓草が、一瞬で弾け飛んだ。


「いっちゃんさー、妾に勝てるつもりー?」


「いいえ。無理でしょう」


 あっさりそう答える樹御前。


「なので、


「え?」


 乙輪姫が眉根を寄せた瞬間。


ジャララ…!


ジャララ…!


 不意に乙輪姫の背後から鎖分銅が飛来し、その両腕を拘束した。


「なっ!?」


 驚く乙輪姫の背後から、高らかな笑い声が響く。


 こ、この声!

 この声も聞き覚えがあるぞ…!


Marschマルシュ!」(※ドイツ語で「前進」の意)


シャラン…!


シャラン…!


シャラン…!


 無機質な金属かねの音が森に響き渡る。

 その冷たい音色と共に、黒衣の恐怖が顕現した。

 闇をまとい、見る者に死の運命をもたらす七つの呪い。

 それは、薄暗く森を染め、月夜を切り取ってきたかのような闇夜をその場に再現する。

 その中心に立つ女性が、金色の髪をかき上げつつ、古い片眼鏡モノクルの奥で、碧色の瞳を光らせる。

 そして、女性…鋼鉄の司令官コマンダントは宣言した。


「我が名はエルフリーデ・ゲオルグ・ポラースシュテルン!ドイツ帝国第339独立部隊『SEPTENTRIONセプテントリオン』の司令官コマンダント!」


 漆黒の軍服に身を固めたエルフリーデさんは、六体の無貌むぼうの軍団…“七人ミサキ”を従え、手にした馬上鞭をしごきながら、乙輪姫に笑い掛けた。


「さて…楽しませてくれるのだろうな?異教の神よ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る