【五十三丁目】「メ、メグちゃん!?」

「…とはいえ、神霊級ほどの存在を沈黙させるのは容易なことではありません」


 手にした伸縮式の指示棒を手の平でポンポンと叩きながら、国家機関「特別住民管理室」室長の雄賀おがさんはそう言った。

 ここは雉鳴山じめいさん麓にある「対神霊級対策本部」の本部テント。

 目下、山頂に陣取ったままの妖怪神“天逆毎あまのざこ”こと、乙輪姫いつわひめへの対応について、関係者一同が顔を揃えての会議が開かれていた。

 先の第二次調査隊…つまり、僕達との接触により、乙輪姫は僕達人類に協力的ではないという確証が得られた。

 そのため、日本政府は対話路線の修正を余儀なくされ、今後の方針として、選択肢の一つに「専守防衛を前提とした交戦」が盛り込まれたのである。


「過去、神話の中で人が神に勝利した例は無くも無いですが、そこはそれ。そんな規格外の英雄が出現するのを待っていたら、十乃とおの君はおばあちゃんになってしまいます」


 雄賀さんは場を和ませようとしたのだろうが、僕…十乃 めぐるは一向に笑えなかった。

 乙輪姫との接触・交戦から数日後。

 僕は未だ女性になったままだ。


 ハッキリ言おう。


 極めて精神的にキツイ。


 別に「女性」である事がキツイのではなく「異性」になるという事がキツイ。

 日常生活において、男性と女性の生活習慣の差など微塵も考えた事も無い僕にとって、女性の肉体というのは相当な負荷となった。

 衣服から生理現象まで、その不便は如実だ。

 家での生活は妹の美恋みれんがいたので、ある程度は緩和された。

 何せ、自前の服は皆サイズが異なるから着る事が出来ない。

 女性用の衣服は気恥ずかしいが、美恋に未使用のものを提供してもらい、何とかなった。

 問題は下着だ。

 流石に妹のものを借りる訳にもいかず、美恋に協力してもらって選んだのだが、種類が豊富すぎて、訳が分からなくなってしまった。

 面倒臭くなり、自前の男もので済まそうとすると、美恋が強硬に反対した。

 で、仕方なく体型に合うものを購入することになった(余談だが、ブラジャーのサイズを計った後、何故か美恋が激しく落ち込んでいた)。

 それに、お風呂とトイレも問題だった。

 自分の身体とはいえ、100%女性の身体なのだ。

 その…女性と付き合った経験が無い僕にとっては、極めて未知の領域である。

 具体的な説明は、この物語があらぬ方向に行ってしまうので避けるが、とにかく大変だった。

 世の女性には、改めて敬服の意を表する、とだけ言っておこう。


「しかし、神話においてさえ“天逆毎”と交戦し、勝利したという記述はありません。まー厄介な事に、敗北したというエピソードがないので、弱点も分かりません」


「そうなると、まず、真っ向勝負は控えたいところですね。そちらに何か効果的な作戦プランは?」


 眼鏡のブリッジを押し上げながら、黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)が雄賀さんにそう尋ねる。

 普段、そうそう現場には出ない立場の彼女だが、状況が状況だけに今回は最前線に立つ事になった。


「残念ながら」


 首を横に振る雄賀さん。

 一同が溜息を吐く。


「…無い訳ではありません」


 皆で一斉にずりコケた。


「あるのかよ!で、何で『残念』なんだよ!?」


 思わず声を上げる間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)。

 それに唇を尖らせる雄賀さん。


「ええ~?だって、巡君が折角こんなに可愛い女の子になったのに、天逆毎を沈黙させて元に戻しちゃうなんて、絶対勿体ないじゃないですか~」


 一瞬で僕に近付き、肩を抱く雄賀さん。


「…摩矢まやっち、アレ撃ち殺していいぞ」


了解ラジャー


 摩矢さん(野鉄砲のでっぽう)に即座に銃口を向けられ、雄賀さんは同じ速さで離れた。


「まあ、冗談はさておき…」


 一転シリアスな表情に戻る雄賀さん。

 改めてよく分からない人である。


「これは一つの仮定ですがね」


「何だい?もったいぶらずに早く言いなよ」


 成り行き上、僕達に同行してくれたままの妃道ひどうさん(片輪車かたわぐるま)が聞き返す。

 雄賀さんは頷いた。


「神霊級に対抗するには、やはり同じ階位に近い存在の力…即ち、神霊級の力をぶつけるのが効果的です」


 雄賀さんは、僕の方を見て続けた。


「事実、性転換してしまったとはいえ、彼…いや、今は彼女ですか…が所持していた“天霊決裁てんりょうけっさい”に込められた神霊の力により、普通の人間であるにも関わらず、乙輪姫の『権能けんのう』を受けながらも彼女の命は無事でした。これは神霊級が持つ『権能』が、同じ神霊級の『権能』によって、ある程度相殺可能な事を半ば立証しています」


「それはそうかも知れんが…随分と乱暴な理論だな」


「そもそも、それが立証されたとして、ホイホイと我々に協力してくれる神霊級かみさまが手近に居るのかね?」


 参席していた警察だか自衛隊だかのお偉方達が思わずそう言う。

 その通りだ。

 乙輪姫の例はともかく、神霊と呼ばれる存在の多くは、こことは異なる次元に去ってしまったとされている。

 そんな存在がおいそれと居る訳が無い。


「居ないでしょうね」


 雄賀さんは、あっさり両手を広げて肩を竦めた。


「…でも、居ないなら呼び出せばいいのではありませんか?」


「神霊の召喚をしようというのですか!?」


 一人の“木葉天狗このはてんぐ”が目を丸くした。

 彼の名ははやてさんという。

 第一次調査隊に参加し、乙輪姫との接触時に術を仕掛けられ、僕達に襲い掛かってきたたあの木葉天狗衆の一人だ。

 彼は僕達に洗脳を解かれ、秋羽あきはさん達が操られた際に目くらましを用い、僕達と共に離脱に成功したのだっだ。

 颯さんによれば、乙輪姫の術に一度かかったせいで、二回目は咄嗟に目を逸らして辛うじて洗脳を逃れたという。

 そして、わざと操られたていを装い、僕達を逃がすために芝居をうってくれていたのである。

 颯さんは一同の気持ちを代弁するように、続けた。


「しかし室長、この状況下でそんな大儀式を行う時間がありますでしょうか?私には現実的に難しいのではないかと。仮にあったとしても、そもそも…」


「ええ、限りなく不可能に近い話です。颯君の心配する通り、古今東西、人の手による神霊そのものの召喚は極めて実例に乏しい」


 雄賀さんは続けた。


「ですが、そうした手間や時間をかけず、神霊の召喚を可能とする方法があります。そして、それだけの力を持った人物が


 その言葉に、一同がハッとなった。


「“戦斎女いくさのいつきめ”…!神降ろしの巫女か!」


 全員の視線が、沙槻さつきさんに集中する。

 俯き加減で会議に参加していた彼女は、自分に集中する視線に気付き、吃驚びっくりしたように目をまたたかせた。


「沙槻さん、貴女の力でそれは可能な筈ですよね?」


 雄賀さんの言葉に、沙槻さんは沈黙の後、ゆっくりと頷いた。


「…はい」


 小さな声で、そう答える。

 ?

 何だろう。

 白神しらかみ海岸で出会って頃に比べ、見違えるように生き生きとしていた彼女だが、雉鳴山を下山してから様子がおかしい。

 今日も、会議の前から何か思い詰めた様な表情でいた。

 まあ、友人の秋羽さん(三尺坊さんじゃくぼう)が洗脳され、乙輪姫の手先になってしまったのだから、落ち込むのも無理はない。


「では、彼女の力で天逆毎を抑え込めるという訳か!」


「光が見えてきましたな!」


 表情を明るくするお偉方の中、黒塚主任が沙槻さんに静かに語りかけた。


五猟ごりょう、本当に問題無いのか…?」


 主任の言葉に、沙槻さんは顔を上げた。

 主任は真っ直ぐに沙槻さんを見ている。

 その視線に気圧された様に、沙槻さんはまた俯いた。


「…“かみおろしのぎ”は、わたしもおさめているので、おそらくもんだいはありません」


「…」


「ただ…」


 沙槻さんは続けた。


「ぎしきにはそうおうのじかんがひつようです。しかも、あの“あまのざこ”やあきはさまたちのもくぜんで、それなりのじかんをかせぐことになります」


 テントの中が静まりかえる。


「…それに、ぎしきのあいだ、わたしじしんは、どうしてもむぼうびになります。はっきりいって、せんれつにくわわることができません」


 つまり…神霊級の妖怪神と高位の天狗神を前に、最強戦力である沙槻さんを欠いた状態で、彼女を守りつつ一定時間耐え凌ぐしかない…という訳か。


 よし、こちらの戦力を分析してみよう。

 まず、主力となるのは、秋羽さんの部下でもある木葉天狗衆。

 颯さんをはじめ、精鋭は揃っているが、相手は自分達の上司や仲間だ。

 どうしたって手は鈍るだろう。

 加えて、乙輪姫の洗脳術もあるから万全の態勢では戦えまい。

 下手をすれば傀儡かいらいにされ、敵が増えるだけだろう。

 では、人間ではどうかというと…こちらは問題外だ。

 例え精強な自衛隊が出たとしても、神霊に対し、人間では太刀打ちできまい。

 そうなると、戦力として期待できるのは降神町役場の数名しか居ないということになる。

 誰もが沈黙する中、摩矢さんが訊いた。


「どれくらいの時間が必要?」


「さいていでも…にじゅっぷんはひつようです」


「…やっぱ、無理矢理にでも休暇届出しときゃ良かったぜ」


 嘆息しながら、間車さんがキャップを目深に被った。


「相手が悪すぎるな。これで連中が攻めてきたら、完全にデッドエンドじゃないか」


 腕を組んで椅子の背もたれに身を預ける妃道さん。


 …攻めてきたら?

 いや、待てよ。

 だったら、何で…


「…あのぅ」


 僕は恐る恐る挙手した。

 自分の声が、女性のそれになっているので違和感が尋常ではない。

 ヘリウムガスを吸っても、こんな違和感は覚えないだろう。


「何ですか、メグちゃん」


「メ、メグちゃん!?」


 雄賀さんの言葉に、僕は思わずそう言った。

 雄賀さんは不思議そうに、


「『巡君』が女の子になったから『メグちゃん』にしたんですが…何か?」


「…いや…この際、もう何でもいいです」


 この人のネーミングセンスの方向性が分かった気がする。

 僕は居住まいを正した。


「現状、乙輪姫は僕達よりも圧倒的な戦力を持っているってことですよね?」


「そうですね。きっと、我々が敷いているこんな包囲網は紙同然でしょう」 


 「こんな」扱いに、お偉方が渋面になる。


「乙輪姫が出現したのはいつでしたっけ?」


「ええと…もう、一週間にはなります」


 僕の質問に答えた雄賀さんが、首を傾げた。


「何が言いたいんです?メグちゃん」


 いちいち「メグちゃん」言わないで欲しい。

 僕は続けた。


「時間も経って、圧倒的な戦力差があるのに、何故彼女は雉鳴山ここを離れないんでしょう?」


「それは…」


 言い掛けて、沈黙する雄賀さん。

 出席者全員がざわつき始める。


「確かに…妙ですね」


「もしかして…」


 黒塚主任が顎に手を当てたまま呟く。


「『山を下りない』のではなく『山から出られない』のでは…?」


「しかし、ここには結界も何も敷いていませんよ?僕達は『対話路線』で来たので、準備もしてないですし」


「さんちょうまでのあいだ、とくにきょうりょくなはかんじませんでしたが…」


 沙槻さんもおずおずと意見を述べる。


「麓や山中に無いとなれば、残るは…」


 黒塚主任は顎から手を離した。


「山頂、か」


 山頂。

 そうだ。

 僕達が足を踏み入れてない場所はそこだけだ。

 あの時、乙輪姫が現れたせいで、山頂には行けなかったんだ。


「そもそも、この山の山頂には何があるのかね?」


 お偉方の一人が、雄賀さんに尋ねる。

 雄賀さんは、手元の資料をめくった。


「ええと…確か、神社がありますね。レポートによると、地元の人間でも入山する者は居なかったため、詳細は不明です」


「…宜しいでしょうか?」


 不意に黒塚主任が挙手をする。

 目で促す雄賀さんに頷き、主任は席を立った。


「情報があまりにも不足していて、このままでは打つ手もありません…ならば、ここに差した僅かな光明にすがるのも一手かと思います」


「どうする気だね?」


 身を乗り出すお偉方に、主任は言った。


「山頂の神社とやらを調べてみましょう。どの道、行方不明になった調査委員達の所在も確認しなければならないのではありませんか?」


「でもさ、山頂には奴らが居るじゃないか。どうやって潜り込むんだい?」


 妃道さんがそう言うと、黒塚主任は妃道さんに向き直った。


「そのためには、妃道氏の力が必要です」


「あたしの?」


「それと…間車、お前もだ」


「へ?あたし?」


 頷きながら笑みを浮かべる黒塚主任。


 よく分からない。

 よく分からないが…何だか、またしてもひと波乱ありそうな予感がするなぁ…

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