【番外地】「とおのさまは『へたれ』なのですか?」

 合宿旅行三日目。


 最終日の今日、僕達は最後の自由時間を楽しんでいた。

 出発時間となる午後三時までは、この白神しらかみ海岸に滞在する予定だ。

 それまでの間、特別住民ようかいの皆さんは、思い思いの時間を過ごす事が出来る。

 ちなみに、僕達 降神町おりがみちょう役場の職員も、黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)の粋な計らいで、僅かだが自由時間をもらう事になった。


「とおのさま」


 その貴重な自由時間に、僕…十乃とおの めぐるは、ある人物と出会うために、ここ「逆神さかがみの浜」にやって来た。

 松林の中を歩くさなか、不意に鈴の音の様な声に呼ばれ、キョロキョロと辺りを見まわしていた僕は、松の木立に間に白衣に緋袴の少女の姿を認め、駆け寄った。


「遅くなってごめんね」


「いえ。わたしもすこしまえにきたばかりです」


 少女…五猟ごりょう 沙槻さつきさんが、二コリと笑う。

 良かった。

 昨日、彼女に身には色々な事があったので、疲れているんじゃないかと思ったが、見た感じ元気そうである。


「およびだてしてしまい、すみませんでした」


 沙槻さんが頭を下げるのを、僕は慌てて止めた。


「いや、大丈夫だよ。今は自由時間だしね。それに…」


 僕は傍らにあるものに目をやった。


「ここには帰る前に、お詫びに来ようと思ってたんだ」


 僕達の目の前には、古びた社がある。

 潮風を受け、傷んではいるが、立派な造りの社だ。

 浜にある美しい松林の奥に、ひっそりと立っているこの社は、かつて、この海に棲む妖怪達が、五猟一族から「逆神の浜」を贈られた際、その友好の証として建てたものだ。

 昨日、沙槻さんが開封した先代の五猟当主のメッセージが記録された貝殻は、この中にあった。

 僕は、釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)と鉤野こうのさん(針女はりおなご)に連れられ、この社でそれを見つけたのである。

 鍵が壊れていたとはいえ、社の中に勝手に入ってしまったので、あれからどうにも後ろ髪が引かれる思いだった。

 なので、お詫びがてらにこうして参拝に来ようと思っていたのだ。

 社に手を合わせる僕に、沙槻さんが笑う。


「とおのさまは、とてもしんじんぶかいんですね」


「はは…うちのばあちゃんが、神様や妖怪の話をよくしてくれてね。それを聞いて育ったせいかも知れない」


「そうなんですか。おばあさまがいらっしゃるんですね」


 沙槻さんは羨ましそうに言う。

 そうだった。

 彼女の肉親は、遥か昔に他界し、既に天涯孤独の身なのだ。


「…今度、遊びに来るといいよ。沙槻さんとなら話が合うかもね」


「いいんですか!?」


 沙槻さんは、思いの外興奮した様に身を乗り出した。


「うん。何なら、僕が車で送迎するよ。そうそう、妹もいるから、その時に紹介するよ」


「はい。ぜひ」


 沙槻さんは、向日葵ひまわりの様な明るい笑顔で頷いた。

 本当に変わった。

 昨日までの彼女は、美しいが儚い月の様な少女だった。

 だが、今の彼女は、まるで光り輝く太陽の様なイメージを抱かせる。


「あっ…でも、確かそんなに簡単に外出できないんだっけ?」


「ええ…でも、だいじょうぶです。いざとなれば、おじさまにくちぞえをしてもらいます」


 そこで、沙槻さんは人差し指を口に当て、悪戯っぽく笑った。


「なにせ『ないしょのおはなし』を、きいてしまいましたから」


 な、成程。

 昨日、あまりさん(精螻蛄しょうけら)が言っていたか。

 僕としては個人的にどうこうするつもりはないが、五稜さんにしてみれば、一族から爪弾きにされかねない内容の様だし…

 当分は、沙槻さんにも頭が上がらないだろう。


「…で、今日は僕に何の用?」


 僕は沙槻さんにそう尋ねる。

 実は、今朝早くに民宿へ五猟の使いを名乗る女性が現れ、僕に手紙を手渡していった。

 中には沙槻さんからの伝言が記されており、何でも「僕が帰る前にここで会いたい」との事だった。


「はい。じつはこれをおさめるのに、たちあってほしかったのです」


 そう言いながら、沙槻さんは一つの貝殻を取り出した。

 昨日見たものとは違う、真新しい感じの貝殻だった。


「これは…昨日の貝殻と同じのだね」


「はい。このなかにわたしの“こえ”をおさめました」


「“声”って…昨日の?」


「そうです。ははがのこしてくれたあのことばを、わたしがひきつぎ、なぎさまたちにもおゆるしをえて、あらたにここにのこすことにしました」


「そっか」


 僕は貝殻に目を落とした。

 またいつか、この浜を巡り、人と妖怪の争いが起きないように。

 そして、彼女があの“声”で救われたように。

 沙槻さんは、未来の五猟一族に向けて、自分の“声”に祈りを託す事にしたのだろう。


「それで、とおのさまに、どうしてもいっしょにいてほしくて…ごめいわくでしたでしょうか…?」


 やや俯き、沙槻さんは小さな声で言った。

 僕は笑って言った。


「ううん、とんでもない。こんな歴史的な瞬間に立ち会えるなんて光栄だよ」


「ほんとうですか?」


「勿論。タイムカプセルを埋めるみたいで、何だかドキドキするなぁ」


「よかった…」


 安堵した様に、沙槻さんは微笑んだ。

 不意打ち気味のその笑顔に、一瞬ドキッとしてしまう。

 ……

 …よ、良く考えてみたら。

 いま、僕は女の子と二人きりでいるんだよな…


「…とおのさま?」


 沙槻さんの声に、我に返る僕。

 い、いかん!

 ここは神様の社の前だぞ!

 変な事を考えちゃダメだ!


「な、なんでもないよ。それより、早く収めよう」


「そうですね…では」


 沙槻さんは社の扉を開き、貝殻を収めた箱を静かに置いた。

 昨日までそこにあった貝殻は、いま凪達が大切に保管している。


「どうか、いとすこやかな みちすじを…」


 沙槻さんが祈る様に目を閉じる。

 僕もそれにならった。

 波と風の音だけが、僕達を包んでいた。


「ありがとうございました」


 どれくらいの時間が経ったのか。

 一瞬だったようにも思えたし、十分は目を閉じていたようにも思う。

 沙槻さんの声で、僕は目を開いた。


「とおのさま、きょうは、きゅうなおねがいをきいていただき、すみませんでした」


「いや、大丈夫だよ。気にしないで。こんなことならいくらでもお願いしてよ」


 僕がそう言うと、沙槻さんは下を向いて、白衣びゃくえの袖をギュッと握り締めた。


「…ではもうひとつだけ、よろしいでしょうか」


 消え入りそうな声。

 微かに朱を帯びた頬。


「う、うん。何かな?」


 妙な雰囲気を感じ、僕は恐る恐る尋ねた。

 少し躊躇ためらった後、沙槻さんは潤んだ瞳で僕を見上げた。


「わたしは、とおのさまのこがほしいとおもいます」


 …

 ……

 ………

 何とな…?

 いま、何か「子」って聞こえた気が…


 ざざーん


 波の音が遠い。


 意識が遠のきかけ、僕は頭を振って持ちこたえた。


「ごめん。よく、きこえ、なかった、かも」


 辛うじてそれだけ言う。


「その…よければもう一度、いいかな」


 沙槻さんは、さっきと同じ表情で訴えかけた。


「『とおのさまのあかちゃんがほしい』といいました」


 あかちゃん

 赤ちゃん

 AKA-CHAN


 何度も反芻してみるが、僕の脳内辞書には「柔らかくて、可愛くて、泣いたり笑ったりする、男女の愛の結晶」としか記載がない。

 つまり、俗に言う「ベイビー」であり「赤子」とか「ややこ」とか、そういうものである。


 ……


「ええと…どうして、そーゆーことになるのかな?」


 努めて冷静さを保ちつつ、僕はそう尋ねた。


「はい。じつは“いくさのいつきめ”は、としごろになると、そのちすじをまもるため、こをもうけるおきてがあります。それには…その…」


 沙槻さんは、目を伏せた。


「とのがたとむすばれなければ、こをやどすことができません」


 うん。

 そうだね。

 多分“戦斎女いくさのいつきめ”じゃなくても、それは同じだと思うけど。


「なので、いちぞくのにょしょうにそうだんしたら『おもいびとはいるか?』ときかれました」


 ほうほう。

 それで?


「よくわからなかったので、そのものに『おもいびととはなにか?』ときいたところ…」


 ふむふむ。

 それから?


「『ここにつねにいるとのがたである』とのことでした」


 沙槻さんは、自分の胸を押さえた。


「…わたしのここには、とおのさまがいます」


 沙槻さんの顔は、真剣そのものだった。

 それだけに、僕は反応に困った。


「あと、そのものは『すきにして!といって、とのがたのむねにとびこめば、ばんじおっけい』といっておりました」


 …待て。

 何だ、その一族の女性A。

 ちょっと、職員室まで連行した方がいいんじゃないだろうか。


 じり…


 沙槻さんが一歩踏み出す。


「とおのさま…そのむねへ、いま、わたしがまいってもよろしいでしょうか…?」


「い、いや、ちょ、ちょっと待って!」


 早速実践しようとする沙槻さんに僕がそう言うと、彼女は目を見開いた。


「…わたしでは、いけませんか…?」


 みるみるその目に涙が浮かぶ。

 うわわわわわ!

 これはマズイ!


「そうじゃなくて!そういう事は、もっと慎重にいかなきゃダメだよ!」


「…そのものは、こうもいっておりました」


 涙を拭きながら、沙槻さんが続ける。


「『それでだめならば、そいつはへたれだ』と」


 グサッ!

 そんな擬音と共に、僕の心がえぐられる。


「とおのさまは『へたれ』なのですか?」


 お願いだから…

 真顔で聞かないでください。


「とにかく!」


 僕は強引に言い放った。


「そういう事は、もっとちゃんとその人とお付き合いして、その人の事をよく知ってから決めることだと思うなっ!」


「…そうなのですか?」


「そうなのですよ!」


「わかりました…」


 沙槻さんは頷いた。


「わたしは、もっとよくとおのさまのことをわかるようにいたします」


 沙槻さんは力強く拳を握り、決意の表情を浮かべた。


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「おーし、んじゃ出発すんぞー」


 ハンドルを握る間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)が、ゆっくりとマイクロバスを走らせる。


「また、おこしなっせ」


「気を付けて」


 民宿「しおさい」のおばあちゃんと、孫娘の黒華くろかちゃんが手を振って、僕達を見送ってくれた。

 ほんの少しの間だったけど、美味しい料理や温泉を楽しむ事が出来た素敵な宿だった。

 遠のく二人に手を振りながら、僕はまたここに来ようと胸の中で思った。


「ところで…巡」


「何です?」


 間車さんに呼ばれ、僕は運転席に目を向ける。


「さっきの自由時間、どこに行ってたんだよ?せっかく、またボディボードを教えてやろうと思ってたのに」


「あはは…スミマセン。ちょっと散歩に行ってました」


 そう答えると、間車さんはジト目で僕を見た。


「なーんか怪しいな。そういやあお前、五猟神社でもどっかに行ってたろ?」


「あ、ああ、あれは迷子になっちゃってて。ホラ、あの神社ってすごく広いし」


「あー、まあな。確かに、本殿も無駄に広かったしな」


 間車さんが思い出した様に言う。


「残念です。宮司さんの講話、聞いてみたかったのに…確か『人と妖怪に共存について』でしたっけ?どんな話だったんです?」


「ん?あー、まあ何つーか…『とある組織に入った少年陰陽師と妖怪達との話』だったな」


 …


「そうそう『美人の雪女と同居して、ダメになる男の話』ってのもあったぞ。リア充もいい感じの」


 …


「ず、随分ピンポイントな設定の話ですね」


「まーな。面白かったからいいけどさ」


 間車さんは、そう言うと窓の外に目をやった。


「ん…?何だ、ありゃ」


 その視線を追う。

 窓の外は海岸線が広がっている。

 今日もいい天気で、海はどこまでも蒼い。

 その蒼い海を、一隻の船がバスと並走していた。


「あれは…」


 船には三つの人影があった。

 長髪を風にたなびかせ、船を操る青年。

 その舳先で、大柄な女性が、元気良くこちらに手を振っている。

 女性の脇では、細身の男性が呆れたようにはしゃぐ女性を見ていた。


「おおーい!」


 女性が声を上げる。

 確かめるまでも無い。

 “牛鬼うしおに”のかがりだ。

 その脇にいるのは“影鰐かげわに”の鏡冶きょうやさん。

 操船しているのは“磯撫いそなで”のなぎだった。


「元気でなーっ!また、来いよーっ!」


 篝の大声に、バスの中の皆も気付く。


「なあに、アレ?」


 三池みいけさん(猫又ねこまた)が、胡散臭そうに目を細める。


「見送り、かな」


 釘宮くんが、応える様に大きく手を振る。


「律儀な方々ね」


 鉤野さんも、苦笑しながら手を振った。


「ま、せっかくでござる。容量も余ってるし…」


 三人にカメラを向ける余さん。


「あいつら…」


 窓の外で、相変わらず行儀悪く横になって飛んでいた飛叢ひむら一反木綿いったんもめん)さんが笑った。


「お前らも元気でな!しっかり守れよーっ!」


 その声が届いたのか。

 船上の三人は、思い思いに手を上げ、応えた。

 そして、その姿が遠くかすんでいく。


 たった三日間。

 だけど、その僅かな時間で、僕達は凪達と深い友情を結ぶ事が出来た。

 最初は敵意だった。

 次は同情だった。

 最後は…絆になった。


 僕は忘れない。

 この蒼い海と美しい逆神の浜を守る、かけがえのない友達の事を。

 そして、また来年の夏、彼らに出会える事を信じて。

 僕は最後に大きく手を振った。


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 追伸。


「『きちゃった』と、いうのがとききました」


 降神町役場特別住民支援課。

 小さな役場の一角にあるその窓口で、白衣と緋袴の少女が真剣そのものの顔で、そうのたまわった。

 あんぐりと口を開ける僕と唖然となる一同を前に、少女…沙槻さんは一礼した。


「『しゅっこう』というものらしいです。ふつつかものですが、どうかすえながくよろしくおねがいします」


 「出向」で来て「末永く」って、何なのさ!?


「とくに、とおのさま♡」


 気が遠のく中、外はまだまだ暑い夏だった。

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