【番外地】「とおのさまは『へたれ』なのですか?」
合宿旅行三日目。
最終日の今日、僕達は最後の自由時間を楽しんでいた。
出発時間となる午後三時までは、この
それまでの間、
ちなみに、僕達
「とおのさま」
その貴重な自由時間に、僕…
松林の中を歩くさなか、不意に鈴の音の様な声に呼ばれ、キョロキョロと辺りを見まわしていた僕は、松の木立に間に白衣に緋袴の少女の姿を認め、駆け寄った。
「遅くなってごめんね」
「いえ。わたしもすこしまえにきたばかりです」
少女…
良かった。
昨日、彼女に身には色々な事があったので、疲れているんじゃないかと思ったが、見た感じ元気そうである。
「およびだてしてしまい、すみませんでした」
沙槻さんが頭を下げるのを、僕は慌てて止めた。
「いや、大丈夫だよ。今は自由時間だしね。それに…」
僕は傍らにあるものに目をやった。
「ここには帰る前に、お詫びに来ようと思ってたんだ」
僕達の目の前には、古びた社がある。
潮風を受け、傷んではいるが、立派な造りの社だ。
浜にある美しい松林の奥に、ひっそりと立っているこの社は、かつて、この海に棲む妖怪達が、五猟一族から「逆神の浜」を贈られた際、その友好の証として建てたものだ。
昨日、沙槻さんが開封した先代の五猟当主のメッセージが記録された貝殻は、この中にあった。
僕は、
鍵が壊れていたとはいえ、社の中に勝手に入ってしまったので、あれからどうにも後ろ髪が引かれる思いだった。
なので、お詫びがてらにこうして参拝に来ようと思っていたのだ。
社に手を合わせる僕に、沙槻さんが笑う。
「とおのさまは、とてもしんじんぶかいんですね」
「はは…うちのばあちゃんが、神様や妖怪の話をよくしてくれてね。それを聞いて育ったせいかも知れない」
「そうなんですか。おばあさまがいらっしゃるんですね」
沙槻さんは羨ましそうに言う。
そうだった。
彼女の肉親は、遥か昔に他界し、既に天涯孤独の身なのだ。
「…今度、遊びに来るといいよ。沙槻さんとなら話が合うかもね」
「いいんですか!?」
沙槻さんは、思いの外興奮した様に身を乗り出した。
「うん。何なら、僕が車で送迎するよ。そうそう、妹もいるから、その時に紹介するよ」
「はい。ぜひ」
沙槻さんは、
本当に変わった。
昨日までの彼女は、美しいが儚い月の様な少女だった。
だが、今の彼女は、まるで光り輝く太陽の様なイメージを抱かせる。
「あっ…でも、確かそんなに簡単に外出できないんだっけ?」
「ええ…でも、だいじょうぶです。いざとなれば、おじさまにくちぞえをしてもらいます」
そこで、沙槻さんは人差し指を口に当て、悪戯っぽく笑った。
「なにせ『ないしょのおはなし』を、きいてしまいましたから」
な、成程。
昨日、
僕としては個人的にどうこうするつもりはないが、五稜さんにしてみれば、一族から爪弾きにされかねない内容の様だし…
当分は、沙槻さんにも頭が上がらないだろう。
「…で、今日は僕に何の用?」
僕は沙槻さんにそう尋ねる。
実は、今朝早くに民宿へ五猟の使いを名乗る女性が現れ、僕に手紙を手渡していった。
中には沙槻さんからの伝言が記されており、何でも「僕が帰る前にここで会いたい」との事だった。
「はい。じつはこれをおさめるのに、たちあってほしかったのです」
そう言いながら、沙槻さんは一つの貝殻を取り出した。
昨日見たものとは違う、真新しい感じの貝殻だった。
「これは…昨日の貝殻と同じのだね」
「はい。このなかにわたしの“こえ”をおさめました」
「“声”って…昨日の?」
「そうです。ははがのこしてくれたあのことばを、わたしがひきつぎ、なぎさまたちにもおゆるしをえて、あらたにここにのこすことにしました」
「そっか」
僕は貝殻に目を落とした。
またいつか、この浜を巡り、人と妖怪の争いが起きないように。
そして、彼女があの“声”で救われたように。
沙槻さんは、未来の五猟一族に向けて、自分の“声”に祈りを託す事にしたのだろう。
「それで、とおのさまに、どうしてもいっしょにいてほしくて…ごめいわくでしたでしょうか…?」
やや俯き、沙槻さんは小さな声で言った。
僕は笑って言った。
「ううん、とんでもない。こんな歴史的な瞬間に立ち会えるなんて光栄だよ」
「ほんとうですか?」
「勿論。タイムカプセルを埋めるみたいで、何だかドキドキするなぁ」
「よかった…」
安堵した様に、沙槻さんは微笑んだ。
不意打ち気味のその笑顔に、一瞬ドキッとしてしまう。
……
…よ、良く考えてみたら。
いま、僕は女の子と二人きりでいるんだよな…
「…とおのさま?」
沙槻さんの声に、我に返る僕。
い、いかん!
ここは神様の社の前だぞ!
変な事を考えちゃダメだ!
「な、なんでもないよ。それより、早く収めよう」
「そうですね…では」
沙槻さんは社の扉を開き、貝殻を収めた箱を静かに置いた。
昨日までそこにあった貝殻は、いま凪達が大切に保管している。
「どうか、いとすこやかな みちすじを…」
沙槻さんが祈る様に目を閉じる。
僕もそれに
波と風の音だけが、僕達を包んでいた。
「ありがとうございました」
どれくらいの時間が経ったのか。
一瞬だったようにも思えたし、十分は目を閉じていたようにも思う。
沙槻さんの声で、僕は目を開いた。
「とおのさま、きょうは、きゅうなおねがいをきいていただき、すみませんでした」
「いや、大丈夫だよ。気にしないで。こんなことならいくらでもお願いしてよ」
僕がそう言うと、沙槻さんは下を向いて、
「…ではもうひとつだけ、よろしいでしょうか」
消え入りそうな声。
微かに朱を帯びた頬。
「う、うん。何かな?」
妙な雰囲気を感じ、僕は恐る恐る尋ねた。
少し
「わたしは、とおのさまのこがほしいとおもいます」
…
……
………
何とな…?
いま、何か「子」って聞こえた気が…
ざざーん
波の音が遠い。
意識が遠のきかけ、僕は頭を振って持ちこたえた。
「ごめん。よく、きこえ、なかった、かも」
辛うじてそれだけ言う。
「その…よければもう一度、いいかな」
沙槻さんは、さっきと同じ表情で訴えかけた。
「『とおのさまのあかちゃんがほしい』といいました」
あかちゃん
赤ちゃん
AKA-CHAN
何度も反芻してみるが、僕の脳内辞書には「柔らかくて、可愛くて、泣いたり笑ったりする、男女の愛の結晶」としか記載がない。
つまり、俗に言う「ベイビー」であり「赤子」とか「ややこ」とか、そういうものである。
……
「ええと…どうして、そーゆーことになるのかな?」
努めて冷静さを保ちつつ、僕はそう尋ねた。
「はい。じつは“いくさのいつきめ”は、としごろになると、そのちすじをまもるため、こをもうけるおきてがあります。それには…その…」
沙槻さんは、目を伏せた。
「とのがたとむすばれなければ、こをやどすことができません」
うん。
そうだね。
多分“
「なので、いちぞくのにょしょうにそうだんしたら『おもいびとはいるか?』ときかれました」
ほうほう。
それで?
「よくわからなかったので、そのものに『おもいびととはなにか?』ときいたところ…」
ふむふむ。
それから?
「『ここにつねにいるとのがたである』とのことでした」
沙槻さんは、自分の胸を押さえた。
「…わたしのここには、とおのさまがいます」
沙槻さんの顔は、真剣そのものだった。
それだけに、僕は反応に困った。
「あと、そのものは『すきにして!といって、とのがたのむねにとびこめば、ばんじおっけい』といっておりました」
…待て。
何だ、その一族の女性A。
ちょっと、職員室まで連行した方がいいんじゃないだろうか。
じり…
沙槻さんが一歩踏み出す。
「とおのさま…そのむねへ、いま、わたしがまいってもよろしいでしょうか…?」
「い、いや、ちょ、ちょっと待って!」
早速実践しようとする沙槻さんに僕がそう言うと、彼女は目を見開いた。
「…わたしでは、いけませんか…?」
みるみるその目に涙が浮かぶ。
うわわわわわ!
これはマズイ!
「そうじゃなくて!そういう事は、もっと慎重にいかなきゃダメだよ!」
「…そのものは、こうもいっておりました」
涙を拭きながら、沙槻さんが続ける。
「『それでだめならば、そいつはへたれだ』と」
グサッ!
そんな擬音と共に、僕の心が
「とおのさまは『へたれ』なのですか?」
お願いだから…
真顔で聞かないでください。
「とにかく!」
僕は強引に言い放った。
「そういう事は、もっとちゃんとその人とお付き合いして、その人の事をよく知ってから決めることだと思うなっ!」
「…そうなのですか?」
「そうなのですよ!」
「わかりました…」
沙槻さんは頷いた。
「わたしは、もっとよくとおのさまのことをわかるようにいたします」
沙槻さんは力強く拳を握り、決意の表情を浮かべた。
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「おーし、んじゃ出発すんぞー」
ハンドルを握る
「また、おこしなっせ」
「気を付けて」
民宿「しおさい」のおばあちゃんと、孫娘の
ほんの少しの間だったけど、美味しい料理や温泉を楽しむ事が出来た素敵な宿だった。
遠のく二人に手を振りながら、僕はまたここに来ようと胸の中で思った。
「ところで…巡」
「何です?」
間車さんに呼ばれ、僕は運転席に目を向ける。
「さっきの自由時間、どこに行ってたんだよ?せっかく、またボディボードを教えてやろうと思ってたのに」
「あはは…スミマセン。ちょっと散歩に行ってました」
そう答えると、間車さんはジト目で僕を見た。
「なーんか怪しいな。そういやあお前、五猟神社でもどっかに行ってたろ?」
「あ、ああ、あれは迷子になっちゃってて。ホラ、あの神社ってすごく広いし」
「あー、まあな。確かに、本殿も無駄に広かったしな」
間車さんが思い出した様に言う。
「残念です。宮司さんの講話、聞いてみたかったのに…確か『人と妖怪に共存について』でしたっけ?どんな話だったんです?」
「ん?あー、まあ何つーか…『とある組織に入った少年陰陽師と妖怪達との話』だったな」
…
「そうそう『美人の雪女と同居して、ダメになる男の話』ってのもあったぞ。リア充もいい感じの」
…
「ず、随分ピンポイントな設定の話ですね」
「まーな。面白かったからいいけどさ」
間車さんは、そう言うと窓の外に目をやった。
「ん…?何だ、ありゃ」
その視線を追う。
窓の外は海岸線が広がっている。
今日もいい天気で、海はどこまでも蒼い。
その蒼い海を、一隻の船がバスと並走していた。
「あれは…」
船には三つの人影があった。
長髪を風にたなびかせ、船を操る青年。
その舳先で、大柄な女性が、元気良くこちらに手を振っている。
女性の脇では、細身の男性が呆れたようにはしゃぐ女性を見ていた。
「おおーい!」
女性が声を上げる。
確かめるまでも無い。
“
その脇にいるのは“
操船しているのは“
「元気でなーっ!また、来いよーっ!」
篝の大声に、バスの中の皆も気付く。
「なあに、アレ?」
「見送り、かな」
釘宮くんが、応える様に大きく手を振る。
「律儀な方々ね」
鉤野さんも、苦笑しながら手を振った。
「ま、せっかくでござる。容量も余ってるし…」
三人にカメラを向ける余さん。
「あいつら…」
窓の外で、相変わらず行儀悪く横になって飛んでいた
「お前らも元気でな!しっかり守れよーっ!」
その声が届いたのか。
船上の三人は、思い思いに手を上げ、応えた。
そして、その姿が遠くかすんでいく。
たった三日間。
だけど、その僅かな時間で、僕達は凪達と深い友情を結ぶ事が出来た。
最初は敵意だった。
次は同情だった。
最後は…絆になった。
僕は忘れない。
この蒼い海と美しい逆神の浜を守る、かけがえのない友達の事を。
そして、また来年の夏、彼らに出会える事を信じて。
僕は最後に大きく手を振った。
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追伸。
「『きちゃった』と、いうのがおやくそくとききました」
降神町役場特別住民支援課。
小さな役場の一角にあるその窓口で、白衣と緋袴の少女が真剣そのものの顔で、そうのたまわった。
あんぐりと口を開ける僕と唖然となる一同を前に、少女…沙槻さんは一礼した。
「『しゅっこう』というものらしいです。ふつつかものですが、どうかすえながくよろしくおねがいします」
「出向」で来て「末永く」って、何なのさ!?
「とくに、とおのさま♡」
気が遠のく中、外はまだまだ暑い夏だった。
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