【四十七丁目】“故に我らはここに記す”

 「テメエも五猟ごりょうのモンか?」


 突然現れた闖入者…黒い仮面の少女へ、飛叢ひむら一反木綿いったんもめん)が油断なく身構える。

 少女は無表情へ戻ると、首を横に振った。


「違うわ。私は五猟一族ではないし、縁もゆかりも無い」


 そこで、少女はチラリと沙槻さつきを見た。


「…でも、そうね。人間ひとの手で造られた存在としてなら…貴女と私はおんなじね」


「……?」


 身を拘束していた飛叢のバンテージを剥ぎ取りつつ、五猟ごりょう 沙槻さつき戦斎女いくさのいつきめ)が少女の言葉に反応する。


「あなた…ひとではありませんね?」


 少女の身体から発するものを感じ、沙槻は目を細めた。


「そうね。けど、それは貴女も同じでしょ。生まれた時から人外に抗するべく、人の道を外れた修法を積んできた“戦斎女いくさのいつきめ”さん」


「…」


「気を悪くしないで。これでも味方よ」


 そう言いながら、少女は沙槻を守る様に飛叢達の前に立ち塞がった。


「ごめんなさいね。どちらかというえば、私は貴方達の仲間なんだけど」


「ご託はいい」


 飛叢が腕を一振りする。

 幾重ものバンテージが、八岐大蛇やまたのおろちの如く鎌首をもたげた。


「人でも妖怪でも邪魔するなら叩きのめす…そいつが俺の流儀だ」


「そう。なら、清々といきましょう」


 クイクイと人差し指を曲げる少女。


「来なさいな、空飛ぶふんどし君」


「ハッ!気に入った!行くぜ、変態仮面女!」


 飛叢が両腕を大きく振るうと、白いバンテージが一斉に少女へ襲い掛かる。

 それを少女は身を逸らしたり、後方へ宙返りしながら避けていく。


「何をしとる、沙槻!」


 背後から、五稜ごりょう 満男みつおに怒鳴られ、沙槻はビクッと身を震わせた。


「化け物同士でやりあっとる間に、まとめて片付けるのだ!」


「でも…」


 躊躇ちゅうちょするように、沙槻は少女を見た。

 少女は迫り来るバンテージをかわすことに専念しており、全くの隙だらけだ。

 だが、手の大幣おおぬさを振るおうとする沙槻の手は動かなかった。


「野郎、ちょこまかと!」


 飛叢のバンテージは、がむしゃらに少女を追い続けるが、少女は全て紙一重で避けていく。

 凄まじい体術の持ち主だった。

 高速戦を身上とする飛叢の妖力…【天捷布舞てんしょうふぶ】は、その気になれば飛来する銃弾をも掴み取ることが可能だ。

 それを、仮面の少女は辛うじてとはいえしのいでいる。

 生身の人間、いや妖怪でもなかなか出来る芸当ではない。


「飛叢!」


「来るな!こいつは俺がやる!」


 助太刀しようとしたなぎ磯撫いそなで)に、飛叢が怒鳴った。

 少女が再びほのかに笑う。


「やるわね。町場の妖怪にもこんな気骨を持った者がいるなんて、正直感心したわ」


「そいつはどうも!」


 飛叢が応じるように笑う。

 その瞬間、少女を追い掛けていたバンテージの一つが、ピタリと動きを止めた。


「!?」


 追撃を予想していた少女が、思わず気をとられた隙をぬい、別方向から襲い掛かったバンテージが少女の右腕に絡みつく。


「…あらら。捕まっちゃった」


 左手、両足と次々に拘束される少女。

 だが、捕まえた方の飛叢は歯噛みした。


「どういうつもりだ、テメエ…!」


「何の事?」


「俺をナメるなよ!?やるなら、本気出せってんだ!!」


 飛叢が怒りの表情になる。

 百戦錬磨の喧嘩ジャンキーである飛叢には、少女が逃げ回るばかりで、その実力を出し切っていない事に気付いていた。

 動きを見ていれば分かる。

 その気になれば、飛叢と互角以上に戦える筈なのだ。


「別に侮っていた訳じゃないわ。私の目的は単なる時間稼ぎだし」


「何!?」


「あ、ようやく来たみたいね」


 少女の目線を、飛叢は追った。

 そこには、宿に置き去りにしてきた釘宮くぎみや赤頭あかあたま)と鉤野こうの針女はりおなご)、そして…


めぐる…」


 肩で息をする十乃とおの 巡の姿があった。


-----------------------------------------------------------------------------


「巡…」


 僕の姿を見て、飛叢さんが驚いた様に目を見開く。

 僕は、改めてその場の面々を見渡した。

 凪達地元の特別住民ようかいの皆さんと飛叢さん。

 飛叢さんに拘束された、黒い仮面の少女…誰だ、これは?

 そして、中年男性の前に立ち尽くす、白衣びゃくえ緋袴ひばかまの少女。

 その少女には、見覚えがあった。

 昼間、五猟神社ごりょうじんじゃの中で、迷子になった時に出会った少女だ。


「あなたは…」


「まさか…君が“戦斎女いくさのいつきめ”だったなんて…」


 茫然と僕を見る少女に、僕は暴れる息遣いを収めながら、そう言った。


「な、何だ、お前達は!?」


 中年男性が、そう声を荒げる。

 五稜さんは、僕に指を突きつけ、怒鳴った。


「貴様、何なんだ!?ここはわしの土地だぞ!勝手に入るな!」


「失礼しました。僕は十乃と言います。降神町おりがみちょう役場の職員です」


「な、何!?降神町役場だって!?」


 公的な立場を名乗る僕に、五稜さんは少しトーンダウンした。


「役場の人間がここになんの用かね?」


 僕から名刺を受け取りながら、五稜さんはそう尋ねた。

 僕は、頭を下げて、


「はい。実はこの場に居る特別住民ようかいの一人は、役場うちが引率してきた者でして…その、迎えに来た次第です」


「…ほぉう」


 五稜さんの目が、ギラリと光った。


「十乃さん、だったかね?儂とこの沙槻は今、ちょうどこの土地に不法侵入していた不届きな妖怪達に危害を加えられていたところだ」


「何だと、テメエ!」


 傍で聞いていたかがり牛鬼うしおに)が激昂する。


「どのつら下げてそんな事を…」


「しかし!」


 五稜さんは、ことさら大きな声で、その反論を打ち消した。


「その中に、役場が関係する妖怪が居たとなったら…これは極めて重大な問題だ」


 その一言に、場が静まり返った。

 飛叢さんも、ハッとなって立ち尽くす。


「違うかね、十乃さん」


「…いえ、違いません」


 頭を下げたままの僕がそう言うと、五稜さんの笑みが深くなる。

 沙槻と名乗った少女が、それを痛ましそうに見ていた。


「だろう。そうだろう。なら、仕方がない。これは早速、役場の上層部の方々にも抗議を…」


「但し、、ですが」


 今度は、僕が五稜さんの台詞を遮る。

 一瞬、呆気にとられていた五稜さんは、険悪な目で僕を睨んだ。


「どういう意味かね?儂の言葉に偽りがあると…?」


「残念ながらそうなります」


 そう言うと、五稜さんは柳眉りゅうびを逆立てた。


「言葉に気をつけたまえ、十乃さんとやら。迂闊な言葉は、身を滅ぼしかねんぞ?」


 深く呼吸を整える僕。

 飲まれるな。

 交渉の基礎はまずそこにある。


「ご忠告感謝します…しかし、繰り返しになりますが、貴方が言った今の状況説明には不正確な点があります」


「…何だと?」


「『ここが自分の土地である』という点です」


 そういうと、全員が顔を見合わせた。

 一人、五稜さんが顔を真っ赤にして怒鳴る。


「ふざけるな!ここはきちんと手続きを踏んで儂が手に入れた土地だ!所有権だって儂にあるんだぞ!何を根拠にそんな出鱈目を!」


「法律上は確かにそうでしょう。ですが、国と町で定められた「特別住民条例」には『特別住民の所有する財産に関しては、超法規的措置を適用し、既設の条例との公平性を考慮した上でその保護が認められる』とあります…降神町の町民なら、勿論ご存じですよね?」


 最後のは皮肉にも近いが、僕は慇懃無礼に答えた。

 五稜さんは更に激昂した。


「では、何かね!?この土地がこいつらの物だと証明できるものがあるというのかね!?」


 その言葉に、凪達の表情が硬くなる。

 僕も無言になった。


「どうなんだ!?」


「…ありますよ」


 僕がそう言うと、五稜さんは再び呆気にとられた顔になる。

 いや、凪達ですら驚いた表情で僕を見ていた。


「…ほお、ならば見せてもらおうか。今!すぐに!」


 息まく五稜さんを置いて、僕は沙槻さんに近付いた。

 泣きそうな表情の沙槻さんが、僕を見上げる。

 こんな。

 こんなおとなしそうな少女が“戦斎女いくさのいつきめ”だというのか。

 神社で一人手毬唄を歌っていた時のはかなげな雰囲気と、伝え聞く退魔の巫女の伝承が上手く重ならず、僕は苦笑した。


「またね、とは言ったけど…こんなに早く再開するとはね。驚いたよ」


「あの、わたしは…」


「お願いがあるんだ」


 僕の言葉に、沙槻さんは目をいばたたかせた。

 そんな彼女に、僕はズボンのポケットから取り出したものを見せる。

 それは拳に乗るくらいの大きさの貝殻だった。

 種類は分からないが、白く滑らかな手触りが心地よい。

 淡い桜色の模様が入っており、中心に小さな紋みたいなものが刻まれていた。

 長い年月のせいか、幾分 掠かすれているが、鳥の様な形に見える。

 それを見た沙槻さんが、目を見開く。


「これは…ごりょうのかもん!?」


「…やっぱりね。五猟神社で見たのとそっくりだったから、多分そうじゃないかと思った」


 僕は全員に向き直った。


「皆さん、この貝殻は、この逆神さかがみの浜にある社の中に納められていたものです」


 僕のその言葉に、一同がざわつく。


「緊急を要したので、勝手にお借りてきてしまい申し訳ありません。ですが、どうしても必要でしたので…どうかお許しください」


「おい、そんなことはどうだっていい!さっさと証拠を見せたまえ!」


 五稜さんが怒鳴る。

 僕は手の上の貝殻を見せた。


「これがそうです」


「…馬鹿にしているのか、君!そんな古びた貝殻が何の証拠になると…」


「おなじです…」


 沙槻さんがそう呟くと、五稜さんは聞きとがめた様に彼女に目をやった。


「何だ!?何が同じなんだ!?」


「これとおなじものを、やしろのほんでんのなかでみました」


 沙槻さんがそう言うと、五稜さんも沈黙した。


「いちぞくのものからききました…これは『とてもたいせつなもの』であると。そして、これには『とてもたいせつなことがしるされている』と」


 僕は少しホッとして、沙槻さんに貝殻を手渡した。

 戸惑った様に見上げる彼女に、僕は笑って見せる。


「これが入っていた箱にも同じような古文書が添えられていたよ…そして、これは五猟一族きみたちなら使う事が出来るらしい。何に使うかは、僕には分からないけれど」


 その言葉に、沙槻さんがハッとなった。


「…できるかな?」


 僕がそう言うと、彼女は長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。

 そして、貝殻を両手で支え持つように掲げ、深く息を吸い込む。


「かけまくもかしこき もろかみたちのひろまえに かしこみかしこみももうさく…」


 鈴の様な声が、紅に染まる浜に流れていく。

 幻想的なその光景に、全員が目を奪われた。

 彼女の声は祈りに近く。

 「いくさ」を冠するその名を忘れさせる程、たおやかだった。


「ひろくあつきいつくしみをたれたまいて かのこえをたまわん」


 最後の一章節を唱え終えると、彼女の手から柔らかな光が立ち昇った。

 見守る全員の目の前に、光の中に黒髪の女性が現れる。

 女性は沙槻さんと同じ、白衣に緋袴姿だった。

 幻影ホログラムの女性は、母性溢れる微笑みを湛えていた。


“我は『五猟』を束ねし者なり”


 女性の口が動くと同時に、透き通った声が響く。

 どういう仕掛けなのか分からないが、沙槻さんの霊力が、貝殻に残されている記録を再現しているのだ。


“遠き世に生きる我らの子らに、この声を遺す”


「まさか…まさか『初代』か!?」


 何かに思い当ったのか。

 五稜さんが動揺した。


“この声は汝らと、我らを助けてくれた数多のあやかし達との永き和を守るためのものなり”


 凪達がハッとなる。

 女性は続けた。


“我らは永きに渡り、人に請われ多くの妖しを討ってきた。そして、その任をいとやからによって、我らは流浪の身に落ちた…”


 女性は痛ましい表情になった。


“我らを生んだ人に追われ、流れる身を救ってくれたのは…皮肉にも我らを怨敵とする妖し達であった”


 沙槻さんは女性の姿に目を奪われた様に、声も無く立ち尽くしていた。

 まるで、女性の一言一句、その所作を見逃すまいとする様に。


“彼らの慈悲により、我ら五猟はこの『白神しらかみ』の地を安住の地とすることが出来た。それに我らは報いなければならぬ”


 飛叢さんも、謎の黒い少女も。

 釘宮くんと鉤野さんも。

 女性の言葉に聞き入っていた。


“故に我らはここに記す”


 女性の表情が穏やかなものになる。


“万苦にさいなまれし我らを、大いなる慈悲によって救いたもうた妖し達の望みに応え、ここに『逆神さかがみ』の名と白浜を献上する”


 全員が息を呑んだ。

 それは、時を超えた約定だった。


“我らの多くは妖しより短命なり…故に…この声は…その『証』として…永く残すもの…”


 女性の声が、掠れてきた。

 ラジオのノイズの様な雑音も混じっている。

 永い時が、その重さで貝殻の記録を蝕んでいるのだ。


“我が子らよ”


 不意に。

 声がクリアになる。

 まるで「これだけは伝えたい」という女性の意思がそうさせたかのように。


“この恩を…絆をわするるなかれ。そして…どうか、彼ら良き妖し達との永き和を守り、末永く幸せに…”


 女性が目を閉じ、祈る様にそう告げる。

 そして。

 女性の幻影は、夕日に溶ける様に消えた。

 さざ波の音が響く中、誰もが無言だった。

 僕は全身を襲う脱力感を押さえつけ、再び深呼吸した。


「…これが証拠です。恐らく、五猟神社にあるという貝殻にも、これと同じメッセージが入っているでしょう。言うまでもありませんが、裁判所に持ち込めば、専門家によって年代測定・霊的検査など分析も可能な、文字通り『物的証拠』です」


 僕は五稜さんだけでなく、全員にそう告げた。


「…そして、証拠はもう一つ」


 そう言うと、僕は沙槻さんに向き直った。


「沙槻さん。あの唄を聞かせてください」


「え?」


「昼間、聞かせてくれたあの手毬唄ですよ」


 沙槻さんは、戸惑っていたが、逡巡した後、そっと歌い始めた。



“ひとつ ひがしへおやまをこえて

(一つ 東へ御山を越えて)


ふたつ ふるさといとこいし

(二つ 故郷いと恋し)


みっつ みぎわのあらいそで

(三つ 水際の荒磯で)


よっつ よるべをしらはまに

(四つ 寄る辺を白浜に)


いつつ いわおをわけうけて

(五つ 巌を分け受けて)


むっつ むくいるまつのはま

(六つ 報いる松の浜)


ななつ ながくとこしえに

(七つ 永く永久に)


やっつ やおのともがらよ

(八つ 八万の輩よ)


ここのつ このみがつきるとも 

(九つ この身が尽きるとも)


とおで ともにてをとりて

(十で ともに手を取りて)”



 歌い終えると、沙槻さんは貝殻に目を落とした。


「このうたは…ずっとむかしに、なくなったかあさまにならいました」


 沙槻さんの目に涙が滲む。

 流れ落ちるあたたかい涙が、その手の平の貝殻に流れ落ちる。


「なぜでしょう…ずっと…わすれていました」


 僕を見ながら。

 涙をぬぐい“戦巫女いくさのいつきめ”が静かに微笑む。

 その表情は先程とは違い、年相応の少女の顔になっていた


「でも…きょう、かあさまをみて、おもいだしました…とても、たいせつなこととともに」


 伝承にはこうある。

 「その身にあらゆるけがれを寄せ付けない“戦斎女いくさのいつきめ”は、自らを侵す『死』すらもはらう」と。

 人の道を外れた修法による副作用なのか、彼女達の時間の流れは、常人のそれより緩慢なのだそうだ。

 恐らく、先程の女性…彼女の母親も永い時を生き、魔と戦い、彼女を生んで、この世を去ったのだろう。

 或いは…魔との戦いで、命を落としたのかも知れない。


「五猟の巫女…」


 沙槻さんは、凪に近付いて行った。

 誰に指示されることも無く、自分の足で。


「さかがみのあやかしのみなさま。このかいがらと、このはまをおかえしします」


 そして、静かにこうべを垂れる。


「おんをあだでかえそうとしたこのみのはじを、どうかおゆるしください」


 戸惑っていた凪は、沙槻さんが差し出す貝殻を受け取ると、静かな表情でそれを見つめた。


「こんなもんをわざわざ遺していたなんて…」


 凪の目が潤んでいた。

 いや、彼だけではない。

 浜に居る妖怪全員が、涙を流していた。

 いま目にした、遠い過去からのメッセージは彼らの胸をも打ったのだろう。


 ああ、そうだ。

 妖怪かれらは、人間以上に純粋なのだ。

 自然を愛し、仲間を愛し、失われた時を想う。

 それは、人が遠い昔に置いてきてしまった、とても大切な心でもある。


「…あんたの母ちゃん、いい女だな」


 凪がそう言うと、沙槻さんは泣き笑いのまま顔を上げた。


「はい。じまんのははです」


 凪が手を差し出す。

 遠い昔、彼らがの先祖が、流浪の民にそうした様に。


 沙槻さんがそれに応える。

 かつて、彼女の母がこの地に根差し、妖し達と共に歩むと決めた時の様に。


 二つの手はしっかりと握り合い、固く結ばれた。

 日は既に色を失い、辺りが薄暮に染まる。

 全員の姿がおぼろになり、人も妖怪も曖昧な輪郭になっていく。

 昔の人は、そんな時間を「だれかれ」…人と妖しを見分けるために声を掛け合う「黄昏たそがれ」と呼んだ。

 人と妖怪が交り合う、日没までの僅かなこの逢魔おうまとき

 かつて、そうであったように、いま人と妖怪が出逢っている。

 例え、昔と違う形になったとしても。

 時を越えて、人と共に妖怪は今も生きているのだ。


「巡、お前…」


 飛叢さんが僕に近寄って来た。

 その頬を、不意に鉤野さんが平手打ちにする。

 飛叢さんをはじめ、僕と釘宮くんも唖然となった。


「…一人で行くなんて、どういうつもりですの?」


 鉤野さんが飛叢さんを睨みつける。

 一瞬、何か言い返そうとし、飛叢さんは鉤野さんの表情に気付いて、口を閉ざした。

 彼にしては珍しく、素直に頭を下げる。


「…悪い」


「知りません。もう!」


 そっぽを向く鉤野さん。

 飛叢さんは、苦笑した。

 日頃仲の悪い二人だが、鉤野さんは本気で飛叢さんの事を心配していたのだろう。

 僕は笑って言った。


「とにかく、ご無事で何よりです」


「ああ。でも…お前、よくあんなの見つけられたな」


 凪が手にする貝殻を見ながら、飛叢さんがそう言う。

 僕は頭を掻いた。


「偶然ですよ。凪から聞いた話に『妖怪達が五猟一族の信じる神を奉る社を立てた』って言ってたのを思い出して…」


「で、昨日ボクと鉤野姉ちゃんが日傘を探しに入った松林に、社があったのを思い出したんだよ」


 釘宮くんがニッコリ笑う。

 本当に偶然だった。

 思いつきではあるが、五猟と妖怪達の接点を考えた場合、今なお残る物証は非常に少ない。

 僕達は、わらにもすがる思いで社に向かったのだ。


「とりあえず、その社に何か手掛かりは無いかと調べたら、中にあれが残っていたんです。で、そこにあった五猟の家紋を見た時に閃いたんですよ…『これは昔の約定に何か関わりがあるものじゃないか』って」


 飛叢さんは、口をあんぐり開けた。


「おいおい…それって完全に山勘じゃねぇか…!」


「ええ。正直、賭けでした。あの時『証拠ならあります』とか言いきっちゃいましたけど、中身が全然関係ないものだったら、ホントどうしようかと…」


 疲れた様に肩を落とす僕に、飛叢さんは突然笑いだした。


「ホントに、まったく…お前は大した奴だよ!これだから、お前との付き合いは止めらんねぇぜ!」


「あた、あいた!痛いです、飛叢さん」


 背中をバシバシ叩かれ、僕は抗議する。

 が、飛叢さんの笑い顔を見て、少し甘んじることにした。

 彼のそんな顔を見るのは、久し振りの様な気がしたからだ。


 その時だった。


「納得いかん!」


 不意に五稜さんが大声を上げた。

 少ない髪はほつれ、顔を真っ赤にしている。


「あんなものが証拠な訳があるか!どうせくだらないトリックに決まってる!」


「おじさま…いいえ、あれがしんじつです。わたしたちは…」


「うるさい!黙れ、化け物共が!」


 沙槻さんを含め、興奮した五稜さんは居並ぶ全員を睨みつけた。


「お前ら、全員訴えてやる!二度と日の下を歩けない様にしてやるから覚悟しろ!」


 そう高笑いする五稜さん。

 それを遮る様に、不意に声が響いた。


「果たして、そう上手くいくでござるかな…?」


 その場に居ない誰かの声。

 い、いや!

 この声には聞きおぼえがあるぞ!


「だ、誰だ!どこにいる!?」


 うろたえる五稜さんに、声の主は言った。


それがしはここでござる!」


「きゃああああああああああっ!?」


 声と共に沙槻さんの悲鳴が上がる。

 見れば、彼女の緋袴をめくり上げ、中から一人の男が這い出てきた。


 言うまでも無い。

 昨日、不埒な行為が祟り、女性陣に袋叩きにされ、はりつけの刑になっていた妖怪“精螻蛄しょうけら”こと、あまりさんだ。


 それにしても…なんちゅう所から登場するんだ、この人。

 可哀想に、沙槻さんは真っ赤になってパニックに陥っている。


「な、何だ、貴様は!?」


「フッ…名乗る程の者ではござらんが、敢えて言うなら『美の探究者』とでも名乗っておくでござるよ」


 ウソつけ、単なるノゾキ魔だろ。

 …と、僕と飛叢さん達は胸の内で呟いたのだった。


「五稜殿、でしたな?貴殿は全員を訴えると申されていたが…いいのでござるか?」


 うって変わって低い声になる余さん。

 見た目にピッタリのその不気味な迫力に、五稜さんがたじろぐ。


「な、何だ?何が言いたい?」


「この中には」


 余さんが首から下がった一眼レフのカメラを見せた。


「誰かさんのいけな~い証拠が、たっぷりと写っているんでござるが…」


「な、何だと…」


「あ、動画もあるでござるよ?例えば、ホラ…この県議員との内緒話なんか、そりゃあもう傑作で…」


「わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 不意に絶叫する五稜さん。

 余さんは、ねちっこい笑みを浮かべた。


「気に入らないでござるか?なら、今日撮ったばかりの秘書のアケミちゃんとのアツアツな一枚は…」


「分かった!もういい!」


 五稜さんは、脂汗を拭うと咳払いをした。


「…どうやら不幸な誤解があったようだ。この件については、当方も対応を改める必要がある」


 そう言うと、五稜さんはさっさと歩き出した。


「…覚えていろよ」


 そう小さく呟いた様だが、誰も聞いてはいない。

 その背中を、沙槻さんが追う様に歩き出した。


「では、わたしもこれで…いろいろとおせわになりました」


 くるりと振り返り、皆に一礼する。

 最初に会った時とは違い、その表情には生気が溢れている。


「ああ…けど、大丈夫か?あんた」


「はい。もうだいじょうぶです…わたし、ぜんぶおもいだしましたから」


 心配する凪に、沙槻さんは笑い返した。


「次に来たら、歓迎するよ。何なら、また力比べでもしようか?」


 ウィンクする篝に、鏡冶さんが溜息を吐く。


「脳筋は大概にしておきなさい、篝。彼女はもう敵ではないのですから」


「バッカ、鏡冶。仲間だから『力比べ』なんだよ。本気で相手に出来る間柄だから、いいんじゃねぇか。なあ?」


 同意を求められ、沙槻は苦笑した。


「いちおう、まえむきにかんがえておきますね」


「何をしている!?帰るぞ、沙槻!」


 遥か遠くで、五稜さんが苛立った様に怒鳴る。


「はい、いまいきます!おじさま!」


 そう答えながら、沙槻さんはおずおすと、僕の前に立った。


「とおのさま…ほんとうにありがとうございました」


「いや、僕は大したことはしてないよ。全部、君や凪達、何よりも君のお母さんが最初からケリをつけてたみたいなもんだし」


「いいえ」


 沙槻さんは僕を見上げた。


「あなたがいなければ、わたしは…」


 そこで何故か顔を赤らめる沙槻さん。


「とおのさま…おねがいがあります」


「お願い?」


「はい。ごめいわくでなければ…またいつか、おあいしていただけますか…?」


 沙槻さんは小さい声でそう言った。

 ?

 そんなことなら、お安い御用だ。


「いいよ。僕は釣りが趣味だから、また白神海岸ここに来ようと思ってたし」


「ほんとうですか!?」


 パアッと顔を輝かせる沙槻さん。

 そ、そんなに喜ばれると、こっちが照れるな…

 でも、僕なんかと会っても、たいして面白くないと思うんだけどな。


(へえ、応じたぞ。しかも、あっさりと)


(いや、完全に無自覚でござるよ、アレは。一番性質たちの悪いリア充の見本でござるな)


(なになに?何の話?)


(何でもありませんわ。釘宮さんには少し早いお話です)


 よく聞こえないが、背後で飛叢さん達が何やらヒソヒソと話していた。


「では…『また』」


「うん。『また』ね」


 暮れゆく浜から、緋色の袴が遠ざかっていく。

 時折、名残惜しそうに手を振るその姿は、やがて夕闇に溶けていった。


「…そう言えば」


 ふと思い出して、僕は飛叢さんに振り返った。


「あの黒い仮面の女の子、誰だったんです?」


「…あ」


 そう言った飛叢さんが腕を見降ろす。

 そこには、切り裂かれたバンテージが、潮風に揺れていた。


-----------------------------------------------------------------------------


「いま戻ったわ、おばあちゃん」


 民宿「しおさい」の台所。

 夕食の準備にいそしむ祖母に、孫娘…黒華くろかは、そう声を掛けた。

 いつもの学校の制服姿で、無表情のままだ。


「おかえり。で…首尾はどうだった?」


 穏やかな笑みを浮かべ、祖母が尋ねる。

 黒華は頷いた。


「万事解決…かな。最後に五稜が開き直ったけど、精螻蛄あのおとこが依頼通りの仕事をしてくれたから」


「そうかい、そうかい。なら、良かったよ」


 祖母は鍋の中の煮物を突きながら、首肯する。


「本来なら、私達が動くところだったけど、降神町役場の連中が地元の若い者と上手く噛み合ってくれたようだから、ね。余計なお節介だったかもしれないけど、まあ『終わり良ければ全て良し』さね」


「凪達も落ち着いたし…当分は大丈夫だと思います、マスター」


 黒華がそう言うと、祖母はチッチッチッと似合わないゼスチャーで、人差し指を振った。


「いけませんよ、くーちゃん」


 祖母の口から出た声は、外見とは似つかない、若い張りのある声だった。

 声自体は、男性の様にも女性の様にも聞こえる。


「この姿の時は『おばあちゃん』で宜しく」


「そうでした。すみません、マス…おばあちゃん」


 慇懃無礼に一礼する黒華に、祖母は苦笑した。

 性格改善は順調だが、時折、必要以上に服従的感情が吐露されるのが玉に傷だった。


(ま、殺人に走らなくなった分、マシになったんですけどね)


 そう胸の内で呟きながら、祖母…妖怪“面霊気めんれいき”こと怪盗サーフェスは微笑んだ。


「…お。今回も快作だね。くーちゃ…黒華、盛り付けを手伝っておくれ」


「うん。分かった」


 コクリと頷く黒華に、祖母は袖をまくってみせる。


「さあて!今日は彼らをねぎらって、豪勢にいこうかねぇ!」

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