【四十六丁目】「訳あって、その娘の味方をするわ」
日が傾き、月が昇る夕暮れ時。
静かに波の音が繰り返される中、二つの種族が対峙していた。
片方は妖怪。
古くからこの地に棲み、流浪の一族を受け入れ、その見返りとしてこの浜を譲り受け、護ってきたものたち。
片方は人。
この地に根を張り、妖怪と共に共存し、そして今、それに幕を引こうとする“
“
退魔の巫女として妖怪から
数の上では妖怪達が圧倒するが、戦力では五猟に分があった。
それでも妖怪達は退かない。
五猟との約定を経て、永くこの浜を護ってきた彼らには、誇りと浜に対する思い入れがあったからである。
祖先が遺した遺産であること以上に、ここには彼らの思い出が数多く刻まれているのだ。
駆けずり回った渚。
登って遊んだ松林。
待ち合わせや宴の場となっていた
枚挙するに暇がないほど、この浜にはたくさんの思い出が染みついている。
なのに。
目の前の人間達は、ここに生じるであろう利益のために、それらを壊そうとしているのだ。
それは絶対に許せない事だった。
「これが最後通告だ」
満男が煙草の煙を吐き、そう言った。
かれこれ一時間。
最後の話し合いは、平行線のまま終局を迎えようとしていた。
満男は内心はらわたが煮えくり返る思いだった。
この一時間は、全くの徒労だった。
いや、最初から数えれば、どれだけの時間を目の前の頑固な化け物どもの説得に費やしてきたか。
数々の根回しや口利きで、前から目をつけていたこの浜の土地の権利書を手に入れ、リゾートホテルの開発に着手しようとした時、突然、彼ら…
そして、浜の所有権を主張してきたのである。
浜にまつわる伝承は昔、本家からうっすらと聞いた記憶があった。
だが、面倒くさいので、金や厚遇で懐柔はしてみたものの、逆効果に終わった。
対話は平行線を辿り、計画は遅々として進まなくなった。
冗談ではない、と彼は憤慨した。
満男には裸一貫で「五稜グループ」を育て上げたプライドがある。
古いだけが取り柄で、昔からの因習に縛られた本家や他の分家の中でも、今や満男は一番の出世頭だ。
その発言権だって、本家も無視できないくらいになったと自負している。
その証拠に、妖怪達への切り札として、門が不出の退魔兵器“
その存在は、子どもの頃から満男も聞かされていた。
本家の森の奥深く、結界に閉ざされた庵に住むその少女を、興味本位で盗み見た事もある。
歳の頃は十代半ばで、人形のように端正な顔立ちの少女。
幼心に「きれいだ」と感じたのを憶えている。
だが…
『さつき、ともうします』
あれから五十年以上経った現在。
満男の要請に応えた本家が派遣したその少女は、老いること無く、当時の姿のまま、彼に一礼した。
彼は戦慄した。
あの言い掛かりをつける
老いること無く、ただバケモノ共を討つための道具なのだ。
人ではないのだ、と。
ならば…
それこそ、あの気に食わない妖怪共の相手に相応しい。
「何度も言うが、この土地の権利はこちらにある。あんた達の主張は、何の根拠もない言い掛かりに過ぎない。即刻、ここから退去してもらうぞ」
居丈高な満男の物言いに、凪は決然と答えた。
「断る!この浜は、約定により俺達が受け継いだ地だ。昔、俺達の先祖から受けた恩も忘れ、厚顔無恥な要求をするお前らこそ、ここから出て行け!」
凪の言葉に、背後の妖怪達も声を上げて追従する。
「…所詮、カビが生えた骨董品か」
侮蔑の言葉を吐く満男に、凪達の表情が険悪なものになる。
満男は続けた。
「何を考えてこの現代にノコノコ現れたかは知らんが、
満男は、持っていた煙草を足元に捨てると、踏み潰した。
「沙槻、こいつらを排除しろ」
そして、忌々しげに吐き捨てた。
「二度とここに来れないように、な」
「…」
「沙槻!何をしている!?」
反応を示さない沙槻に、満男が怒鳴る。
沙槻は、ウサギの様にビクン、と身を震わせた。
「…はい」
昨夜と同じ、黄金の額冠に
シャラン…
シャラン…
「かけまくもかしこきみむすびのおおかみたちのくすしきみたまによりて…」
鈴のような声が古い言霊を
それを合図に、凪の長髪が振り子の様に揺れ出した。
雄叫びを上げる
「あれいでませるいつはしらのもとつかみ…」
風・火・金・水・土を司る「
「ひのかみほむすびのみこと」
瞬間。
沙槻の周囲に紅蓮の炎が巻き起こった。
「チッ!」
凪が舌打ちしながら首を振るのと、沙槻の周囲の炎がその背後に集中するのは同時だった。
大気に溶け、透明化し、相手を襲う【
沙槻の背後から迫っていた不可視の凶器は、浄化の神炎を受け、その迷彩を根こそぎ剥がされたのだった。
「…だが、遅い!」
一度放てば、数百メートル先の相手でも襲う事が出来る大針は、炎を受けつつも沙槻の細い首筋を寸分違わず狙っていた。
「かねのかみかなやまひこのみことかなやまひめのみこと」
沙槻の祝詞が突如、空中に剣を生む。
刀身から、六つの刃が炎の如く生えた、その剣は空中に停滞したまま、凪の大針を迎え撃った。
ギィイイイン!
まるで、いにしえの剣豪が振るったかの様に、剣が鮮やかな弧を描き、自動的に大針を払い除ける。
異形の神刀…「
「さすがだな」
ニヤリと笑う凪。
それに何かを感じたのか、沙槻は予備動作も無く、大きく跳び退った。
直後、沙槻の足元の影から浅黒い腕が伸び、その足を捕える。
「つーかまえた!」
沙槻の影から、牙を剥き出して笑う篝が這い出て来る。
鏡冶の【
「いくら“
逆さに吊るされたままの沙槻は、すぐさま身を逸らすと、大幣を打ち振るった。
「はらいたまえ」
「おら、よっ!」
沙槻の大幣と篝の鉄腕が交錯する。
互いに強い衝撃を受けて、両者は弾き飛ばされた。
「篝!」
鏡冶の声に、篝は呻きながらも、どうにか立ち上がる。
「くそ…腹を防御してなかったら…風穴開けられてたぜ」
強い霊力を受け、腹部からブスブスと煙を立ち上らせながら、篝は顔を歪めた。
並みの妖怪なら間違いなく重傷だが【
「けど、今のはいい感じで…」
言いかけて、篝は驚愕した。
自分よりはるかに小さく、華奢な体型の沙槻が、平然と立ち尽くしていたからだ。
「ウソだろ…き、効いてないのかよ…!?」
「いえ、すこしいたかったです」
腹を撫で擦りながら、沙槻は神楽鈴を打ち鳴らした。
「とふかみえみため かんごんしんそんりこんたけん はらいたまひきよめいたまう」
鈴の音が何重にも鳴り響く。
途端に、浜に居た妖怪達がもがき苦しみ出した。
「ぐあああああっ!!」
「な、何だこりゃあああっ!?」
「とふかみえみため かんごんしんそんりこんたけん はらいたまひきよめいたまう」
人間である満男には、単なる鈴の音にしか聞こえない。
が、妖怪である凪達には、凄まじい音圧により、五体が
ガクリ、と次々崩れ落ちて行く妖怪達。
それには何の感情も見せずに、淡々と祝詞を奏上する沙槻。
そうして、意識を失いかける者が出始めた時だった。
ヒュン!
突然上空から伸びてきた白い布が、沙槻の手の神楽鈴を撃ち落とす。
空を見上げる沙槻の目に、バンテージをはためかせ、宙に浮く一人の青年の姿が映った。
「
唖然とする篝に、飛叢(
「よう。また会ったな」
「飛叢、何でここに!?」
凪も驚いて目を見開く。
昨日、手助けをしてもらう形にはなったが、基本的に飛叢達はこの
だから、昨夜も「ここから先は俺達だけでやる」と、助力を申し出た飛叢達を追い返したのだ。
驚く凪達に、飛叢は答えた。
「せっかく焼いたお節介だ…燃え尽きるまで、焼かせろよ」
うって変わって、鋭い目で沙槻を射る飛叢。
沙槻は、その視線を受け止めた。
「あなたはきのうの…」
「次は俺が相手になってやるぜ“
そう言うや否や、飛叢は両腕のバンテージを打ち振るった。
それはまるで白い滝の様に降り注ぎ、沙槻の四肢を絡め取っていく。
そのまま万力の如き勢いで締め上げられ、沙槻は苦悶の表情を浮かべた。
彼女の
先程の篝の攻撃を凌いだのは、その効果のためだ。
が、その身体は常人を凌ぐとはいえ、生身の人間である。
痛みを感じない訳ではない。
「女をいたぶるのは好きじゃねぇんだが…ここは全力でいくぜ」
容赦なく沙槻を締め上げる飛叢。
彼の狙いは、沙槻の意識を奪い、無力化することにあった。
が、その
「かねのかみかなやまひこのみことかなやまひめのみこと」
祝詞を口にすると、突き立っていた七支刀が飛来し、沙槻の身を拘束するバンテージを切断する。
古来、神降ろしの儀に使用されていたとされる神剣は、鋼を凌ぐ飛叢のバンテージをものともしなかった。
「くっ…!そんな物まで使えんのかよ…!」
「ひのかみほむすびの…」
「あたいを忘れんじゃないよ…!」
横合いから突進してきた篝が、祝詞を唱えようとしていた沙槻の隙を突き、渾身のタックルを見舞う。
それに気付き、咄嗟に大幣を横に構え、受け止める沙槻。
凄まじい衝突音の後、両者は再度吹き飛ばされた。
が、今度は互いに大地を踏みしめ、よろけながらも態勢をを整える。
「チビの癖にあたいと力で互角とはね…化け物か、あんた」
「…」
沙槻は無言で大幣を振るおうとし、固まった。
今度は側面。
斜陽を受け、長く伸びた沙槻の影を伝い泳いできた黒い
鏡冶の操る影の鮫だった。
「多対一は好みではありませんが…貴女が相手では、そうも言ってられないですね」
鮫の背に乗りながら、鏡冶が腕を振るう。
「その影ごと、
大きく跳ねた鮫は、空中から沙槻に跳び掛った。
迫る巨大な顎に、沙槻は首に下がっていた
「てんにつくたま ちにつくたま ひとにやどるたま…いなりのはちれい ごこおのしんのひかりのたまなれば…!」
祝詞と共に勾玉が閃光を放つ。
強い光を受け、影の鮫は幻の様に溶け消える。
「!?」
息を吐く沙槻の足に、不意に何かが絡みついた。
凪の大針だと気付いた時には、その身体は既に宙空にあった。
「捕った!」
首を大きく振り、沙槻を振り回す凪。
そのまま、両手で自身の長髪を引き絞り、容赦なく沙槻を大地に叩きつける。
派手に砂を巻き上げ、沙槻は絶息した。
「か…は…」
辛うじて立ち上がるその身に、再度飛叢のバンテージが巻き付く。
「休んでる間なんざやるかよ!」
「う…く…」
高速で飛翔し、沙槻を締め上げながら、地面へ引き摺り倒そうとする飛叢。
息もつかせぬ妖怪達の総攻撃に、さすがの沙槻にも消耗の色が見えだした。
傍目には少女一人に卑怯かも知れないが、彼らにはこれしか方法がない。
何せ、相手はあの“
攻める手を休めれば、一瞬で戦局を覆されかねない程の存在なのだ。
「悪く思うなよ…」
バンテージの数を増やし、沙槻の喉を狙う。
絶息させて意識を奪えば、あとはどうとでもなる。
「こっちは…任せな…!!」
見れば、篝が飛来しようとする七支刀にしがみつき、抑え込んでいた。
これで余計な横槍は心配しなくて済む。
「すまねぇ!」
白蛇の様にバンテージが伸びる。
が、その時。
「【
不意に現れた黒い影が、沙槻の四肢を絡め取っていたバンテージを切り裂く。
「な、何だ!?」
闖入者の出現に、飛叢が思わず目を剥く。
その眼前に、一人の少女が立っていた。
肩で切りそろえられた黒髪。
ボロボロになった漆黒のマント。
顔半分を覆う、バイザーの様な黒い仮面。
シュカッ…!
見るからに怪しげな風体の少女は、手首から生えた無数の刃を、腕を振るって納めた。
「テメエ…何者だ!?」
飛叢の
「ただの通りすがりの
感情の無い声でそう言うと、少女は
「訳あって、その娘の味方をするわ」
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