【四十五丁目】「またね」

 合宿旅行二日目。


 僕達は、間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)の運転するバスで、地元の史跡や公共施設を巡った。

 この合宿旅行では、こうして異なる土地にある地元特有の文化に触れ、多様な人間社会の在り方を実体験する事も目的に含まれている。

 参加している特別住民ようかいの皆さんは、そこで学んだ事をレポートにまとめ、後日セミナーの中で発表し合うのである。

 となれば、施設見学なども単なる物見遊山という訳にもいかず…


「夢…夢の様な光景…あ、あれ、新発売のやつ!買えるの!?ここで買えるの!?」


 訪れたカマボコ工場の見学ブースで、次々と生産ラインを流れていくカマボコを見ながら、一人 よだれを垂らす“猫又ねこまた”の三池みいけさん。

 …好物なのは分かるけど、ちゃんとレポートのネタ、集めてくださいね。


「見て見て!『熊に注意!』だって!熊出るんだ、ここ!こわーい!」

 展望台に続く山道に立てられた注意看板にエキサイトする“山女やまおんな”の森住もりずみさん。

 …貴女、山奥出身ですよね?しかも初めて出会った時、獲物の熊担いでたし。


「ここも禁煙か…やりにくい世の中だなぁ」

 行く先々で禁煙マークを目にし、ションボリする“えんらえんら”のたきさん。

 …気持ちは分かりますが、ヘビースモーキングはほどほどにね。


「こっちがいい!」

「いや、こっちだろ、絶対!」

 土産物屋でどちらを買うか揉めている“どうもこうも”の堂本どうもとさんと河元こうもとさん。

 …あの、もういっそのこと、両方買えばいいのではないでしょうか。


 そんなこんなで賑やかな施設見学も終え、バスは今日の最後の目的地となる「五猟神社ごりょうじんじゃ」に到着した。

 五猟神社は、白神海岸を一望できる山の上の神社だ。

 下界とは隔絶された森の奥にあり、付近はとても厳かで、静かな環境といえる。

 そう言えば、以前訪れた“北無きたなしの森”にどことなく雰囲気が似ていた。

 やはり、古くからある神域には、訪れる者の心に畏敬の念を抱かせる何かがあるのだろう。

 ここでは、神社の宮司による講話があるという。

 内容は「人と妖怪の共存」について。

 なぎ磯撫いそなで)の話を聞いた後では、実に皮肉な話だ。


飛叢ひむら氏、どうしたんです?バスを降りないんですか?」


 神社に到着し、皆が下車していく中、飛叢さん(一反木綿いったんもめん)は席から立とうとしない。

 不審に思った黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)がそう声を掛けると、飛叢さんは不機嫌な顔で答えた。


「ちょっと気分が悪くてな…悪いけど、俺はパスするわ」


「…ごめんなさい。僕も」


「私わたくしもバスに酔ったみたいですわ。このまま、少し休ませていただきます」


 釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)と鉤野こうのさん(針女はりおなご)もそう続く。

 三人のその様子に、黒塚主任がいぶかしげな顔になった。


「あ、あの、主任!僕が付き添います。落ち着いたら、追い掛けますよ」


 すかさず僕…十乃とおの めぐるがそう言うと、主任は僕と三人を見比べ、溜息を吐いた。


「では、任せよう。三人とも、調子が戻ったら本殿までいらしてください。奥の一番大きな建物です」


 そう言うと、主任はバスを後にした。

 残った僕達は、しばし無言だった。

 三人とも気分がすぐれないというのは、勿論ウソである。

 僕も、昨晩こっそり帰ってきた飛叢さん達から一連のあらましは聞いていた。

 そして、平たく言えば、ここは五猟一族の中枢である。

 昨晩の一件で三人が見知った顔に合えば、非常に厄介な事になるだろう。

 バスに残留したのも、それを考えての申し合わせの上だった。


「チッ、敵の懐でコソコソするってのは、どうも性に合わねぇな」


 窓の外を窺うかがいながら、飛叢さんが舌打ちする。

 まるで、檻の中の虎だ。


「…やっぱり、凪兄ちゃん達、本気で戦う気なのかな」


 ふと、釘宮くんがそう呟く。

 三人の話では、凪達は五猟に対し、徹底抗戦の構えを見せているという。

 今まで我慢に我慢を重ねていた彼らも、退魔の巫女“戦斎女いくさのいつきめ”の登場で、遂に本気になったのだ。

 正直“戦斎女いくさのいつきめ”を投入してきた五猟の意図は分からない。

 が、彼らが見せた「実力行使」は、凪達地元の妖怪を触発する結果となってしまった。


「でしょうね。凪さん達には、彼らなりの矜持きょうじもあるでしょう。昨晩、十乃さんがとってくれた手段がもう使えない以上、次は恐らく…」


 鉤野さんは、そこまで言って口をつぐんだ。

 ちなみに、彼女が言った「手段」とは「警察への通報」の事を指す。

 昨晩、一人残された僕は、凪達が五猟一族と衝突する事を防ぐため、悩んだ末、匿名で地元警察に「逆神さかがみの浜で乱闘事件発生」と通報したのだ。

 一歩間違えれば、飛叢さん達も拘束されかねなかったが、幸い、みんな警察が到着する前に、凪達と一緒に浜から退散する事が出来た。

 別段予想した訳ではなかったが“戦斎女いくさのいつきめ”が現場に現れた事を考えれば、我ながら妙手だったと思う。

 だが、もう同じ手段は使えないだろう。

 やはり、色々とリスクが高すぎるし、何より、結果的に誤報に踊らされた形となった地元警察も、次は腰が重くなるだろう。


「俺は今夜も行くぜ」


 バスの天井を睨みながら、宣言する飛叢さん。


「ここまで関わった以上、ケツをまくって逃げるなんざ御免だしな」


「また“戦斎女いくさのいつきめ”が出てきたら、どうする気ですの?」


 鉤野さんがそう尋ねる。


「決まってる」


 飛叢さんの目に鋭い光が宿った。


「次は最初から本気でやるだけだ」


「…それだけの勝算はあるんですか?」


 僕がそう言うと、飛叢さんは突然僕の胸倉を掴んだ。


「何が言いたい?」


 釘宮くんと鉤野さんが息をのむ中、僕は真正面から飛叢さんの視線を受けた。


「“戦斎女いくさのいつきめ”の伝承は、僕も知っています。彼女達は退魔師としては突き抜けた存在です。恐らく、まともにぶつかって勝てるのは、大江山おおえやま鬼王きおうとか、金毛九尾こんもうきゅうびの大妖狐、白峰山しらみねさんの魔王クラスの大妖怪だけでしょう」


「…つまり、あいつらを見捨てろって言うのか?」


 飛叢さんが僕を睨む。


「五猟の奴らの言いなりになるしかない…そう言いたいのか?」


 僕の胸倉を掴む手に、力がこもる。


「飛叢兄ちゃん…」


「落ち着きなさいな。十乃さんは、そんな事を言っているのではなくてよ」


 二人の制止に、乱暴に僕を突き放すと、飛叢さんは座席に沈み込んだ。

 飛叢さんがイラつく気持ちは分かる。

 喧嘩慣れしている彼なら、彼我の戦力差だって十分に分かっている筈だ。

 だから。

 どうしようもないから、無力な自分が許せないのだ。

 再び、バスの中に沈黙が降りる。


「せめて…」


 釘宮くんが、ポツリと呟いた。


「凪兄ちゃん達の話が、本当の事だって証明できるものがあればいいのに…」


「まあ、確かに。伝承を裏付ける物的証拠があれば、いくら土地の権利が五猟にあっても、そう簡単にあの浜に手は出せなくなるでしょうね」


 鉤野さんは、溜息を吐いた。


「もっとも、いつの時代かも分からない伝承を証明できるものなんて、そうそうないでしょうけれど…」


 彼女の意見はもっともだ。

 だが、もし、その「証明できるもの」があれば、確かに五猟の横暴に歯止めをかける事は出来る。

 妖怪に市民権がある現在、裁判に持ち込まれても凪達は相当有利になる筈だ。


「まずは…出来る事からやりましょう」


 僕は座席を立った。


「十乃兄ちゃん?」


 不思議そうに見上げる釘宮くんに、僕は笑って見せた。


「幸い、ここは五猟一族の本拠地だからね。それに僕は面割れしてないから、怪しまれなくて済む」


「何をする気ですの?」


 いぶかる鉤野さんに、僕は告げた。


「情報収集です。当ては無いですけど、時間の許す限り探って来ますよ」


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 ひとつ ひがしへおやまをこえて


テン テン


 ふたつ ふるさといとこいし


テン テン


 みっつ みぎわのあらいそで


テン テン 


 よっつ よるべをしらはまに…


 軽い音を共に、紅い手毬が弾んでいる。

 伴奏は、鈴の声。

 静寂の杜の中、白衣びゃくえ緋袴ひばかまの少女が、一心不乱に毬をついていた。

 ここは五猟神社の奥、本殿より更に深く閉ざされた森にある小さないおり

 四方を千年杉、その間を強固な注連縄しめなわで閉ざされた結界の中に、その庵はあった。

 少女は、日がなそこで一人で過ごす。

 巫女としての修法を務め、祝詞を奏上し、古い文献を読み学ぶ。

 少女は、それらを一日たりともおろそかにしたことはない。

 何も変わらない日々。

 変わる事さえ忘れる時間の繰返しリフレイン

 そして、いつしか、少女は機械となった。

 同じことを繰り返し。

 同じ日々をただ終える。

 意味は考えない。

 少女は、ただ「そう在る」ことを求められ、少女自身もそれを良しとしていたから。

 そして、極々稀に下界へ降り、魔と対峙する。

 それも古き時代には何度もあったが、現代ではほとんど無い。

 その分、少女は庵にこもることが多くなる。

 機械として、定められた日々を繰り返す。

 そんな中、少女は大切にしている紅い手毬をつくことを密かな楽しみとした。

 遠い昔、もう思い出せない誰かから贈られ、一緒に教えてもらった手毬唄を口ずさむ。

 機械の日々の中、そのささやかな時間だけが、少女を人に戻した。


 いつつ いわおをわけうけて


テン テン


 むっつ むくいるまつのはま


テン テン


 ななつ ながくとこしえに


テン テン


 やっつ やおのともがらよ…


 テン…ッ


「あっ」


 少女の手が、毬を打ち損ねた。

 何万何千とついた手毬を損なうのは、実に久しい。

 久方ぶりの自由を得た毬は、少女の手を逃れ、転々と転がっていく。


「まって」


 長い黒髪を揺らし、少女が駆ける。

 紅い毬は、少女を誘うように転がってゆく。

 大事な毬を追う事に必死だった少女は、いつしか結界の外へ足を踏み出していた。

 だが、それに少女は気付かない。 

 毬はなおも転がる。


「…!」


 不意に少女は立ち止った。

 毬がその歩みを止めたからである。

 ただ、その傍らに一人の男が居た。


「…」


 初めて見る顔だ。

 いつも訪れて来る一族の者ではない。

 男は、自分の足元で止まった毬を拾い上げる。


「あ…」


 思わず声を上げる少女と毬を見比べてから、男は毬を手にしたまま、少女に近付いてきた。

 歳は二十歳くらい。

 少し子供っぽい顔立ちの、純朴そうな若者だった。


「はい」


 若者がニッコリ笑いながら、毬を少女に差し出す。

 少女は毬と若者を見ながら、躊躇ためらうように立ち尽くした。

 動かない少女に、若者が困った風な顔になる。


「かわいい毬だね」


 困った顔のまま、若者はそれでも笑った。

 人の良さそうなその笑顔に、少女の身体の奥で何かがトクン、と音をたてる。

 おずおずと動いた手は、少女自身も意図しないものだった。


「ありがとうございます」


 毬を受け取り、そう小さく呟くと、若者の笑顔はもっと優しくなった。


「いま歌っていたのは、君?」


 コクリ、と少女が頷く。


「きれいな歌声だったから、思わず聞き入っちゃった。君、歌が上手なんだね」


 ほめられた。

 人にほめられたのはいつ以来だろう。

 それは少女にとって、とても懐かしい感覚だった。

 少し躊躇ためらってから、少女が口を開く。


「あなたはだれですか?」


「ああ、ごめんね」


 何故か、若者が謝る。

 人に謝られるのは、もっと久し振りだ。


「僕は十乃。十乃 巡。降神町役場の職員です」


「おりがみちょうやくば…」


「うん。実は連れがいる本殿を目指してたんだけど、迷子になっちゃったみたいで…広いんだねぇ、この神社」


 森を見回し、若者…巡が感心したように呟く。


「君はここの子かな?本殿の場所、分かる?」


 コクリ、と少女が頷く。


「助かった!良かったら、どう行ったらいいか教えてくれないかな?」


「ええ。いいですよ」


 少女は頷いてから、何かに気付いたように首を横に振った。


「ごめんなさい。やっぱり、いっしょにはいけません」


「えっ?どうして?」


「わたしはあそこからはなれることができません。いちぞくのゆるしがなければ」


 少女は千年杉に張られた注連縄の奥を指差した。

 巡は唖然とした顔になったが、すぐに頷いた。


「そうか。じゃあ、仕方ないね。自分で何とかしよう」


 今度は少女が唖然となる。

 この十乃という若者は、自分を責める事も問いただす事もせず、あっさりと歩きだそうとしている。


「あの…おこらないのですか?」


「え?何で?」


「だって…わたし、あなたになにもしてあげられないのに」


 巡はキョトンとした顔になった。

 だが、すぐに笑顔を浮かべ、


「迷ったのは自分のせいだからね…それに、きれいな歌を聞かせてもらったから、何もしてないっていうのは違うんじゃないかな」


 それは聞かせようと思って歌った訳ではなかった。

 そんな事は。

 言うまでも無い。

 ただ、この若者は少女の自責を和らげようと、偶然を必然と優しく偽っているのだ。


「じゃあ、僕はこれで」


 少女に背を向けながら、巡が軽く手を上げる。


「またね」


 また。

 また会う日が来るのか。

 また…会えるのだろうか。


「はい…また、いずれ」


 巡の背中が見えなくなった頃、少女はそう呟きながら、手を上げた。

 その口元を、花の様にほころばせながら。


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 ここで時間は少し遡る。


 人の気配を感じ、男は覚醒した。

 どうやら、意識を失っていたようだ。

 網膜に焼きついた夢を反芻はんすうするうちに、本当に眠っていたらしい。


「…」


 視界が遮られているため、目の前にいる誰かを判別する事が出来ない。

 だが、程なくして視界を覆っていたものが外された。

 目の前には一人の少女がいた。

 見覚えのある顔だ。

 確か、ここに拘束される前に目にしたことのある少女だ。

 歳の頃は十代前半。

 黒い髪を肩で切りそろえた、色白の美しい少女だった。

 将来は間違いなく美人になるだろう。

 少女は男を無言で見上げている。


(何か用か?)


 男はそう尋ねようとしたが、声が出なかった。

 五体以外に、首も拘束されているせいだ。

 身動きもとれなかったので、食物も水も摂取していないせいもある。

 身体が、蓄積された消耗を思い出した様に、男の意識を刈り取ろうとする。

 それを男は気力で抑えた。


「お兄さんは罪人なの?」


 抑揚のない声で、少女が問い掛ける。

 男は首を横に振った。

 違う。

 自分は罪人ではない。

 ただの探究者だ。

 その高尚な理念を理解しない者には、そう見えるかもしれないが。


「じゃあ、良い人?」


 今度は首を縦に振る。

 自分は他人を傷つけず、自分も幸せになる生き方を熟知している。

 これが善でなくて、何だと言うのか。


「そう。なら、助けてあげようか?」


 無表情だった少女がほのかに笑う。


「但し、一つ条件があるわ。私の…黒華くろかのお願い、聞いてくれたら助けてあげる」


 男はそれに惹き込まれるように頷いた。

 だが、お願いと言われても、

 目で訴えかけると、少女はどう意を汲んだのか、満足げに頷いた。


「そうよ。それをお願いしたいの」


 少女の手に、いつの間にか鈍く光る刃があった。


「じゃあ、交渉成立ね」


 一閃。

 どのような手際なのか。

 男の身体を拘束していた荒縄が、一瞬で細切れになった。

 久方ぶりの自由を得た男の身体が、大地に舞い降りる。

 大地の感触を味わいながら、男の目が歓喜に燃えた。

 解き放たれた野獣の如き威圧感を放ち、男が牙を剥き出しにして笑う。


「…で」


 男…妖怪“精螻蛄しょうけら”ことあまり 見三けんぞうは尋ねた。


…?」

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