【四十四丁目】「…いえ。しりません」
「
“
時刻は宵の口。
民宿「しおさい」の一室。
今回の合宿旅行では、随行で来ている
輪の他、“
相部屋で宿泊することになった彼女達は、明日の研修で訪れる場所について、簡単な打ち合わせの真っ最中だった。
その移動先の一つに「
予定では、
「そうだ。古くからこの土地に根差した一族でな。付近の妖怪と共存の道を選び、代々、強い霊力を受け継いできた家系でもある」
眼鏡のブリッジを押し上げながら、黒塚が説明する。
「言い伝えでは、その強大な霊力をもって、この土地の守護を行う役目があるんだって」
「姓の『五猟』は、土地を守る意味の『
「へぇ、そんなご大層な連中がまだこの現代に居たとはね」
二弐の言葉に、輪は呆れたように言った。
科学が発達した現代、人間の持つ「霊力」…即ち、妖怪の持つ「妖力」に相当する異能は、著しく減退したとされていた。
妖力にしろ、霊力にしろ、いわゆる怪異に属する力の根源は「神秘」を同源としている。
そもそも「神秘」とは、意識をある存在ものが持つ「未知なるモノへの畏敬」に他ならない。
だが、人間が発達させた科学は、こうした「神秘」のベールを軒並み引き剥がし、その意識を改変してしまった。
結果「未知なるモノへの畏敬」は薄れ、人間の霊力は枯渇していく一方なのである。
実際「神秘」が残っていた江戸時代の高僧や修験者は、現代のそれとは霊力の比も全く違う。
更に「神秘」がそこかしこにあった平安時代まで遡れば、もっと霊力にも差が出るという。
そんな現代において、高い霊力を維持し続けるという事は、科学を否定し「神秘」を常識とする…
勿論、そんな生き方を送ったところで、一般的な人間から見れば、決して真っ当な人生とは言えないだろう。
「…連中の領域に
突然、摩矢が静かな声で黒塚に尋ねる。
緊張が含まれたその声音に、思わず輪と二弐は顔を見合わせた。
「何だよ、摩矢っち。五猟の事、知ってんの?」
「連中は退魔を
その一言に、場が凍りついた。
「退魔」とは、文字通り人に仇あだ成す「魔」を祓はらう事を意味する。
その「魔」には、妖怪も含まれるのだ。
「“あな憎しは五猟の
「…知っていたのか、砲見」
低く口ずさむ摩矢に、黒塚が苦笑した。
「何だよ、その暗い歌」
輪が尋ねる。
「恨み歌。古くから一部の妖怪の間で歌われてた。連中の手にかかった
摩矢は目を閉じた。
「…その恨みが、歌に残る程に」
「確かに彼らは退魔の一族だ」
黒塚が続ける。
「だが、安心しろ。最終的に彼らは妖怪との共存を選択している。この地区にも、たくさんの妖怪が住んでいるからな。だから、彼らが我々に敵意を持つ事は無いさ」
「五猟が今も“
スッと薄く眼を開ける摩矢。
「“
「それ、何なの?」
物知りな二弐が、珍しく首を捻った。
「俗に言う『神降ろしの巫女』の事だ」
黒塚が解説する。
「そもそも『
黒塚は一息吐き、空を睨んだ。
「いわば『兵器』だな」
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シャラン…
シャラン…
「たかあまはらにかむづまります かむろぎかむろみのみこともちて…」
夜風を伝い、鈴の様な声が、
少女は、幻想を
「すめみおやかむいざなぎのおおかみ…」
長い黒髪が月を覆う。
朱の唇が紡ぐは「
神代の頃、『国生みの二神』の一柱である
「つくしのひむがのたちばなの をとのあわぎはらに…」
閃々と光る
何という霊圧か。
見た目はたおやかな少女だ。
だが、飛叢達妖怪にしてみれば、そこから感じるものは全く異なる。
例えるなら嵐。
そう、彼女を吹き荒れる暴風とするなら、飛叢達は波間に翻弄される小舟の様だった。
だから。
誰も動けなかった。
「みそぎはらへたまひしときに あれませるはらひとのおおかみたち…」
そこで静寂が落ちた。
波の音だけが響き渡る。
「もろもろの…まがごとつみけがれを…は、はらひたまへ…きよめたまへと…も、も、もうすことのよしを…」
突然、清浄な祝詞に乱れが生じた。
流麗に舞っていた巫女の動きが、徐々にぎこちなくなり、まるで電池が切れたようにスローになる。
見ていた一同が、
「あ、あまつ…かみくにつかみ…」
遂に祝詞が止まった。
そして。
巫女は、ぺたんと尻餅をついた。
「…あ、あの…そこのようかいのひと…」
「……へ?お、俺か…?」
か細い声が、自分に向けられているのに気付いた飛叢が応える。
「おねがいが、あります…」
「お願いって…はあ?何だよ。急に!?」
巫女は涙目になって告げた。
「ここから…おろしてください」
全員が固まった。
風さえも、止んだ。
「は?え?おろせって…何で!?」
意味が分からず、飛叢は混乱する。
巫女は、俯いて恥じらうように泣いた。
「…たかいところは、にがてなんです」
凄まじい音が浜辺に響く。
言うまでもなく、その場に居合わせた全員が派手にコケた音だった。
「な、なななな…」
砂浜から顔を上げた
「何をやっとるのだ、お前はぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ひっ!?」
大音量の怒鳴り声に、思わず首を竦める白衣の巫女。
「高所恐怖症なら、何でそんな所におる!?アホか、貴様は!いや、むしろアホだ、貴様は!」
「も、もうしわけありません、おじさま…つきがきれいだったので、ついみとれていたら、まいごになって…きがついたらここにでて…そうしたら、ちょうどおじさまからあいずがあって…」
めそめそと泣く“
あからさまに漂うポンコツ臭に、空中で盛大にコケるという珍技を強いられた飛叢は、脱力感に襲われた。
「…どうするの、飛叢兄ちゃん」
“
「あの娘、ガン泣きしてますわよ…」
泣き伏せる巫女に“
「あーもう!何なんだよ、この展開!」
ひとまず、二人を地上に降ろし、次いで巫女を地上に運んでやる飛叢。
運ぶ途中「きゃあ!?」「いやあ!!」と悲鳴を上げる巫女に、更に頭痛が増す。
「ありがとうございます…」
鉤野にハンカチを手渡され、顔を拭くと、ようやく落ち着いた様に巫女は深々と頭を下げた。
「あー…その、何だ…あんた“
伝承とは全く異なるその有様に、飛叢が確認するように尋ねる。
すると、巫女はコクリと頷いた。
「はい、そうです。なまえは、さつき…
「“
「退魔専門の巫女ですわ。私達妖怪にしてみれば…まあ、殺し屋みたいなものです」
釘宮の疑問に、鉤野が小声で答える。
「とうの昔に絶えたと聞いておりましたが…まさか、こんな少女が継いでいたとは」
「あぅ…その…よろしく…おねがいします」
妖怪達の視線を感じ、沙槻は赤面して俯いた。
「何を和なごんでおるか!」
突然響いた満雄の怒声に、沙槻が再び身を竦める。
「こいつらは不法に五猟の土地を汚す不届き者だぞ!とっとと追い払わんかい!」
「どっちが不法だ…!」
“
「なあ、沙槻って言ったか?あんたも五猟の人間なら、この
「…いえ。しりません」
「な、なん…」
絶句する凪に、沙槻は続ける。
「わたしがしっているのは、このとちをわたしたちがまもらねばならないこと…それだけです」
その目は、静かな光を湛えていた。
「なので、わたしはここをまもります…みなさんは、ここをでてください」
告げられた言葉に、妖怪一同が唖然となる。
沙槻の言葉には迷いが無かった。
鉄の意志だけがそこにあった。
「冗談じゃない…!」
角を生やしながら“
「篝…!」
「止めるな、
凶暴な光を目に宿し、牙を剥く篝。
制止する“
「五猟!これ以上、お前達の好きにはさせないよ!…いくぜぇぇぇぇぇっ【
砂煙を上げ、猛然と突進する篝。
その両腕が、強靭な牛の角の様に硬質化する。
【狂角牛王】…“牛鬼”たる篝は、その身体を自在に硬化させ、怪力と鉄壁の守備力得る妖力を持つ。
しかも、その突進速度は一瞬で最高速度に達する。
自らの頑丈さを生かした体当たりが、篝の最も得意とする戦法だった。
「怪我しても恨むなよ!」
迫り来る篝の巨躯を前に沙槻は、すぅ、と息を吸った。
「かけまくもかしこきみむすびのおおかみたちのくすしきみたまによりて…」
鈴の声が響く。
「あれいでませるいつはしらのもとつかみ…」
シャラン、と神楽鈴が鳴る。
大幣で地面を指し、沙槻はいにしえの言霊を告げた。
「つちのかみはにやまひめのみこと」
瞬間。
篝の足元が渦を巻く。
砂浜が泥砂と化し、その足を捕える。
「な、何だこりゃあっ!」
あと一歩というところで大地に捕らわれた篝は、何とか前に進もうともがくものの、その怪力をもってしても身動きが取れなかった。
「はらひたまえ」
沙槻が手にした大幣に、霊気が集中する。
その意図を察した鏡冶が、いち早く反応した。
「【
鏡冶が、月明かりに落ちた自身の影に腕を差し入れて引くのと、篝の身体が地面に没するのは同時だった。
一瞬後、篝が鏡冶の影から引っ張り出される。
「…た、助かったぜ、鏡冶」
「まったく…少しは進歩というものをしなさい、篝」
溜息を吐く鏡冶。
“影鰐”の鏡冶は、妖力【転影錨牙】によって、影を操り、時にその間を泳ぐことが出来る。
しかも、それだけではない。
「…可愛い顔をして、随分と物騒な真似をしますね。五猟の巫女」
「あなたは…“かげわに”ですか……え!?」
沙槻が一歩踏み出そうとした瞬間、その五体が動きを止める。
力を込めるも、その身体は全く動かない。
「影を食わせていただきました」
妖艶な目線で、鏡冶が唇を舐めた。
見れば、足元にある筈の沙槻の影が消えていた。
「『いただきます』も無しにすみませんね…でも、仲間の命にかかわる事なので、お許しを」
妖力【転影錨牙】のもう一つの力は、相手の影を喰らうその
昼間、
こうなると、強い光か妖怪による妖力でしか打ち破る事が出来ない。
「その五体、しばらくは動きませんよ?」
そう告げる鏡冶を前に、沙槻は目を閉じた。
「ろくこんしょうじょうなり」
「!?」
驚愕する一同の前で、沙槻の影が一瞬で回復する。
「そんな、馬鹿な…」
「かぜのかみしなつひこのみことしなつひめのみこと」
大幣が一閃されると、不可視の力場が生じた。
大風の如きそれは、飛叢や凪達を一瞬で吹き散らす。
「つ、強い…!」
「これが“
辛うじて受け身を取った凪と飛叢が呻く。
そもそも“
「やられる前にやる」…その一心が形を成したと言っても過言ではない。
膨大な時と古くからの血筋、人の道を排した修法により、遂に生まれた彼女達は、退魔に特化した人間…というよりは、むしろ兵器に近い。
伝承に曰いわく。
人として在りながら、その身体はあらゆる
呼吸をするように、無尽蔵の霊気を生成する。
古今東西の魑魅魍魎の特色を碩学し。
神に仕え、
そして、常軌を逸した霊力と強靭な肉体は、神をその身に降ろす事すら可能とするのである。
「くりかえします」
沙槻は冷酷さも悲しみも浮かべず、続けた。
先程の残念な少女の面影は、微塵も無い。
「ここからたちさってください」
「チッ!」
地を蹴り、飛翔する飛叢。
高速で上昇し、沙槻の頭上を取ると、地上を見下ろし、その両腕を振るった。
「【
両腕のバンテージが一瞬で伸び、沙槻の両腕を絡め取る。
「凪!鉤野!」
飛叢の目配せを受け、その意図を察した凪と鉤野が動いた。
「…応!」
「…ですわ!」
鉤野が【
それを凪が【
それはちょうど、巨大な投網で漁を行う様に似ていた。
網は沙槻の全身を絡め取り、その動きを一瞬で封じる。
「むだです」
「くっ!」
両腕を捕える飛叢のバンテージを切り裂くべく、沙槻は大幣を振るった。
見えない力場が、強靭なバンテージをも切り裂く。
だが、その一瞬の隙が災いし、沙槻は全身を鉤野の編んだ大網に絡め取られてしまう。
「今だ!釘宮、いけ!」
飛叢の合図を受けた釘宮が、網の一端を手にする。
「よいしょ、っと」
そのまま、釘宮は自身の妖力【
怪力無双の鬼族にも匹敵する腕力で網を引っ張ると、さずがの沙槻もバランスを崩して転倒した。
構わず、大きく網を回転させる釘宮。
一回、二回、三回とハンマー投げの要領で網を振り回す。
「ごめんね、お姉ちゃん…!」
恐らく目を回しているであろう沙槻に謝罪しつつ、釘宮は網を沖目掛けて放り投げた。
網は面白いように飛び、彼方の海へ着水する。
「ヒュー、ナイススロー。やるじゃねぇか」
地上に降り、釘宮の頭を乱暴に撫でる飛叢。
「うん。でも、だいじょうぶかな、あのお姉ちゃん…」
「ここは遠浅だ。“
「着物でしたしねぇ」
凪と鉤野も目を凝らして、海を見る。
「ごしんぱいにはおよびません。およぎはとくいですから」
「へぇ、そりゃ良かった…って、うわああっ!?」
海に目を向けていた飛叢達のすぐ横で、投げ飛ばされた筈の沙槻が、同じように海に目を向けている。
「お、お前っ!いつの間に…!」
「『ひゅうう、ないすすろー』のあたりから、いましたが?」
小首を傾げる沙槻に、飛叢達は間合いを取って身構える。
「…どうやら、小手先のやり方じゃ駄目らしいな」
バンテージを一閃させ、刀の様に構える飛叢。
凪達も油断なく身構える。
その時だった。
不意に遠くから、パトカーのサイレンが聞こえて来る。
どうやら、この浜に近付いてきているようだ。
近くの海岸線から、赤色灯が見え隠れしていた。
「誰かが通報したな…!」
凪が呻く。
思わず満雄を見やるが、当の本人も慌てていた。
「くそっ!何で警察がここに!?」
毒づくと、満雄は沙槻に告げた。
「これ以上の面倒事は御免だ…来い、沙槻!
「ですが…」
「いいぜ、行けよ」
飛叢の声に、沙槻が振り返る。
「こっちも警察の厄介にはなりたくないんでな…今夜はここまでだ“
「…わかりました」
予想に反して、素直に頷く沙槻。
ドタバタと引き上げていく満雄達の後を追い、ゆっくりと歩いていく。
「おい、五猟の巫女」
その背に、凪が声を掛けた。
足を止める沙槻の背に、凪が鋭い視線を送る。
「永き共存はこれまでだ。次はその首をとる。覚悟しておけ」
沙槻は。
振り返らず、無言で立ち去って行った。
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