【四十三丁目】「五猟が浜にやって来ました」

 なぎが僕達に語ってくれたのは、ここ「白神しらかみ海岸」に伝わる昔語りだった。


 かつて、この地は荒れ果てた岩場が広がる人が住まない荒磯だったらしい。

 だが、いつしかある人間の一族が、いずこからやって来たという。

 一族は「五猟ごりょう」の姓を持ち、そのおさはとても強い霊力の持ち主だったそうだ。

 五猟の長は、この地に根を下ろす事を決意し、荒磯に住みついていた妖怪達にある提案をした。


“私達の住む土地を作る事を認めてくれるならば、代わりに貴方達が望むものを与えよう”


 話し合った結果、妖怪達は五猟の長が示したその提案を受け入れることにし、荒磯の半分を五猟一族に譲り渡した。

 その代わり、荒磯には無かった美しい浜辺を所望したという。

 五猟の長は感謝し、強力な霊力でもって荒磯に二つの浜を開いた。

 一つは、人間が住む穏やかな「白神の浜」…現在の「白神海岸」の事だ。

 もう一つは、妖怪達が望んだ美しい「逆神さかがみの浜」…即ち、昼間、僕達が凪と出会った浜だ。

 妖怪達は、浜の美しさに大層喜び、荒磯に咲いた花の様な「逆神の浜」を、ずっと守っていこうと決めた。

 そして、神を信じる人間との友好の証として、浜辺にやしろを建て、五猟一族と同じ神を祭ったとされた。


「なのに…今になって、五猟の奴らは『逆神の浜を寄越せ』と言ってきたんだ」


 凪が吐き捨てるように言った。


「そんな…」


 温厚な釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)も、思わず眉をひそめる。

 それが本当なら、確かに横暴な話だ。


「ここに住む人間達だって、その言い伝えのことは知っていたから、昔から逆神の浜には立ち入らなかったし、お陰であたいたちの先祖とも上手くやっていたんだ…」


 かがり牛鬼うしおに)が悔しそうに続けた。


「あたい達が人の世に出てきた今でも、五猟の連中はこの土地で大きな権力を持ってる。だから、この土地の人間は奴らに逆らうことは出来ない。それをいいことに、奴らはあの土地の権利書だか何だかを自分達の都合のいいように書き変えて、逆神の浜を自分達のものにしちまったんだよ」


「どうやら、連中はあの浜に自分達が経営するリゾートホテルを建てたいらしい。あんなきれいな浜だ。そんなものが出来れば、当然観光客も増えるだろう。要するに、金が目的なのさ…!」


 凪の目には、激しい怒りが浮かんでいた。


「土地の権利とか、人間が勝手に決めた法律の事はよく分からない。けど、元々この地は俺達妖怪が住んでいた!しかも、先に約定を破ったのは五猟の奴らだ!だから、俺達は仲間を集めて、受け継いできたあの浜を自分達で守り通すことにしたんだ。例え…人間と争う事になってもな!」


「おう、その通りだ!凪だったな?お前は正しい。俺もお前らの味方になってやるぜ!」


 そう憤慨しつつ、飛叢ひむらさん(一反木綿いったんもめん)が凪に手を差し出す。

 凪はその手を強く掴んだ。


「あ、あんた、分かってくれるのか…!」


「当たり前だ!そんな連中、俺がまとめてふん縛ってシメてやる!」


 物騒な協力を約束する飛叢さんに、僕…十乃(とおの) 巡(めぐる)は慌てて言った。


「待ってください!いくら何でも、暴力は良くないですよ。まずは話し合いを…」


 が、それに凪は首を横に振った。


「いや、連中は話が通じるような奴らじゃない。俺達だって、最初は話し合いに応じたさ。でも、連中は一方的に話を進めて、こっちの意見は全く聞く気も無いんだ」


「待ってください。『五猟』…五猟とは…もしかしてあの『五稜ごりょうグループ』と関係がありますの…?」


 それまで凪の話にずっと聞き入っていた鉤野こうの針女はりおなご)さんが、不意にそう尋ねると、凪は頷いた。


「そうだ。聞いた話じゃ『五稜そっち』は支族で作った財閥らしいが」


「知ってるんですか?」


 僕がそう尋ねると、鉤野さんは頷いた。


「少し前から勢いをつけてきた新興の企業体ですわ。その…以前、わたくしの会社とも取引をしたことがあったので…」


 そういえば、鉤野さんは特別住民ようかいにして、服飾関係の会社を起業し、少なからぬ業績を誇るやり手の女社長である。

 いわば富裕層セレブといっても差し支えない。

 確かに、そうした世界でのお付き合いは多いだろう。

 鉤野さんは、少し躊躇ためらいがちに続けた。


「以前はそうでもなかったようですが、最近は多少強引なやり口が目立つので、あまり良い噂は聞きませんわね…」


「強引なやり口?」


「新興企業は、とにかく実績作りが早急な課題ですから…まあ、そうした業界ではよくある話ですわ」


 鉤野さんは溜息を吐いた。

 その時だった。


「ここにいたんですか、凪、篝」


 不意に第三者の声がする。

 驚いて周囲を見回す僕達の目の前、座敷の畳に落ちた影から一人の男性が浮かび上がってきた。

 昼間に出会った、凪の仲間…耽美系美青年だ。


「随分探しましたよ、二人とも」


鏡冶きょうや!」


「何だ、テメエは!?」


 警戒する飛叢さんを、篝が制した。


「大丈夫、あたい達の仲間さ。“影鰐かげわに”の鏡冶ってんだ」


 “影鰐”!?

 また、珍しい妖怪が出てきたものだ。

 “影鰐”は島根県は邇摩郡にまぐん 温泉津ゆのつ町の伝承に伝わるさめに似た魚の妖怪だ。

 伝承では、波一つない凪ぎの日に船を出す者の前に現れ、海面に映った船乗りの影を飲み込んでしまうという。

 そして、この“影鰐”に影を飲まれた者は死ぬとされていた。

 …成程、影に縁ある妖怪だけに、影の中を自由に移動できるのか。

 昼間、一瞬で僕の背後に立てたのは、今見たと通り、その妖力によるものだったに違いない。

 鏡冶は、僕達を認めるなり、目を細めた。


「貴方達は…昼間の皆さんですね…凪、これはどういうことです?」


「彼らはここの宿泊客だ。大丈夫、五猟とは無関係だ」


 凪が険しい表情で尋ね返す。


「それより、何でお前がここにいる?今夜の浜の見張りはお前の担当だろう」


「それについて報告があります」


 鏡冶の声が緊迫したものになる。


「五猟が浜にやって来ました」


「何だと!?」


 凪と篝が同時に叫ぶ。


「今は他の皆と睨み合いにになってます。二人とも一緒に来てください」


「分かった…十乃…他の皆も済まないな。今夜はここで失礼する」


「どうする気ですの!?」


 立ち上がる二人に、鉤野さんがそう尋ねる。


「決まってる。あたい達の浜を守るのさ…!」


 牙を剥き出しにする篝。

 凪も自分の長い髪を確かめるように触れる。


「じゃあな」


 そして、二人は鏡冶の手を取ると、一瞬で影に中に沈んでいった。

 後には僕達だけがとり残される。


「…釘宮、鉤野。浜の場所、分かるか?」


 飛叢さんが立ち上がった。


「飛叢さん!」


 その意図を察し、僕が声を上げる。


「放っておけねぇよ。例え部外者でも、これはれっきとした妖怪おれ達と人間おまえ達の問題だろ」


 飛叢さんは予想に反し、静かな口調でそう言った。

 顔つきも真剣だった。

 喧嘩好きの彼だが、今回は様子が違う。


「ボクが案内するよ、飛叢兄ちゃん」


 続いて釘宮くんも立ち上がる。


「釘宮くん…!」


「ゴメンね、十乃兄ちゃん。でも大丈夫。ボクは喧嘩になる前に止めに行きたいだけだよ」


 そう言いながら、ニッコリ笑う釘宮くん。

 それに続き、鉤野さんも立ち上がった。


「着替えている暇はなさそうですわね…それに、また海風で髪がベタつきますわ。後でお風呂に入りなおさなければ」


「鉤野さん…」


 少し考え、僕も立ち上がる。


「じゃ、じゃあ僕も…」


「駄目だ」


 間髪入れず、飛叢さんが鋭く言い放つ。


「お前はここにいろ。今回はグルメ選手権の時とは事情が違う。下手したらマジで荒事になるだろうし…相手は人間だ。お前の立場ってもんもある」


「でも…!」


 飛叢さんは、ふと笑った。


「巡、お前はいい奴だ。人間の中でも、特にな」


 何も言えなくなる僕に、飛叢さんは続けた。


「白状するとな、俺はそんなお前と付き合っていく上で、こういうのを見過ごすのが、何か嫌なんだよ」


「飛叢さん…」


「ボクも同じだよ。十乃兄ちゃん」


 釘宮くんが頷く。


「勿論、私もですわ。だから、十乃さんは私達を信じてここに居てくださいな…その代わり、他の皆さんへの上手い言い訳を考えておいてくださいましね?」


 優しく微笑むと、鉤野さんは二人と頷き合い、座敷を出て行った。

 一人きりになった僕は、力無く膝をついた。


「…僕は、一体どうしたら…」


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 月に照らされた逆神の浜は、いつもは波の音のみが響き渡る、人気も無い穏やかな場所だった。

 しかし。

 今夜はいささか様子が違っていた。

 浜辺には数人の人間と、それを取り囲む何人かの特別住民ようかい達がいた。

 強い照明がたかれる中、両者の間には、ただならぬ雰囲気が漂っている。

 即ち怒りと憎悪だった。


「いい加減にして欲しいな、妖怪の皆さん」


 そう言ったのは、中年の太った男性だ。

 高級そうなスーツに身を包み、周囲の妖怪達を恐れる風も無く見回している。


「この土地の権利は既に五猟うちにある。これ以上邪魔をするなら、こちらにも考えがあるぞ」


「その権利とやらも、どうせ小細工で不正に手に入れたものだろう!」


 そう声を荒げたのは凪だ。

 巡達と別れ、鏡冶の妖力で浜に急行した凪達は、浜の中に立つ作業服に身を包んだ人間達の姿を認めた。

 その周囲では仲間の妖怪が、人間達の行く手を阻んでいる。

 人間達はそれも意に介さず、図面を見ながら何やら話し合っていた。

 妖怪が人間に手を出せば、重罪になる事を知っているのだ。

 だから、目の前のこの中年男…五稜ごりょう 満雄みつおも、余裕で笑っているのだろう。


「ふん、何を根拠にそんな戯言を言うのかね?それとも、ここがあんた達の所有地だと証明できるものがあるのかな?」


「それは…」


「無いだろう?無いだろうとも!」


 満雄は不敵な笑みを浮かべた。


「なら、ここを不法に占拠しているのはあんた達と言う事になる。さあ、分かったなら即刻出て行ってもらおうか!今日はただでさえ予定が押して、こんな夜中に現地の下見に来る羽目になったんだからな」


「誰が出ていくか!この浜は先祖代々、俺達が守ってきたんだ!それを知っているから、お前達の先祖だって、この地に手をつけることは一切無かったんだぞ!」


「ハッ!また例の昔話か…そんな記録にも残っていない与太話をどう信じろというのかね?」


「テメエ…!お前らの先祖が受けた恩も忘れて、よくも!」


 満雄の人を食った態度に、篝が激昂する。


「落ち着きなさい、篝!今は動いてはなりません。彼らは私達が挑発に乗って仕掛けてくるのを待ってるんです」


 鏡冶の言葉に、篝は悔しそうに歯噛みした。

 他の妖怪も、憎々しげに満雄を睨む。

 そうした妖怪達の視線を受けても、満雄の笑みは崩れない。


「ふふん、かかって来ないのか?なら、こっちはとっとと仕事を済ませるだけだ…おい」


 満雄が背後の作業員達を引き連れ、浜辺へ歩き出す。

 凪達はそれをなす術無く見守るしかない。


「ああ、そうだ」


 満雄が思い出した様に凪達を振り返った。


「あんた達、ここにホテルが出来たらウチで働かないか?妖怪なんだから、宴会芸くらいの見世物はできるだろ?」


「…!!」


 ギリ…と凪の奥歯が軋んだ。


(人間め…!)


 危険な光がその眼に宿る。

 同時に、その髪がゆっくりと振り子の様に動き出す。

 妖力【潜波討艪せんはとうろ】…妖怪“磯撫いそなで”である凪は、その長い髪の先端を巨大で鋭利な釣り針に変化させる事が出来る。

 しかも、その釣り針は波間に姿を消すように大気に溶け消え、不可視の凶器となって相手を襲うのだ。

 人間がまともに食えば、釣り上げられて地面に叩きつけられるだけでなく、その身体を一瞬で両断出来る程の威力を持っている。


「そっちの方はいい返事を待ってるよ…ハハハハハハ!」


 笑いながら満雄が背を向けた瞬間、凪は遂に牙を剥いた。


「凪!?いけません…!!」


 その殺気に気付いた鏡冶が、咄嗟に止めに入ったその瞬間。


「ハハハ…ハぁぁあぁぁぁぁぁッぁぁぁ…!?」


 突然。

 満雄が何かに引っ張られるように、海へ引きずられていく。

 呆気にとられた鏡冶は、ハッとなって凪を見たが、凪も茫然としたまま満雄の醜態を見ていた。


ドボーン!


 高々と釣り上げられ、波間へ突っ込む満雄。


「がぼっ!?ぶは…な、何だぁああ!?」


 慌てて這い上がると、満雄は凪達に怒鳴った。


「き、貴様らぁ!遂に人間に手を上げたな!?警察沙汰だぞ、これは!!」


 そうまくしたてていた満雄は、ふと上空に気配を感じて空を見上げた。


「あー、どーもスミマセン」


 見上げた先に、一人の男が宙に浮いていた。

 両手から下がった白い布を空中ブランコの様に垂らし、そこに子どもと若い女を乗せている。


「な、何だ、お前らは…!?」


 予想もしない光景に、満雄が茫然となる。

 そこに若い男…飛叢がニッコリと笑った。


「あ、俺らは観光客でっす。今日は月がきれいなんで、夜釣りに来ましたー」


「な、なに…夜釣り?」


「いやあ、うちの家内が失礼しました。ちょっと手元が狂っちゃって、ポイントを狙ったら、針が貴方に引っ掛かってしまったようです」


 そう言うと、飛叢は女…鉤野に向かって笑った。


「まったく、駄目じゃないか、お前~」


「ほ、ほほほ…ご、ごめんなさい、あ、ああああアナタ」


 上品に口元を隠して笑う鉤野。

 が、明らかに無理をしているのがバレバレだ。


「あははは、そそっかしいなぁ、お母さんは」


 子ども…釘宮も追従して笑う。


「ふざけるな!」


 満雄が凪達に指を突きつけた。


「お前ら、妖怪だろう!?さては、こいつらの仲間だな!」


「違ぇよ、バーカ…じゃなくて、俺らはたまたま夜釣りに来た仲良し家族ですよ~」


 そう言うと、三人で顔を見合わせ、


「「「ね~?」」」」


 と唱和する。


「ば、馬鹿にしおって!」


 全身ずぶ濡れになった満雄は、真っ赤になって怒鳴った。


「貴様らもとっとと出ていけ!ここはワシの土地だ!不法侵入で訴えるぞ!」


「えー?不法侵入って言われても、俺達空飛んでるし…」


 そこで再び三人で顔を見合わせ、


「「「ね~?」」」


 と唱和する。


 怒りのあまり、ブルブル震え出す満雄。


「…化け物どもが、調子に乗りおって…!」


 そう呟くと、満雄は懐からトランシーバーを取り出した。


沙槻さつき、聞こえるか?」


 そう呼び掛けると、少しの沈黙の後、ノイズが走り、小さな女の声で


『…はい』


 と応えがあった。


「出番だ。ここに居る妖怪共を排除してくれ」


『…わかりました、おじさま』


 瞬間、飛叢達と凪達…浜に居た妖怪全員が、弾かれたように同じ方向へ顔を向ける。


 それは、浜を見下ろす切り立った断崖の上。

 たなびく薄雲と白い月を背後に従えて。

 白衣びゃくえ緋袴ひばかま千早ちはやを吹く風に揺らし。

 一人の少女が立っていた。


 手には大幣おおぬさ神楽鈴かぐらすずを持ち、遥か下界の妖怪達を一瞥している。

 月光を映す黒い髪と紅を引いた唇、白雪に様な肌は、まるで神代の女神の様だ。

 たおやかなその姿は、夢現ゆめうつつの如く。

 だがしかし。

 その視線を受け、全ての妖怪達が…


 戦慄せんりつした。


「嘘だろ、おい…」


 恐れ知らずの飛叢が、呻くように呟く。


「“戦斎女いくさのいつきめ”…まだ、生き残っていたのかよ…!」

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