第七章 その微笑みは白き花のように ~天逆毎・三尺坊・木葉天狗・反魂香~

【四十八丁目】「子作り、かぁ…」

 最近、兄…めぐるの様子がおかしい。


 兆候は、先週開催された、特別住民ようかいを対象とした合宿旅行から帰った後からあった。

 仕事から帰って来ると妙にぼうっとしている事が多くなり、こちらが話し掛けても上の空でいる事が増えた。

 こないだなんか、家族で食卓を囲んでいる時、お刺身におしょう油と間違えてソースをかけたのに、魂が抜けた様に箸をすすめていた。

 二階の自室に帰る際に、階段から転げ落ちそうになるし。

 トイレに二時間も籠城していた事もあった(ちなみに本人は10分足らずと感じていたらしい)。

 新聞は逆さになったまま虚ろな目で見ているし。

 私が夏休み前から密かに練っていた「いやーん!お風呂場でドッキン♡大作戦」にも、ノーリアクションだった(これはハッキリ言って屈辱だった)。


 私…十乃とおの 美恋みれんは、ここに至り、考察する。


 家庭内では、今のところとりたてて目立った環境変化は無い。

 せいぜい、飼っている猫のナベシマさんが家出して、昨日帰って来たくらいである。

 となれば、答えは一つだ。


 職場である。


 兄はここ、妖怪が人間と共存する降神町おりがみちょうの町役場に勤めており、特別住民支援課…要は人間と妖怪が共存できるように、様々な公共サービスを行い、妖怪達をサポートする課に配属されている。

 妖怪を相手にしているだけあって、その業務はなかなかにハードなようだが、兄は「やり甲斐がある」と、彼にしては珍しく、やる気に満ちて勤務している。

 いずれは退職して主夫となり、私と二人暮らしをしてもらう予定でいるので、今は好きに仕事をしていてもらっても構わない。


 構わないのだが…


 その職場には、人間ではない妖怪の職員もいる。

 しかも、しかもだ。

 最近、密かに諜報活動を行った結果、これがまあ何とも見目麗しい女性職員ばかりなのである…!

 ざっと報告すると…


 対象①:間車まぐるま りん

 “朧車おぼろぐるま”という妖怪で、運転のエキスパート。

 ボーイッシュな外見に、均整のとれたプロポーションが印象的な、快活な女性だ。

 言葉使いは乱暴だが、最も兄と組む事が多い当たり、侮る事は出来ない。

 見る限りでは、兄に悪い感情は持っていないと見た。

 危険度は★★★☆☆

 経過観察といったところか。


 対象②:砲見つつみ 摩矢まや

 “野鉄砲のでっぽう”という妖怪で、射撃の名手。

 背が小さく、幼い外見だが、ただならぬ雰囲気を持っており、常時銃を担いでいる。

 一見するとマタギみたいな外見だが、顔立ちは不思議な気品がある。

 実は以前、とある場所で会った事があり、面識がある唯一の職員だ。

 危険度は★★☆☆☆

 その気はなさそうだが、兄に対する距離感が、他の男性職員と比較して近い気がする。


 対象③:二弐ふたに 唄子うたこ

 “二口女ふたくちおんな”という妖怪で、窓口業務を担っている。

 兄の話では、役場に入ってから最初の先輩として色々世話になっているらしい。

 ほんわかした雰囲気の女性だが、話しだせば驚異のマシンガントークで苦情も封殺するベテラン職員だ。

 長い髪と柔らかな顔立ちで、母性豊富そうな女性である。

 ついでに言えば、恐らく発禁寸前のプロポーションの持ち主と見た。

 危険度は★★☆☆☆

 何かと兄を気に掛けているのか、積極的な情報収集に動く姿が不気味な存在だ。


 対象④:黒塚くろづか 姫野ひめの

 “鬼女きじょ”こと「安達ヶ原あだちがはらの鬼婆」その人。

 実質、兄の上司に当たる才色兼備の完璧超人。

 世の中にこんなきれいな女性が存在するのか、という程の美女だ。

 ビジネススーツを着こなし、毅然と歩く姿からは、往年の人食い鬼の姿が思い浮かばない。

 モデルすらかないそうもないプロポーションにスラリとした頭身が、実に羨ましい。

 危険度は計測不能。

 兄も彼女の事はよく話すし、彼女がその気になれば、兄も一瞬で籠絡されるに違いない。目下、最強の敵として認知している。


 ふうう…

 ざっと挙げても、これだけ粒ぞろいがいる職場だ。

 人間ではないとはいえ、その女子力スペックは破格に近い。

 押しに弱い兄では、どの相手でもかなうまい。

 特に、夏は男女の間で過ちが多い季節だ。

 兄の貞操を死守するのは、妹の責務でもある。


 …いいの!

 そう決まってるの…!


 ンんっ!

 とにかく、だ。

 こちとら、兄の写真だけでどんぶり飯三杯はイケるクチだ。

 いくら美人揃いでも、人外娘なぞに大切な兄をくれてやるものか…!


「子作り、かぁ…」


 ばぶうーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!


 夜。

 二人でテレビを見ている時、不意に口にした兄のその一言に、私は口の中にあった麦茶を盛大に噴き出した。

 少子高齢化を取り扱ったその番組では、母親に抱かれた赤ん坊の姿が映っていた。

 私は、ぎぎぎぎぎ…と首をめぐらせ、兄を見る。

 ギャグ漫画みたいな私のリアクションを目の前にして、兄は相変わらずぼうっとした目で、テレビ画面に見入っていた。


「…出し抜けに何?」


 声の震えを押さえつつ、私は雑巾で畳を拭きながら、普段通りの冷たい表情でそう尋ねた。

 兄は魂の抜けた声で答える。


「いや、さ。女の人って、どういう時に赤ちゃんが欲しくなるのかなぁ…と思ってさ」


 ブチブチッ!


 やってしまった…

 縁側で絞っていた雑巾が、きれいに千切れている。

 とある出来事の後、兄の事で心を乱されると、何故か力の加減が出来なくなる事が多い。

 おろしたての厚手の生地の雑巾も、ロールケーキをねじ切るように一瞬で分断してしまった。


 落ち着け。

 落ち着くんだ、私!

 確かに、今夜は両親が結婚式に呼ばれて不在だが、離れにはおじいちゃんとおばあちゃんが居るのだ。


 …いや。

 もう離れの電気が消えている。

 夏場は暑いので、早朝に起きて畑仕事をしている二人だから、とっくに就寝しているのだろう。


 …

 ……

 ………

 …………待て。

 では、ナニか?

 今、この家で起きているのは私の兄だけ。

 加えて、母屋で就寝している両親も今夜は不在。


 来た。

 来てしまった。

 千載一遇のチャンスがッ…!


 何があったかは知らないが、兄からこんなフリが来るなんて、この先ほとんどあるまい。

 だが、こんな事もあろうかと、既にお風呂は済ませてある。

 下着だって、お気に入りの可愛いやつを装備済みだ。

 そう、恋する乙女はいつだって緊急出動スクランブル体勢なのだ!


 しかし、焦りは禁物である。

 ここでがっつく様では相手に幻滅されてしまう。

 こういう場合は、やはり男性にリードしてもらうのが理想だ。

 恥じらう女性に、男性の気持ちは昂たかぶる筈なのだ。

 仕方がない。

 夏は男女の間で間違いが起こりやすい季節なのだから…!


(…よし)


 思わず出そうになるよだれを拭い、私は縁側の廊下に足を横に崩して座る。

 下品にならない程度に足を晒し、背中を向けたまま、自分の肩を抱いた。

 薄手のキャミソールの肩ひもが、完璧なタイミングで「ハラリ」とズレ落ちた。


「他の女性は分からないけど…」


 意識して、艶っぽい声でそう呟く。

 よし!これはグッとくる感じだ!


「…私は、こんな夜なら…欲しくなる…よ?」


 チラリと、流し目で背中越しに兄を見やる。

 決まった!

 これなら、朴念仁の兄でも絶対オチる!


 第七章、完!

 皆さん、ごめんなさい。

 「妖しい、僕のまち」は今怪で完結します。

 次怪からは「美恋☆LOVEダイアリー」始まるよっ♪


 その熱視線の先で。

 兄は…立ち去った後だった。


「なーん」


 兄が座っていた座布団の上で、ナベシマさんが私を見ながら一声鳴く。


「…居ねぇし」


 私は虚脱感に耐えかねて、甲子園の負け投手の如く崩れ落ちたのだった。

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