【番外地】「…もし、の話だが」

 降神町おりがみちょう役場。

 ふと、呼ばれて振り返ると、廊下の向こうからやってくる黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)の姿が見えた。


「何でしょう、主任」


 僕…十乃とおの めぐるは、主任の到着を待ち、並んで歩きだした。


「この前伝えた、来月のセミナーのスケジュール変更だが…」


「ああ、それでしたら…」


 業務上のやりとりが続いた後、主任は休憩スペースで足を止めた。


「十乃、いま時間はあるか?」


「え?あ、はい」


 時計を見て、そう答える僕。


「なら、少し付き合わんか?」


 閉庁時間が近い夕方ということもあり、ドリンクコーナーには人気が無かった。


「確か、コーヒーはブラックだったな?」


 備え付けのソファーに腰を降ろすと、主任が自販機の前でそう尋ねてくる。


「あ、はい」


 慌てて腰を浮かし、財布を出そうとする僕を制する主任。

 大人しく座って待っていると、主任が湯気の立つコーヒーが入った紙コップを渡してくれた。


「ありがとうございます」


「ああ」


 見ると、主任の手には、オレンジジュースがあった。

 見た目がキャリアウーマン然としているので、バリバリのコーヒー党に見られがちな主任だが、意外にも苦いコーヒーは苦手なのだった。

 お互いに一口飲み、息を吐く。

 暮れていく夕日が、きれいな茜色で周囲を染めていた。

 ふと落ちた沈黙に、僕は隣に座る主任を盗み見る。

 美しい黒髪に白磁の肌。

 切れ長の目に長い睫毛まつげ

 艶やかな口紅が、ほぅ、と溜息を再び吐くのを見て、僕は慌てて眼を逸らした。

 ついこの前、エルフリーデさんとあんな事があったせいか、いつも以上に女性の何気ない所作にドキリとさせられてしまう。

 おまけに、何となくエルフリーデさんと比較してしまった自分に、後ろめたい気分になっってしまった。


「あれから騒ぎが起きないところをみると“七人ミサキ”は大人しくしているようだな」


 紙コップをゆっくり回しながら、主任が言う。

 氷がたてるカラカラという音を聞きながら、僕はコーヒーを一口飲んだ。


「そうですね。二弐ふたにさんが言ってましたけど、被害者どころか連続失踪の噂自体も、途端に鳴りを潜めたようですよ」


 僕達に約束した通り、エルフリーデさんが不良連中の拘束・更生を自重してくれているのだろう。

 伝承では恐れられている死霊集団ではあるが、その辺は律義なようだ。


「代わりに、深夜、町を徘徊はいかいする謎の亡霊集団の姿が度々目撃されていて、若者連中の間で都市伝説化しているようですけど」


「成程。それはそれで若者の深夜徘徊を防止する手立てにはなっている…という訳か。彼女…いや、彼女達も考えたものだ」


 まるでエルフリーデさんを知っているかのような口ぶりの主任だった。


「でも、不思議ですね。被害者はもう居ないのに、エルフリーデさん一人じゃなくて、亡霊集団が目撃されるなんて」


「…の北斗七星、か」


 疑問を口にした僕の耳に、そんな主任の呟きが聞こえる。


「主任?」


「いや、何でもない…それより、戻って来た被害者の様子は聞いたか?」


「ええ。身元が分かってて、追跡調査できた被害者は京塚きょうづかって娘だけみたいですが、二弐さんが調べたら…やっぱり別人みたいになっていたそうです」


 二弐さんの情報網によると、自宅に帰宅した京塚 美沙樹みさきは、それまでの素行不良が嘘のように直り、規律を守る模範的若者になっているという。

 それどころか、荒れていた家庭でも、だらしなかった父親を日々鍛え上げる姿が見られるとか。


「京塚さん、何でも毎朝ジョギングで竹刀片手に『それでも日本男児か、貴様!』って、お父さんの事をシゴいているって話です」


「同情は…しても無意味だな。むしろ、自業自得という奴か」


 面白そうに笑う主任。

 エルフリーデさんが豪語しただけあって、戻って来た彼女の性格改善は完璧だ。

 他の連中も、恐らく素行が劇的に良くなったとみていいだろう。

 まあ…いささか、方向性と過激さに疑問を感じるが、人様に迷惑を掛けるよりは余程ましというものである。


「そう言えば、その後、妹さんは達者か?」


「あ、はい。その際はどうもご心配おかけしました」


 「SPTENTRIONセプテントリオン」が起こしていた連続失踪の真相は、既に僕と間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)から主任へと報告済みだ。

 一連の出来事をそのまま伝えたので、主任は妹の美恋みれんの事も知っている。

 僕達から連続失踪の全容を聞き終えた時、主任は深く一呼吸を置いてから「ご苦労だった」とねぎらってくれた。

 …正直、心境は分からなくもない。

 色々手を尽くして調査した連続失踪の顛末てんまつが、エルフリーデさんの善意から生じた騒動だったと知れば、鬼の主任でも脱力もしたくなる。

 一方、間車さんは、主任の指示ではなく、自分なりのやり方で事件が解決(?)したのが嬉しかったのか、しばらく自慢げにしていた。

 すっかり傷が癒えた摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)も、


「やればできる子」


 と、褒めているのか過小評価しているのか分からない評価を述べていた。

 僕が、主任からお目付け役を頼まれ、一連の作戦を提案したことは、伏せたままでいいと思っている。

 わざわざ本人の気を害しても仕方ないし、何より、間車さんはいつでも元気で勢いがある方が、彼女らしい。


「十乃は、妹さんが好きか?」


 不意にそう聞かれ、思わず僕はコーヒーを吹き出した。


「…汚いぞ」


「ごほっ!げへっ!す、すみま…せん…」


 僕は、咳き込みながらそう謝る。


「げほん…はぁ…い、いきなり何ですか!?」


「む?何か変な事を聞いたか?」


 キョトンとした顔の主任に、僕は落ち着きを取り戻す。

 確かに、主任は変な意味で聞いているのではない。

 あの夜、あんな事があったので、僕の方がどうかしているのだ。


「あ…いや、スミマセン。そういう訳では…」


 あの夜、美恋がエルフリーデさんを蹴り飛ばした事以外…特に錯乱して僕に迫った事については、身内ということもあり、さすがに主任にも報告していないし、間車さんにも固く口止めをお願いしてある。


 というのも、当の本人が「全く記憶にない」というのだ。


 推測ではあるが、家族である僕がキスしているのを見て、思春期真っ盛りの美恋は予想外のショックを受けてしまったのかも知れない。

 それであんな形で暴走してしまったのだろう。

 とにかく、あれは「無かった事」になった。

 その証拠に、美恋はいつもと変わらず、僕に接している。


「そうですね…たった二人の兄妹ですし、昔は仲も良かったから、好きですよ、勿論兄としてですけど」


「…もし、の話だが」


 回していた紙コップを止めて、主任がポツリと言った。


「もし、妹さんが、その思いは変わらないか…?」


 静寂。

 見れば、主任は紙コップから顔を上げて、僕の方を見ていた。

 ひどく真剣な表情だ。


 (これは、もしもの話なんだよな?)


 そう思いつつ、思いのほか真剣な主任の表情に、僕は答えに詰まる。


「どうだ…?」


 主任にそう促されると、少しして僕は頷いた。


「変わらないと思います。僕は美恋の兄で、美恋は僕の妹です。その事実だけがあれば、きっと」


「…そうか」


 主任は、静かに微笑んだ。


「すまんな、変な事を聞いて」


「いえ」


 主任の様子はいつもと変わらない。

 だが…今の問い掛けの瞬間だけ、主任が何か思い悩んでいるように見えたのは、気のせいだろうか。


「…しかし、早いものだな」


 ふと、主任がそう呟いた。

 訳が分からず沈黙している僕に、主任は続けた。


「お前が役場ここに入って、もう一年と4カ月になるのか」


「そうですね…何だか、あっという間に時間が過ぎた気がします。その割に、あまり成長した気はしないんですが…」


「いや。入りたての頃に比べて、随分頼りになるようになった…これからも頼むぞ、十乃」


 優しく微笑まれ、僕は思わずドギマギする。

 今が夕方で良かった。

 でなければ、真っ赤になっていた顔を見られていたかも知れない。


「は、はい!まだまだ勉強が足りませんが、宜しくお願いします…!」


 僕は深く一礼した。

 なので、主任がどんな顔をしていたのかは最後まで分からなかった。


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「ただいまー」


 玄関からの聞きなれた声に、私…十乃 美恋の背筋が「ビン!」と伸びる。

 近くにあった食器棚のガラスに映る自分の姿を一瞬でチェック。

 問題無い。

 いつもの完璧な私が居る。


「お帰りなさい」


 背中越しに台所に入ってくる兄…巡の気配を感じ、いつもの冷たい声音でそう言う。


「あれ?美恋が夕飯担当か?母さんは?」


「朝聞いてなかったの?お父さんと法事で出掛けたよ」


「あ、そうだったっけ。確か、今夜は泊りか」


 隙だらけの様子で、兄が呟く。


「じいちゃんとばあちゃんは?」


「おじいちゃんはお風呂。おばあちゃんは今日、民謡習いの日」


 包丁を操りながら、私は極力素っ気ない風に答えた。

 いつもの日常。

 いつもの会話。

 だが…


『だから…本当のキスは、私としよ?』


 っあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!


 ダン!ダダダン!


 意思とは別に踊り出した包丁を慌てて止める。


「み、美恋!?どうした、大丈夫か…!?」


「…何でもない。手が滑っただけ」


 包丁の音に驚いたのか、兄が心配そうに声を掛けてくる。

 それに努めて冷静な声で答える私。

 だが、心境は穏やかではない。


 あの日の夜。

 京塚さんを追い掛けて辿り着いた夜の公園。

 そこで見た、異能の戦い。

 そして…兄が、あの金髪の女と…


 ズダン!


 「…美恋…」


 畏怖を含んだ兄の声が、背後から聞こえる。

 ハッと我に返って手元を見ると、まな板の上の大根が、きれいに切断されていた。

 ただし…まな板ごと。


「あらやだ…不良品ね、コレ」


 動じた様子も見せずに、私は溜息を吐いた。

 真っ二つに捌かれた耐熱強化ガラスのまな板は、私の知る限り包丁で切断できる代物ではない。


「本当に大丈夫か…?」


 心配そうな兄の声。

 だが、今はそちらに振り向けない。

 何となく、顔を見られたくない。

 幸い、長い髪が私の表情を隠してくれている。

 兄からは、何も見えないはずだ。


「…大丈夫よ。お兄ちゃんはテレビでも見ててよ。夕飯、すぐにできるから」


 声はいつもの様に冷たく、固く響いてくれた。

 ちょっと、ホッとする。


「そうか?でも、何か手伝う事があったら言ってくれ」


 兄はそう言うと、自室に向かった。

 一人になり、ようやく息を吐く私。


「今のは、危なかったわ…でも、バレてないようね」


 そうなのだ。

 あの夜の公園での出来事は、私の記憶に熾火おきびの様にくすぶっていた。

 どうやら、兄は私が記憶を失っていると思っているようだが、私は必死にそれを演じているだけで、忘れてなどいない。

 兄が他の女性とキスしているのを見た瞬間、私の全身を炎が燃え上がる様な感覚が疾り抜けた。

 そこからは、もう理性が効かなくなり、暴走してしまったのである。


「言っちゃった…んだよね」


 兄に向かって、胸の内に秘めていた想いを告げてしまった。

 それはまだ、知られてはいけない想いだったのに。

 果たして、兄は…どう思っただろう。

 いくら人が良い兄でも、実の妹に告白されたら、困惑したに違いない。

 もしかしたら…『気持ち悪い』とか思われたかも知れない。

 そんな事を考えると、先程の様に心が千々に乱れ、思わぬ失態を演じてしまう私だった。

 まったく、こんな思いで悶々とするなら、京塚さんではないが、いっそ家出の一つもしたくなる。


「はぁ…どこか遠くへ行きたいなぁ…」


「何だ、遠出したかったのか?」


「うん。だって、こんな感じで毎日を過ごしていたら、鬱屈うっくつしちゃいそう…って、うわああああああああっっっっ!?」


 いつの間にか、部屋着に着替えた兄がすぐ近くに居た。


「お、おおおおおお兄様!いつからそこに…!?」


「お兄様…って、何だい藪から棒に」


 慌てふためく私に笑って吹き出しながら、兄は食器を並べ始める。


「私がやるから、テレビでも見ててっていったのに…」


 胸の動悸どうきを押さえつつ、恨みがましい目線でそう言う私。

 だが、兄は笑って二枚のチケットを取り出して見せる。


「実は知り合いから、映画のチケットを貰ったんだ。美恋、夏休みだろ?これあげるから、友達と行って来なよ」


 見れば、私が前から見に行きたいと言っていた映画のチケットだった。

 何気ない一言だったのに…

 お兄ちゃん、覚えていてくれたんだ。


「嫌」


「え?」


「二枚じゃ、誰を誘うかで迷うし、誘わなかった友達に恨まれるし」


 にべもなくそう言うと、兄は苦笑を浮かべた。


「そ、そっか。そうだな、じゃあ仕方ないな」


「だから…」


 私は意を決して、続けた。


「い、一緒に行かない?お兄ちゃん」


 そう言うと。

 兄は、私の大好きな笑顔を浮かべて、頷いたのだった。


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 月のない夜。

 人気の無い路地裏を、静かに進むものがあった。

 ほんの僅かな街の光が差し込む程度で、周囲はほとんど闇一色。

 そして、奇しくも、その中を進むものも闇だった。


 シャラン…


 錫杖がかき鳴らす孤独な金属かねの音だけが響く。

 鳴り響く間隔は人の歩く速度に近しい。


 シャラン…


 その音色が不意に止まる。

 静寂の中、歩みを進めていた闇が黄金の色彩が生んだ。

 流れる金髪に、闇の中でも輝くような白い肌。

 片眼鏡モノクルの奥できらめく翡翠ひすいの瞳。

 それらをくろがねの軍服で覆い、毅然と立ち留まるその姿は、戦乙女ワルキューレさながらだった。

 エルフリーデ=ゲオルグ=ポラースシュテルン…ドイツ第三帝国の精鋭部隊「SPTENTRIONセプテントリオン」の司令官コマンダントにして、恐怖の死霊集団“七人ミサキ”の統括者。

 降神町に留まり、今や若者達の間で「謎の亡霊集団」として噂され、恐れられている存在となった彼女は、行く手の闇を凝視し、腕を組んだ。


「何か用か」


 鉄が発した言葉は固く、前方の闇を打つ。

 すると、それを合図に闇の中から一人の男が現れた。


「ごきげんよう。良い夜ですね」


 慇懃無礼いんぎんぶれいに挨拶をする男。

 夏場だというのに、背広の上下にコート姿といったいで立ちの優男だった。


「…貴公に会うまではな」


 詰まらなそうに答えるエルフリーデ。

 優男は、苦笑した。


「手厳しいですね。明確な約条はなかったとは言え、私達は同じ目的の下に集った同胞の筈ですが」


生憎あいにくとこちらはそんなつもりはない。それに最初に告げたはずだ。こちらはこちらで『好きにやらせてもらう』とな」


 そう告げると、エルフリーデは再び歩き出した。

 男はそっと道を譲る。


「さすがは伝説の死霊集団“七人ミサキ”ですね。何人なんぴともその行く手は阻めない、ですか」


 目の前を過ぎ行くエルフリーデに、男が笑い掛ける。


「…なのに、随分とあの若者にほだされたようで」


 エルフリーデの歩みが止まった。


「…何が言いたい?」


「いえ、別に。ただ…」


 男の目が笑みに揺れる。


「お邪魔なら、片付けますよ?アレ」


 シャラン…! シャラン…!


 シャラン…! シャラン…!


 シャラン…! シャラン…!


 突然。

 エルフリーデの影から、六体の無貌が現れる。

 六体は主の周囲に陣を組み、手の錫杖を男に向けた。


「無為に動くなよ?動けば、我が精鋭『SPTENTRIONセプテントリオン』が相手になるぞ」


 鋭い眼光を飛ばすエルフリーデに、男は肩を竦めた。


「冗談ですよ、冗談」


 エルフリーデはしばらく男を睨みつけると、やがて背を向けた。


「次はない」


「はい。寛容な処置に感謝します」


 優雅に一礼する男を残し、去って行く“七人ミサキ”。

 やがて、その姿が消えると、男は笑った。


「…ですが、それはこちらもですよ。司令官コマンダント殿」

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