【三十三丁目】「蹂躙せよ…!」

 その日は蒸し暑い月夜だった。


 降神おりがみ新駅の駅前通りから外れた人気のない公園を、一人の女性が歩いていた。

 スラリとした均整のとれた身体つきの女性だ。

 学校の制服を身に包んでいるところを見ると、高校生なのだろう。

 制服は普通のものだが、派手な茶色の長髪やイヤリング等から、お世辞にも素行の良い雰囲気には見えなかった。

 月は出ているが、薄暗い夜の公園は決して治安の良い場所とは言えない。

 しかし、彼女は鞄を肩に担ぎ、気にした風もなく歩を進める。


 シャラン…


 どこからか、金属かねの鳴る音がする。

 女子高生は、ふと足を止めた。

 空耳のようにも思えたが、音は再び鳴り響いた。


 シャラン


 月が雲に隠れると同時に、周囲の気温が、肌寒くなるほど低下していくのを感じた。

 同時に、申し訳程度に園内を照らしていた照明が明滅を繰り返し始め、遂には消えてしまう。

 園内を暗闇が支配した。


 シャラン…!


 彼女の目の前に、濃い闇が生まれた。

 そして、その中から浮かび上がるように七つの影が現れる。

 この世ならざる光景を前に、少女は彫像と化したように動かない。


『『『…見つけた…』』』


 幽鬼の如き影達が、そう呟く。

 まるで、冥府の底から響いてきたような声。

 しかも、複数の人間が同時に喋っているかのように、反響して聞こえた。

 少女は、担いでいた鞄を取り落とす。

 その身体が、細かく震え始める。

 そのまま、恐怖に耐えるように、自分の肩を抱いた。

 動くこともかなわない少女に、影達が音も無く近付いていく。

 影達が遂にその眼前に辿り着き、ゆっくりと少女の体へ手を伸ばす。

 その瞬間…


「総員、散開!」


 不意に影達の中から、鋭い女性の声が上がる。

 同時に、伸ばしていた腕を引っ込め、影達が大きく後方へと跳び退すさった。

 距離を取り、少女と相対する七つの影。


「…やはりな」


 影の一つが歩み出る。

 雲から現れた月が影を照らすと、おぼろげだったその輪郭から黄金の色彩が生じた。

 闇に映える金色の長髪と、月光そのものが形を成したか様な白磁の肌。

 古めかしい片眼鏡モノクルから覗く、翡翠の瞳。

 それらを覆う漆黒の軍帽と軍服。

 その姿は、まるで軍隊の女性将校そのものだ。

 女性将校は、手にした錫杖しゃくじょうを一振りさせると、一瞬で馬上鞭に変えた。


「貴様、学生ではないな…いや、人間でもあるまい」


 月下に咲く白百合のような容姿だが、その声は鋼の響きを含んでいた。

 鞭を突きつけられた女子高生は、身体をかき抱いていた手を離し、ゆっくりと顔を上げる。


「バレたか」


 頭のカツラを取り、制服を脱ぎ去る女子高生。

 一瞬後には、キャップを被り、ローラーブレードを履いた短髪の女性が立っていた。

 不敵な笑みを浮かべ、女性将校と対峙する。


「ちぇっ、もうちょっとでまとめて轢ひき散らしてやれたのによ」


 トレードマークのキャップの鍔を指で上げながら、女性…妖怪“朧車おぼろぐるま”こと、間車まぐるま りんがそう告げる。

 一方、女性将校は脱ぎ捨てられた女子高生の制服に目を落とした。


「他人の趣味をとやかくいうつもりはないが…貴様、少しは歳を考えろ。恥ずかしくないのか」


「うるっせーな!これは趣味じゃねぇ!変装だよ、変装!」


 顔を真っ赤にして怒鳴る輪。

 実は鏡を前にして、密かに「まだまだイケんじゃね?」と、多少の自負があったのだった。

 輪は女性将校を睨んだ。


「お前が“七人ミサキ”の頭か?」


「ほう…我々の事を知っているのか」


 面白そうに微笑む女性将校。


「…で、そうだとしたらどうする?」


 ギリ、と歯を噛みならす輪


「お前らにやられたダチの借りを返させてもらう」


「何?我々にやられた…ああ」


 女性将校は思い出したように


「思い出したぞ。いつぞや相手にした妖怪ゲシュペンストか。貴様の知り合いだったのか」


 手の馬上鞭をポンポンと叩きながら、続ける。


「成り行き上だが、確かに実戦訓練の相手にはなってもらった。しかし、大した怪我は負わせておらん筈だが?」


「まぁな。だが、雁首揃えて一人を叩きのめすってぇのが、あたしは気に入らなくてね」


 挑発的な笑みを浮かべる輪。


「それとも…ってのは、そういう腰抜け共の集まりなのかい?」


「…いいや」


 女性将校の眼がすぅっと細まる。


「我が軍の精鋭達はいずれも勇猛果敢なるつわものだ。ただ、我々は。そういうモノとして諦めてもらうしかないな」


 馬上鞭を大きくしならせ、氷の微笑を浮かべる女性将校。


「それにしても…随分と私達の素性に詳しいようだ。俄然、貴様に興味が湧いてきたぞ。名は何という?」


「間車 輪」


 肩を回しながら、輪は付け加えた。


「人呼んで、妖怪“朧車”だ」


「リン…か。良い響きの名だ。では、私も礼をもって返そう」


 ピシリと鞭を鳴らす女性将校。


「私は、えある第三帝国を祖とする精鋭部隊『SPTENTRIONセプテントリオン』の司令官コマンダント。名はエルフリーデ!」


 女性将校…エルフリーデは朗々と名乗りを上げた。


「日本の妖怪ゲシュペンストよ、楽しませてもらうぞ?」


「ぬかせ、死霊が!」


 身構える輪。

 スッと鞭で輪を指すエルフリーデ。


einsアインスよりsechsゼクス、各個戦闘態勢!」


 無貌の死霊が音も無く輪を取り囲む。

 そして、冷酷な声が開戦を告げた。


蹂躙じゅうりんせよ…!」


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 時間は遡り、数日前のこと。


 僕…十乃とおの めぐるが所属する降神町役場特別住民支援課の面々は、各々が仕入れた情報を元に、連続失踪に対する情報整理を行っていた。

 要約すると、


 1.僕と間車さんが仕入れた「京塚きょうづか 美沙樹みさきの目撃情報 」

 2.摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)が遭遇した「『SEPTENTRIONセプテントリオン』と名乗った“七人ミサキ”」

 3.黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)が入手した「失踪者の帰還及び第二次世界大戦中の科学者の研究内容」


 以上の三点に集約される。


「まさか“七人ミサキ”が犯人だったとはね…」

「まだ健在だったのね、あの呪い」


 連続失踪の犯人の正体が分かると“二口女ふたくちおんな”の二弐ふたにさんが、驚いたようにそう言った。

 “七人ミサキ”は、日本各地に残る怨霊・死霊伝説の中でも有名な存在なので、僕もよく知っている。

 大概の怨霊・死霊は特定の相手に恨みを持ち、死後、形を成して害悪を成す。

 逆に、余程の事がなければ、その他の人間には一切手を出すことはない。

 が、彼らは出会った相手を誰彼構わずり殺すため、極めて剣呑な存在だ。

 それは彼らが“七人ミサキ”という「呪い」に囚われているためで、他の怨霊・死霊の様に「特定の○○に復讐すれば成仏する」というような目的がないためだ。

 そのため“七人ミサキ”は、何らかの方法で呪い自体が消滅しない限り、永久に稼働し続けるのである。

 こうなると最早、一種の天災に近いもので、退ける手立ても無い以上、出会ってしまったら運が無いと諦めるしかない。

 そんな連中がこの町を徘徊はいかいしているのだから、本来なら警察が動き、夜間外出禁止の広報でもやるべきなのだが…


「主任、これはもう警察に通報した方がいいんじゃ…」


 僕がそう言うと主任は、首を横に振った。


「そうしたいのはやまやまだが、目撃者が砲見つつみのみで、しかも証拠も証言者もいない。それに、被害者が一定期間後に帰宅しているとなれば、家族が捜索願や被害届が出されることも望めまい。事件性が確認できない以上、現段階で警察に訴えても、彼らを動かすのは困難だろうな」


「…そうだ!被害者ですよ!戻って来たっていう彼らが証言すれば…」


 僕の言葉に、今度は二弐さんが溜息を吐く。


「それなんだけどね…そもそも、私達じゃ特定出来ないのよ」

「何せ、連続失踪自体が噂話のまま、今でも広がってるから、入ってくる情報が膨大だし、検証する時間も無いし」


 情報収集の鬼、二弐さんでもお手上げらしい。

 せめて、一件でも捜索願が出ていれば、人々の口端に上り、二弐さんの情報網に引っ掛かることも考えられるが…

 …いや、駄目だ。

 仮に、それで被害者が特定でき、証言を得て警察が動いたとしても、その間に別の被害者が出ている可能性は高い。

 もっと言えば、その被害者が今までの被害者同様、無事に戻ってくるという保証はないのである。


「被害者としてハッキリ分かっているのは、『SEPTENTRIONセプテントリオン』に追われていた京塚という女子高生と、砲見の目の前でさらわれた若者のみ、か」


「共通点はどちらも十代の若い子…ま、噂通りですよね」

「あとは、お世辞にも素行が良かったとは言えないってとこ?」


 主任の言葉に、二弐さんがそう付け足す。


「何だか、共通点としてはおぼろげですね…」


「うむ…まあ、警察はその辺の情報を握っているようだがな」


 僕のぼやきに、主任は意味深にそう呟いた。


 そう言えば…


 そもそも、被害者が戻って来ているとか、そんな情報を主任は一体どこで入手したのだろうか…?


「何にせよ、被害者が戻って来ている以上、この町に出没した“七人ミサキ”は目下、害悪を成す意思が無い…と考えられる。そこは不幸中の幸いだな」


「えっ?でも、摩矢さんが…」


 驚いてそう声を上げる僕。

 主任は頷きつつ、


「だが、連中に敵意があったら、砲見が無事でいるのはおかしいだろう」


 …確かに。

 僕と間車さんが摩矢さんを発見した時、彼女は気を失ってはいたものの、打ち身以外に怪我らしい怪我はなかった。

 一方で、当の摩矢さんは、彼らが若者を拉致する現場を目にしている。

 つまり、彼らが犯人なのは明白なのだ。

 だが、証拠も被害者も出ないのでは、彼らの所業を糾弾する術がない。

 犯人は分かっているのに、もどかしいことこの上ない。


「まずは彼らの目的が何なのか…それを探る必要があるな」


「…なら、話は早いぜ」


 主任の言葉に、今の今まで沈黙していた間車さんが、組んでいた腕を解き、寄りかかっていた壁から背を離した。


「どうする気だ、間車」


 主任が、間車さんに鋭い視線を向ける。

 当の間車さんは、臆することなく、それを受け止めた。


「決まってんだろ。直接締め上げて、奴等に吐いてもらうんだよ」


「却下だ」


 冷たく言い放つ主任を、今度は間車さんが主任を睨み付けた。

 緊迫した雰囲気に、僕と二弐さんが思わず息を呑む。

 無茶をしがちな間車さんを、主任が押さえるのはいつもの事である。

 それで間車さんが渋々従うのがパターンだった。

 だか、今回は間車さんから、一歩も退かない気迫を感じる。

 間車さんの視線を真っ向から受け止めながら、主任は続けた。


「相手が人間ではないからといって、公務員による暴力行為は認められない。第一、そんな頭に血が上った奴に、まともに連中の相手が務まるとは思えん」


同僚なかまがやられたんだぜ!?冷静でいる方がどうかしてるって…!」


 押さえていたものを吐き出すように、間車さんが声を上げた。

 間車さんの性分から、同僚である摩矢さんが目と鼻の先で襲撃され、何も出来なかったことが悔しいのだろう。

 摩矢さんが負傷した夜からここ数日間、妙にイライラしていたのを思い出す。


「間車、お前の気持ちは分からんでもないが、聞いての通り、この案件は不可解なことが多すぎる。我々が考えていた以上に、複雑な背景があるやも知れん。そんな状況で、不用意に動くのは…」


「そんなことは分かってる!」


 主任の言葉を遮り、そう一喝すると間車さんは背を向けた。

 僕は思わず席を立った。


「ま、間車さん!どこへ行くんです!?」


「急に体調が悪くなったから帰る」


 そう言うと、返事も待たずに間車さんは出て行ってしまった。


「荒れてるわねぇ、輪ちゃん」

「いいんですか、主任?放っておいて」


 二弐さんの言葉に、主任は溜息を吐いた。


「構わん。あいつは砲見と同期だからな。思うところもあるのだろう」


 そして、僕を見て、


「十乃、分かっていると思うが…」


「すみません、主任。僕も体調がすぐれないので、ここで失礼しまス」


 主任の言葉を遮るようにそう言うと、僕はそそくさと退出しようとした。


 ザン


 突然、そんな轟音を立てて、僕の行く手に身の丈ほどの巨大な出刃包丁が突き立つ。

 あと一呼吸早く歩いていたら、僕の身体はきれいな開きになっていただろう。


「間車のことは任せる。無茶をしないよう見張りを頼むぞ」


 ニッコリと花の様な微笑みを浮かべる主任。


「そうだな…本人もる気があるようだし、どうせなら、体よくおとりにでも使ってやれ。健闘を祈る」


「…………………ひゃい」


 僕は辛うじてそう答えた。

 うう…改めて、この人が文字通りの鬼であることを思い知った気がする…


「二弐、お前には別の仕事を頼みたい」


「な、何でしょうっ…!?」

「私、荒事は苦手ですがっ…!?」


 一連のやり取りを傍で見ていた二弐さんが、あからさまに怯えた様子で主任に向き直った。

 主任は意に介した様子も無く、一枚の書類を取り出した。


「ゲオルグというこの男について、より深く調べたい。サポートを頼めるか」


「「い、イエッサー、ボス!!」」


 前後の口できれいに声をそろえ、敬礼する二弐さん。

 情報収集には定評がある二弐さんだから、調べ物にはうってつけの人材だ。


「やれやれ…」


 主任は窓の外を見上げた。

 空には、僅かに欠けた月が浮かんでいる。


「しばらくは、騒がしい夜が続きそうだな」

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