【三十四丁目】「残念でした。もうここに居ます」

 その日、私…十乃とおの 美恋みれんは、夏休みが始まり、かねてから計画していた友人達とのショッピングに出掛けた。

 降神おりがみ新駅まで足を伸ばし、アウトレット巡りを満喫。

 まずまずの戦果を得て、友人達とお茶を楽しんだ、実に有意義な一日だった。

 友人達と分かれて、新駅前から自宅へと帰るバスの中、吊革に掴まり、何気なく外を見ていると、とある停留所にバスが止まった。

 私が降りるべき停留所はまだ先だったので、発車を待っていると、窓の外を一人の少女が通り過ぎて行く。

 黒いエナメルのジャケットに、鮮やかな金髪と派手なメイク。

 その横顔を見た瞬間、私は思わず息を呑んだ。


 京塚きょうづか 美沙樹みさき…夏休みに入る前に失踪した同級生がそこにいた。


 見間違いではない。

 親交が深かった訳ではないが、顔を見間違う程、疎遠であった訳でもない。

 彼女は無表情のままの、日が落ちかかり、暗くなった街を歩いて行く。


「すみません、降ります!」


 ドアが閉じる直前、私は考えるより早くそう声を上げると、バスを下車していた。

 彼女が歩いて行った方向を見ると、雑踏の中、目立つ金髪が一瞬見える。


「ラッキー」


 追跡対象が目立つ格好をしているのは、追う側としては有難い。

 週末、人通りの多い雑踏でも、見失うことなく尾行できる。

 だが、事ここに至ってから、私はこの後の行動について全くの無計画であることに気付いた。

 クラスメイトとしての心情は、今すぐ追い付き「家族が心配しているから、大人しく自宅に帰った方が良い」と忠告しておきたいところだ。

 実際、突如不登校になった京塚さんを心配し、女子数人で彼女の家を訪れた時、彼女のお母さんは憔悴しょうすいした様子で帰らない娘の身を案じていた。

 聞けば、今までも自宅に帰らないことはままあったようだが、今回はろくに身支度をした様子も無く、姿を消したという。


『もし見かけたら、すぐに帰って来いと伝えてください』


 彼女のお母さんは、そう言いながら深々と私達にお辞儀をした。

 お母さんの気持ちを考えると、本音は無理矢理にでも自宅に引きずっていきたい。

 だか…


(原因って、あるわよね)


 中学校から彼女を知っている女子は「家庭内に何か問題がある」と話していた。

 恐らく原因はそれだろう。

 他人の家庭事情に踏み込むのは、ハッキリ言って趣味ではない。

 趣味ではないが…


 私は、彼女のお母さんの目に光るものを見てしまったのだ。


 ここで見過ごせば、彼女も彼女のお母さんも…きっと自分も…後々後悔するかも知れない。

 意を決して、彼女に追い付こうと駆け出す。

 人ごみを華麗なステップでやり過ごし、彼女に追い付こうと走る。


「…うそ」


 自慢ではないが、脚力に限らずスポーツ全般には自信がある。

 そんじょそこらの運動部にも遅れはとらないと自負している。

 だが…

 京塚さんは特に走る事も無く、普通の速度で歩いている。

 こんな、バカな…!!


「どう、なってるの…!?」


 息が上がってきた私の遥か先で、不意に京塚さんは進路方向を変えた。

 最初、彼女が出入りしているという噂のバー「Kreuzクロイツ」に向かっているのかと思ったが、そうではない。

 そもそも、この新駅から降神駅前の「Kreuzクロイツ」に行くには、車でないと無理だ。


(この方向は…郊外に向かっている?)


 新興住宅地が多い新駅郊外には、いまだ区画整理中の部分がある。

 そこは夜になると人通りも減り、辺りも街灯が少ないので、夜間はあまり立ち入りたくない場所だ。

 その中を彼女は相変わらず無表情のまま歩いて行く。

 人ごみも失せ、自分と京塚さんの間にはもう何も無い。

 気付いていないのか、彼女は振り返りもしなかった。

 ついでに言うと、全力ダッシュで追い掛けても、彼女には全く追い付けない。

 まるで悪い夢を見ているようだった。

 やがて、彼女の行く手に公園が見えてくる。

 街灯は少ないが、幸い月が出ていたのでそれは確認できた。

 ふと、彼女が公園の入り口で立ち止った。

 これは、チャンスだ!


「京塚さ…」


 息も絶え絶えに声を上げかけ、今度は私が立ち止った。





 不意に月が翳かげる。



             辺りに闇が落ち、世界が輪郭を失う。



 その中で、彼女…京塚 美沙樹は変わった。



             いや、変質した。



 全身が黒く染まり、



             一瞬の後に、



 無貌の怪物になった



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 ジャラ…!


 数条の鎖分銅が、四方から獰猛な毒蛇の如く間車まぐるま りんの四肢を狙う。

 輪を取り囲んだ“七人ミサキ”…無貌のうち、四人が申し合わせたかのようにタイミングをずらしながら放ったものだ。

 多対一の戦闘の場合、全く同じタイミングで攻撃を受けるよりも、時間差で受ける方が対処しづらい。

 無貌達の攻撃は、それを踏まえての連携だった。

 が…


「あらよっ!」


 一輪車から戦車まで、車輪のついたものを自在に操り、その能力を向上させる…妖怪“朧車おぼろぐるま”である輪の機動力も伊達ではない。

 先の「第壱回降神町グルメ決定戦」で開眼したローラーブレードを駆使し、一瞬で風を巻いて走り出す。

 そのまま迫る鎖分銅をかわすと、眼前にいた無貌二人に迫った。


「くらえ!」


 ローラーブレードで加速をつけ、空中で身を捻り、飛び蹴りの要領で無貌を狙う。

 まともに食らえば頭ごと砕けそうな勢いだったが、輪の蹴りは何と無貌の顔面を空しく通過した。

 そのまま無貌の身体を透過して着地した輪は、目を剥いた。


「マ、マジかよ…」


 先に“七人ミサキ”と戦った“野鉄砲のでっぽう”の摩矢まやから報告は受けていたが、実感するまでは輪も半信半疑だった。

 彼女の報告では“七人ミサキ”に対して一切の攻撃が通用しなかったという。

 そもそも、霊体である怨霊・亡霊の類は、物理的な干渉は受けにくい。

 彼らに干渉するには、神通力を有する修験者や徳の高い僧侶など、霊力の高い存在が居なければ話にならないのである。

 輪は後方に控えたままのエルフリーデに噛みついた。


「ズリぃぞ、お前ら!ただでさえ人数が多いのに、こっちの攻撃が通用しないとか、チートもいいところじゃんか!」


「そう言われてもな。我々はそういう存在モノだし、先に喧嘩を売ってきたのはお前だろう」


 そう答えつつ、馬上鞭を振るうエルフリーデ。


vierフィーアfünfフュンフ!そいつは足が速い。まずはそこを潰せ!射撃陣形“Derデア Frei・フライ schütz・シュッツ”展開!」(※ドイツ語で『魔弾の射手』の意)


 エルフリーデの指揮を受け、二体の無貌が動いた。

 彼らは手の錫杖を一閃させると、弩弓クロスボウに変化させる。

 矢をつがえ、輪の足元に狙いをつける無貌達。


「ちょっ…この上、飛び道具かよ!?」


 足元に立った矢に慌てて転身する輪。

 続けてエルフリーデが指示を飛ばす。


einsアインスzweiツヴァイdreiドライsechsゼクス!その距離を保持せよ!近接戦陣形“Sturmシュツルム・ undウント・ Drangドランク”展開!」(※ドイツ語で『疾風怒濤』の意)


 残りの四体が襲い掛かる。


「あーもう!ウゼェ!」


 繰り出される錫杖や鎖分銅を紙一重で避けつつ、一旦距離をとる輪。

 だが、距離をとれば、すかさず弩弓の矢が飛んでくる。

 かといって、接近すれば最大四体の無貌による波状攻撃が待っている。

 距離の遠近を問わない、鉄壁の布陣である。

 何よりも厄介なのは、無貌達の連携力だ。

 一体一体が不規則に動いているようで、その実、的確なのである。

 例えば、一体の攻撃を避ける先に、既にもう一体が先回りしているといった感じだ。

 機動性で差をつけられている今はいいが、それにも限界はある。

 いずれ、彼らの攻撃が輪を捕らえるかも知れない。


「くそ、面倒な奴らだな!」


 思わず悪態が輪の口を衝いて出る。

 対して、エルフリーデは余裕そのものだ。


「ふむ…威勢はともかく、先に手合わせした妖怪ゲシュペンストの方が歯応えがあったな」


「ああそうかい。なら…」


 突然、エルフリーデ達に背を向け、転身する輪。

 その先には、園内に設置された街灯があった。

 スピードを殺すことなく、輪はローラーブレードのまま、街灯を垂直に滑り上がる。

 一瞬で頂上に到達すると、輪は大きく宙返りをし、虚空を舞った。

 その身体が、月光を浴びて燃え上がったように、蒼い陽炎に包まれる。


「ほう…!」


 鮮やかな疾走に、エルフリーデも思わず感嘆の声を漏らした。

 居並ぶ無貌達を大きく跳び越え、輪がエルフリーデ目掛けて、蹴りを放つ。


「これでも…くらえぇぇぇッ!」


 霊体である“七人ミサキ”には、確かに物理的な攻撃は効かないようだ。

 が、摩矢の報告には、妖力を使った攻撃は効果が見られたとあった。

 輪は自らの妖力【千輪走破せんりんそうは】を発動し、攻撃を仕掛けたのだった。

 蒼い流星のように、高速で落下する輪。

 一方、エルフリーデは動じた風も無く、微笑した。


「防御陣形!“Monsturumモンストルム・ vonフォン・ Brockenブロッケン”!」(※ドイツ語で『ブロッケンの怪物』の意)


 エルフリーデの号令を受け、六体の無貌達がエルフリーデの前に集う。

 そして、各々が手にした錫杖を構え、正六角形を形作った。


「そんなもので!」


 吼える輪の目の前で、正六角形が虹彩を放つ。

 そこに輪の蹴りが直撃した。

 輪の妖力【千輪走破】と『SEPTENTRIONセプテントリオン』の防御陣形が、激しい干渉を起こす。

 周囲には激しい光が溢れた。


「こ…んのぉぉぉぉぉぉッ!」


 輪が再度吼える。

 全身の陽炎が、更に激しく燃え盛った。

 全妖力を集中させた輪の蹴りが、徐々に無貌達を押し始める。

 陣形がきしむ様を見て、エルフリーデの口角が釣り上がった。


「素晴らしい!こんな町に、これ程の力を持った妖怪ゲシュペンストが居るとはな…!」


 エルフリーデ達の防御陣形“Monsturumモンストルム・ vonフォン・ Brockenブロッケン”は、彼らの有する防御陣形の中でも、最大の迎撃戦法だ。

 ドイツにあるブロッケン山。

 そのブロッケン山に霧が立ち込める際、虹彩から現れる「ブロッケンの怪物」にちなみ、この陣が放つ虹彩は、相手の攻撃を雲散霧消させる効果がある。

 だが、輪の妖力はそれすらも凌ぎ、陣を崩壊させる手前まできている。

 かつて、この陣形をここまで崩した相手は、エルフリーデの記憶の中にも居なかった。


「…だが、運が悪かったな」


 片眼鏡モノクルの奥の翡翠の瞳が、冷たい輝きを放つ。

 微動だにしなかったエルフリーデが、悠然と六体の無貌と立ち並ぶ。


「この隊には私がいる…システム『七怨霊将ズィーベン・ガイスツ』展開…!」


 エルフリーデの号令が下るとその身から黒いオーラが立ち上る。

 同時に“Monsturumモンストルム・ vonフォン・ Brockenブロッケン”の虹彩が濃度を増した。

 すると、崩れ去ろうとしていた陣形が、徐々に復元し始める。

 同時に、輪の蹴りも押し戻されていった。


(何だ!?あの金髪女が加わっただけで…!)


 輪は瞠目した。

 限界まで妖力を増しても、陣はビクともしない。

 せめぎ合っていた両者の力の均衡が崩れていく。


「う…こ、このぉ…!」


「どうした?もう後が無いぞ…そら」


 エルフリーデの声と共に、輪の身体が大きくはじき返される。

 何とか受け身を取って着地をしたが、輪は大きく消耗していた。

 「妖力」は決して魔法の力ではない。

 そもそも「妖力」とは、妖怪などの「あやかしの存在」が生来持つ、彼らの「存在そのものを司る力」である。

 そのため、限界以上に妖力を消費すれば、妖怪にとっては生命に関わる場合もある。

 下手をすれば、そのまま消滅してしまうことすらあるのだ。


「く、くそ…」


 輪の全身を脱力感が襲う。

 元々、数で負けている上、手数でも及ばない勝負である。

 ならば、一か八かで敵の頭エルフリーデを潰すための特攻だったが、そちらも真っ向勝負で圧倒されてしまった。


「地力が違うのだよ」


 悠然と、手にした馬上鞭をしごくエルフリーデ。


「貴様ら生粋の妖怪ゲシュペンストからしてみれば、我々など『たかが人間霊』なのだろうが、我々は駆動してから数百年の時を経た呪いそのもの。そこらの死霊とは格が違う」


「ハッ…そうかい。そんな御大層な死霊様が、何でこんな所で人間を誘拐してるのか、ぜひお伺いしたいもんだ」


「ふむ…目的か。いて言うなら『人間のため』だな」


 思いもよらぬ台詞に、輪は目をしばたたかせた。

 エルフリーデが微笑する。


「いずれにしろ、貴様に話す義理はない。さて…どうする?ここいらで降参するか?こちらは続けても構わんが、その様子では、もう大して力も残ってなかろう」


「そうだな…悔しいが、あんたの言う通りだ。正直、あたしにはもう打つ手がない。真っ向勝負で負けたなら、言い訳すらないね」


 そう言うと、ニヤリと笑う輪。

 それを見るや否や、エルフリーデは鋭い声を上げた。


「…各位、警戒態勢!奇襲に備えろ!」


「残念でした。もうここに居ます」


 不意に若い男の声が、真後ろで響く。

 慌てて振り向くエルフリーデの目の前に、めぐるが立っていた。


「…貴様、いつの間に!?」


 目を見開くエルフリーデに、巡は親指を握りこんで隠した両手を見せた。

 瞬間、エルフリーデの眼前から巡の姿が消える。


「む!?」


 一瞬動揺するも、油断なく周囲を見回すエルフリーデ。

 彼女を守るように、六体の無貌達が円陣を組む。

 その正面に、巡は再び姿を現した。


「いやぁ…本当に効くんですね、このおまじない」


 感心したように手元を見る巡。

 人為的に防げないという点では、天災に近い“七人ミサキ”だが、彼らに「わない」というまじないが、とある地方には伝わっている。

 それがこの「親指を拳に握りこんで隠す」という、極めてシンプルな方法で、理由は不明だが、このまじないで彼らに見つかることを防げるといわれていた。

 エルフリーデの眼前から巡の姿が見えなくなったのは、このまじないの効果であり、巡自身も実際に試すまで半信半疑だった。

 加えて、ぶっつけ本番ということもあり、保険として輪が囮となってエルフリーデ達の注意を逸らしていたのである。

 エルフリーデと無貌達は、油断なく身構えたまま、巡に向き直った。


「…貴様、何者だ?」


 エルフリーデに誰何されると、背広姿の巡は礼儀正しく一礼した。


「あ、どうもはじめまして。降神町おりがみちょう役場特別住民支援課の十乃とおのです。以後、宜しくお願いします」


「む。我々は総統麾下きかの第339独立部隊『SEPTENTRIONセプテントリオン』。私は司令官コマンダントのエルフリーデだ」


 差し出された名刺を受け取りつつ、エルフリーデは名乗り上げた。


「で、公僕が我々に一体何の用だ?」


「はい。実は一連の連続失踪について、少しお話を伺いたいなぁと思いまして」


 巡の言葉に、エルフリーデの瞳が細まる。


「十乃とやら。人の身でありながら、我々の前にして大した胆力だな。その度胸は評価しよう」


 手の馬上鞭をしごくエルフリーデ。


「ところで…『好奇心は猫を殺す』という言葉があったな。知っているか?」


「知ってますよ。知り合いに“猫又ねこまた”もいますし」


 のほほんと答える巡に、エルフリーデは微笑を浮かべた。


「それは何よりだ。では…」


 エルフリーデの周囲に立つ無貌達が、音も無く巡を取り囲む。


「実践してやろう…!」

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