【二十一丁目】「……………………………………二人で…?」
人間というのは、
この時の僕の場合は、とにかく
早い話、さっき僕が間車さんにされたように、妃道さんの両肩を掴んで、そのまま壁際に追い詰めたのだ。
自分でも驚くくらい、電光石火の動きだった。
というのも、妃道さんは、間車さんとかつてとあるレースで生まれた浅からぬ因縁がある。
以降、走りのライバルとして、日頃張り合っているため、お互いが挑発し合い、とんでもない騒ぎに発展したこともあった。
…不本意ながら、自分もその騒ぎの中心にいたのだが、その時のことを思い出すと、今でも身震いがする。
とにかく、そんな二人だから、今の間車さんの格好を見たら、妃道さんがどんなリアクションをとるか、容易に想像できた。
まあ大体、
妃道さん爆笑 → 間車さん逆上 → 不毛な挑発合戦 → 目も当てられないトラブル発生
といった感じだ。
イベントの安全管理担当としては、それだけは何としても防ぎたい。
「お、お久しぶりです、妃道さん!」
妃道さんは、いつもの黒いライダースーツ姿で、それに溶け込むような長い黒髪をなびかせていた。
引き締まったボディライン…
真夏にこの格好は、相当暑いはずだが、彼女は汗一つかいていない。
彼女の両肩を壁に押し付け、僕はぐっと顔を近付けた。
こうでもしないと、長身の彼女の視界を塞げないのである。
…よし。あとは、背後にいる間車さんが、身を隠す時間をうまく稼げばいい。
「………お、おぅ……」
妃道さんは、最初びっくりした表情だったが、そのうちみるみる顔を赤らめ、モジモジし始めた。
…?
いつもクールな彼女にしては、珍しい反応である。
しかし、そんなことには構っていられない。
とにかく場をもたせないと…!
「し、しばらくお見かけしませんでしたね?どこかお出かけだったんですか?」
「…あ…うん…ちょっと…仲間とツーリングに…行ってた…」
背後の間車さんに気付いたのか。
妃道さんが、突然フイ、と顔を背けた。
マ、マズイ…!
僕は反射的に彼女の頬に右手を添え、強引に自分の方に向かせた。
妃道さんの切れ長の目が、大きく見開かれる。
顔の赤味も増している気がした。
…風邪でもひいているのだろうか?
「ツーリングですかぁ!いいですね、今度僕も行きたいなあ!」
そう言いながら、左手を彼女の肩から離し、壁についた。
妃道さんがビクッと身体を震わせる。
よし、これでこちら側にも顔を向けることはできなくなった。
背を向けているので間車さんの様子は分からないが、まさかそのまま棒立ちということはないだろう。
もう隠れる時間は稼げたとは思うが、念には念を入れた方がいいかも知れない。
僕はそのまま、妃道さんが動かないように身体を張ることにした。
「……………………………………二人で…?」
「へ?」
「だから…その…二人きりで、行くのか…?…ツーリング…」
聞いたこともないようなか細い声で、妃道さんがそう尋ねてくる。
目は潤み、頬がピンクに染まっている。
普段、迫力ある彼女とは似つかない、恥じらうような乙女の顔がそこにあった。
…………………………………………………………………………………………………………あ。
ここまで至って、僕は自分がとんでもないことをしているのに気付いた。
平たく言えば、僕は(妖怪とはいえ)女性を壁際に追い詰め、無理やり顔を押さえ、挙句、俗に言う「壁ドン」をかましている。
傍はたから見れば、強引に口説いているようにしか見えない。
しかも、相手はあの妃道さんだ。
泣く子も黙る峠の女王にして、スピードレース“スネークバイト”に集う走り屋たちのカリスマ・クイーンである。手を出そうものなら、本人を含めて、取り巻きも黙っていないだろう。
謎なのは、いつもなら問答無用でドツキ回されても仕方がないシチュエーションなのに、当の本人は何やらただならぬ雰囲気になっている点だ。
何故だ…!?
どーしてこーなった…!?
今までに味わったことのない
身体が硬直して、何も考えられない。
その時、
「あらあら~」
「いーもの見ぃちゃった♪」
不意に聞こえた声に反応し、僕の身体は再び電光石火のごとく動き、妃道さんから離れた。
見れば、
ちなみに、今日はいつもの事務服ではなく、何故かレトロな着物にエプロン姿という、大正浪漫風のいでたちだった。
シックな雰囲気が、大人っぽい二弐さんによく似合っている。
「ふ、ふたにさんっ、いつからそこに!?」
盛大に慌てる僕の前で、二弐さんは一つ咳ばらいをした。
「『ツーリングですか』」
「『いいですね。今度僕も行きたいな』」
「「『貴女と二人きりで…しっぽりと』…ってとこから♪」」
僕の声真似をしながら、二弐さんがゲスいおばちゃんみたいな笑いを浮かべ、前後の口でハモる。
僕は、ブンブンと頭を振った。
「いやいやいや!そんなこと言ってないし!!!!!!!」
「えぇ~、ほぼそういう感じでしょ?」
「でもでもぉ、二人がそういう関係だったなんて意外~」
「いいいいいや、これは何と言うか、訳があってですね…!」
何てこった。
情報通で話好きでもある二弐さんに、決定的なシーンを見られてしまうとは…!
このままでは、三日もあれば、役場中に知れ渡ってしまうだろう。
…いや、待て!
ここは、あらぬ誤解を掛けられた妃道さんが黙ってはいまい!
「…あたしは」
それまで無言だった妃道さんが、ポツリと続ける。
「別にいいよ…行っても」
うつむき加減で、髪をひと房、指でクルクル巻きながら、僕の知らない、乙女チックな表情を浮かべ続ける妃道さん。
何をををををををををををををををッ!?
そんな馬鹿な!?
こんなことがあっていーのか!?
僕の力が及ばぬところで、事態が思いもよらぬ方へマッハで向かっている…!
た、確かに自業自得といえば自業自得なのだが…こ、このままでは非常にマズイ…!
「ひ、妃道さん!い、いや、あの、これは、ですね…」
慌てて僕が形にならない言い訳をしようとした瞬間。
突然、妃道さんの背後に、正体不明の黒い影が出現した…!
「なっ…!?」
背後を取られ、ボディをロックされた妃道さんが驚愕する。
そして次の瞬間、彼女の身体がフワリと宙を舞った。
そのまま鮮やかな弧を描き、妃道さんは脳天から地面に叩きつけられる。
ジャーマン・スープレックス…背後から相手の腰に腕を回してクラッチし、後方に反り投げた後、ブリッジをしたまま相手のクラッチを離さずそのまま固めてフォールするプロレス技だ。
破壊力・芸術的な美しさから「プロレス技の王」とも称された技である。
その大技が今、
「っしゃあ!手応えあり!」
そう言いながら、ブリッジを解く黒い影=間車さん。
太股も露わな衣装もなんのその、見事な技のキレを見せる。
ここがリングの上ならば、観客から拍手喝采を浴びていただろう。
…って、いやいや!そんなことより…!
「ちょっ、何してんですか、間車さん!!いきなりジャーマンかますなんて!」
気の毒に、不意打ちを食らった妃道さんは、見事に目を回していた。
人間なら大ケガをしていてもおかしくない勢いだったが、そこはさすが妖怪といったところか。
間車さんは、パンパンと手をはたきながら、悪びれる様子もなく言った。
「仕方ないだろ。コイツがこんな格好見たら、爆笑するにきまってる。そもそも突然現れたコイツが悪い」
「でも、だからって、いきなりこんな…」
「…何だよ、巡。お前、こいつの肩持つのかよ?」
ムッとなる間車さん。
そして、ジト目のまま、僕に指を突き付ける。
「大体、さっきのは何だよ?こんなのとベッタリしやがって、いやらしい!」
「ち、違いますよ!あれは、間車さんが隠れる時間を作ろうと、咄嗟にやっただけです!」
「はん、どうだか。あたしにお前が一方的に言い寄ってた風にしか見えなかったけどな」
腕を組んでそっぽを向く間車さん。
…参ったなぁ。
ここまで二人の仲が悪いなんて…
「きゃあ、修羅場?修羅場?」
「
一人盛り上がって騒ぐ二弐さん。
間車さんは、疲れたように溜息をついて頭を押さえた。
「んな訳ないだろ。
着物姿の二弐さんは、くるっと回ってにっこり笑った。
「何でって、役場職員有志とセミナーの受講者で、お店を出すことになったのよ。似合う?」
「妃道さんもお手伝いしてくれるっていうから、案内してたの」
「はあ?有志で店だあ?初耳だぞ、あたしゃ」
「知らなくて当然よ。輪ちゃん、しばらく役場に来てなったもんね」
「せっかくのイベントだし、人間社会の勉強も兼ねて、受講者のみんなも何かやろうって話になったのよ」
そう言えば、回ってきた通知文書に中にそんなのがあったよーな…
ここのところ忙しくて、ロクに目を通してなかったので、すっかり忘れていた。
「そういう輪ちゃんこそ、可愛いカッコしちゃって。それ『玄風』の制服でしょ?良く似合ってるわよ♪」
「素材はいいんだから、女の子っぽいファッションもしなさいって、いつも言ってた甲斐があったわぁ」
「うううるさい!あんまジロジロ見んな!もう!」
短めの着物の丈を押さえ、羞恥に顔を染める間車さん。
うーむ。
先程、人目も気にせずジャーマンをかました同一人物の反応とは、とても思えない。
二弐さんはクスリと笑った。
「別に恥ずかしがらなくてもいいのに。本当によく似合ってるんだし」
「これなら『玄風』もブースにお客さん、たくさん来るわね」
その時だった。
「果たして、そう上手くいくかしらね…!」
不意に頭上からそんな声が降ってくる。
見上げた僕達の視線の先に、イベント用テントの屋根に立つ一つの影が映った。
「だ、誰だ!?」
雰囲気を読んでか、はたまたお約束か、間車さんがそう問いただす。
その声に応じて、影は鮮やかな身のこなしで跳躍し、地面に着地した。
「あ、貴女は
影の正体は、妖怪“
なんと、フリルがついたミニスカメイド姿である!
恐らく、頭のネコミミとお尻の尻尾は、間違いなく自前だろう。
そういう意味では「ネコミミメイド」と表現すべきか。
三池さんは、鼻を鳴らし、挑発的な視線で間車さんを見た。
「そんな格好までして御苦労さま。でも、今日の主役はあたしたち『
「…あたしたち?…部隊…?」
周囲を見回す僕達の視線に気付き、三池さんは、自分が飛び降りたテントの屋根に向かって叫んだ。
「ちょっと!打ち合わせ通りにやんなさいよ!あたし一人で馬鹿みたいじゃない!」
「君が勝手に決めたこと。私の知ったことじゃない」
テントの上から現れたのは「
妖怪“
これは…ある意味、間車さんの時よりもインパクトがある。
と言うのも、摩矢さんは間車さん以上にファッションに無頓着な性格だからだ。
いつも毛皮の上着を羽織ったマタギのような格好でいるため、全く華が無い。
それはそれで凛々しいのだが、年がら年中その格好なのだ。
本人は気にも留めていないようだが、年頃の女の子がそれでは、さすがにどうかと思う。
その摩矢さんが、メイド姿を披露する日が来るなどと、一体だれが予測しただろうか?
摩矢さんのメイド服は、基本、三池さんのものと同じ造りのようだ。
違いと言えば、服のカラーリングがモノトーンで、背中には小さなコウモリの羽のアクセサリーが付いているところだった。
あと、小柄な彼女が着るとフリルが目立ち、ゴスロリ色が強くなっている印象を受ける。
摩矢さんは、三池さんに続き、音もなくふわりと着地した。
「それに、間もなく開場になる。こんな所で油を売っている時間は無い」
「…ったく、これだから山奥育ちは…様式美ってもんを分かってないんだから…」
不満げにブツブツ文句を言う三池さん。
一方、衣装が変わっても、摩矢さん本人は平常運転のようだ。
照れるでもなく、平然としている。
「一体どういうことだよ、摩矢っち!?何でお前がそんな格好を…っていうか、いま『
間車さんが目を丸くする。
摩矢さんは、三池さんの横に並び、
「その通り。私はいま『
「ちょ、何であんたがリーダーになってんのよ!?」
すかさず異論を述べる三池さん。
「待ってください!摩矢さんは知ってましたけど、三池さんまで、どうして『
僕の疑問に、三池さんが胸を張る。
「あの後、私も
「君、無理矢理ついて来ただけ。あの時スカウトされたのは私一人だった」
「う、うっさいわね!セルフアピールも実力のうちよ!」
摩矢さんのツッコミに、三池さんが顔を真っ赤にして怒鳴る。
ははあ、成程。
結局、摩矢さんも(ついでに三池さんも)間車さん同様に看板娘としてスカウトされたということか。
お互いに店の料理には自信があるようだし、後は客引きになる看板娘を置き、少しでも優位に立とうという考えなのだろう。
「と、とにかく!私達が『MISTRALミストラル』についた以上『玄風げんぷう』の勝利は無いものと思いなさい!」
ビシィッ!と指を突き付ける三池さん。
それに対し、間車さんの表情が険しくなる。
「ほお…一応、理由をお聞かせ願おうか、猫娘」
「皆まで言わせる気なの?この私が『
陶酔する三池さんに、間車さんが応じた。
「は…!随分な自信じゃねぇか…言葉を返すようだが『玄風』には、あたしがいるぜ?」
「それが何か?」
ころころと笑いながら、自信満々でそう答える三池さん。
間車さんの目の色が変わる。
うん、これは例によって熱くなっている前兆だ。
「ねぇ、十乃君。十乃君も食事をするなら、可愛い女の子がいるお店の方がいいわよね?」
そう言いながら、三池さんが僕にウィンクしてくる。
「え?ええと…まあ、はい」
突然だったのでドギマギし、思わずそう答えてしまう僕。
もともと美少女で通っている彼女だから、そういう年相応の女の子の魅力を引き立たせる衣装が、とてもよく似合う。
単純に可愛いだけでなく、猫っぽい(というか、猫そのものの)野性味が加味され、男性の保護欲や独占欲を掻きたてる。
その手の皆さんが見たら、絶好の被写体として包囲されるに違いない。
間車さんや二弐さんとは属性が完全に異なるものの、決して見劣りすることはない魅力が彼女にはあった。
気が付くと、間車さんが、ブリザードのような視線を向けてきている。
うう…今日は女難の相でも出ているのか…?
「面白ぇ…なら、改めて本気の勝負といこうじゃねぇか。『
「ふん、元よりこれはそういう戦いだしね…いいわ、受けてあげる!」
持ち前の負けん気を刺激されたのか、間車さんがそう宣言し、三池さんが応じた。
こうして、商店会vs商友会という舞台の裏側で「女の戦い」が密やかに開幕したのだった。
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