【十九丁目】「スミマセン、皆さん。二人を止めてください」

「つ、疲れた…」


 外回りから自席に戻るなり、僕…十乃とおの めぐるは机に倒れこんだ。

 ここ降神町おりがみちょう役場 特別住民支援課は、本日も人気が少ない。

 来庁者もそうだが、職員の数もまばらである。

 もっとも、これは特別住民支援課うちだけでなく、役場全体に言えることだ。


 原因は、来週開催される「第壱回降神町グルメ選手権」にある。


 役場が全面的にバックアップするこのイベントの開催に向け、各課の職員が準備に駆り出されているためだ。

 そのため、必然的に出払った職員の穴埋めは残った人間でやることになる。

 特別住民支援課も間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)が蕎麦屋『玄風げんぷう』に出向中だし、先日の一件でイタリアンレストラン『MISTRALミストラル』に、摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)も出向することが決まった。

 ただでさえ少人数の特別住民支援課は、目下、慢性的な人手不足になっているのである。


「お疲れ様~、大丈夫?」

「外、暑かったでしょ」


 “二口女ふたくちおんな”の二弐ふたにさんが、冷たい麦茶を卓上に差し入れてくれる。


「すみません、二弐さん」


 うつ伏せのままコップを掴み、お礼意を言う僕。喉元に染み渡る冷たい麦茶の味が、極上の潤いを与えてくれた。


「無事説得できた?」

「あの妖怪ひと、頑固だからね」


 二弐さんが言っているのは、今回新規にセミナーに参加勧誘をした妖怪“山爺やまじじい”の物部もののべさんのことだ。

 伝承では“山爺”は山に棲む一本足の妖怪である。

 単眼に見えるほど片方の目が大きく、何でも噛み砕く丈夫な歯と天地を揺るがすほどの大声の持ち主だ。

 物部さんは、見た目は普通の五十代の男性だ。

 眼帯をしたロマンスグレーだが、深山育ちで、町暮らしには不慣れでトラブル続きだったため、人間社会への適合を促す無料セミナーを勧めていた。


「なだめて、おだてて約二時間…最後に泣き落としで、なんとか受講をしてもらえることになりました」


「そ、そう」

「本当にお疲れ様」


 乾いた笑いを浮かべる僕に、二弐さんは少したじろいだ表情を浮かべる。


「…ねぇ、十乃君、本当に大丈夫?」

「最近、ろくに休んでないでしょ」


「ええ、まあ…でも、仕方ないですよ。時間も人手もないし、やんなきゃいけないこと、たくさんあるし」


 通常、民間の一企業に公務員が出向するなんてことは、かなり珍しい。

 それが間車さん一人ならともかく、摩矢さんまで連続で出向となれば、珍しいを通り越して「あり得ない」である。

 しかも、摩矢さんも出向先で何をしているのか、皆目見当もつかないときた。

 情報通の二弐さんも、その辺は全く分からないらしい

 事情を知っていそうな黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)に、二人の出向について問いただしても「あいつらの業務内容は私も知らん。出向については仕方なかろう。この状況で『玄風げんぷう』だけに職員を出向させたら、えこ贔屓ひいきになっちゃうし」と、何ともいい加減な回答が返ってきた。


「まぁ、ねぇ…少なくとも、りんちゃんと摩矢ちゃんの分は誰かがカバーしなくちゃね」

「手伝ってあげたいけど、私もほかの人の掛け持ちで手一杯だし…」


 済まなさそうな二弐さんに、僕は起き上がって笑って見せた。


「大丈夫ですよ。少なくとも来週には皆戻ってきますし、それまでは頑張れます」


 言ってるそばから、目の前で電話が鳴り始める。

 まったく、息をつく暇もないとはこのことだ。

 僕は残りの麦茶を一気に飲み干すと、グラスを置き、書類の山に挟まれた電話を掘り起こし始めたのだった。


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 あけて翌週。

 いよいよ「第壱回降神町グルメ選手権」当日となった。

 朝から梅雨明けの青空が抜けるように眩しい、文句なしの快晴である。

 会場となる降神町陸上競技場では、イベント開催を告げる花火が上がり、場内にはたくさんの出店や各市民団体が出店したテントが並んでいた。

 例年にない珍しいタイプのイベントであることと、商店会と商友会の確執に決着がつくということで、町民も注目していたらしい。開会式もまだだというのに早くも長蛇の列ができていた。


「ふわぁ…この町って、こんなに人が居たんだなぁ」


 その様子を見つつ、思わず僕は感嘆の声を上げる。

 この日も手伝いとして会場案内・警備役を任された僕は、他の職員とともに開場前の最終チェックに当たっていた。

 所属する部署の性質から、なし崩し的に特別住民(=妖怪)への対応を一方的に押し付けられた僕は、何人かのボランティアと共に、リハーサルを兼ねて会場内の巡回を行うことにした。

 まず、メイン会場。こちらは陸上トラックに囲まれた芝生の中に特設ステージが設けられ、それを囲むように商店会と商友会のブースが設置されている。

 ここで両者が雌雄を決する訳である。

 それぞれのブースの前には広くお休み処が設けられており、ここで来場者が飲食したり、休んだりできるようになっていた。

 両者のブースから更に外を囲むように、点在するのは主催を務める役場の本部テントや救急介護所、協賛する一般企業や警察・消防署などのテントも存在する。

 競技場の外周路はサブ会場として一般公開されており、露天組合の出店や各市民団体のテント、一部フリーマーケットも行われていた。 


「すごいなぁ。こんな祭りは、僕初めてだよ」


 怒鳴り声で指示を出したり、大荷物を忙しそうに運びながら準備を進める人たちを見て、妖怪“赤頭あかあたま”の釘宮くぎみや君が目を丸くする。

 “赤頭”は昔、鳥取県に現れた妖怪だ。

 姿は幼い子供だが、非常な怪力の持ち主で、指だけで五寸釘を柱に抜き差しできるとされている。

 釘宮君も見た目は赤毛が可愛い小学生だが、こう見えて立派な成人だ。

 おまけに伝承そのものの怪力を発揮できるため、会場の資材運搬にも駆り出され、昨日から働きづくめである。

 気は優しく、穏やかそのもの。頼まれれば力を貸してくれるので、今回のボランティア参加も快く引き受けてくれた。

 疲れているのだろうに、本当にありがたい限りである。


「あー、やだねぇ田舎者は…おい、しょーがくせー。いい加減、あんまキョロキョロすんなよ。恥ずかしいな」


 そう毒づいたのは“一反木綿いったんもめん”の飛叢ひむらさん。

 “一反木綿”は、色んな意味でメジャーな妖怪なので、知っている人も多いだろう。

 鹿児島県に伝わる妖怪で、夕暮れ時に出現し、一反(約10メートル強)もの木綿そのものの姿をしているという。

 空を飛ぶだけというイメージが強いが、その長い身体で人を襲い、首を絞めて窒息させるという、実は恐ろしい妖怪だ。

 彼の気性は伝承通りで、あまり人間社会に適合する気はないようだが、お祭りやイベントは好きらしく、ちょくちょく見かける。

 どうせ今日のイベントにも顔を出すだろうと踏んで、釘宮君と協力してボランティアを頼み込むと、渋々ながら引き受けてくれたのだった。

 空を飛べるということで、彼には上空からの警備・監視を受け持ってもらった。今も片肘立てて行儀悪く横になりながら、ふよふよと宙を飛んでついてきている。黙っていればモデル顔負けのイケメン青年なのだが、口が悪く喧嘩っ早い。

 いざ荒事となると、素早い空中殺法と両手に巻いたバンテージ(木綿)を自在に操り、大暴れすることもある。


「田舎者って…飛叢兄ちゃんだって、地方出身でしょ。そもそも降神町ここだって田舎といえば田舎だし」


「うっせー。ガキのくせに生意気ゆーな。絞め殺すぞ」


 ギロリと上空から睨む飛叢さんに、


「貴方こそ少し口を閉じたらどうですの?ただでさえ、ふわふわと落ち着きがないったら」


 鋭くそう言い放ったのは“針女はりおなご”の鉤野こうのさんだ。

 “針女”は愛媛県に現れたとされる妖怪で、見た目は普通の美しい女性である。

 しかし、夜道で男に微笑みかけきて、笑い返した者を追いかけ、髪の鉤で捕らえて連れ去る恐い妖怪とされる。

 鉤野さんは、長い黒髪が特徴的な女性だ。

 手先が器用で、特に裁縫・手芸が上手く、服飾ブランドを営む資産家でもある。

 普段は上品で清楚な美人なのだが、やや気が強いのがたまに傷だ。

「ただいま彼氏募集中」と公言してはばからないが、いまのところ目ぼしい戦果は無いようである。

 その辺は伝承通りにはいかないようだが、実際に彼女が放つ鉤毛針から逃げるのは難しいうえ、どんな力自慢でも抜け出すことはできない。


「んだよ、カリカリしてんな…どーせ、また男にフラれ…って、おわぁ!?」


 突然、鉤野さんの長い黒髪がうねり、空中の飛叢さん目掛けて襲い掛かった。

 その毛先が鉤のように変化し、彼を引っ掛けようとするも、飛叢さんは奇跡的に紙一重で避けた。


「危ねぇな、何しやがる!」


「あら、御免あそばせ。どうも今朝から寝癖が落ち着かなくて……………………………………………………チッ」


「今の舌打ちは何だ!?」


「さあ?虫の声ではなくて?」


 気色ばむ飛叢さんに、髪を整えながら、しれっと答える鉤野さん。


「飛叢兄ちゃんも鉤野お姉ちゃんも、もうやめなよう。十乃兄ちゃんが困ってるよ」


 釘宮君が懸命に仲裁する。本当に君は良い子だなぁ(成人男性だけど…)。


「ケッ!」


「フン!」


 そっぽを向き合う飛叢さんと鉤野さん。

 二人ともセミナーでの顔馴染みなのだが、いまいち反りが合わないらしく、よく言い合いをしているのを見掛ける。

 今回のボランティアを期に、二人に親交を深めてもらうことも考えて協力をお願いしてはみたものの、やはりこの組み合わせは失敗だったかもしれない。


「あ、えーと…そうだ!ねぇ、十乃兄ちゃん。今日のグルメ選手権って、確か商店会と商友会のケンカなんだよね。どういう風に決着をつけるの?」


 ギスギスした空気に耐えかねたのか、釘宮君がそう話題を振ってきた。


「僕もよく分からないんだけど…確か、両陣営から何店か代表でブースを出して、より多くのお客さんが入った方を勝者にするって聞いたなぁ」


「ふうん。味の採点とかで決める訳じゃないんだね。よく料理対決っていうと、審査員とかが採点して決めるでしょ?」


「審査員の人選でもめてダメになったみたいだね。審査員には、それなりの立場を選ぶしかないけど、そういう人って、大抵地元の顔が広い人が多いでしょ?どこで利権が絡まってるか分からないしね」


 で、結局は完全にお客さんに裁定を任せた方が、両方とも納得するんじゃないかということに落ち着いたのだろう。


わたくしなら商友会側を推しますわ。あちらには『MISTRALミストラル』を織部おりぶシェフがおりますもの。彼の腕は見事の一言。以前口にした肉料理セコンド・ピアットは至高の味でしたわ」


 うっとりと語る鉤野さん。

 さすがセレブ、どうやらすでに「MISTRALミストラル」には足を運んでいるらしい。


「日本の妖怪が西洋料理にかぶれる日が来るたぁな」


 呆れたように空中で仰向けになる飛叢さん。


「俺だったら商店会を応援するね。あっちには『玄風げんぷう』も入ってるしな。料理は和食、そんでもって安くてうまいのが一番だぜ」


「あら、随分とさもしい食生活をなさっているようですわね。違いというものをご理解できないなんて」


 …あの、鉤野さん?


「けっ、そっちこそ金に目が眩んで、本筋ってモンが見えてねぇんじゃねーのか」


 …いや、飛叢さん!?


 目を反らしていた二人が、ギンッ!とにらみ合った。


「ちょっと!人を守銭奴みたいに仰るのはやめてもらえます?ああ、それともひがみですの?貧しい方は、随分と心も貧しいですのね!?」


「ああ!?だーれが僻むか、この万年フラレ女が!そっちこそ人を金欠みたいに言うんじゃねぇ!マジで絞め殺すぞ!」


「上等ですわ!そちらこそ平たく伸して、うちの店の広告用懸垂幕にして差し上げましてよ!」


 あああああ…

 まさに売り言葉に買い言葉。沈静化していた二人が一気に噴火した。

 この二人を組ませたのは本気で失敗だったかも…!

 僕と鈴宮君が慌てて止めに入ろうとした時だった。


「つーいーにこの日が来たな!覚悟はできたか!?おうっ!」


 突然、周囲を憚はばからぬダミ声が響き渡った。

 二人を止めようとしていた僕と釘宮君だけでなく、飛叢さんと鉤野さんも何事かと目を向ける。

 見れば、会場のど真ん中で二人の男性が仁王立ちになっていた。

 忙しそうに動いていた周囲の人間も、何事かと注視する。

 注目を受ける一人は大柄な五十代の男性。

 頑固そうな太い眉が目を引く。

 あれは…


「何だぁ?『玄風』の打本うちもと大将じゃねぇか」


 飛叢さんが呟いた通り、以前、間車さんを拝み倒していた「玄風」の店主だった。

 その前で優雅に腕を組み、髪をウェーブがかった髪を掻き上げている優男は…


「それと『MISTRALミストラル』の織部シェフですわね」


 鉤野さんが目を見張る。

 確かに、先日、摩矢さんに声を掛けてきた男性に間違いない。

 二人はただならぬ雰囲気で対峙していた。


「フッ…相変わらず、威勢だけは良いですね、ミスター打本。果たして、この決闘デュエッロの後にもその元気が続きますかな?」


「抜かしやがれ、イタリア野郎!昨年、俺達の夏祭りにケチつけただけでなく、コケにしやがったツケは、残らず返してやるからな!」


「無礼ですね。あれは単に乞われて祭りフェスタの改善策を申したまで。繰り返しますが、貴方が固執する旧態然としたやり方では、お客様をもてなす配慮が足りないのですよ」


 溜め息を吐きながら、頭を振る織部シェフに、打本大将の顔が真っ赤になった。


「な、な、何だと…!もう一辺言ってみやがれ!うちの夏祭りはな、今は残り少ない昔の祭りの良さってもんを受け継いでるんだ!見境なく新しいもんに飛び付いて、節操無い祭りにするなんざ、まっぴら御免なんだよ!」


「やれやれ…やはり、時代遅れの鉄の塊に何を言っても無駄ですね」


 ブチン…!


 そんな音の後、打本大将の懐から、ブッ太い麺打ち棒が引き抜かれた。


「…やっぱり料理対決なんざ止めだ。テメエはここで蕎麦粉と一緒に練り込んで、犬のエサにしてやる…!」


 それを見た織部シェフも、微笑を浮かべながら、両手を一閃した。

 その指の間に、数枚の薄く白い円盤が現れる。


「その前にこの堅焼きピッツァで切り刻んで差し上げましょう。もっとも、その頑固な頭なぞトッピングにもならないでしょうがね…!」


 …いかん。

 一瞬、頭が真っ白になったが、このままではマズイ。

 周囲の人達も呆気にとられて動かない。


 ええい、仕方ない!


「スミマセン、皆さん。二人を止めてください」


 それを聞いた釘宮君、飛叢さん、鉤野さんが目を丸くする。


「僕達が?」


「マジかよ!?」


「相手は人間ですのよ?」


「僕達は会場の警備を任されてます。それに、あのままではイベント開催に支障が出そうですし…」


 ここまでお膳立てされたイベントだ。

 関係者が乱闘起こして、万が一中止なんてことになったら、目も当てられない。

 妖怪三人組は顔を見合わせると、溜め息をついた。


 こうして。

 僕達、会場案内・警備係の初仕事は「イベント関係者の捕縛」という極めてあり得ないケースを経て、約15秒で幕を閉じたのだった。

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