【十八丁目】「うっさい!七代祟ってやる!」

「ごめんくださ-い」


 現在、午後2時13分。

天気は快晴。

 初夏の空気が大手を振って、街を闊歩する今日この頃。

汗ばむ陽気に、僕は額をぬぐう。

今日はいっそ雨が恋しくなる一日だった。

 いま、僕は昭和の香りが漂う、古アパートの二階の一室を前にいる。

目の前には、来訪者を歓迎する気など微塵も感じられない、無愛想な扉が一つ。

僕は、そのドアに五回目になるノックを繰り返した。


三池みいけさーん?いるのは分かってますよ。ドア、開けてくれませんか?まず、顔を見せてくださいよ」


 …何だろう、この既視感デジャヴュは。


 そんなことぼんやり考えていると…


 ドタタ…ガラッ…


 室内からは駆け出す足音に窓が開けられたような音が続く。


 そして静寂へ。


 …今回はドアすら開けてもらえなかったようだ。

 おお、勇者 十乃とおのよ。

会話もままならぬとは情けない。


 仕方なしにアパートの裏手に回ると、開いた窓とヒラヒラ舞うカーテンの端が見える。

 僕は懐から携帯電を取り出し、短縮ダイヤルを押した。

 数回のコール音の後、黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)の声が聞こえる。


『十乃か。首尾はどうだ?』


「すみません。また、逃げられました」


『逃走経路は?』


「分かりませんが、この前は屋根伝いでしたね、確か」


『さすがに同じとはいかないだろうな…砲見つつみの配置は?』


「もう終わってます。ここなら、前と同じ携帯の基地局です」


 電波塔の上に、小さな影を確認しつつ、僕はそう答えた。

 さすが摩矢まやさん、行動が早い。


『なら、彼女に捕捉と誘導を任せろ。お前は間車まぐるまと一緒に…』


 そこまで言いかけて、主任は気付いたように言葉を止めた。


『…そうか、あいつは今、特別公務中だったな』


 そうなのだ。

 「第壱回降神町おりがみちょうグルメ決定戦」開催が決定し、全職員によるバックアップが通達された。

 その一環として、間車さんは老舗の蕎麦屋「玄風げんぷう」に出向しているのである。

 先日、陣中見舞いに昼食を食べつつ覗きに行こうとしたら「来るな。絶ッッッ対来るな。来たらコロス。必ず。全力で」とせっとくされたので、どんな事をしているのかは分からない。


「どうします?」


『やむを得まい。すまんが、お前が単独で追跡してくれ。砲見には私から狙撃指示を出しておく。いいか、対象には…』


「分かってます。なるべく近付かないようにします」


『では、健闘を祈る』


 携帯を切り、深くため息をつくと、僕は公用車に向かった。


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「三池さん、僕の話を聞いてください」


「嫌」


 にべもなくそっぽを向く三池さん(猫又ねこまた)。

その拍子に首に巻いた鈴付きチョーカーがチリン、と鳴る。

 今日の三池さんは、空色のシャツにデニムのミニスカートという、夏らしい快活な服装だった。

 長い髪と大きな目が印象的な美少女だが、彼女はれっきとした妖怪“猫又”である。

 可愛らしい唇をへの字に曲げ、彼女は腕を組んだ。


「今回という今回は、もうやーめた。やっぱ、人間の風習ってツマラナイし、めんどくさい」


 …ついでに言うと、猫だけに好奇心は旺盛なのだが、非常に飽きっぽい人でもある。

 人間社会を学ぶための講習会も、サボリ回数はぶっちぎりの合計六回だ。


「そう言わないで。もう少しで第三ステージも終わるんですよ?ここで辞めてしまったら、今までの苦労が水の泡ですよ?あんなに頑張ったのにいいんですか?憧れの東京ライフ、諦めていいんですか?」


「いいもん」


「…え?」


 ば、バカな!

 今まで必殺の威力をもっていた奥義「憧れの東京ライフ」が通じないだとッ!?

 三池さんは、フフンと笑った。


「東京に行かなくても、お金稼いで、いい男見つけられるチャンスは大いにあるわ」


「そ、それはそうかも知れませんが…でも、どうやって?」


「実はこの前ね、駅前を歩いていたら、イケメンの男の人にスカウトされたの。何でも簡単なお仕事で、特に資格は要らないし、ちょっと恥ずかしいのを我慢すればいい収入が…」


「駄目!それ絶対駄目な仕事ですって!信じないよーに!」


 慌てる僕に、三池さんは、むーっと唸った。


「何で駄目なの?」


「え?いや、だって…それ絶対…」


「十乃君、いつもあたしの邪魔ばっかり」


 三池さんの機嫌がみるみる悪くなっていく。


「せっかく、十乃君や先生が教えてくれたこと活かすために、就職しようとしてるのに!」


「いや、あの、それ自体は良いことなんですが、その仕事だけは駄目ですって。ちゃんと講習会でもう少し学べば、就職相談もあるし…」


 必死に説得する僕に、彼女は、いーっと歯を剥くと、


「もういい!十乃君のバカ!」


 言うやいなや、彼女は猫の本性を現し始めた。

 耳と尻尾が一瞬で現れる。

 まずい。

 ここで逃げようとすれば、どこかで待機している摩矢さんに狙撃される!

 いくら保護とはいえ、妖怪でも女の子が狙撃されるのを見るのはあまり良いものではない。

 が、そんな僕の心配もよそに三池さんは不敵に笑った。


「今回は前の様にはいかないわよ。何のために、ここに逃げてきたと思う?」


 僕は辺りを見渡した。

 ここは四丁目からも外れた大通りだ。

 降神新駅に近く、商業施設もあるため、人通りもそこそこ多い。

 道行く人は僕達のただならぬ様子に足を止める者もいる。

 ちなみに、この町で妖怪そのものは珍しいものではないので、単に興味本位だろう。

 三池さんは優雅に二本の尻尾をくねらせた。


「この人ごみで鉄砲が使える?」


「うっ…」


 確かに…これでは狙撃は無理だ。

 摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)の腕なら、命中させることは容易だろう。

 だが、妖怪が妖怪を捕えるために、人ごみに向けて銃器を発砲したという事実は、正直好ましい結果とは言えない。

 摩矢さんもそれは心得ているようで、一向に銃弾は飛んでこなかった。

 ううむ…やるな、三池さん!


「じゃあね、十乃君。今度こそ、さよなら」


手を振って、立ち去ろうとする三池さん。


「そうはいかない」


 その前に立ち塞がる小柄な影。

 背中に背負った猟銃に、見ているだけで暑さを助長する毛皮の上着。

 摩矢さん!?


「…アンタ、誰?」


 声に敵意を宿す三池さん。

 彼女の出で立ちと妖気に感じるものがあったのか。

 摩矢さんは無言のまま、三池さんを見つめ返す。


「誰って聞いてんだけど?」


「砲見 摩矢」


 言葉少なに名乗る摩矢さん。


「君を捕まえに来た」


 三池さんの目が、すぅっと細くなる。


「ふうん…ね、その銃ホンモノ?」


「君の身体に聞くといい」


「そう、やっぱり…ね」


 指先をペロリと舐める三池さん。

 その爪が、鋭く伸びた。

 そのまま、ニッコリと微笑む。


「この前は、素敵なプレゼントをありがとう♪」


 …三池さんの目が笑っていない。

 だが、仕方がない。

前回、摩矢さんの濃縮マタタビ弾を受けた彼女は、へべれけに酩酊し、そして…


「あの変な弾丸のおかげで、信じらんないくらいキッツイ二日酔いになれたわ」


「…」


「何でVサインなのよっ!?」


「作るの、苦労した」


「知るかぁっ!」


 怒り心頭の三池さんが、爪を閃かせ、摩矢さんに襲い掛かる。

 だが、摩矢さんはそれをかわし、街灯に飛び乗った。


「君、狂暴」


「うっさい!七代祟ってやる!」


 よほど辛い目に遭ったのか、三池さんは完全に逆上していた。

 猫独特の敏捷性を発揮し、矢ような速度で摩矢さんを追いかけ回す。

 一方の摩矢さんも、ことごとく彼女の追撃を避け、街灯から街灯へ逃げ回っていた。

 …さすが、摩矢さん。

 地上を逃げ回れば通行人を巻き込みかねないが、空中ならその心配もない。

 それも知らず、地上の見物人が、忍者のように飛び回る二人の空中戦に歓声や拍手を送る。

本当に日本は今日も平和だ。

 しかし、このままでは三池さんの捕縛も叶わない。

 摩矢さん、一体どうする気なんだろう?


「さあ、追い詰めたわよ!」


 三池さんは舌舐めずりして、身構える。摩矢さんの周囲には飛び移れそうな街灯が無い。


「仕方ない」


 懐から何かを取りだす摩矢さん。

 よく見ると…いや、よく見なくても分かるそれは「ネコジャラシ」だった。

 手に持って振ると猫がじゃれつくアレである。

 ま、まさか…


「ほれほれ」


 まんま猫をあやすみたいに、ネコジャラシをフリフリ振る摩矢さん。

 彼女自身が無表情なため、ことさら挑発しているように見える。


 …というか、摩矢さん…いくら猫又でも、そんなんで引っかかるとは…


 三池さんは顔を伏せてワナワナ震えていたが、案の定、凄まじい眼光を湛え、摩矢さんに襲い掛かった!


シャアーーーーーッ!」


 鋭い爪が摩矢さんを八つ裂きに…しなかった。


「ほれ、こっち」


「にゃあ!」


「はい、あっち」


「んにゃん!」


 をいをい…

 お約束的な展開だが、ネコジャラシを巧みに操る摩矢さんに、三池さんは完全に弄ばれていた。

 尻尾を振りながら、右へ左へネコジャラシを追い掛ける三池さん。

 …悲しい猫のさがである。

 ひとしきりじゃらし回すと、


「そーれ」


 摩矢さんはネコジャラシを上空に放り投げた。


「にゃーん!」


 空高くジャンプし、見事口でキャッチする三池さん。

 その瞬間、我に返ったように下を見下ろした。

 彼女の目に映ったのは、自分を見上げる人の輪と、街灯の上で吹き矢を構える摩矢さんの姿。


「あ、ズル…」


 吹き矢は見事三池さんのお尻に命中した。

 地上に撃墜された三池さんは、例によって泥酔し始める。


「ふにゃあ~、せかいがぁ、グるグるぅ、まわってぇル~」


 …ああ。また僕が主任に大目玉を食らうんだな、これは。


「確保した。さあ、帰ろう」


「は、はい」


 摩矢さんは、呂律ろれつが回っていない三池さんを手早く縛り上げると、ズリズリ引きずっていく。

 体裁はまんま「狩人と今日の獲物」である。

 集まった通行人も、興味を失ったように散っていく。

 主任への言い訳を考えながら歩いていた僕の前に、一人の男性が立ちはだかったのは、その時だった。


「失礼。君達は役場の職員だね?」


 顔を上げると、目の前に五十代くらいの男性がいた。

 ゆるいウェーブがかかった前髪をしきりに撫でつけている、長身の優男である。

 上質なスーツ姿から、気品みたいなものも感じられた。


「え、ええ。そうですが…貴方は?」


 戸惑いながらそう言うと、男性は優雅に一礼した。


「おっと、失敬。私はこういう者です」


 取り出した名刺を差し出す男性。

 受け取って見ると、


Italianイタリアン Restaurantレストラン MISTRALミストラル オーナー兼シェフ 織部おりぶ


 と書かれていた。

 聞いたことがある。

 『MISTRAL《ミストラル》』といえば、確か降神新駅周辺で行列ができるくらいに繁盛しているという、イタリアンレストランだ。

 何でも本場イタリアで学んだシェフによる極上の料理が、そこそこの値段で食べられるということで話題になっている店だ。

 若い女性に大人気で、役場の女性陣が噂話で話しているのを聞いたことがある。

 ってことは、この人がそこのシェフ!?


「先程の一幕を拝見させていただきました。実にFantasticoファンタスティコ!(素晴らしい)」


 大仰に両手を広げ、感嘆の意を示す織部氏。


「はぁ…」


 目を丸くする僕に、織部氏は更に驚くべき言葉を放つ。


「お願いがあります。ぜひ貴女達に私の店を助けていただきたい」


 そう言いながら、織部氏は摩矢さんの前で跪ひざまずき、その手を取ったのだった。

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