第四章 逢魔が刻に宴は続く 『降神町 夏の陣』~一反木綿・赤頭・針女~
【十七丁目】「『第壱回降神町グルメ決定戦』?」
「ついに来たか…!」
薄暗い部屋の中、一人の男がそうつぶやいた。
年の頃は50代くらい。短く刈り込んだ頭には、白いものが混ざっている。
太いまゆ毛はそのまま頑固さを表し、がっしりとした体格は
手には握られた一枚のチラシ。
それを握りしめる男の瞳には、炎が燃え盛っている。
「今年こそは、今年こそは…完膚なきまでに叩きのめしてくれる!」
時を同じくして、別の場所で。
「フッ…待ちわびましたよ、この日が来るのを」
不敵な笑みを浮かべる一人の男。
年の頃はやはり50代そこそこで、ウェーブがかった髪が特徴的だ。
甘いマスクとスラリとした長身の優男だが、全身からただならぬ覇気を放っている。
その手には、全く同じチラシがあった。
「今年は昨年のようにはいきません…せいぜい首を洗って待っていることです」
男の口調は冷静だったが、その瞳は冷たい刃の輝きを宿していた。
何が彼らを駆り立てるのか。
分かっているのは、彼らが並々ならぬ意気込みを持ち、何かに臨もうとしているということである。
そして、その原因は二人の手にあるチラシが鍵となっているようだった。
後に語られる「
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日差しが日に日に強さを増す今日この頃。
梅雨明け間近の青空が、夏の到来を告げている。
ニュースでは、連日「昨年を越える」とか「過去最高の」とか、個人的には暑さが増すから伝えて欲しくないワードで、気温の上昇具合を流していた。
ちなみに降神町役場は、公共施設ということで、エコ宣言も行われており、電気節約を目的に空調も適正温度が保たれている。
それが暑さを和らげる効果があるかどうかは、個人差がある。
僕…
地球温暖化による気温上昇は、人類によるどうしようもない自業自得なのだが、あと2℃、いや1℃だけでも設定温度を下げて欲しいと思う。
特に今日みたいな日に外回りから帰えると、その思いもひとしおだ。
ぐったりとなる身体を引きずり、特別住民支援課に戻って来ると、暑さを際立たせるようなダミ声が聞こえてきた。
「…という訳で、どうかひとつ頼まれてくれねぇか」
見ると、窓口に来た一人の男性が、そう言いながらしきりに頭を下げている。
男性は大柄でがっしりとした体格だった。白い作務衣みたいな服を見ると、どこかの飲食店関係のように見える。
…はて、どこかで見たような?
一方の拝まれた相手…妖怪“
「つーわれてもなぁ…」
苦情で市民がやって来ることはあるが、拝み倒しに来る人は当課でも初ではないだろうか。
とにかく、あまりお目にかかれない構図だった。
「あの人、どなたですか?」
自席に戻り、
彼女も興味があるのか、チラチラと窓口の方を見ている。
「『
「ほら、駅前商店街にあるお
相変わらず、前後の口で巧妙にしゃべる“二口女”の二弐さん。
ああ、思い出した。
蕎麦屋『玄風』…降神駅前商店街にあるそば屋だ。
江戸末期から続く老舗で、薫り豊かな風味の手打ち蕎麦が売りである。
何度かテレビの取材も来たほどで、それで男性の風貌にも見覚えがあったのだ。
僕自身も何度かお店に行ったことはあった。
噂にたがわぬ美味しさで、感嘆した記憶がある。
ちなみに親方は人情あふれる昔堅気の職人で、頑固一徹で有名な人物だ。
その当人が、役場の窓口で頭を下げているのが解せない。
僕は小声で二弐さんに聞いた。
「間車さん、また何かやったんですか…?」
「そんな雰囲気じゃなさそうだけど…」
「親方さん、さっきからあの調子で頭下げてるし」
「そうなんですか?」
「もう一時間は経つかしらね」
「何か頼まれてるみただけど…」
「…すごいな、親方が土下座に移行しましたよ」
「何だか只事じゃないわねぇ」
「他にお客さんが居なくて良かったわぁ」
「あ、ついに男泣き」
「さすが親方さん、押しが強いわね」
「
「今度は間車さんの肩掴んで、
「あー、もうそろそろ限界ね、アレは」
「あーゆーのに弱いもんね、輪ちゃん」
「おお、ついに笑顔に…」
「勝負あったようねぇ」
「相手が悪かったって感じね」
先の涙はどこへやら、喜色満面で間車さんの手を取り、強引な握手をする親方さん。
会話の内容は全く不明だが、間車さんが一方的な敗北を喫したのは明白だ。
意気揚々と帰って行く親方とは対照的に、暗い表情で戻ってきた間車さんは、力尽きたように自席で突っ伏した。
「あの…お疲れさまでした、間車さん」
「おー…」
恐る恐るも声を掛けると、机上でダウンしたまま、蚊の鳴くような声で応える間車さん。
精も根も尽き果てた感じである。
「ねぇねぇ、何頼まれてたの?教えてよ!」
「面白い話?面白くない話?」
この辺、二弐さんは相手がどうあれ容赦がない。
トークに長けた彼女は、話題の収集にも余念がないのだ。
「あー…どっちかってーと、あたしは面白くないかなー…」
そう言いながら、間車さんは親方から受け取ったらしい紙を差し出した。
「えー、なになに?」
「…なぁんだ『
覗き込むと、二弐さんの手には、花火や浴衣の男女が写った夏祭りのチラシがあった。
ああ、そう言えば、来月だったっけ。
『降神祭』は、僕の子どもの頃から行われている夏祭りだ。
出店に盆踊りに花火の打ち上げ、と極めてオーソドックスな夏のイベントである。
とはいえ、町を代表するイベントなので、毎年それなりに賑わっていた。
小学生の頃は、よく祖父ちゃんや妹と遊びに行ったものだ。
「…で、これがどうしたのよ?」
「親方の頼み事と何か関係あるの?」
「去年、そいつが原因でちょっとした揉め事があったろ?」
間車さんは顔だけ上げて続けた。
「ほれ、屋台の場所がどーだのって」
「ああ、そう言えば…駅前商店会と商友会で、ひと悶着ありましたね」
僕は記憶をさかのぼった。
「確か、それが原因で今年の開催は怪しいって聞きましたけど」
突然だが、降神町の商業施設は、大きく二つに分かれている。
北部にある「降神駅」を中心に中小商店が集う商店街。
まとめるのは「降神町駅前商店会」で、地元の商店を中心に構成する団体だ。
在来地区に根差しているせいか、団結力もあり、地元の覚えも良い。
反対に、南部にある「降神新駅」周辺には、デパート・スーパーなど新進の大型店が集う商業施設集積地がある。
こちらは「降神商友会」がまとまり、相互支援をしている。
新興住宅地から近く、お洒落な施設が多いため、若者に人気のショッピングエリアだ。
南北はお互いの特色を売りに、それぞれの客層を相手に賑わいを誇っていた。
しかし…
たった一つだけ、二つの地区を対立させるものがあった。
いや、正確に言うと「生まれた」のだ。
発端は、昨年度の『降神祭』だった。
従来「駅前商店会」のみで主催していたこのイベントに、新しい血を入れようと「商友会」の店舗に声を掛け、出店を募ったのだが、この出店が結構な売り上げを叩き出した。
「駅前商店会」としては,それだけでも面白くないのに「商友会」のある店舗が、夏祭りの駄目出しを行ったらしく「駅前商店会」の店舗と揉めに揉めたらしい。
「商友会」の店舗にしてみれば、改善策を提案したのだろうが、従来の方法で運営をしていた「駅前商店会」は余程頭にきたのだろう。
「売り上げが良かったのは、優先的に良い場所を譲ったからだ」と吹聴し、これが尾を引いて、お互いの関係は最悪の状態と化した。
「けど、どっちの首脳部も祭りは続けたいってのが本音らしくてな。互いに譲歩して、何とか共催できる目処はたったようだけど、結局、場所取りで遺恨が再燃してるらしいぜ」
「へぇ…でも、それと『玄風』の親方とどう繋がるんです?」
間車さんは、答えずに深い深いため息をついた。
そこに、
「つまり、遺恨があるなら、そいつから何とかしようってことになった訳だ」
「
いつの間にか背後に立っていた主任。
あー、びっくりした!
「この争いの根は、祭りにおける出店の場所云々、にある」
主任は眼鏡を光らせながら続けた。
「つまり、店の質そのものに優劣はない…と双方が考えているなら、手っ取り早く決着をつければ良い」
「でも、そんなことって…」
「…どうやって?」
二弐さんの疑問に、黒塚主任はフッと笑った。
「簡単だ。お互いに少数精鋭を繰り出し、真っ向勝負を行う」
…えっと…
それは分かるんだけど、何か話の流れが変だ。
「そして、そのための場を、町で設けることになった」
黒塚主任は、手にしていた資料を僕達に手渡す。
「『第壱回降神町グルメ決定戦』?」
「何です、これ?」
二弐さんが目を丸くする。
「今朝の部課長会議で、急遽通達された」
腕を組む黒塚主任。
「町内の商業振興を
「つまり…
「そうだ。町でイベントを企画し、公衆の面前で両者の代表が雌雄を決する。誰も文句のつけようがあるまいよ」
確かに。
そんな場では、相手の勝利にイチャモンのつけようもない。
完全な決着方法だ。
「その為、今回は全職員にこのイベントのバックアップに回ってもらう事になる」
それを聞いた途端、ガバッと起き上がる間車さん。
「じゃあ、あたしもそっちに回る!」
何故だか、すがるような表情だ。
…一体、親方に何を頼まれたのか。
「間車、お前は別だ」
事情を知ってか、黒塚主任は無情にもそう告げる。
「先程の一幕は見た。お前は彼に協力しろ」
「え?」
「彼の店舗は、高確率で代表として出てくるだろう。いいタイミングだから、店に潜り込め。後は追って指示する」
間車さんは、再び机に突っ伏した。
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