【番外地】「どうだ、退屈しないだろう?」

 そして。

 引き金は引かれた。


 放たれた弾丸は、狙いを違たがわず、黒塚くろづか 姫野ひめの鬼女きじょ)の心臓に命中…する寸前で甲高い音をたて、四散した。


「いい腕だ」


 一体どこから取り出したのか。

 身の丈程の巨大な出刃包丁を盾に、身を守った黒塚は不敵に笑う。

 一方、野鉄砲のでっぽうは忌々しそうに舌打ちした。


「私が嘘つきか…何故、そう思う?」


 出刃包丁を肩に担ぎながら、黒塚が樹上の野鉄砲を見上げる。


「お前の目、嬉しそうだった」


 野鉄砲は銃を構えたまま、感情のない声で告げた。


「お前、殺すのが好き…いま、私も殺す気だったろう?」


 黒塚の表情は動かない。

 そんな彼女に野鉄砲は戦慄していた。

 何しろ、彼女は引き金を引こうとして引いた訳ではない。

 黒塚から発せられた殺気のあまりの濃さに、思わず引き金を引いてしまったのだ。


(何て奴)


 頭上を確保し、飛び道具を持ち、距離をとった自分の方が、圧倒的優位にある筈だ。

 にもかかわらず、喉元に刃を突き付けられたような錯覚が、まとわりついて離れない。

 刃といえば、あの巨大な出刃包丁も油断がならない。

 一瞬前まで、素手だった黒塚の手に、魔法のように現れたのである。

 大きさと重量も相当なものだろうが、黒塚は片手でそれを振るい、弾丸を防いだのだ。


「さて、な。だが、基本的に話し合いに来たつもりなんだが」


 ザン…!!


 手の巨大包丁を、傍らに突き立てる黒塚。


「野鉄砲よ。話をしたくないなら、それもいい。代わりに私と一緒に行かないか?」


「…どこに?」


「妖怪が人間と共に暮らせる町だ」


「行かない」


 野鉄砲の銃口は動かない。

 黒塚は少しの沈黙の後、尋ねた。


「何故、人を嫌う?」


「人間は自分勝手だ」


 迷いのない答えだった。


「欲深で、自然も汚す。それに…」


「それに…?」


「…弱いくせに、に行きたがる」


 ほんの少し。

 野鉄砲の声が揺らいだ。

 黒塚は微笑した。


「何だ、お前こそ嘘つきだな。しかも嘘が下手だ」


「…うるさい!」


 初めて野鉄砲に怒りの感情が浮かぶ。

 同時に引き金が引かれた。

 放たれた弾丸は、黒塚の左へ逸れる。

 外れた…と思われた弾丸。

 しかし、その軌道が突如、直角に曲がった。


暗夜蝙声あんやへんせい】…野鉄砲である彼女が持つ、必殺の妖力だ。


 この妖力を発動すると、彼女が放つ飛び道具、果ては投擲した物体まで、自動追尾させることができるのである。

 まさに、闇夜の中、全ての障害物を避けて飛ぶ蝙蝠こうもりのように。

 黒塚にしてみれば、巨大出刃包丁で防ぐにも、地に突き立てたままの上、右手側にある。

 野鉄砲は、計算高くも防ぎようのない左側からの死角を急襲してきた。


 しかし…


 必殺の弾丸は、またも防がれた。

 黒塚の左手に突然出現した、もう一つの出刃包丁によって。


「…お前、何なんだ…?」


 呆然と呟く野鉄砲。

 黒塚は凄まじい笑みをたたえ、告げる。


「なに、ただの鬼さ」


 額から二本の角が生え、口元からは鋭い牙が覗く。

 野鉄砲は改めて戦慄した。


「思い出した。“黒塚”って…お前、安達ヶ原の…」


「今はしがない公務員だ」


 出刃包丁を一瞬で消すと、黒塚は元の姿に戻る。

 野鉄砲はようやく銃口を下ろした。


「…何故?」


「うん?」


「何故、お前程の妖怪が人間に協力する…?」


 野鉄砲は信じられない、といった風だった。


「知りたいなら、共に来い。いずれ、お前にも分かるだろう」


「妖怪が人間と暮らす町…」


「そうだ」


 黒塚はふと微笑した。


「存外、退屈せんぞ?」


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十乃とおの


 挨拶をして、退室していく際、ふと黒塚はその部下を呼び止めた。

 今年度、新規採用で配属された若い男性職員だ。

 とりたてて特徴がないのだが、妙に妖怪受けがいい。

 本人は人間なのだが、珍しく妖怪に偏見を持たない変わり者だ。

 呼び止められたその新人は、きょとんとした顔で、黒塚を見ている。


「特に何も無かったか?」


 黒塚は真顔で尋ねた。


「ええ。何もありません」


 一瞬だけ、目を泳がせる新人。

 その機微を黒塚は見逃さなかった。

 しかし…


「…そうか。すまんな」


 そう告げると、窓の外へ目を向ける。

 新人が退室すると、黒塚はクスリと笑った。


「どいつもこいつも、嘘が下手だな」


 外はもう夕刻だ。

 あの日、野鉄砲…砲見つつみ 摩矢まやと出会ったのも、こんな夕暮れ時だった。

 先程の砲見の様子を思い出し、もう一度、黒塚は笑う。


「どうだ、退屈しないだろう?」


 黒塚は、そこに居ない彼女に語りかけるように、そっと呟いた。

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