【十四丁目】「人間だね」
「嫌じゃ」
平安時代のお姫様のような麗人…妖怪“
彼女と出会い、はや一時間。
話し合いは、依然平行線のままである。
僕は萎えかける意思を維持しようと、必死だった。
「え、えーと、でも、ですね。このままでは付近の皆さんも困るでしょうし…」
「嫌なものは嫌じゃ」
樹御前は、頑として承諾してくれない。
さすがに千年の時を生きた古い妖怪だ。
説得は難航の極みにある。
事の起こりは昨年の夏だった。
当時、大型台風の直撃を受けた日本列島だったが、
しかしながら幸いにも、人的被害はほぼ皆無。
被害も市街地では一部床下浸水と停電がほとんどだった。
だが、
山を背にした集落ゆえ、急傾斜地が多いことが災いしたのだろう。
土砂は人家の寸前で止まり、事なきを得たが、地元住民からは早期災害対策の声が高まった。
事態を重く見た町役場は、今後、土砂崩れが起きそうな地区に、防災用のコンクリート保護壁を設けるなど、工事計画を練り始めた。
しかし、ここで問題が生じた。
計画地区には“
そして、彼女と工事担当課との交渉は芳しいものではなく、困惑した住民も、宮司の星宿ほしやどりさんを仲介役に立てて交渉を試みたが、議論は平行線をたどる一方。
しかも「工事計画を見直さない場合、森を廃してこの地を去る」と最後通帳まで突き付けられたのである。
どうにも行き詰まったため、対妖怪部門である特別住民支援課…つまり、僕達に白羽の矢が立った訳だ。
「
樹御前は、
「先の嵐以降の民草の不安は分かるし、そなたら役人の立場も理解しておる」
「では…」
「しかし、妾はこの地に生じて千年に渡り、この森を守護してきた」
そこで、樹御前は手にした扇子で口元を覆った。
「それにの、この森は大地から木々の末枝に至るまで妾の身体と同一。この肌を、そなたらの無粋な機械に弄いじくり回されるなど、耐えがたい
ちろり、と流し眼で見られ、僕は何となくどぎまぎした。
…こほん。
へ、変な想像なんかしてないぞっ!
とにもかくにも、交渉はここで堂々巡りになっているのである。
僕としても、彼女の言い分が分からない訳ではない。
だが、このまま放っていてもいい問題でもないのである。
この手の問題は、人の生活圏と妖怪の住処が接する地域では、避けては通れないものだ。
長く放置すれば、こじれにこじれ、最悪の結果、
ここは、説得は無理でも、可能な限り妥協案だけでも引き出したいところである。
僕は意を決した。
よくある手だが、まずは相手の良心に訴えることにする。
一見取り付く島もないようだが、樹御前は人間と共存をしてきた存在だ。
こちらの窮状にも、全く理解が無いわけではないようだし…
「御前様、地元の人達もこの森を大切にし、御前様を神事に招き、長く信仰してきたと伺っています。そこを汲んで、お互いにできる譲歩について考えていきませんか?」
「…人の子よ。知らぬのか」
樹御前の視線に険が生まれた。
「かつて、この森は今よりずっと広大であった。そこに手を加え、里を築いたのが今の民草の祖先じゃ。その時も妾は、土地を失い、
おそらくは相当昔の話なのだろう。
古多万神社が建てられた頃の話かも知れない。
「その後、人は増え、里が栄える陰で、妾は幾度となく民草の願いを呑み、耐えてきたのじゃぞ。まさに譲歩の連続よ」
彼女の苛立ちには悲しみが混じっていた。
遥かな昔、ここは緑の楽園だったのだろう。
静かに暮らしていた彼女の元に、突然現れた人間達が、それを切り拓き、集落を成した。
人間達は彼女を祀り、彼女も共存を良しとたが、それでも彼女の善意に甘え、森は開かれていったのだ。
つまり、彼女に比べて短命な人間には考えもつかないくらい、彼女は長い間譲歩をしていたという訳か…
「のう、人の子よ。妾は一体、どこまで譲歩を続ければ良い?もはや、この身はそなたらの
僕は答えられなかった。
今まで考えていた妖怪かれらに対する認識が、いかに人間としての立場から見たものでしかなかったのかを知ったからだ。
交渉の限界を感じた。
「…すまぬのう、人の子よ。妾は意地悪をする気はない。ないが、歯止めが効かなくなる前に、妾は妾自身を守らねばならぬ」
樹御前は、そう言うと背を向け、大樹に溶け込むように姿を消した。
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帰り道は僕も
日はまだ高いが、樹御前の説得・保護は失敗。
彼女の言い分には非が無く、長い歴史の中に身勝手な人間の都合があっただけだった。
「…どうするの?」
ふと、砲見さんが尋ねてきた。
僕はうまく言葉が出せない。
単純に「話せば分かってくれる」という考えで臨んだ自分が、いかに甘かったかを思い知った。
就職して半年そこそこだが、自分はこの仕事にやりがいを感じている。
妖怪達と接していくうちに、彼らの持つ魅力も見えてきた。
もちろん、全てがうまくいってきた訳ではないが、それでも続けてみたいと思った仕事こと。
今回は、その仕事をこなせなかったことや、
それは、この仕事に絶対に必要なことだった。
「分かりません…」
「諦める?」
砲見さんの声に感情はない。
(…それが良いのかも知れない)
そんな考えが頭をよぎった。
このまま帰って、主任に報告しよう。
ガッカリされるだろうが、先輩方が何とかしてくれるだろう。
やはり、この案件は自分には荷が重かったのだ。
「一度帰って、主任に報告しようと思います」
砲見さんは無言だった。
「樹御前の言い分は正しいと思いますし、僕にはうまく説得できる自信がありません」
「そう」
「僕は…」
少し
「何も分かってなかったんです。妖怪達の実情も考えず…うまく丸め込もうとしました。何とか、相手に譲歩させることばかり考えていたんです。そんなことしても、何の解決にもならないのに」
いつの間にか、僕は立ち止まっていた。
背後の砲見さんは、やはり無言だった。
呆れているのかもしれない。
しかし…
「人間だね」
砲見さんがポツリと呟いた。
振り向くと、砲見さんと視線が合った。
その手には愛用の猟銃。
銃口は僕に向けられている。
「自分達のことしか考えず、狡ずるくて、そのくせ弱い」
僕は…
その目に硬直した。
彼女は砲見さんではない。
人の脅威。
闇に近い異種族。
妖怪だった。
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