【十三丁目】「ここからが“北無の森”です」

 この地にある「古多万こだま神社」は、代々、星宿ほしやどり家が宮司を司ってきた神社だ。

 星宿さんの家から程なく歩くと、木々が生い茂った小高い山があり、その上に鎮座している。

 それほど大きいわけではないが、鎮守様として親しまれており、毎月神事が催されるなど、地元の人々からの信仰も厚いという。

 星宿さんの話では、その起源は古く、平安時代の文献が見つかったこともあるとのことだった。

 その神社の北側に“北無きたなしの森”という、深い森がある。

 言い伝えでは、踏み入った者は、その名の通り北…即ち、森の真反対にたどり着くことが叶わないという。

 それだけ森が深いのか、方角が分からなくなるほど広いのか、或いは両方なのかは分からない。

 さらに、入った者は二度と帰ってこないとされ、そこから「北無=来た無し」という名前にも掛っているとされる。

 そのため、地元ではいわゆる禁足地になっていた。

 伝説はともかく、神社の所有地でもあるため、立ち入る者はいない森だという。


「それだけでなく、古くから妖怪が住まう森だったということもあるんでしょうな。人が寄り付かない場所になっております」


 社に続く石段を上りながら、星宿さんが付け加える。

 宮司ということもあり、慣れているのだろう。

 息一つきれた様子が無い。

 反対に僕は返事もできないほど、息を荒げていた。

 何しろ二百段近い石段を延々と上って来たのだ。

 体育会系ではない身には、非常に堪える。

 砲見つつみさん(野鉄砲のでっぽう)はというと、こちらも健脚なのか、変わった様子はない。

 ただ、自然豊かな環境に来たせいか、心なし機嫌がよさそうだった。


「ここからが“北無の森”です」


 本殿の真後ろから北に延びる小道。

 それをたどった先の広場で、星宿さんが立ち止まる。

 大きな木がトンネルのような形に伸びており、その幹を繋ぐように、太い注連縄しめなわが張られていた。

 その脇には「ここから先立ち入るべからず」と書かれた、非常に古い木札が立っている。

 注連縄の先は、より薄暗い森になっており、快晴の今日でもひんやりと涼しい風が吹いてきた。

 それに乗って、木と湿った土のにおいも漂ってくる。


「うわぁ…深そうな森ですね」


 奥が見えないほどの森を覗きこみ、僕は感想を漏らした。

 正直、降神町おりがみちょうに、こんな森が残っていたのかと感心する。


「おひい様は、この森の奥にお住まいです」


 「お姫様」とは、星宿さんから先程聞いた妖怪“彭侯ほうこう”の尊称だ。

 宮司である星宿さんは、年に数度、神事の際にそのお姫様に会う機会があるという。

 彼女と古多万神社の関連性は、星宿さん自身もはっきりとは分からないらしい。

 しかし、代々の宮司が「お姫様」と呼ぶこと、神事の席に現れることを考えると、この神社の祭神が彼女と同一の可能性は高い、とのことだった。


 付け加えると、それだけに説得が困難であると言える。


 妖怪達の中には、人間社会に馴染もうとする面々が増えてきているが、実はそのほとんどが現代に近い時代の妖怪だ。

 要は新しい時代に誕生した分、人間に対する理解があるのである。

 逆に古い時代から存在する妖怪は、彼らに比べて力も強く、比較的頑固者が多い。

 つまり、説得するにも僕達の声が届きにくいのだ。

“彭候”は千年以上経った古木に宿る、半ば精霊に近い妖怪である。

 それほど時を重ねた存在だと、説得に手間取る可能性は高い。


「分かりました。早速、面会してみます」


「本当に私も同行しなくてよろしいのですか?」


 不安そうに聞いてくる星宿さん。


「大丈夫です。争いに来たわけではないですし、こちらも無理はしませんよ」


 僕は手の中の小さな木製の手形を見せた。


「この通り、特別住民ようかい用の身分証明書も持ってますし、それに砲見さんもいますしね」


 この手形は、特別住民支援課の職員に配布されるもので、所有者が公的機関に属する者であることを表すものだ。

 よく分からなかったが、説明では「神霊クラスの存在の公印が押してある」らしい。

 これを持っていれば、とりあえずその加護が働き、妖怪達から乱暴な扱いはされないという、便利グッズなのだ。

 また、それ以外にも、様々な効果があるという。

 …そうそう、神様に近い存在も、ハンコを持っているのかと変なところで感心したっけ。


「念のためですが、一日以上経っても僕達が帰らなかったら、役場の特別住民支援課に連絡をお願いします。それから、星宿さんや住民のみなさんも、絶対にここには立ち入らないでください」


「分かりました。お二人ともどうか気を付けて」


 星宿さんの見送りを受け、僕と砲見さんは森に足を踏み入れたのだった。


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 人も踏み入らない土地に入るのは、実はこれが初めてではない。

 役場に入って半年近くのうちに、何回かこうした土地に分け入ったことがあった。

 都市部に馴染んだ妖怪はともかく、昔ながらの住処にこだわって住んでいる皆さんは、こちらから出向く必要があり、なかなかの難所に住む方々も多いのである。


 …多いのであるが。


「つ、砲見さん、少し、休みましょう…」


「…仕方ない」


 一人で先を行く砲見さんが、ため息をついて戻ってきた。

 皆さん、呆れるなかれ。

 先程の石段でかなり消耗した上、この森の歩きにくさは、これまでの経験を軽く超えていた。

 一応、石畳でできた道らしきものはあるようだが、永年放置されたせいか、木の根に押し上げられており、ひどい状態だった。

 おまけに苔に覆われているせいで、ひどく滑る。

 復路を考えて、本気で気が滅入った。

 僕は、近くの木の根に腰掛け、汗を拭いた。


「もうだいぶ歩いた気がしますが、まだですかね…?」


 星宿さんによると、森の奥にあるクスノキの大樹に、くだんのお姫様がいるという。


「妖気が近い。たぶんもうすぐ」


 休む前に、油断なく周囲をチェックする砲見さん。

 この辺はさすがにベテランである。


「とりあえず、段取りを確認しましょう」


 せっかくの時間を無駄に費やす必要はない。

 僕は息を整えつつ、続けた。


「とりあえず、最初に僕だけで接触し、相手と交渉してみます。砲見さんは、隠れて様子を見るということで」


 コクリ、と頷く砲見さん。


「基本、荒事にはならないと思いますが、万が一の時はお願いします。その際も、なるべく穏便に済ますということで」


「分かった」


 背中の銃を確認する砲見さん。

 古ぼけているが、よく手入れされた彼女愛用の逸品だ。

 使い込まれた見た目が物騒そのものだが、実はこの銃、実弾が撃てない。

 正確にいえば、撃てなくはないが、さすがに問題があるので、普段は彼女自身の妖気を弾丸として放つ仕様になっているという。

 つまり、実弾ではないので、命中しても衝撃はあるものの、殺傷能力はほぼ皆無とのことだった。

 用途に応じた特殊な実弾も所有しているようだが、それも相手を無力化するだけで、殺すに至らない物だという。

 あまり想像したくないが、相手の出方によっては、彼女の銃にお世話になる可能性はある。


「では、そろそろ行きましょう」


 一息ついた後、僕達は再び森の奥へと進んだ。

 進めば進むほど、道は悪くなっていく。

 いい加減、二回目の弱音を吐きそうになった時、不意に前を行く砲見さんの足が止まった。


「ここみたい」


 疲労で前も見ず歩いていた僕は、顔を上げ、目の前のその光景に思わず暴れる息を呑んだ。

 「森の主」という表現がピッタリだろう。

 壁と見まごうような太さの幹に、見上げれば星空のような暗さを広げた枝と葉。

 越えてきた時の長さを、節くれだった瘤や広がる苔の量が物語っている。

 以前、テレビで見た離島の巨木もかくやという、大きなクスノキが、そこにそびえたっていた。


「じゃ、私は隠れるから。頑張って」


 砲見さんは、そう言うと圧倒されたままの僕を後に、背後の木に跳躍した。

 常人離れしたジャンプ力で、あっという間に姿を消す。

 一人残された僕は、深呼吸してから巨木に向かって一歩踏み出した。


「こんにちは。僕は降神町役場から来た、特殊住民支援課の十乃とおのといいます。今日はお話があってお邪魔しました」


 そう呼び掛けるが、何の応えもない。

 ざわざわ…と、風が木々を揺らす音だけが響く。


「すみません!こちらに彭侯さんがいらっしゃると聞いて伺ったんですが!」


 今度は少し大きな声で呼び掛ける。

 しかし、やはり答えはない。

 仕方なく、さらに大声を出そうと息を吸い込んだ時、


「騒がしいの」


 ふわり、と女性の声が木霊した。

 同時に、木々のざわめきが止まる。


 そして。

 目の前に一人の女性が立っていた。


 鮮やかな草色の十二単が目に映える。

 美しい黒髪は、玉虫色の光沢を放ち、深緑の瞳が悠久の時を映す。

 平安の雅が具現化したようなその麗人は、鈴が鳴るような声で静かに問い掛けた。


わらわに何の用じゃ?人の子よ」


 僕はただ立ち尽くした。


 違う。

 今まで会ったどんな妖怪とも。

 風格、とでも言うべきか。

 普通の妖怪には無い神聖さがある。

 ただ在るだけで、その場の空気が浄化したような…そんな感じがした。


「今度はだんまりかえ?」


 少し小首を傾げる麗人。

 僕は、弾かれたように直立不動に居直った。


「は、はい!あの!ここに彭候さんがいらっしゃると伺いまして!」


 僕は、おずおずと麗人を見詰めた。


「…もしかして、その…貴女が…!?」


 微笑を浮かべる麗人。


「いかにも。妾が彭候じゃ。人は、妾を樹御前いつきごぜんと呼ぶ」

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