【十二丁目】「どうか、彼女を止めて欲しいのです」

 降神町おりがみちょう中心市街地の周囲には、水田や耕作地、里山などが広がっている。

 三方を山に囲まれているため、そこからの肥沃な水や土に恵まれており、昔から多種多様な農産物が栽培されている。

 特に米の生産量は、なかなかのもので、酒などの加工品も種類がそろっていた。

 また、いくつかの自然の森や河川・湖沼も点在するため、休日を釣りで過ごすのが趣味の僕にとって、ありがたい立地である。

 そんな土地なので、市街地から車を一時間も走らせると、風景はとてものどかなものになる。


「は~、いい天気ですねぇ」


 広大な水田の中を走る一本道を公用車で進みながら、僕は青空を見上げた。

 カラッと晴れたこんな日は、自然の風がとても気持ち良い。


「こんな日は仕事も忘れて、ドライブなんていいですよねぇ」


 現在、車内には僕一人。

 では、僕は誰に話しかけているというと…


『そうね』


 くぐもった声が、後ろから聞こえてくる。

 繰り返すが、車内には僕以外に誰もいない。

 では、声の主はというと…


「…砲見つつみさん、もう街中は抜けましたし、トランクから出てきませんか?」


 でないと、僕が独り言を延々と呟く危ない人に見える。


『いい。ここ嫌いじゃないから』


 …そうですか。


 この声の主は、今回一緒に仕事についた、同じ特別住民支援課の砲見つつみ 摩矢まや野鉄砲のでっぽう)さんだ。

 役場を出る際、車に乗ることを拒んだ彼女を説得すること30分。

 ようやく「暗い所なら我慢する」と妥協させ、今に至る。

 彼女は人間ではなく、妖怪“野鉄砲”である。

 どうやら人間の街や車のような、文明的な環境や機器が苦手のようで、ついでに明るい所より暗い所が好みらしい。

 道理で地下倉庫に籠りっきりな訳だ。

 そのため、自動車に乗るのも嫌がっていたが、目的地までの行程を考えると、とても徒歩ではたどり着けない。

 そこでさっきの譲歩を引き出し、トランクの中に収まってもらった次第である。


 …ハッキリ言って疲れた。


「扱いづらいかも知れんが、腕は確かだ」


 と、黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)は保証してくれたので、頼りにはなるのだろうが、いかんせんコミュニケーションをとるのに難儀しているのが現状だ。

 とにかく無口だし、会話が続かない。

 顔も見えないので、リアクションにも困る状況である。

 主任いわく、一人山奥で暮らしていたそうなので、会話が不慣れらしいのだが。

 そして、車内に何度目か分からなくなった沈黙が下りる。


「え、えー、あ、そうだ!砲見さんは、休日とか何なされてるんですか?」


 堪えきれなくなった僕は、ありきたりな質問をしてみた。


『寝てる』


「そ、そうですか…あ、じゃあ、趣味とかは?」


『寝ること』


「は、はは…お昼寝、好きなんですね」


『うん』


 そして沈黙。

 こんな調子が延々と続いているのである。

 いい加減、会話を諦めようと思いかけた時、


『…君は?』


「えっ」


『君は…何してるの?休み』


 車の音にかき消されそうな、小さな声。

 僕は見えないのに、思わず後ろを向いた。

 僕は笑いながら、


「僕は釣りが好きで、大体休日はそれに費やしてますよ。あ、でも、釣りキチってわけでもなくて、普通にぼーっしてるのが好きなんです。この前なんか…」


 結局。

 残りの車内は、僕の取りとめない話になってしまい、会話らしい会話にはならなかった。

 でも、砲見さんは黙って聞いてくれ、時折、合いの手を入れてくれたのだった。


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 ややもすると、ちらほらと人家が見えてきた。

 広がる水田を前に、山を背負った小さめの集落だ。

 僕は地図を片手に、目的地の家を探す。

 途中、田んぼで農作業をしているおじさんに教えてもらいながら、僕はようやく目的地に到着した。

 場所は、地元で神社の神主をしている星宿ほしやどりさんという人の家である。

 星宿さんの家は代々神主をしているそうで、昔ながらの旧家だったが、立派な構えの家だった。


「よく来てくれました」


 出迎えてくれた星宿さんは、60歳くらいの男性だ。

 神主と聞いていたので、狩衣姿を想像していたが、ごく普通の作務衣姿だった。


「役場の特別住民支援課の十乃とおのです。あと…」


 傍らに目をやってから、慌てて公用車に戻る僕。

 いけない、いけない。

 砲見さんを忘れてた!

 トランクを開けると、ジロリと睨まれてしまった。

 思いがけない所から現れた砲見さんに、星宿さんは驚いていた(無理もないが)。

 手を貸すと、


「ありがと」


 と、不承不承礼を言う砲見さん。

 彼女は僕より年上…妖怪だから当然だが、身長140センチ足らずと小さい。

 黒髪を縄でポニーテールのように結い上げ、獣の毛皮で作ったらしい上着を着ているので、雰囲気は女猟師か、くのいちといった感じだ。

 野性味ある格好とは違い、目鼻立ちは上品で、幼さと艶やかさが絶妙なバランスで両立している。

 改めてみると、どこか気高さを感じる女性だった。


「と、とりあえず、お二人ともこちらへ」


 星宿さんは、僕達を座敷に上げてくれた。

 お茶を勧められ、一息つくと、


「よく来てくれました。改めて、お礼申し上げます」


 深々と一礼する星宿さん。


「いえ、それより、お話を聞かせてください」


 僕は恐縮しながら、促す。


「報告書は見ていますが、本当に妖怪がこの辺りに?」


「はい…私が宮司を務めている神社の森におります」


 星宿さんは、少しうつむき、沈痛な表情を浮かべた。


彭侯ほうこうという妖怪です」


 “彭候”…伝承では犬に似た人面の妖怪である。

 古くは中国の伝承にも登場し、樹木に宿る精霊とされる。

 樹木を自在に操るともいうが、古い割に謎の多い妖怪だ。

 星宿さんは、意を決したように顔を上げた。


「どうか、彼女を止めて欲しいのです」

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