【十一丁目】「「気難しいけど、とてもいい子だから」」

「おはようございます!」


 午前7時30分。

 降神町おりがみちょう役場の職員が出入りする通路口で、いつもの挨拶をする。

 「いつも早いね」と警備員のおじさんが笑顔で応えてくれた。

 毎朝、業務開始キッカリ1時間前に、僕…十乃とおの めぐるは出勤する。

 まだ、就職して間もない僕は、誰よりも早く職場に行き、こなさなければならないことがあるからだ。

 机やカウンターの掃除、床掃き、給湯室の清掃。

 細かい雑事だが、下っ端として率先して行わなければならない。

 早起きが特段得意という訳でもない僕だが、つい最近まで、就職浪人をしていたためか、面倒な反面、少し新鮮な感じがする。

 実際の業務とは全く関係のない雑務だが「社会人になった」と、ささやかな実感が湧くからだろう。

 いつもの通り、先輩達の机とカウンターを拭き、床をざっと掃き、給湯室のポットでお湯を沸かしておく。

 よし、一丁上がり。


「あ、そうだ」


 自席に座って、しばらくくつろごうとして、コピー用紙が切れていたことに気付く。

 確か、用紙は地下の倉庫にあると聞いていた。

 業務が始まる前に、地下の倉庫まで取りに行かねばならない。

 僕は手押し台車を確保し、エレベーターで地下1階の倉庫に向かった。

 倉庫への廊下は、薄暗く、通路には倉庫に入りきれない荷物が、段ボールに入れられて積まれている。

 役場ここに入庁し、先輩に案内されて以来、初めて一人で訪れたが正直、昼間でもあまり来たくない場所だ。

 倉庫の前で、鍵を取り出し、ドアを開けた。


 ギィィィ…


 錆びた蝶番ちょうつがいが、雰囲気満点の音をたてる。

 早く明かりを点けようと、壁のスイッチを探る僕。

 その後頭部に、不意に何か固いものが、当たった。


「!?」


「動くな」


 不意に女性の声がした。


 誰かいる!?


 細い棒のようなものを突き付けられたまま、僕は本能的に命の危険を感じ、硬直した。


「だ、誰…」


「喋るな」


 まだ、若い女性の声。

 恐る恐る背後を見ようとした瞬間、


「動くなと言った!」


 鋭い声が飛ぶ。

 そして、


「君、誰?」


 と、誰何すいかされ、僕は震える声で答えた。


「と、十乃です。ここの職員です…」


「所属は?」


「と、特別、住民支援、課です…」


 ごり…


 後頭部の棒状の何かが、少し押し出される。

 不思議なもので、人間はこのシチュエーションになると、背後の何かが凶器であると、強く思い込むらしい。

 そう、例えば銃口とか。


「そ、その…こ、この四月に、配属されました…!」


 情けないが、うわずった声になったのは仕方ない。

 人気のない暗い倉庫で、何者かに背後を取られているのだ。

 これまでの人生、荒事に無縁だった僕としては、これが限界である。


「ここに何しに来た?」


「え…?え、あの、その…事務室の、コピー用紙がきれたので…」


「取りに来た?」


「は、はい…」


 背後の女性が、しばし沈黙する。

 そして、スッと後頭部から棒状の何かが離れた。


「用紙は左側の通路の奥」


 軽い足音が遠ざかる。


「次はノックして。約束」


 少しずつ背後を振り返ると、長い黒髪を結い、猟銃を持った小柄な女性の後ろ姿が、チラリと見え、消えた。


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「あはは、ゴメン、ゴメン」

「教えておくの、忘れてたわ」


 朝礼前、命からがら逃げ帰って来た僕は、出勤してきた先輩職員…二弐ふたに 唄子うたこさんに、すがりついた。

 当初、血相を変えて「地下の倉庫に銃を携帯した不審者がいる!!」と訴える僕を、唖然と見ていた二弐さんは、突然笑いだして、そう言ったのである。


「地下の倉庫は、のお気に入りの場所で、ほぼ彼女専用の部屋なのよ」

「次からは、ノックして入らないとね。相手は女の子なんだし」


「はあ…」


 今度は僕が唖然となった。


「あの人、誰なんですか…?」


「私達と同じ、この課の職員よ」

、妖怪だけどね」


 そう言って、ウィンクする二弐さん。

 腰まである長い黒髪と清楚な顔立ち、柔らかな人当たりの美人だが、いま本人が言った通り人間ではない。

 彼女は妖怪“二口女ふたくちおんな”である。

 “二口女”は、後頭部にもう一つの口を持つ女性の妖怪だ。

 長く強靭な髪を自在に操り、後頭部の口から食べ物を食べる。

 民話「飯を食わない嫁」などで、語られているのが有名だ。

 二弐さんも、後頭部に口があり、物を食べたり、話もできる。

 巧みな話術も心得ているようで、窓口業務・相談受付・女性職員同士の井戸端会議と、人気の女性だ。

 ただ、会話では二つの口が交互に喋るので、慣れていない頃はとても戸惑った。


「名前は砲見つつみ 摩矢まやちゃん。特別住民支援課うちの保護担当よ」

「射撃の名手で、野鉄砲のでっぽうっていう妖怪の女の子よ」


 “野鉄砲”…聞いたことがある。

 確か深山に棲む妖怪で、夕暮れ時に現れては、旅人などの視界を塞ぎ、血を吸い取るとか。

 …というか、同じ課の職員!?


「…すみません。僕、今日初めて会ったんですけど」


「そう?十乃君が、この課に配属されてきた時にいたけど?」

「歓送迎会の時もいたわよ?」


 しばし、記憶を探るが、全く顔が出てこない。


「「まあ、どっち時も天井裏に潜んでたんだけどね」」


 前後の口でハモる二弐さん。 

 僕は目が点になった。


「あの…もしかして、危ない人なんですか?」


「う~ん、人付き合いは良い方じゃないけど…」

「でも、真面目ないい子よ」


 真面目…そうな、感じはしたが、生まれて初めて銃を突きつけられた身としては、素直に賛同しかねる感想だ。

 そもそも、公共施設の中…いや、それ以前に、普通に猟銃を持ってうろつくなど、許される行為なのだろうか…?


「見た目はちっちゃいかもしれないけど、十乃君より年上だからね」

「ちゃんと先輩として扱ってあげてね」


 二弐さんは、にっこり笑い、


「「気難しいけど、とてもいい子だから」」


 再び前後の口で、同時に言った。


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 それから数カ月が経った後。

 黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)に呼ばれた僕は突然、出張業務を命じられた。


「場所は、郊外のとある森だ。そこに一体の妖怪がいる。そいつを説得か保護してきて欲しい」


「保護って…あの…僕、渉外しょうがい担当ですが…」


 僕が受け持っているのは、書類整理などの庶務の他に、人間社会に適合しようとする特別住民(=妖怪)のサポートである。

 研修会の準備や彼らへの行政サービス案内など、多様な業務がある。

 そして、その中には、人間社会に馴染もうとしない妖怪達と交渉し、可能であれば説得して、市で用意したカリキュラムを受けてもらい、人間社会への理解を深めてもらうという業務もあった。

 もちろん、僕のように、社会に出たばかりの若造一人に務まるものでもないのだが、そこは先輩職員のみなさんがフォローしてくれている。


「分かっている。ちゃんと応援を出す」


 黒塚主任が言った。

 配属された時は、美人上司の部下に配属されたことに内心舞いあがっていたが、その正体が“安達ヶ原の鬼婆”だと聞いた以降、常に緊張感を持って業務に携わるように心掛けている。

 とはいえ、恐いだけでなく、部下の面倒を見てくれる上司の鏡のような人だ。


「じゃあ、一人ではないんですね」


 ホッとする僕。

 見習いの域を出ない自分が、一人で仕事に当たるのは、まだまだ早い気がしたのだ。


「で、どなたと行くんですか?」


 僕の問いに、無言で天井を指差す黒塚主任。

 見上げてみるが、何もない。

 空調のダクトと室内蛍光灯ががあるだけだ。


「…あの、主任?」


「もっとよく見ろ」


 主任の言葉に、もう一度、天井を見上げる。

 って言われても、何もないのだから仕方ない…

 …いや…

 わずかにずらされた天井パネルから、こちらを見下ろす一対の眼。


「うわ!?」


 ギョッとなって飛び退く僕に、主任が告げる。


「保護班の砲見だ。今回のお前の相棒だよ」


 砲見って…あの!?

 僕の脳裏に、数ヵ月前の出来事がよみがえる。


「宜しく」


 天井の眼…砲見さんは、そう静かに挨拶してきたのだった。

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