【番外地】「信じることでしょうか」
とある晴れた日。
僕…
連休明けということもあり、役場にはいつもより多くの人がいる。
ごったがえすほどではないが、少しだけ窓口で順番を待つ人が多い。
そんな感じの、いつもの日常だ。
特別住民支援課も、今日は一日仕事が詰まっている。
午前中は書類の整理・作成と会議の準備。午後は会議の後、特別住民(=妖怪)のみなさんを引率し、視察研修に赴かねばならない。
帰ってきてからは、伝票処理が待っている。
そんな一日のスケジュールに、溜息をついた時だった。
「おい」
ふと、背後から誰かに呼ばれた。
振り返ると、黒いライダースーツに身を固めた、
「妃道…さん」
“スネークバイト”以来に顔を合わせた妃道…いや、妃道さんは、無愛想な顔で顎をしゃくった。
「顔を貸せ」ということだろう。
手に持っていたファイルと妃道さんを見比べ、諦めてつき従う。
程なく、自販機コーナーに到着すると、妃道さんは休憩用のソファーに腰を下ろした。
そのまま、じぃっと、僕を見詰めてくるので、仕方なくやや離れて隣に座る。
周囲に人はいない。
無言の空間に堪えきれなくなった僕は、愛想笑いを浮かべた。
「この間はどうも…」
ジロリ、と睨みつけるようになる妃道さん。
僕は愛想笑いのまま固まるしかなかった。
その後も、しばらく無言だったが、不意に妃道さんが口を開いた。
「驚いた…まさか、ホントに役場の職員だったとはね」
呟くように言う。
「はは…スミマセン…」
僕達の素性は秘密にしていたはずだが…いや、間車さんの悪名を考えると、ちょっと調べれば、すぐに分かるような気もする。
「別に謝らなくてもいいよ。どんな奴とやっても、引き分けは引き分けなんだし」
そう。
半月前に行われた、僕達と妃道さんの“スネークバイト”は、引き分けに終わった。
その結果『自分より速い奴、自分を負かせる奴がいたら、リーダーを辞める』と言っていた妃道さんは、リーダーを辞める必要はなくなった。
それは同時に、僕達が警察からの依頼も果たせなかったことを意味する。
だが、彼女は「勝ったわけでもない」と、リーダーを辞することをその場で宣言した。
仰天した走り屋達に総出で引き止められ、とどめに間車さんに、
『次はバイクでやってやる。覚悟しとけ』
と、ズバリ挑発され、不承不承リーダーを続けることとなった。
何というか…後腐れなくきれいに消えようとするあたり、伝承の“片輪車”そのものだ。
しかし、彼女がリーダーに留まったのは、他にも理由がありそうだ。
間車さんとの決着もそうだが、必死になって引き止めた走り屋達のこともあるのだろう。
冷徹な雰囲気を放つ妃道さんだが、彼女自身が思っていたよりも、仲間から慕われる存在だったという訳だ。
僕は少し笑ってしまった。
「…何がおかしいんだい?」
「いえ…優しいのも、伝承通りなんだなぁと思って」
「…っ…うるさいね!」
フイッと顔を背ける妃道さん。
しかし、耳まで真っ赤だった。
この辺は、まだ黒塚主任ほど、こなれていないようだ。
「今日はどうして役場ここへ?」
再びジロッと睨んでくる妃道さん。
周りを気にしているようだが、そのうちぼそっと呟いた。
「…聞いたんだけど、あんた、妖怪を人間社会に馴染ませる仕事に就いてるんだって?」
「ええ」
「…その…それってのは、あたしも…含まれんのかい…?」
「…へ?」
「だ、だからさ!あたしみたいな奴も、人間社会に馴染ませることができるのかって聞いてんだよ!」
くわっと牙を向く妃道さん。
僕はキョトンとした後、その意味を悟って笑った。
「もちろん。全力でサポートさせていただきますよ…!」
彼女の中に、どんな心の動きがあったのかは分からない。
しかし、口調は乱暴だったが、その目は本気の光を宿していた。
妖怪が人とつながろうとしているその気持ちは、この現代ではとても尊いものだと思う。
なら、僕達が応援しない理由はない。
「そ、そうか…じゃあ、あたしも…」
照れたように妃道さんが、おずおずと切り出した瞬間、
「見つけたぜ、妃道!」
「間車さん!?」
突然現れた間車さんが、妃道さんに向かって拳を突き出す。
「へっ、駐車場に見たことのあるバイクがあったから、もしやと思ったけど、やっぱり居やがったな!」
ニヤリと笑う間車さん。その拳から、キラリと何かが垂れ下がった。
…車のキーだ。
それを見た妃道さんが、ユラリと立ち上がった。
「へぇ…懲りない奴だね、あんた」
彼女も不敵な笑みを浮かべていた。
ポケットに手を突っ込んでから、間車さんに習うように拳を突き出す。
拳からこぼれたのは、バイクのキーだった。
…もーれつにいやなよかんがする。
「ははははははははははははははは…」
「ふふふふふふふふふふふふふふふ…」
お互いに笑いあう二匹の妖怪。
僕は。
脱兎のごとく逃げ出した。
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突然の来訪者は、見知った顔だった。
「どうも。突然すみません」
降神町警察署の
「今日いらしたのは、先日の件ですか?」
運ばれてきたお茶を勧めつつ、黒塚は切り出した。
「その節は、生憎とお役に立てなくて申し訳ありませんでした」
「あ…いや、頭を上げてください。黒塚さん」
頭を下げようとする黒塚を制する権田原。
「確かに“スネークバイト”には勝てませんでしたが、そう悪い結果にはなっていませんから」
怪訝そうな顔になる黒塚に、権田原は続けた。
「あの後、連中、妙に大人しくなりましてね。引き続き潜入していた奴らから『以前に近い状態になった』と報告がありました」
「…警察から見れば、根本的な解決にはなっていない気がしますが…」
黒塚の指摘に苦笑する権田原。
「そうですな。しかし、当面連中も無茶をしそうもないんで、結果オーライでしょう」
再びお茶をすする権田原。
「無論、監視は続けますがね」
「…それは、リーダーが妖怪だからですか?」
黒塚も事のあらましは聞いていた。
リーダーの女性が、片輪車ということも知っている。
警察がそれを放置することも、考えられない。
当然だろう。
妖怪は、人間に害をなす力を持っているが故に。
そして、その力が、いつ市民に向くのか分からないのだから。
黒塚の感情のない声に、権田原は涼しい顔のまま答えた。
「否定はしません。ま、お互いにそこはあまり踏み込まないことにしましょう」
「…そうですね」
黒塚は溜息をついた。
妖怪が人の世に「再び」現れて、まだ二十年ほど。
かつて、人間にとって、身近だった
現代で起こったこの「再会」に意味を見出すには、まだ時間が足りなさすぎる。
「しかし、大したものですよ。貴女の部下は」
権田原がふと笑う。
「勝てなかったとはいえ“スネークバイト”の女王を、おとなしくさせてしまうとは。正直、どのような育て方をしているのか、教えていただきたいものです」
嫌味ではないようだ。
黒塚はしばし思案し、
「そうですね…秘訣といえば」
そして微笑みながら、答えた。
「信じることでしょうか」
ブォン!ブォォォォォォォォォォン!
バルン!バォォォォォォォォォォ…!
黒塚が言い終わるなやいなや。
突然、凄まじいエンジンの爆音が、駐車場から轟いた。
「なっ…!?」
窓辺に駆け寄った二人は、眼下の駐車場から走り出す車とバイクを目撃した。
「交通安全?何それおいしいの?」と言わんばかりの猛スピードだった。
バイクの方は長髪の女性。
車の方はキャップを被った女性。
そして、車の助手席には、泣き叫ぶ男性の姿が、ハッキリと見えた。
「い、今のは…」
「………………………………権田原さん」
地獄から聞こえてきたような声に振り向き、権田原は戦慄した。
いくつもの事件現場を見てきた歴戦の猛者である彼も、生まれて初めて味わう恐怖だった。
ニコリ、と鬼女が笑う。
「
権田原は拒否できなかった。
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この日からだいぶ後「降神町チャンピオンシップ」なるイベントが誕生し、人気を博した。
町中の道路にコースを設定し、レースを行う日本でも珍しいタイプのモータースポーツのイベントである。
このイベントは「町中に張り巡らされた警察の封鎖線をかいくぐって爆走する一組の車とバイクを、数十台のパトカーが追跡する」という珍事件が、その発想の元になったと言われているが…
それはまた別の話である。
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