【九丁目】「最後の悪あがきをしませんか?」
「さて、フィナーレだ」
確実に狙うためか、ウィリーしたまま反転し、後ろ向きに疾走する妃道のバイク。
高速で移動しながら、僕達は正対した。
まさか、そんな芸当までできるなんて…!
車輪から炎の
先程は
「んなろぉぉぉぉッ!!」
間車さんは、暴れる車体を抑え込み、ハンドルをきった。
車体は鮮やかにスピンし、飛礫をかわす。
だが、路面を走る火炎はかわしきれず、右前輪のタイヤを直撃した!
「うわっ!」「くっそ!」
車体にこれまでにない衝撃が走る。
同時にみるみる減速する車。
これは…
「やられた…!」
間車さんが呻く。
幸い、二人ともケガはないようだが、車はそうもいかなかったようだ。
かろうじて走行可能ではあるようだが、目に見えて速度が落ちている。
「フフッ、これまでだね」
余裕の表情を見せる妃道。
その向こうに、最初にスタートをきった休憩所の明かりが見えてくる。
もう、ゴールが近い…!
だが…僕達には、妃道に追いつく術がなくなってしまった。
仮に追いついたとしても、あの炎の妖力がある限り、抜き去ることもできない。
今度こそ。
手詰まりだった。
「ちくしょう!!」
悔しげにハンドルを叩く間車さん。
自らの運転技術と妖力に、絶対の自信を持っていた彼女にとって、この結末は受け入れがたかったのだろう。
僕には、徐々に薄らいでいく【千輪走破】の蒼い陽炎が、彼女の気力そのもの見えた。
同時に、僕は打ちひしがれたような間車さんを前に、自らの無力さを思い知った。
(…いっそ、僕なんか乗っていない方が、間車さんは全力でレースに専念できたのではないだろうか)
そんな思いが浮かんでくる。
近付いてくる休憩所の光。
スタート地点とゴールを兼ねるそこへは、最後のトンネルを抜ければ、すぐだった。
トンネル…
その瞬間、
「…間車さん」
力のこもった呼び掛けに、間車さんが僕を見る。
「最後の悪あがきをしませんか?」
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妃道は自分の勝利を確信していた。
間車の車は、自分の【炎情軌道】を受けて、かなりのダメージを負っているようだ。
走行はしているが、先程までのスピードはない。
彼女の妖力【炎情軌道】は、走行エネルギーを炎に変換し、それを操る能力である。直撃すれば、車一台など一瞬でスクラップできる。
先程は妖力でどうにか耐えきったようだが、さすがに二度目は無理だったらしい。
減速していく相手の車。妃道はバイクの姿勢を戻した。
もう、本気を出すまでの相手ではなくなっていた。
「興醒めだね」
目の前にトンネルが迫る。
このトンネルを抜ければ、ゴールは目の前だ。
ここでいつもの癖が出た。
妃道は、必死にもがく相手をからかうのを好んだ。
相手があと一歩で勝利に届く瞬間、それをかっさらうのが、面白かった。
人間社会に馴染めず、ドロップアウトし、流れ着いた“スネークバイト”だったが、妖怪である彼女の相手が務まる人間などいない。
瞬く間に無敵の女王となった彼女は、崇拝されたが、その心は空虚なままだった。
それは、そんな虚しさを埋めるための、せめてもの手慰みだったのかも知れない。
今回の相手は、自分と同じ妖怪の走り屋だったようだが、所詮、自分の相手ではなかったようだ。
(さて、どう演出してやろうかね…)
そう思案しながら、バックミラーに目をやる。
そして、眉をひそめた。
いない。
一瞬前までいたはずの、間車たちの姿がいない。
影も形も見当たらなかった。
疾走しながら、背後を振り向く妃道。
既にトンネルの中だ。隠れる場所などないはずである。
しかし、先程まで無様な走りで、必死にもがいていた相手の姿は、煙のようにかき消えていた。
「…バカな、何処にいった!?」
混乱する妃道。
間もなく、トンネルを抜ける。
その瞬間、前方で何かが路上に落ちる音がした。
目を向けた妃道の眼前に、あり得ない光景があった。
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「ぃいやっほぅ!!」
見事に着地を決め、歓声を上げる間車さん。
僕はというと、頭に上った血液を何とか元に戻そうと、頭を振っていた。
「…うぇ、気持ち悪い…」
「何だ、だらしねぇな。ちょっと逆さまになってただけじゃねぇか」
そうなのだ。
トンネルを抜けるその時まで、僕達は逆さまになっていた。
正確に言うと、トンネルの天井を、逆さまになって走り抜けていたのである。
車体はガタガタ。
目の前には妃道。
彼女を避けつつ、車を無理なく走らせるための唯一のルート。
それは、トンネルの天井だった。
車体の走破能力を強化する間車さんの【千輪走破】の能力を使い、トンネルに入ると同時に、妃道の目を盗み、天井を走り抜けていたのである。
かなり博打だったが、うまくいったようだ。
馬橋まばしさんから聞いていた、妃道の性格…「相手をぶっちぎりに抜いていくより、間際での追い上げを楽しむタイプ」という点も幸いした。
僕達をからかおうとスピードを緩め、姿を探しているその隙に、まんまとリードを稼ぐことができたのである。
休憩所の光が近い。
ゴールは目前だ。
しかし…
「させるか!!」
それを黙って見過ごす妃道ではなかった。
弱りきって、からかうだけの相手に出し抜かれたのである。
恐ろしい速度で追撃してきた…!
だが、ここまで来たなら、後は気力勝負しかない!
「決めてやるぜ!!」
最後の力を振り絞って【千輪走破】の陽炎を発動させる間車さん。
「ふざけんじゃないよ!!」
再びウィリー状態になり【炎情軌道】の炎を撒き散らしながら肉薄する妃道。
蒼い陽炎と紅蓮の炎が、真横に並ぶ。
間車さんと妃道の視線がぶつかり、見えない火花が散った。
最後のコーナーを同時に曲がる。
休憩所の駐車場の真ん中に、走り屋達が集まっていた。
大きく二つのグループに別れたその間…そこがゴールだ。
先程スタートの合図を出した男が、フラッグを手にスタンバイしていた。
『うおぉぉぉぉ…!!』
二人の叫びが重なる。
そして…
フラッグが振られた。
激しいブレーキ音をたてて、停まる二台の鋼の馬。
そして、静寂。
走り屋達が、一斉にフラッグ男に注目する。
男は、しばし微動だにしなかったが、フラッグを水平に構えた。
「
歓声があがった。
興奮した走り屋達が、僕達と妃道を取り囲む。
最初、混沌としていた歓声は、徐々にまとまり…
MAGURUMA!!
HIDOH!!
と、二人を称えるコールに変わっていく。
たくさんの歓声と、荒っぽい激励のタッチが、車から降りた僕達を出迎えた。
もみくちゃにされながら、ふと、妃道の方を見る。
彼女も似た状態だった。
妃道は、最初戸惑っていた風だが、走り屋達の歓声と笑顔に押されるように、ふと笑った。
それは、彼女に似合う、とてもいい笑顔だと。
僕には思えた。
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