【七丁目】「Are you ready?」

 長い髪が夜風に広がる。

 漆黒の孔雀の尾羽ようなそれは、美しくも凶悪な迫力があった。

 こちらを値踏みするように見つめる目は、鋭い光を湛えている。

 惜しいことに、口元の笑みは歪んでいた。

 自信と嘲笑。

 美人だが、その悪意に彩られた微笑みが、僕…十乃とおの めぐるはあまり好きではなかった。


馬橋まばし、こいつらかい?あたしに挑戦したいってゲストは」


 妃道ひどうが、僕達を見たまま問う。


「…はい。そうです」


 動揺を堪えるように、しっかりと頷く馬橋さん。

 彼にも、彼女がいつ現れたのか、分からなかったのだろう。

 もしかして、会話の内容が漏れたかも知れない。

 あわあわする自分と違い、間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)は真正面から妃道の視線を受け止めていた。


「あたしは間車 りん。こいつは相棒の十乃 巡だ。あんたは?」


 間車さんの名前が出ると、妃道の笑みが深くなった。


「ほう!あんたが、あの…色々噂は聞いてるよ」


 …大体想像がついたので、僕は何も言わなかった。

 彼女の悪名は、降神町おりがみちょう役場上層部の頭痛の種でもある。

 内容は推して知るべし、だ。


「あたしは妃道 わだち。しいて言えば“スネークバイト”の顔役ってトコさ。同時にチャンプでもある」


 僕は少し驚いた。

 ちまたで騒がれている凄腕の走り屋が、女性であるとは思わなかったのだ。

 まあ、間車さんのような女性ドライバーもいるので、不思議なことではないのだが…


 それよりも。

 この女性が…妖怪なのだろうか?


 間車さんは、不敵に笑った。


「あんたに“スネークバイト”を挑みたい。受けてもらえる?」


「いいとも」


 間車さんのダイレクトな物言いに、妃道は動じることもなく即答した。

 まるで、かま首をもたげた蛇のように、その目が光っていた。


「今夜はいい走りができそうだからね」


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 従来“スネークバイト”は、山間の旧国道を走破し、タイムトライアルを競う単純なレースだったという。

 つまり“スネークバイト”の名前の由来となった、蛇体のようにくねった道路を、いかに迅速にクリアするかが肝となる。


 これが妃道の登場で様変わりした。


 基本的なルールはそのままに、車・バイクの車種も問わず、二台以上が参加する対戦型スピードレースと化し、あげく「走行妨害もあり」という過激さまで持つようになった。


「道具さえ使わなければ、相手を潰すことは認められています」


 レース開始までのわずかな時間に、馬橋さんと牛島うしじまさんが、おおまかなコースとルール説明をしてくれた。

 聞けば聞くほど過激なレースである。

 これまでよく事故が起きなかったと、本当に感心する。


「妃道はラフプレーをすることもありますが、とにかく抜群のテクニックを持っています。傾向としては、相手をぶっちぎりに抜いていくより、間際での追い上げを楽しむタイプですね」


「タイム更新より、なぶり殺しが趣味か…へ、いい性格してんな」


 面白くなさそうに間車さんがつぶやく。


「コースは約10キロあります」


 牛島さんが、簡単な地図を書いてくれた。


「5キロ先のバスプールが折り返し地点になってます。付近には何もないので、すぐに分かると思いますが…」


「分かった、あんがとさん。後は任せな」


 二人に親指を立てて応える間車さん。

  僕も会釈して礼を言う。

  牛島さんは、しっかりと頷いた。


「健闘を祈ります。ご武運を」


 離れていく二人に代わり、妃道が近付いてくる。

 車種は分からないが、真っ黒なボディのバイクに跨っていた。

 ところどころに炎をかたどった模様が入っていて、エンジン音との相乗効果で威圧感が半端ない。

 フルフェイスを上げ、妃道が尋ねてくる。


「あたしはバイク専門でね。そっちは本当に車でいいのかい?」


 加速が望める直線コースならともかく、こうしたカーブが多い道は、小回りの利くバイクの方が有利である。

 それを考えての確認だろう。

 間車さんは肩を竦めて、


「安心しな。負けたときの言い訳にはしないよ」


「そうかい」


 目を細めると、バイクを僕達の車に並ばせた。

 うるさかったBGMが突然止まった。

 集まった走り屋たちも声を出さない。

 夜の空気が張り詰めていく。

 その中を、一人の男が蛇の紋章が入ったフラッグを手に進み出た。


「Are you ready?」


 フラッグを掲げる男。

 咆哮を上げるバイクと車。


「“Snake bite”…」


 フラッグが打ち降ろされる。


「Go!!」


 そして。

 夜の山を切り裂いて、鋼の馬達が戦いの咆哮ウォークライを上げた。


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 キュララララララ…!!


 タイヤがアスファルトに跡を残すほどの勢いで、カーブをクリアする間車さん。

 車体がガードレールすれすれになるほど接近し、芸術的なターンで切り返していく。

 一歩間違えれば、ガードレールの先にある虚空へ、死のダイブが待っている。


「っし!いい感じだぜ、相棒!」


 トレードマークのキャップを指先で弾き、次のカーブも鮮やかにクリアする。

 すでに4キロは来ただろうか。

 僕達の車は、出だしから妃道のバイクを置き去りにし、信じがたい速度でリードを稼いでいた。

 あっけなく消えた妃道の姿に、しかし間車さんは油断なくハンドルを操作する。


「よーし、もうすぐ折り返しの地点バスプールだな。おい、巡!生きてるか?」


「…ハッ!?」


 間車さんに呼び掛けられ、僕は意識を取り戻した。

 レース開始早々、殺人的な加速と即死一歩手前のターンの連続に、気を失っていたらしい。

 目を覚ましたは良いが、悪化している状況に顔が盛大に引きつる。

 眼前の光景は、もはや悪夢の絶叫マシーンである。


「ま、ま、ま、間車さん!ももぉ少し!スピード緩めてわ!?相手にぃぃいい!だいぶリィイイイド…っしてますよぉおおおおぉおお!?」


「あー、まーな。でも…っと、あいつがこのまま勝たせてくれるたぁ思えないんだよなぁ」


 車体強度の耐久テストもかくやというようなハードランに、微塵も動じない間車さん。

 その懸念は、もっともだが、ここまでの大差を前に、勝てるものなのだろうか?

 僕はシートベルトをしがみつきながら、バックミラーに目をやった。

 気を失う前に見えたバイクのライトも、いまや全く見えない。

 僕達はあっという間にバスプールのロータリーを旋回した。


「よーし、このまま行くぜぇっ!」


 そう言いながら、間車さんがアクセルを踏んだ瞬間…


 ガオォォォォォォン…!!


 今まで聞こえなかったバイクの排気音が、空中から降ってくる。

 目を見開く僕達の前に、漆黒の車体が着地した。


 そんな、バカな…!?


 言うまでもなく、あれは妃道のバイクだ…!

 今まで姿も見えなかったのに、一体どうやって…!?


 妃道は指をこめかみに当てると、軽く挨拶をし、走り去っていく。


「…っの野郎…!」


 瞬間、車体が吠えた。

  急な加速に、思わず呻き声を上げる僕。

 あ、こりゃ、間車さんがキレたな。


「待ちやがれぇぇぇ!!」


 先程までの悪夢の絶叫マシーンが、地獄の超特急にランクアップする。

 最早、人間の限界を超える加速に、体が悲鳴を上げていた。


 …しかし。


 追いつかない。

 追いつけなかった。


 妃道のバイクは、こちらを嘲笑うかのように、ヒラヒラと先を行く。

 目の錯覚だろうが、相手は左程加速しているように見えないのが、正に悪夢である。

 このままでは、先にゴールを許すのは確実だろう。


 僕は覚悟を決めた。


 「間車さん…!早く【千輪走破せんりんそうは】を!!」


 妖怪“朧車”である間車さんの妖力【千輪走破】ならば、あるいは…!

 しかし、間車さんは無言のままだ。

 僕は再度叫んだ。


「間車さん!僕は大丈夫ですから、早く【千輪走破】を…!」


「…ってる」


「え?」


「だから!使ってる!さっきから【千輪走破】を使ってんだよ!」


 間車さんの横顔が。

 絶望に彩られていた。

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