第二章 “スネークバイト” ~片輪車~
【四丁目】「とある事件の解決に、ぜひみなさんの力をお借りしたいのです」
「…というように、人間の食事の席では、以上のようなマナーがあります」
棟といっても、簡素な大型プレハブに近いこの建物では、今日も今日とて、
この研修会の受講者は、設定されたステージをクリアしていくことで、人間社会への適合性の高さが上がっていき、より人間に近い妖怪として、様々な分野で人間と協力する職業に就業できるのだ。
無論、強制ではなく、希望者のみが受講するもので、これを受けなければ、人間社会での就業が不可能という訳ではない。
ただし、より優位な形で就職活動が望めるため、受講希望者の数は例年増えてきている。
今日は「人間の食事のマナー」についての講義である。
講師はこの道30年、地元で料理教室なども開催している人間の女性講師だった。
受講者の面々は、思い思いにメモをとったり、訳知り顔で頷いたり、あからさまに面倒くさそうにしていたり、反応は様々だ。
…しかし、毎回思うけど、姿がほぼ人間に近いから、パッと見たら普通のマナー講座にしか見えないなぁ。
「ここまでで何か質問はありますか?」
講師の問いに、ババババっと手が挙がる。
「はーい、しつもーん。このおしぼりって、尻尾も拭いていいんですか?」
…いや、ダメでしょ。
「このフィンガーボウルって、飲み物なんですか?」
…それは指を洗うものです、
「ナイフより、手で切った方が早いんだけど」
…それができるのは君だけだよ、
「お、おかわりは何杯目までセーフ…?」
…切実すぎます、
「あー、俺、
…実地訓練はないです、
「それはおいらに対する挑戦か!?」
…気持ちは分かりますが落ち着きましょう、
常にワイワイ、ガヤガヤして収拾がつかなくなるのも、この研修会の見慣れた風景である。
女性講師は頬をヒクつかせつつも、丁寧に対応を行っていく。
人間社会に順応するということは、妖怪にとって過酷な試練だが、受け入れる人間側にも多大な忍耐力が要求される。
しかし、それを乗り越えなければ、現代で両者の共存は成立しないのである。
何より、役場に就職して一年、僕はそれを身をもって知った。
「え~?お皿なめちゃダメなの~?」
「あ、俺、蟹は生がいい、生」
「挑戦だなッ!?やっぱり挑戦してるんだなッ!?」
「お、お持ち帰りは?どれだけならセーフ?」
…あ、女性講師が目で助けを求めてる。
仕方ない。手助けに行くとしよう。
溜息をつきながら、僕は椅子から立ち上がった。
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どうにか研修会も終わり、女性講師を労う。
毎度ながらとはいえ、人間相手とは勝手が違うため、想像よりキツイだろうに彼女は、
「でも、みなさんの熱意は本物ですよ」
と、笑って帰って行った。
妖怪を警戒する人間は、いまだに多いが、受け入れようとする人間も多い。
いまはまだ仲良くはできなくても、身近に感じられる存在として、妖怪たちもだんだんと僕たちの社会に馴染んでいる。
少なくとも、僕はそう信じたい。
「
女性講師をロビーで見送った僕は、階段で
今日もビシッときまったビジネススーツと眼鏡で全く隙がない。
「何でしょう、主任」
「うん。実はちょっと頼みたいことがある。
「あ、はい」
…?
主任、いつもに増して真剣な表情だったな。
よし、とにかく間車さんを呼んでこよう。
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「失礼します」「ちゃーす」
僕と間車さん(
ちなみに特別住民支援課は市民部に属する。
つまり、二人は僕らの課の直属の上司となる。
それともう一人、見知らぬ男性がいた。
制服姿から警察関係の人間に見える。
厳しい顔立ちの大柄な男性だ。
僕は、思わず横にいる間車さんに視線を向ける。
勤務中、交通ルールを「スレスレの線で」かいくぐっている間車さんは、警察関係者…特に交通課では要注意人物となっていると聞いた。
この警官は、その関係で役場に来たのかも知れない。
だが、そんな僕の心配をよそに、
「おう、
「よー、何だ、
いかつい顔の警官が、間車さんを見て、急に相好を崩す。
間車さんも、二カッと笑って手を挙げた。
…えーと、お知り合い?
「何だよ、ダンナ。あたしゃ最近おとなしくしてるぞ」
「そりゃ結構。さては、歳で腕が鈍ったか?」
「ちげーよ。こちとら公務員なんだ。安全運転が基本だっつーの」
「ほー、こないだ四丁目の路地で爆走していた奴が、随分と殊勝な心掛けだな」
ピキーン
瞬間、間車さんが凍りつく。
四丁目の路地で爆走…心当たりがありすぎる…
確か何日か前に、三池さんを保護した時、その辺を走ったよーな…
「…よ、四丁目…?爆走…?な、なんだ、しょりゃ?」
間車さん…その滝のような汗と噛みっ噛みの台詞で、モロバレです。
見れば部長と課長の顔色が変わっている。
「ほう。随分と愉快そうな話だな…詳しく聞きたいぞ、間車」
黒塚主任に至ってはどす黒いオーラに加え、角と牙を見せて笑っている。
しかし、目が笑っていない。
ひぃいぃッ!アレは久々に見る本気の鬼婆モードっ!
いつだったか、課で催された飲み会で、間車さんが泥酔し、ふざけて(と、思いたい)車を運転して帰ろうとしたことがあった。
言うまでもなく「飲酒運転、ダメ、絶対」である。
その時は、課長が注意するより早く、黒塚主任が彼女の首根っこをふん捕まえて、夜の街に消えていった。
翌朝、怯えたウサギのようになった間車さんが出勤してきたのを見て、課の全員が戦慄したものだ。
あの晩、何があったのか…いまだ、彼女は語ろうとしない。
ただ一言、焦点の合わない目で「鬼婆伝説の再現になるところだった…」と呟いたという。
…さよなら、間車さん。
貴女のことは忘れません。
そんなモノローグを心の中に浮かべていると、警官は笑いながら手を挙げて、鬼女丸出しの黒塚主任を制した。
「いや、その件については今回不問でいきましょう」
黒塚主任は、とりあえず鬼婆モードを解除した。
「
「実は、今日は別件でお邪魔した次第です」
「別件…とは?」
眼鏡の部長が怪訝そうに聞き返す。
警官…権田原警部は居住まいを正した。
「とある事件の解決に、ぜひみなさんの力をお借りしたいのです」
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唐突だが、降神町東部には、
南側が海、残り三方を山で囲まれた降神町と、隣町をつなぐ国道が走る山だ。
かつては、貴重な交通網として頻繁に利用されていたが、近年、山を貫くように整備された新道の利便性に押され、かつての賑わいは見られない。
訪れる者といえば、地元の小学生が遠足でやってくるくらいで、たまにカップルなどの姿があればいい方だった。
ただし、週末の夜になると状況が変わる。
山に沿った時に厳しく、時に緩やかなカーブが点在するため、地元のみならず、他所からも腕自慢の走り屋たちが集結し、“スネークバイト”という、私的なレースを開催しているのである。
人里から離れた場所にあり、交通量もまばらとなれば、正にうってつけのレース場だ。
たまに思い出したかのように警察のパトカーが巡回にやってくるが、それもめったに苦情が来ないため、形式上のものになっていた。
僕が高校生の時、いや、それより前から、この山で行われている“スネークバイト”は有名だった。
その“スネークバイト”で、最近不穏な動きがあると、警察にタレコミがあったという。
“スネークバイト”に集う走り屋たちは、もともと純粋にレースを楽しむ連中が主だった。
権田原警部の話では、イタチごっこではあったようだが、警察の注意を受ければ、素直に解散していたし、レースも自分達なりのルールを設けて、一線を越えることは無かったという。
しかし、最近台頭してきた一人の走り屋のもと、過激な行動をとる者が出てきたらしい。
危険走行、エキサイトしていくレースルール…このまま放っておけば、死傷事故が発生するのは時間の問題だという。
「…問題がもう一つ」
権田原警部は、声をひそめた。
「そのリーダーになっている走り屋が、どうも妖怪らしいのです」
全員の顔が強張った。
繰り返すが、妖怪たちを人間社会に迎え入れるために支援を行うのが、僕たち特別住民支援課の仕事だ。
その妖怪が、犯罪の道に走ろうとしているならば、僕たちとしても全力で阻止したいのが本音である。
「そいつは、明らかに人間を凌ぐドライビングテクニックを持っていて…恥ずかしながら、ウチの白バイ隊員も歯が立たなかったそうです。それに…」
「権田原警部」
不意に黒塚主任が、固い声でその先を制止した。
警部を正面から見据えて、凛然と尋ねる。
「まさか、うちの間車を疑っておいでですか…?」
警部はその視線を真正面から受け止める。
しばし、静寂が部屋を支配した。
黒塚主任は無言だが「自分の部下がそんな真似をする訳がない」と目で告げていた。
「…その線もありましたな」
警部はニヤリと笑った。
「いや失敬。自分はこの歳まで、随分な数の悪い奴を見てきました。色んな奴がいましたよ、本当にね」
そして、間車さんに目をやり、
「それだけ見てきたから、何となく鼻も効くし、人を見る目も肥える…ま、コイツはそんなタマじゃないでしょう。誰よりも、俺自身が保証しますよ、黒塚さん」
「…いえ、こちらこそすみませんでした」
誠実に頭を下げる黒塚主任。
部下を守り、信じようとする姿勢。
黒塚主任のこういうところが、人を惹きつけるんだなぁ…
「話を戻しましょう」
部長が仕切りなおす。
「我々の力を借りたい、とのことでしたね?」
「ええ。それです」
身を乗り出す権田原警部。
「その走り屋を…負かして欲しいのです」
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